2015年12月7日月曜日

王様の耳はロバの耳

ネットのフレイミングは、他人様間のものでも見ぐさい。
かと言って、物言わぬは腹ふくるるおもいに至る。
徒然草や方丈記が、この時代までよみつがれるのは、良質の吐露あってのこと。

密やかに、Twitする。
まさに、王様の耳はロバの耳であるとか、王様は裸だとか、目噛んで死にゃいいのにとか、プチ汚言、罵倒、本音、冷徹な言及等々である。
対象には、己も含まれ、そうなると自己批判、自己嫌悪、自己韜晦の解除などのカタルシスに至る。

こういう外化、言語化をやっておくと、筑波のガマではないが、己の発語の醜い、気高い、蛮勇の、姑息の、その他もろもろのありようが、赤裸々に自己把握できてよい。

ということで、マイスタイルとして維持することとする。

師走が特に

一日がはやいわけではないが、、、、。

暗くなるのがはやい分だけ、せわしなくはある。

夕方の庭遊びの時間なのに、もう真っ暗。
寒いのでストーブを入れると、夕方でもしっかり夜のmode、moodになる。

それにしても、この調子で、クリスマス、大晦日、年越し、新年とまたバタバタ。
来年のことを言うと鬼が笑うので、まあペンディングにしてあるが、恙無く年を越すことができれば、すぐにひとつ歳が増える。

うれしくもあり、切なくもあり。

まだ腰は弱い

晴れて降りやんだ。

いぢってみると腰は弱い。

日射し柔らかく簡単に水に戻る。

根雪確実と思ったけれど、ホワイトクリスマスもどうかな?

気候は一進一退スパイラルに進んでいく。
こちらの見識リズム感はあまり育っていない。
まあ、その程度だからしようがない。

豪雪根雪当確

一度融けるかの甘い期待は、ものの見事に粉砕され、立派な根雪風な風景。
まあ、覚悟の問題で、今冬はこうとスタンスすればいいだけなのだが。

玄関の開け閉めトラブル回避、車庫前雪処理のコツ。
やっとこ掴んだ最近の自家薬籠中ノウハウ。
使えば何とか生きてはいける。

しかし、もっぱら公共交通網、徒歩といったところが常態となろう。

まあ、毎年のことだから、特にどうということもない。

能動態受動態と協働

振ったつもりが、実は振られてた。
自惚れ屋さんの恋愛事情によくある。

このところネット依存が強く、多くのことはネット検索に頼っている。
まあ、調べれば大抵のことは分かるし、検索なしではすまないことの方が多い。
レシピなども、これなしで、あるいはあれで代替してなどと思って調べると、ちゃんと出てくる。
そういう希望必要な人、そのソリューションは、あっておかしくない、というか、あって当然。

では、それで事足りるかというと、全然ダメ。
自分がそのようなソリューションを理解するリテラシーを持っていないとダメ。
誤導され、下手をすると自爆する。
料理で手をはつり、本当に爆発させて大ケガの危険もある。

そこでキーワードは協働。
能動と受動、歴史と未来展望、ミクロとマクロ、己の、他人様のbias。
その他もろもろを上手に和えて、逸品に、せめて一品に仕上げる。

そこが肝。
しっかりと自覚してやり続けることが大事。

2015年12月6日日曜日

生きられる刻

あれからさほど降らなかった。
ちょうどよいくらいの風景にとどまっている。

北国に限らず、生きるためには、立って半畳寝て一畳の生存可能空間と、サムマネーの確保が必須だ。
こちらの雪がなければ、台風がある。
都心には、暴漢や匿名性の罠も濃密だ。

どこも住めば都。
工夫や精進で進む他ない。

生かされているという宗教的感性は悪くないが、某芸能人の国際関係の能天気なコメントを耳にして、あの程度のリテラシーで奥さん子供大変でないの?と思えど、他人様ゆえ、そういうご仁なんだと思う他なし。

生かされているというべき部分と、能動的に生物的potentialをアヒルの水掻きの如く続けている中間に、いまここで生きられつつある刻がある。

安易な刹那主義とは違った、いまここの貴重さがある。

しばらく師匠の遠征が続くので、こちらもスタンバイが続く。
熟成させるべき刻のseriesに胸ワクの休日の宵闇。

愛燦々と~♪

特に凍れているわけではないが、朝方は雪降りが続いていたので、ご近所もみな雪かき姿。

わんこも感応して吠えたり、覗いたり。

「もう雪のないところに行きたいと思うっしょ?」

「いやあ、 慣れちゃうと 、ないと淋しいね。」とわし。

外回りから帰ると、陽光も燦々。
わんこらに調達してきた豚骨を提供するも、十分くちくなっているのか、見向かない。
まあ、置いておけば、腹が空けばいつか消えている。

BGMに流すYoutubeの番組も、硬派の政治モノから、深夜放送のアーカイブで軽妙なtalk。
所詮、人は大文字部分より、中文字小文字で生きる。

ということで、あと半日はのんびりと休日modeを楽しむ。

歴史の総括

毎週定番で視聴している桜チャンネルの討論。

今日は大東亜戦争太平洋戦争の総括。
https://youtu.be/wNey3EQlUio
(1時間目、2、3時間目リンク省略)

話を前提論に転じる。
養老先生は、情報は不変とおっしゃる。
変わるのは、人間の方だと。

それはそれで見識と思う。

別の意見を紹介する。
故山本夏彦翁は、情報は変わる、変えられる。
真偽論は水掛け論に終わるという。
現実はこちら。
共産国の権力者序列や失脚は、写真の加工でわかる。
写真や文書を加工改竄して自陣正当化相手論難に励む。

まあ媒体劣化の不可避性を含めてみれば、養老翁は山本翁よりも幼稚リテラシー低位とみる。

保守陣営の戦争論を聴きつつ思う。
歴史の総括は、過去の話でなく、今の我らが実存、意味論を問う、まさに血の出るアクチュアルな行為である。
この辺りの自覚の弱いように思われる政治学者の瑠璃さんは結構おバカで、加藤某女史などの結論的物言いなんぞ論外、out of baseとしか思えない。

ということで、歴史学者でない我ながら、今を総括して行こうと思っている。
いわゆる歴史学だけでなく、自然科学や人間学、哲学、その他もろもろの知見を統合させながら。

セルフケアと他人様の治療、商品には手をつけるな

究極のカスタマイゼーションとしてセルフケアは、一般的に推奨される。
自傷他害の危険ありとされたり、公序良俗に反してよほどの反社会的振る舞いとされない限り、反医療主義であろうと、ホメオパチーであろうと、ご随意にというのが、自由の国のルールである。

しかし、これがひとたび他人様の治療となるとそうはいかない。
医療者がこれでいいだろうと思っても、受ける方の十分な納得がいる。
インフォームドコンセントを形成せず、専断的治療とされれば、傷害罪とされる可能性もある。
患者本人や家族がいいと言っても、社会的に問題をはらむ治療は慎む必要がある。
生命倫理に反する、虐待となる、その他もろもろ社会的に施行を自重しなければ、法律や規制的制度で、どえらいサンクションが課せられる医療行為もくさるほどある。

この時代の医療には、この大変さが重圧になっている。
最近、医師たちで脱ヒポクラテス宣言を唱導している人々がいる。
一休さんの問答のように、「蓋を開けずに、味噌汁を飲め」といった無理難題が降り注ぐ時代に、医者は医聖ヒポクラテスのごとく振る舞えないということだろう。
確かに、交通事故が起これば、どんな患者管理をしてたのだとくる。
風邪薬には眠気を誘うものがたくさんある。
てんかんなどに比べても、どの医者でもあたる。
実は、薬など使わずとも、ちょいと休ませただけで、どどっと疲れが出て、動きが鈍くなることもある。
先日、あるdoctorが、Twitterで「そんな大げさな」という反論者に、「健康を害して、運転に不適格な状況で運転すること自体が道交法違反」、「車置いてタクシーで帰れと指示する」と応えていた。
確かにそんな時代だ。
そういう意味では、古きよき時代のヒポクラテス、赤髭を演じることは、もはやできない。

このような厳しい、ある意味では当然のことが要求される時代に、「商品には手をつけるな」という格言をしっかり認識しなければならないといった話がある。
患者さんと特別の関係になる医者や医療者がいる。
精神科医が人格障害の患者さんと恋仲になり、翻弄され、殺し自分も死にかけた。
ミイラ取りがミイラになる。

別に医療に限らない。
先生が生徒に、コンビニの店員が商品にホントに手をつける。
司法試験の先生が、受験生に手をつけて、立件されるところにいるとニュースになった。
手をつけそうなところほど自制が要るのだが、人は弱い、つい手をつけてしまう。

この辺りのリテラシー向上が必須なのだが、なかなか上手く学ぶのは困難である。
何故なら、人はどうしても自分を埒外に措くからである。

爆睡

自分の中で、懸案と感じて、頭のなかにsuspendしていたことごとが、だいたいかたついたのか、よくねる。

しっかり休むのは、気持ちがいい。

今日も、課題はしっかり休むこと。

もし、積雪がすごかったら、雪かきで身体をほぐさなきゃいけないが。

2015年12月5日土曜日

便りのないのはよい知らせ

緊急伝達はありうべし。
身内から、クライアントから、スタッフから、見も知らぬ虚名感応人士から。

戦乱災害など特異状況以外では、ホンに便りのないのはよい知らせ。

いつも、不用なスパム擬態など外して、真正emergency callのないことを確認するとはっぴー。

今の世の、何とか電話じゃないが、いらはいいらはいかけてこいのポータルも、ホントのクライシスcallを不明にさせるデメリットも考慮すべきと思う。
勘違いな依存心醸成だけでなく、これを装った詐欺サイトのバッコを助長する。
その辺りのリテラシー、目配りを望む。

カプリシャスおそろしや

近所の某有名宅配の配送店が便利と感じていたので、頻用していた。
しかし、8:00~21:00の営業で、配送センターの電話も自家都合でシャッタアウト。
配送店に直撃するも、店員も配送スタッフも頼りないは、ウソっぱち平気で言う。
何故そんな事業所にマンセーせにゃならぬ。

よって、われのみならず、コンビニにshift。
24時間営業。
そこへのdeliveryするJPも、一応24時間オープンの確認はしている。
そうなると、黒いネコでも、白い飛脚でも、コスパ、利便の悪いと思う奴はomit。
今日の宅配のおっちゃんへの閻魔帳の点数は、彼の真摯さの欠如ゆえでなく、クライアントとしての不自由感から、betterに速攻shift。

厳しい時代だ。
自爆テロも怖いが、こういう短時間空洞化は最強の怖さだ。
国民各位、変にがんばっても消耗するばかりだけど、上手におそろしやに対応しようね。

授業料

dvdとdisplayの協働を期待して通販購入したリモコンも、役に立たぬと判明。
dvd playerは単体として動いてもらうことに、、、、

師匠は、インターネット草創期より開発に尽力してきたご仁だが、40台の端末でいろいろとトラブル処理に邁進されている。
netにも、端末にも通暁していない我ながら、数えてみると10台のマシンで、ああでもないこうでもないの日々。

一気通貫ストレートの処理などありうべくもなく、今回のように授業料を払いながら、何とか時代の流れに追いつこうとするスタンスを維持するのがやっとこ。

まあ、既に人生を一回りして、年金等で細々と生きている身ながら、この苦労のもとITの技術革新その他の省力化デフレ化で、cost的にはお安い生活を享受してしまう流れだ。
それで社会梗塞も不本意と、ささやかな授業料を拠出するものの、大したことはない。

あとは師匠のごとく、さはさりながら、この世をインスパイアし続けるのが肝要と思っている。

些事そうそう

通販で購入したdisplayのリモコンがきた。

勉強すること多々。
運送業のdelivery systemの光と陰。
ちっちゃなbutton電池の挿入がいかに難儀か。

なんとかクリアして、2~3センチ賢くなった。
もう1センチおバカの方向に退行していたら、新調した道具即パー。

人の命もそう。
あと2~3センチ横を切れば、生きた死んだ。
あと2~3分遅かったらはやかったら、死んだ生きた。
実際の現場風景。

そういうこと思いつつ、土曜の午後を味わう。

なんとかギリギリ処理できて、まいうー。

雪の庭で

舞い落ちる粉雪を味わっていると。
もう雪続きでもいいな、、、、なんて思ったり。

ホワイトクリスマスの歌がたくさんできるほど、雪降りはromantic。

もちろん滑ったり転んだりのリスクもあれば、どか雪に身動きとれないつらさもある。

しかし、その所与で長年きた。
今さらそれが消えたら便利もあれば、寂しくもある。

この国に生まれたという所与もまた同じ。

2015年12月4日金曜日

また雪ちらつく

ちょいと師匠の打ったeventを聴講に。

人脈の広さや、若々しい、よい意味での思い込みを再確認。

弟子になって師匠をサポートしようと思った以上、暖かく見守りつつsupportしたい。

リアリズムの端くれ実務家として生きてきたからには、いろいろとcriticalにおもうところもあれど、言えない、言わないで行こうと思っている。
聞かれりゃ、正直に諫言的コメントをすることに吝かでないが、まあそのときそのときにライヴに動くつもり。

これは学生さんに対しても同じ。

よい塩梅を探しつつ進む。

雪ほぼ消える

乾燥路面ならスイスイのはずが。

さにあらず。

重い荷物にブラウン運動。

重力に抗して動く体力をカンヨウする必要大。

よく冷えている朝

無事ゴミ捨てtourを終えたが、実に冷え冷え。
所詮まだクリスマス前、寒いといったってしれたものとはいえど。

わんこらも、おしっこして一駈けしたら、早々に撤退。

こういった気候を味わいつつ、徐々に厳冬の生活に順化していく北国の生活。

気に入っている今。

バカの壁自分の壁

養老翁の説かれるとおり、どうしようもないを痛感。

ある精神科医が、厚労省の医師免許サーチで出てこない等々を理由にネトウヨ人士が無免許に違いないと騒いでいる。
左翼リベラルが気に入らぬゆえ、あり得ないデマを振り撒いて暴走する。
自分も保守派ながら、こういう頭の弛い連中の軽挙妄動バカの壁は情けなく切ないものがある。
SNS等でfollowして、ちっとは見識もあると見ていた相手がこのようだとゲッソリ。

事例が異なるが、共産党とつるんでまで利権に執着して完敗した髭のバカ教授の動画みても、何の説得性も感じない。
公務公費いただき公開討論にも応じられぬチキンが、shoutする姿は実にugly。
母校の恥だ。

しかし、これらも各自の自分の壁だ。
他山の石としなくてはならない。

師匠のもとで、教材を揃え、心身のコンディションを整えながら、調息に励んでいるところだが、一番は壁の認識、それにblockされない融通無碍なありようだ。

今日も一日修業に励む。

2015年12月3日木曜日

雨でもおんもが好き

雨でかなりの雪が消え。

ふたたび根雪なしの風景に戻りつつあるが。

雨が降っても、わんこは疾走が好き。
長時間居れば身体が冷えるのはよくわかっているようだが、短時間でも外で遊びたい、走りたい。

こちらも彼らのstress抜き、排尿排便に共同利益があるので、様子をみながら声をかける。

人間もときどきfreshな空気に触れる必要あり。
「春との旅」で、オバちゃんが、ときに空気を入れなきゃと戸を開けるシーンを思い出す。

大変な時代

近所の女性の会話を盗聴したものを、拡声器で大音響で流し続けた男が逮捕された。

人格障害者の確信犯的行為のよう。

以前にも「出てけ」shoutおばさんの事件が立件された例があり、これからもありえるだろう。

ゴミ屋敷も、そろそろ本格的に対処しないと危ないところにきている。

ネット知己のN doctorとも、discussionしたが、対テロ資金体制は構築できても、はねあがりの半グレや、上記の人格障害者、追い詰められた旧体制活動家、自傷他害の危険の高いいわゆるメンヘル子、その他の制度など作れば作るほど暴発圧の高まるクラスターの自爆テロ的リスクは、結構高くなるだろう。

風景や状況をプロファイリングして、「バガボンド」の武蔵の如く、とるべき対応、戦略は練ってはいるが、各位とも実に大変な時代だ。

あまり大変だ大変だと騒いでいてもつまらないので、楽しく人とcommunicationにつとめよう。
コンビニのお姉さんも、気心が知れてくると、仲良しの会話も可能だ。
荒天に好天を見出だすのも、大切なskill。

変人と風土

自分が自分を変人と思うのは、いまのところ自明に思うので措く。

この地の人々はよく口にする。
何がよくって、こんな暮らしにくい土地に住んでんだべ?
そういった近所のばっちゃまも、彼も彼女も、東京から帰ってきた。
雪や凍れは大変だが、ないと淋しくて暮らせない。

そういう人々の集積で、この地はある。
そうでない人々は行きっきりになる。
渡辺淳一しかり、西部ススムしかり。

わが師匠もそのよう。
猫の子か犬の子のように大阪から貰われてきて、この地がよくなって根をはっている。
その弟子になって、こういう知識社会学的風土論にひたっている自分がいる。

ご縁というのは、実にいなものだ。

2015年12月2日水曜日

生き物はそれが我慢できない

ネット知己と、対テロマネロン国際体制について議論した。
古い日本的環境をデフォにされてきた方なので、それなりにぶっちゃけ説明を試みたが通じたかどうか?

このようなことは今回に限らない。
先日、リアルでも、団塊の世代のdoctorに超限戦的状況を説明したが、感度は鈍かった。
団塊のおっさんに共通の態度と読めた。

これは学生にもよくある。
医学生に限らず、存在被拘束性というか、こんな世の中で、そんなに育てられたら、やっぱりそうなるだろうなあって態の子は多い。
これは当然で、日本で育てば、こういう社会だからこう、帰国子女ならそこでそう育てばそうなるよなあやっぱりという風に育つ。

うちのわんこらもそうだ。
うちの子らしく育っている。
しかし、教えれば、がまんも少しはついてくる。
タガが外れれば、がまんも吹っ飛ぶ。

話は冒頭に戻るが、日本の社会もこういう風だから、国内でもdesperateになった人々、旧化石人間、旧反体制に限らず、認知症気味の老人、人格障害性の強い若者、いじめや抑圧に耐えられない子供、あげだしたら一億総活躍じゃあないが、一億総暴発の危険はある。

いきるというのは、reverseすれば暗転の板子一枚くるりんしょの生をアプリシエートしながら、自己表現させていくことに他ならないからだ。

楽チン

雪のアイスバーンを理由に、外回りもバス電車。
実に楽だ。

それでいいと思っている。
他人様の運転もわかり。
英気も養える。

TPOに合わせればいい。
師匠のインストも身に合わなきゃ意味がない。

ここいら辺りは、そのときそのときうまく選んでいく。

とくに楽チンを選ぶということはなく、ベストに腑に落ちるかどうか吟味しつつ。

Christmas songをBGMに

同世代のdoctorのいえり。

瞬く間に翔んでいくアラカンの一年。

確かにはやい。

若い学生さんを眺めていても、同じよう。

現代人は忙しい。
情報が溢れ、それらの情報に追われ。
追い付くいとまがない。

ノンビリと時空に遊ぶ暇も余裕もない。

そんな時代だからこそ、自分でカスタマイズして、味わっていくしかないのだろう。
アプリシエイトしていく知恵と能力が問われる。

2015年12月1日火曜日

師走の摘便

犬娘の長女は、石女だ。
犬息子の先代との挙児を避けるべく、手術を選んだ。

特に手術が失敗し瘻孔が出来たわけではない。
ただ、直腸や膀胱周辺の括約筋などにdamageが生じるのだろう。
便秘、排尿困難がみてとれる。

そのたび飼い主のオヤジは、心の中で詫びる。
獣医はいいことは言うが、伴うデメリットはあまり言わない。
責任追求の予防のため、言うがいいわけじみた予防線だ。

今日も雪の庭で摘便した。
人間の医療者としては、やることのまれな自分が、過酷な運命を強いた犬娘の摘便を日常的に行う。
上手に施行すると、本人もスッキリするのか拒まない。
段々とうまくなるので、だいぶ罪滅ぼしも積めてきている。

人の医療の研究者の師匠の一番下について、日々discussionに加わりながら、dog therapistとして愛犬の下の世話に精進する師走である。

男も愛嬌女も愛嬌

dマガジンで読んだ雑誌の有森架純があまり可愛いので、外回りのスーパーの書店で紙雑誌も購入。
質感よく保存版に。

わんこ息子もわんこ娘も、愛嬌が最大のcharm point。
人間も同じ。
擬態媚態でなく、そこはかとなく滲み出る男前女前としての愛嬌。

つまりは生き物としての面白さ。

2015年11月30日月曜日

師匠も弟子も走る

月締めの外回り。
町も師走移行mode & mood。

なんとか今月も恙無くおわるかの夕に、相変わらずのマルチメディア。
今月もPC、スマホ、タブレットその他よくがんばってくれた。
自身の老体もよく動いてくれた。

師走は、師匠の後について走らねばならぬ。
息のあがらぬように、お役にたちたい。


情報がoverflowすれば

人の扱い得る情報には限りがある。
限度を越えれば、取捨選択、上手にoverflowさせるskillが問われる。

ないがしろにするわけではないが、情報を、発信源、真善美をスクリーニングして、かいつまんだ把握、発受信を心がけるほかなくなる。

己れの立ち居振舞いも同じくである。
単に忙しいということでなく、smartを目指して、スピーディ、smartを旨とする。

昨日も薬店でアスピリンを購入したら、青汁の試供品を差し出された。
実際に満腹だったので、謝絶した。
昔はムッともしたが、いまやそういうことも思わず、顔色も替わらず、淡々と辞去した。

大げさに言えば、自爆テロに遭遇しても、自然と立ち居振舞いが出るような気がする。
従容といくか、伏せるか、どうするかわからないが、スパッとresponseが出そう。

そういう時代というほかなさそうだ。

2015年11月29日日曜日

やればわかる、みてればわかる、考えればわかる

親から「愚鈍の掌」と戒めを書かれた手足だが、意識して動かしているといろいろと習熟することは可能だ。

このところ、愚鈍なりに手足の動きがまずまずなので、自己満足している。

ここからは、自分のことでなく、他人様の逸話。
硫黄島の激戦で「散るぞ悲しき」と言い残して総指揮官の任務を全うされた栗林中将の姿を描いた梯久実子さんが、孤高の作家丸山健二氏の作庭を取材したときのことだ。
質問を発しようとする梯氏に「みてればわかる」といい放ったという。
確かにみてればわかること、しっかり見て考えないとわからないことが多いにもかかわらず、安易に聞けばいいのスタンスをとる人が多い。

いくら丁寧に教えてもらっても、教えられた方がじっくりしっかり考えないと、わからないことが多い。

ここのところ、その辺りを意識して動いているが、ホンに愚鈍ではある。
愚鈍でも、考えてやり続けると、ホンの少しずつだが、向上していく。

諦めずにやること続けるだろう。

ポカポカ日和

雨模様の予想が外れポカポカ。
うれしい誤算。

温かく遊べる。

わんこらのお相手タイムをいれながら、資料のバックアップ等。

ありがたい時間。
誰にお礼を言えばいいのか?
日頃の善行悪行の賜物か。
善人なおもて楽しむる、いわんや悪人をや。

日曜はダメよ

昔は、男が原型で、女が派生、いまは、女が原型で、男がおまけ。

だからか、ボーボワール女史のような議論もアウトオブファッション。

しかしまあ、トンチンカンに男は力む。
「日曜はダメよ」「プリティウーマン」「ティファニーで朝食を」
Prostitute相手に、紫の上の如く、ladyにしたがる。

村上龍の喝破したとおり男は消耗品。
無駄な努力にエネルギーを使い、クルクル回って、融けてbutterになる運命。

日曜じゃなくとも、平日でもダメだな

暖まり

風呂でドリーミー、小原庄助さん状態。

少し食い物しぼって、動いてカロリー使うべしか?

ベストコンディションなどと、言うは易いが、実践は難し。

まあ、試行錯誤のほかなし。

my way~♪

食材をほぼ使い切った。

これからは買いだめをしないことにした。

溜めると、消化主義になり、旨くない。

parallelに、情報もそうしようと思う。
過不足無用。
適材適所。

人様も、過剰に気にしない。
頑なナルシシズムは危険だが、慎重な取捨選択、プロファイリング、インテリジェンス活動は、必然的に素朴独善主義を排してくれる。

唯我独尊は残る。
自他のけじめに、最後の自己肯定自己満足を導けば、穏当なレベルでは当然のことだ。

いろいろとあげつらおうとも思って書き始めたが、要点記載に落ち着いた。
これもこのとことろのmy wayである。

2015年11月28日土曜日

自分のためのレイアウト

冷蔵庫の掃除中。

いまをライフスタイルの抜本的な変更時とみていることから、買いためずに減らす一方。

最後は自分で選ぶしかない。
雑穀が身体にいいといったって、産地は日本になく異国というのがずいぶんある。
農薬その他の問題を考えれば、マンセーとはいかない。

漢方薬その他も同様。
製薬会社は十分のチェックを行っているとannounceしているが、それほどあてにもならない。
利害得失を自分で判断して服薬するか否かの決断をしなければならない。

論点を件名のレイアウトに移す。
在庫を減らすにして、使わねば減らぬ。
期限が来て捨てるにせよ、見える化を図らねば、闇の不良在庫となる。

ということで、いまうちの諸々は、ユーザー兼プロバイダーのわが顧客向けレイアウト配慮にしたがって、並べられるようになっている。

鎮座ますことの許されないのは、物だけでなく、人も同じ。

ゆえにレイアウトを替えるわが輩のおしりも、もぞもぞと落ち着きがない。

しかし、戦略を考える際には、バガボンドの如く、逃げたり、小次郎敗れたりの野村監督ウイスパーのごとき心理作戦もしっかり練らないと、うまくない。


同窓会誌を読む

母校の周辺より送られてきた同窓会誌を読み、世相を読む。

金の無心が多い。
大学経営が厳しいゆえとのクレクレcall。
気持ちはわからないではないが、無理だろう。

他学卒でも、給料を貰いそれで食ってる皆さんと、卒業生でもいまやそのような関係性を持っていない人間とは立場が違う。
母校には特任教授だなんだと袖を引いていただいたので、来訪もしばしばしたが、要は非常勤講師の待遇で、ネームバリューあげるから頑張ってねという処遇にすぎない。
死病に取りつかれていた頃で、命懸けの出講だったが、いま回想すればナンダカナー的部分は大きい。

駄菓子菓子、旧友らの集いの記事には、勝手に懐かしがっている。
皆さん老化していて顔の見分けのつかないところ、キャリアも知らないどころか、同級生であったことまで頭の痕跡にすらなっていないお方もいる。

さはさりながら、同時代人。
物故者に恩師やその周辺の方々の名前を見つけ、感慨に浸る。

そういう意味で、同窓会誌は特別のマガジンだ。

dマガジン

休日ネット読書三昧。
広告と言うよりご同情。

dマガジンなるservice。
雑誌類読み放題。
月300円だか500円だか。
一冊リアル分で、読み放題。
これじゃ週刊誌基幹の出版社なんぞもたんわな。

以下書評の形で世相評論。

まず「Goethe」の秘書特集。
秘書を使うサイドとの関係性描写が実に面白い。
愛人風にみえたり、実際に妻が秘書だったり。
政府中枢部官邸の秘書さんなんぞも登場。

使うと言うことは、使われることでもあるという、相対性原理も活写されている。
興味ある方には、実物買いもお奨めしたい。

次は「スパッ」のマイナンバー記事。
非常に編集部のリテラシーの低いのが透けてみえる。
国際的マネロン戦争の実戦突入がみえていない。
今後、徴税、反面調査、公安watchで、しっかりと反日、反国際協調が、追いこみかけられるトリガーpointにある視点皆無。
廃刊も遠くなさそう。

てなことで、ちょいとお勉強。

朝生を聴きながら

もちろん、テロ防止は大事だ。

駄菓子菓子。
われらが立ち居振舞い、行き方で、甚大な被害を受ける多くの人々がいる。

在外邦人、内外の外国人。
一国平和主義も悪くはないが、しっかりとしたインテリジェンスで、自分たちの動きがいかに、セキュリティに関係するか?よく自覚しないといけない。

国際協調で対テロ対策に腐心しているときに、わが国では第五列の勢力が反日活動に血道をあげ、そのような勢力を使嗾し、捏造した言説を垂れながす第四の権力マスゴミが跋扈跳梁をやめない。

我々は、このような現状認識からはじめ、安倍首相の国連演説の如く、世界の趨勢に細やかな目配りをしたリアリズムの道を進んでいかなくてはならない。

そういうことだろう。

G+あるいはゲシュタルト心理学

師匠が神経情報科学の哲学フロンティアでもあるので、導かれて件名にいたる。

G+は馴染みにくいという方々が多いが、自分もワンノブゼムだった。
それがいまやヘビーユーザー。

良質と思えるリンケージは無差別に取り込み、コンテンツの曼陀羅とする。
するとゲシュタルトが浮かび上がってくる。

trimmingすると進化する。
しなくとも、こちらのsnap ダイアグノーシスの能力があがる。

ありがたいことだ。
Googleがこの広い世界から取り込んできた情報が、日々にソフィストケイトされて動いていく。
これをアプリシエートしないのは勿体ない。

こんな目でFacebookも、Twitterも、ミクシーも、rss Readerも眺めていけば、ずいぶんと恩恵や練度が違ってくる。

やはり兼好法師の言う通り、先達はあらまほしを痛感する。

2015年11月27日金曜日

憂国忌

三島さんが、亡くなった日。
ボクはまだ高校生だった。
何が起こったんだろうか?
ずっと今までおもい続けているが、よくわからない。

今日が命日で三島さんと同世代の人に山崎晃嗣という人物がいる。
三島さんは、「青の時代」という長編小説で描いているが、昭和24年の今日亡くなった。

いわゆるアプレゲールで、光クラブという融資会社を作り、一時は非常に羽振りがよかった。
しかし、無茶な高利賀しが法律違反を問われ、パンクした。
青酸カリで服毒自殺し、「死ねばすべて青酸カリ自殺」とニヒルで洒落っぽい辞世の句を残して逝った。

三島さんの行為は、一見非常に政治的に見えるものだが、実に文学的、劇的にみえる
勿論、文学は、ある意味で、非常に政治的であり、哲学的であり、それゆえドラマツルギーで見つめられるはずのものである。

そして、三島氏の死も山崎氏の死も、その点では通底している観がある。

時代は、大きく変じ、いまやアプレゲールではなく、プレゲール、イントラゲールとでもいうべき有り様にみえる。

我々は、割腹も、服毒も、いま未だ必要としていない。
ソクラテスや、浅野内匠頭や四十七士になることを求められている状況でもない。

さて、さればいかに生きいかに往くか?
自分のため、少しは人様のため、何ができるか?
ああして、こうして逝った人々の命日に、いろいろともの思っている冬のとば口の夕。

明日はリンクか?

雪が溶けて、辺りは水溜まりだらけ。

明日はリンク必定。
休みでよかった。

当地のこのような気象は、整形外科脳外科のドル箱。
冗談抜きに、歩行移動が命がけ。
スリルとサスペンスの生命環境。

こんな地だからか、学生諸君の動きも鈍い。
まあ、徐々に鍛えられるのがいい。
鉄は熱いうちに打てなんぞと言われたが、いまやプラスチックの時代。
可塑性を維持して、現実対応能力を育むことが重要になってきている。

2015年11月26日木曜日

道を選ぶ

天気予報が、厳しいannounceで、明日も難路か?
まあ、読み込み済にしておけば、なんとかなるだろう。

ところで、ファンとしてrssでfollowしている北斗晶さんが、治療に堪えるのがきついようで、しばらくblogを休載にする旨announceされていた。

大変だろうと思う。
医療側も厳しい病勢と理解すれば、相応にheavyな治療を選択していれば、その余波も想像に難くない。

週刊誌記事だが、生稲さんは今はケモはやっておられないよう。
非正統派で、代替医療を選ばれた川島なおみさんは、最後まで気丈な闘病生活だったようだが、古くはNHKアナウンサーの絵門ゆう子さんも敢えて代替医療を選んで逝かれた。

みんな自分自身の生き死にならば、マイチョイスを貫くのが原則だろう。
北斗晶ご夫妻のように、タレントといった特別の属性があれば、どうしてもファンサービスやテレビ局マスコミへの対応といった負担が出てくる。
命あってのものだねゆえ、今回のように休載も、雲隠れでも何でもありにすればいいのだが、故事来歴の慣性はなかなか逃れがたい。
昔、ある患者さんにadviceしたことがあるが、変えられない慣性ゆえ突撃のような転帰となった。

とにかくしっかりと休んで、危機脱出されたら、地力のある方々だから、中島みゆきのようにあんな時代もあったねと~♪と唄える日がきっと来るだろう。
そう信じて、勝手に応援している。
迷惑にならぬように書き込みなどせずに。

雪中行軍

天は我々を見放した!
そんな嘆声を口にするほどの雪ではない。

ただ、中くらいの豪雪であることは間違いない。

車での外回りもひやひやものだ。
車庫入れや、玄関の清掃もうまくやらないと、すぐに出入りが不自由になる。

アラカンでやっとコツを覚えた。
まあ、ありがたいことではある。

年取って、衰えて、不自由な状態で死のとこにつくのは辛く、大変な苦労だ。
PPKなどと念じても、思うだけでは実現しない。
うまく健康寿命を確保するにも、スキルアップが必須だ。

図書を借り、DVDの代引きを済ませ、検品して瑕疵のないことを確かめ、わんこと雪中ランニング。

雪投げの拘束から、師匠連のlectureは失礼したが、知見の送付は続けることができている。
所要を大鉈でカットオフしても、現代人は結構おいそがし。
上手にやらねば、失調して、健康寿命を失う。
いまこそおせらしくなるには知恵の要る時代と読んだ。

シネエデュケーション

教材用にDVDを大人買い。

しかし、学生さんたちは忙しく構ってもらえない。

一番の教育対象は、自分、この私。

大学、専門学校と同じ映画をなん十回と見たが、その都度新しい発見があり、TPOで質感が異なる、変わる。

シネエデュケーションに限らず、講義講演教育で、エデュケーションしてもらう一番は講壇の人々。

2015年11月25日水曜日

豪雪に

ただ、唖然。

雪掻きに集中するも、なかなかおいつかず。

そもそも、行政の除雪が追いつかないレベル。

ヘロヘロになるまでほんろうされた1日。

遠くに汽笛を聴きながら~♪

いやいやあれはそんな音じゃない。

除雪車がゴリゴリと掻いてゆく音。

ひと月はやいような気はするが、この冷気ならアイスバーン必定。

バス地下鉄路線が無難そうだ。

根雪にはならないだろうが、このところの気象は転変が激しい。

基礎代謝や人の動き、加工が大きく、ドタバタと変化が急峻になる。

大きなうねりなら自分だけ逃げていようと力んでも逃れられない。

波乗りのできない運動音痴の身ながら、サーフィンを試みる、、、、秋冬。

2015年11月24日火曜日

雪中いろいろ

ホワイトクリスマスの予行演習みたいなどか雪。
ササラ電車には遭遇しなかったが、走りにくいはにくい。
公共交通機関の頻用の冬になるかな?
都会はそれが可能なのもよいところだ。

メカ系のおかあさんにお世話になって、公的メールもDLでき、事務的には恙無し。

大変なNEWSでは、コンビニの経営者がアラ還同年代の従業員を刺殺とか?
経営とか、労務管理で、鞘当てがあったのだろうが、みんなこらえ性がなくなってきているから、危ない怖い。
学生さんとも、専門領域、あるいは日常性でのリスクマネジメントをディスカッションしなくては。

まあ、雪中おもいきり駆け回るわが愛しきわんこら見てれば、心は癒される。
雪中いろいろも、これがわがハブとなっている。

連休終了

気象caution。
雨降りそう情勢が、うちらのそば移動中だとか?

動くのやだなあ警報だが、ぜいたく。
難民諸氏は、それどころか水も食料も不如意でサバイブ合戦を闘っているわけで。
ごく少数混じったテロリストは、それでも自爆を画策しつつ、人生の最後を味わっているらし。

netでみっけたIKEAのセルフ組み立て難民キャンプ用キット。
あれいいな。
日本なら段ボールブルーシートが便利だが、あれわがドメインに置けるとパワフル。
10万切れば、冗談抜きに射程距離。

まあ、雨だ雪だって、食い物とサムマネー確保して動く贅沢。
しっかりしよう、japonわれらが同朋。

2015年11月23日月曜日

朧月夜、月はどちらに出てるか?

春の季語は公知のことだが、秋の天たかくに月は朧に昇っている。
どちらというと、タクシードライバーの韓流ドラマを思い出す。

委細は拘泥せず。
朧に高く照らす月は、凛々しく快く眺めることができる。

今日見聞きしようとすること、今日処理しておきたいことは、し終えた。

明日の始動や稼働は、コアは概ね決まってはいるが、どう動くかはペンディング。

いろいろと根問いして決めるのだろう。

まず、いまは連休のしまい湯を楽しむに如かず。

口で言うより~♪手のほうがはやい~♪

柔は、せいぜい受け身の練習してやめた。

親にblockされたのもあるが、本人が好戦的な武術がそれほど好きでないのもあった。
駄菓子菓子、受け身の練習はいい。
上手にこける練習をしないと、立ち居振舞いは覚えられない。

このところ、美空ひばりの「柔」をイメージして、絶壁の不動心を想う。
年寄って動きは緩慢になっているが、心は残量カウントダウンで、口で言うより~♪手のほうがはやい~♪って感じの心持ち。

まあ、いまのところサクサクいっているから、これでいいのだろう。

師匠連の教育や業務に立ち会うことが多くなり、気は使う。
教育効果に協賛できているか?

ヒポクラテスの誓いではないが、clientにdo no harmで行けているか?

この頃の患者さん、学生さん、組織その他もろもろナイーブなようでがさつ、豊かなようで余裕がない、要はむつかしい。

そこで、とにもかくにもベストエフォートであたるのだが、容易でない。
愚痴はこぼしても事態は好転しない。
己の見識でよきにはからう。
それしかないと思っている。

連休末日

三連休も瞬く間に末日。

日々の推移は駈け足の如く。

あれしてこれしてで、朝バタバタすぐ夕。

久しぶりに例のロシア民謡を味わってみるか。

日曜日に市場に出かけ
糸と麻を買ってきた
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー
月曜日にお風呂をたいて
火曜日にお風呂に入り
水曜日に友達が来て
木曜日に送っていった
金曜日は糸巻きもせず
土曜日はおしゃべりばかり
恋人よこれが私の一週間の仕事です
テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ
テュリャテュリャテュリャテュリャリャリャー

さて今日は何がmainになりますやら?
とにかく一日一日味わって暮らす。



ホンに豊かな

だいたい今のわが国の都市部ならユビキタス。

スマホ、タブレット、PCなんでもYoutubeやコミコミダウンストリームに繋がる。

要は常在theater、ミュージックホール。

コストはコミコミ月300円~500円。

Youtubeなどはフリー。

話はワープするようなしないような。
世界にトイレのない住み方をしている人々が何億人もいる。
難民となり、camp生活で、火付けされ焼かれる。
エスニッククレンジングの犠牲となって、若くして逝く人々数知れず。
そんな外道国家の出稼ぎ政策のあげくが、テロリストに拉致され虐殺される。
そんな中、国内反日で反日国家群から路銀を配されてんとして恥じない脳足りんが、マグロだなんだと贅沢三昧。

「豊かな」だが、上述の苦吟する人々のことを思えば、もっともっと苦労してよい
これからマイナンバーや国際的テロカウンター体制の整備で、阿呆なワガママ反体制は許されなくなってゆく。
恵に感謝の心を持てないと、実に住みにくい時空を余儀なくされようが、それをいままでのスケッチで読めない情弱は、自己責任でついえるほかないだろう。


2015年11月22日日曜日

連休余話

某電器のおぢさんの言を信じないわけではないが、若干の執着もあり数店回る。
最後にDIYの店で、規格どおりのコードを見つけた。
うちに帰って、つないでみたが、画像も音声も交通しない。

やはりプロの言がただしかったのか、わが配線力が足りぬのか定かでない。
しかし、ここまでやったら気持ちよく撤退できる。
ITの時代は、ベストエフォートでという免責約款が幅を利かしているが、別にプロバイダーやキャリアの肩を一方的に持つつもりは毛頭ないが、やはりむつかしい面は含んでいる。

マイナンバー用の写真をとる。
スーパーのテナントのお姉さんは1700円とおっしゃる。
高杉と、隣に自動証明撮影機を見つけてとると、800円でできた。
差額900円は、あたしたちの労賃よって気持ちはわからなくはないが、やはりカンパする気にならず、無事郵送の準備ができた。

このような雑務を終え、庭に出てみると、月が高くに見える。
月齢に不案内の自覚から、調べてみるが、得心はしていない。
相変わらずの中高の地学で落第レベル。
死ぬまでに腑に落ちるかどうか自信はないが、特に拘泥もしていない。
天文学には常に興味はあり、まあ脳内で根問いは続けよう。

とにかく、まずまずの時の流れを享受できていれば、特に不満もなく。
適当に我流を放流し、自分に回流できればいい。
それで世間様に微々でよし余滴をおすそ分けできれば、十分にハッピーと思っている。
ずいぶんと、爺modeにはまってきたが、ちょうど自分のエネルギーや衝動にフィットしていると思えば、文句の言いようもなほどにありがたく候。

寝落ち爆睡さんゑ

暫く前に語ったとおり、眠素全開。

すぐ(-.-)Zzz・・・・。

かけている番組も夢のなかで聴いているのか、気がついたら終ってる。

まあ、聴くまでもないと心身が反応してのことだから、よしとする。

勿論、Youtubeなんぞの番組ゆえ、ホンに必要となればrefrain可能だが、それほど食指も動かねば、無意識のなかをスルーさせてよい程度のものだろう。

師匠なんぞは拡大主義者ゆえ、もっと光を!のゲーテみたいなのりだが、こちとらはなきゃないでないのに合わした方が絶対に得策という日和見主義者ゆえ、かくのごとく適当に推移するのを旨としている。

いずれにせよ、1日二十四時間、人生は唯一無二は万人平等。

もうこれ以上育つ積もりはないが、寝る子は育つをスローガンに、十分に寝て生きる方針は護持するつもり。
気持ちよく寝れるのは、ホンに極楽極楽。

2015年11月21日土曜日

万感帰去来

わー、もうじきクリスマスやん。
ていうより、今年もカウントダウン。

はやいなあ~♪
棺桶に片足入れてスケボーしてる姿か?
棺桶の裏にソロバン貼って。

SPEED出しすぎるとみんな御破算になるから、ヨチヨチよろよろかな?

己の動きをいろいろと眺めつつ、、、、。

それでもなんかいいことないか?仔猫ちゃんのスケベ心はしっかりと鎮座まし。
うちは今はワンコ一色で、こやつらとくんずほぐれつ。
悪魔のようなお転婆とやんちゃ坊主らなので、万感をゆっくりとアプリシエイトする余裕もなく。

千春や泉谷の「春夏秋冬」をハミングしながら、年の瀬を生きる。
満ち足りているとは云えず、若干人さみしく枯山水っぽいが、おかげで人間間の葛藤はずいぶんとomitできている。
世の中うまくできているもんだ。

ああ無常再論

新調dvd上映機と大きいディスプレイとのコラボを求めて購買店に出向く。

取説プレゼンの上での問答。
なんでこうできないの?
瑕疵モノ売ったといわれかねない当世、おぢさんも必死。

どうも、純正リモコンないとダメみたいだが、ここにはないとのムンテラ。

帰って検索すると、速効でてくる。
メーカーの純正品をメーカーの下請け的ポジションで売ってる業者あり。
共存共栄みたい。

善意で必死にお店守るおっちゃんも、こんな時代だと。ほんに厳しい。

医者だって、弁護士だって、教師だって、革命家すら大同小異。
時代に捨てられんのよ。
カスタマーサティスファクションだ、コンプラだ、クリエイティビティだ云々。

言うは易く、時代に次々と費消される定め。

火曜日にプレゼンする機会あったら一発、朝の勤行説法おやじやらかすか?
KYで沈黙が良と出れば、黙って置こう。

ねぐら確保で疲労素ウオッシュアウト

泥パック風に、全身に沁みる、蓄積疲労引き出しの爆睡。
bedには、ringのように喚声もなく、カウントテンの叱咤もないので、快く沈むことができる。

このところ、人生久し振りの学生生活と、ワンコたちの世話と、新たなライフスタイルの再構築ラッシュで、ずいぶんと疲労素が蓄積してきていた。

解決策は、ワンコらとの家庭内ゾーニングを図り、特に飼い主様の塒確保に動いた。
不要な作業のカットオフ、trimming。
見事奏効。
今朝は、とりわけ、泥のような眠りを味わい、ずいぶんと身が軽くなった。

カラスもエゾリス、キタキツネも、塒確保が生きる根幹のひとつ。
しっかり継続進展させることにする。

speckその他

DVDプレイアー、speckを読んで購入したは勿論だが、実際に配線して動かしてみると、現実というか、実稼働の質感はまた異なる。

どの師匠の言も、実際にいぢって、多用してはじめてマイツールになると。

然り。

ハンドリングを重ねて、はじめて自家薬籠中のものとなる。
頭でなく、心身、手足で覚える。

2015年11月20日金曜日

ああ無常

週末外回りで、dvd playerを調達。
貧乏独居年金生活者だが、それゆえプチゴージャス。
上げ潮派に勇躍加担するほどの収入も資産もないが、せめてもの投資的活動。

これで少しでもactivityが上がればウインウイン。

ところで、売り場のおぢさんの動きが緩慢。
別に待つことないやと、スマホでresearch。
speck、値段、すべて店員に照会不要。
ホリエモンの主張どおり、半年、一年後は無用とされかねない有り様。

厳しい時代だ。
ちょっと目利きのできる店員なら、自身でホリエモンや、それに追随する今のべているわが同調論に想いをはせているだろう。

さてどうするか?
まあ、毎日考えているが、若い皆さんと週明けにでもディスカッションしてみようか。

カスタマイゼーション

物事の流れは面白い。
解けてくると、瞬く間に氷解する。
縺れると、毛玉どころか、セルフ亀甲縛り。
関節外しても抜けられそうにない。
これらも最後は己の領域。

このところ、多くの日本的識者に倣い、方丈記や徒然草のごとき無常観が己の血肉となり、そちらの方向で解けることが多い。
したがって、カスタマイゼーションを志向しているうちに、贅肉がとれ、諦観が宿り、身は徐々に軽くなっている。
ありがたいことである。

斯くのごとく自分の動きをtraceできるようになると、ある意味で自由度は小さくなる。
自分はいいが、関係者との連関性で行動抑制の必要が出てくるからだ。
組織でも、個人でも、innerとoutsideでは随分と違う。
これも、このところのカスタマイゼーション時の重要な要件だ。
しかし、このスリリングさが、人生の醍醐味だとも思う。

2015年11月19日木曜日

言えないよ~♪

夕の外回り。
言えないよ~♪の事情開陳の巻。

車が車間距離を詰めないので、このままだと支障ありと、一目でわかるだろうに。
動かない。
それも困るので、煽りはしないが微動やidling音アップでメッセージ。
昔ならクラクションなど声高に注意喚起したが、このご時世だ。
パニクられて万一玉突きにでもなれば、テロリスト扱い必定。
情けは人のためならず。
なんとか大trouble免れてピンチ脱出。
言えないよ~♪その1。

スーパーマーケットで買い置きを調達。
レジのおばさんに、レジ袋一枚と所望するが、二枚と打つ。
この容量で、一枚か二枚かわからんか?
だが言えないよ~♪
今度は、訂正した一枚の袋も入っていない。
指摘すると、二枚とも回収しちゃったわ。
だいぶ来てるな~♪と思いつつ、言えないよ~♪
今度から忌避対象といったカテゴリーに入れたが、言えないよ~♪の時代。
これを繰り返せば、認知症のレッテルを貼られる前に、実質的な解雇扱いが待っている。
ほんとに怖い言えないよ~♪時代のエピソード2。

斯くのごとく、町場でも、バーチャルあるいはリアルnetworkでも、言えんないよ~♪のphaseは溢れている。
人を見て法を説けという言葉は昔からあるが、テロだなんだと大仰なことでなくとも、むつかしい時代だ。
まあ、おしゃべり、お節介typeではあるので、なぜかなぜならばを示唆しつつ、言えないよ~♪なことをちょぴっとずつ云っていくことにする。

飽食の時代

言葉そのものの食べ物も余ってる。
規制の時間を一分過ぎても売れません。
レジ機がブーっと拒否る。
即ごみ箱行き。

そんな日常ながめつつ、農水省の食糧自給率うんぬんかんぬん信じているバカも居る。
商売で省益マンセーの良心切り売り学者、評論家もわんさと居る。

こんな時代でも、災害が起これば、一瞬で食い物不如意の時空に飛ぶ。
そういう意味では、飽食の時代もバベルの搭だ。
明日の食い扶持など信じてはならない。

情報のaffluentなのも同様。
Internet環境が遮断され、スマホもただの箱になれば、己のリテラシーで歩むほかない。
若者たちも、じじばばも端末ピコピコと、LINEだなんだとネットワーキングしているはいいが、災害にまで至らなくとも、ひとつ電波状況の悪い地に入れば、あるいはバッテリーがへたれば、どこかしことなく飽食から、強制的断捨離の世界に入る。

昨日も今日も、業務連絡的には、ネットを頻用し、他人様が頻用するのを眺めているが、実際に紙一重。

師匠とその手足として動いているスタッフのやり取りをみていても、これがテーマにしている医療の実際のフィールドなら、ごててる間に2、3人Sterbenしてもおかしくない。

ホンにパラドクスよのうと眺める。
若き「友達」よ。
勉強しろとアジりながら、実務家あがりのヘッポコリサーチャー最末端は、このようにアンビバレントな現実もpresentする叔父さんfunctionがお仕事なのです。

伝言ゲーム

連絡も一段階二段階どんどんと変容する。

格別クイックリーなメール時代というだけでない。

京都など、敢えて「なになにさんが、こんな風に言うてはりましたえ~♪」と流す。
本人に到達する頃には、随分と変容しているが、そう違ってもない。

阿呆学部の教養課程で社会心理学を教わった木下教授の研究によると、「もしかして誰々さんのことご存じないですか?」と知己に伝言ゲーム的発問すると、20段階でたいていターゲットにたどり着くという。

この世間、広いような狭いような。

2015年11月18日水曜日

君の行く道は~♪

勉強会で若者たちと同席。

まあ、孫でもありの年ごろ。

実に気持ちいい。

朝一で会うmemberにもレポートを送る。

交流は、基本一対一。
それを必要があれば、指導者にも見える形でccしたりする。

お付き合いの工夫は、その都度十分に検討しながら。

今週はこれで自主トレに移行できるかな?
うれしい。

癒しの力

北斗晶一家の闘病日記をrssしている。
日記の限定解除のファン扱いも頂いているので、親近感が強い。

一家の癒しの大きな部分が、ブヒ娘のハナちゃんだ。

行動動態は、自分もブヒが身近なので、実によくわかる。

彼らは、満身に生のエネルギーを転回させ、飼い主に関わってくれる。
もちろん、文明社会ゆえ、飼うこと自体が罪といえる部分も少なくない。

駄菓子菓子、それさえ含んで癒しになっている。
わが心には、お前らを飼ってしまってごめんね、、、という気持ちも常在する。
人間同士のように、疑心暗鬼や利害算段を免れる。
いい仔らに会えたのは、往った仔ら含めて、わがかけがえのない人生体験である。

2015年11月17日火曜日

不自由堪能

特にマゾでもない。
また、歳をとったり、経験が蓄積したりで、サディスティックにもならない。

そんなところで不自由経験miscellany。

タブレットの通信速度が制限されコンチクショー状態。
講師はいかに上手に高速生活を安価にメンテするかを力説するが、、、、。
わがスタンスは、急がず適宜休んで適応なので、あとの話は聴いてない。
目の前の女子も船を漕いでいるので、わが路線と同じか?

朝の仲間に、図表の解説が本文で、これに気付いて解読すると、実にsmoothと伝えたかったが、チャンスを逸する。
まあ、いいか。

bossの話に、日頃のわがメッセージほとんど通じてないことを知るが、やむなし。
一連托生を選んだ人々の多くに、この逸話多いことを知っている。
まあ、諦めてはいるから、ハラハラ見していくほかない。
フリーランスの独り身ゆえ、気楽なオプティミストで進むことに。

買い物等、明日にシフトさせることに。
特に慌てる必要性はみつからず。

かくして、不自由に遭遇して、全く頓着しない自分に遭遇。
また、楽しからずや~♪

2015年11月16日月曜日

それでもリンゴの樹を植えようか~♪

いつも書くように、リンゴの樹の話は、若い「友達」の言葉に触発されてのことだ。

これからくっちゃべることは決して悲観論のつもりはないが、掛け値なしの現状認識。
ゆえに少し状況にsensitiveな諸氏には、決して驚くような話ではない。

現下は、世界戒厳令下の、不況はらみの、厳しい状況である。
国際連合は、戦勝国世界牛耳り機関から、若干そのような状況、デフォを維持できなくなった「体力低下の戦勝国」と、それ以外の国々が蝟集して何とか国際的秩序を維持形成していこうというところに変化してきている。

各論的には、欧米に露中を加え、アラブ系フーリガンISのテロ攻勢に、なんとか対抗しようとしている最中。
その中(華)が、突っ張りハイスクールロックンロールを演じて、もうすぐ練鑑どころか、崩壊の憂き目で逃散を余儀なくされそうな気配。
経済統計もまともに作れない自己見当識喪失状態の赤色独裁国家ゆえ、どれだけのbehindかご本尊らも把握できてないようだが、内外のeconomistで少し目鼻の利く人々は、マイナスの経済成長で、バラマキで外貨準備も底を尽きつつあり、産業も中進国の罠で、合理化も、再構築も困難な状態ではないかということだ。

そんな状態に腹心をガードマンにして暗殺を必死に懸念して、あたかも地下に潜るかの施政維持に腐心しているかの習近平氏に長期の党支配は望めるかというと、将来展望はpoorと判断せざるを得ない。
習近平との会談で、さすがに「arrogant」と立腹したといわれるオバマも、おそまきながら南沙諸島の基地島の領域に軍を派遣して、caution以上の実力行使を行っている。

わが国も、このような情勢を傍観するわけに行かず、従前の9条教を離脱すべく、real politicsの世界に足を踏み入れた。

このような、ミニ第三次世界大戦下で、一番大事なのは生存&経済だ。
臨戦体制のハイパーテンションばかりで生きてはいけない。
経済を安全保障の上に上手に乗せて、しっかりと日々の暮らしを維持できる形に運営しなければ、ローマがそうであったように、メルトダウンする。

今月の文藝春秋に、安倍晋三総理の一億総活躍の本意説明が載っている。
欧米中露その他の世界の国々に、景気のよくなるような話は皆無で、縷々書き連ねてきたように、われらの予期不安を増大させるようなtrendばかりが目につく昨今である。

だからこそ、リンゴの樹を植えようかという性根が要る。
総理の一億総活躍の主旨説明は、そのようなものである。
今日も若き「友達」は、師範に面、胴、小手をピシピシと指南され、それでも元気そうに朝の修行に赴いたようだ。

われらが未来は決して暗くない。

午後のショッピング

覚悟していたdutyがfreeとなり、ゆっくりとスーパーマーケットを散策できた。

まだ、のんびりと買い物ができる雰囲気。
わが国だって、道庁爆破、三菱ビル爆破、赤軍派の内外でのテロ、オウムのサリン事件、挙げだせば、まだまだ数多くのテロ事件があり、その歴史は大化の改新にまで遡ることができる。
そんな国柄ながら、われわれは結構慣れており、柔構造的管理社会化で乗り切ってきている。

そんなこんなで、近くの同胞の立ち居振舞いを参照し、物流を眺め、まずまず平和に暮らしている。
今日もその例にもれず、楽しくいろいろと調達してきた。

われらが暮らしは、このような購買行動で肉付けされる。
わが心身は、これらのショッピングのたまものとして、今後一、二週間で形を変える。
少々stress負けしているのか、爪なんぞがボロボロしている。
低栄養とか、カロリー不足でなく、潤い要素のアンバランスか。

心に食餌だけでないエンパワメントを与えてやろうといろいろと考えているとことである。

週明けのスタート

休日はテロのNEWSに耳目を引っ張られながら、privateにはのんびり。

弔旗のはためきには、何の異議なけれど、インテリジェンスの専門家の意見にも首を縦に振ったり。

フランスをめぐり、自他ともに被害者扱いだが、壮絶な歴史はある。
カスバの女~♪じゃないが、外人部隊のご本家。
拷問、急襲その他ずいぶんきついこともしてきてる。
「カサブランカ」の描写じゃないが、ビシー政権は、ヒトラーのパシリを演じて、かろうじて、ド・ゴール将軍の故事来歴でやっとこ「戦勝国」。
「そんな昔のことは覚えていない」なんてボギーのように嘯けるのか?
なんて意見のプロたちは、ボソッと指摘する。

これからも、国際的にはISとのテロ角逐の手は抜けないが、アフガンの国境なき医師団への米軍の確信犯的空爆のように、国際的人道支援活動にもインテリジェンス的葛藤は色濃くあり、ちょうどわが国が米中南北朝鮮、ロシアその他と組み手の毎日で実践を続けているのは、どの国も同じ。

ということで、「隠れて生きよ」はギリシャローマから中国まで先哲の教えなれど、頭隠して尻隠さず、隠せずの時代。

適宜のmode&mood選択で、今週もいくべか。

2015年11月15日日曜日

ポタポタと

雨降り続く。
ちょいとコンビニまで行って来いしてきたさきほどは、傘なしで済んだから、だいぶ雨脚が強くなっている。

追悼の雨かな。
電車も脱線したらしく、これも事故車の写真をみれば、ただの脱線事故のよう。
フランスかなりついていない。

さて、日曜日はやりたいことが多い。
土曜日に残った番組をスクリーニングして、youtubeでチェックして。
読み終えた雑誌も処分して。
断捨離気分にひたる。

月曜日の準備と 、英気&鋭気のcharge。
学生さんに公報。
まだ一丁噛みで済んでいる。
豆腐のように二丁三丁と処理する余裕はないので、この程度に留める。

2015年11月14日土曜日

命を考える

ペットなんざ人間にくらべれば、、、、という方々には片腹痛いやもしれぬ。

さきほどdマガジンで読んだ佐藤愛子先生のエッセイ。
浦河の別荘に遺棄された犬娘の話。
ロケーション、タイミングからすれば捨て犬以外にありえないこの子を、先生は覚悟決めて拾った。
犬娘は北狐に喰われそうになったところを女史に救われる。
それ以来犬娘は恩人の女史のガードドッグ、守護神の如く振る舞う。
愛子先生は、今泣いておられる。
従前の愛犬にしたごとく、わが食事に似た給餌を続ける。
最後犬娘は、腎不全で逝く。
やった食事があの娘に合わなかったのではないか。

わが愛ペット歴にも、落涙を禁じ得ない想い出は多々。
愛子女史のペットロス記に共感して落涙した。
いまも愛する犬息子犬娘らは、わが傍らに健やかに寝息を立てている。
ボクがこの子たちの命をholdできねば、わがhumanityは糞だ。

人のありように移り、テロを考える。
政治学者でないが、少しかじった見識で手短に書く。

オウムは、タントラバジラヤーナの教義で、確信犯的に殺戮に手を染めた。
置いておいてろくでもない命は奪ってやるにしくはない。

ボルシェビキは、意味ない反革命生命は奪うべきというイデオロギーから、オウムと同じように殺生を大量に行った。
云うことを聞かない反革命分子をラーゲリや精神病院に収容し、膨大な人間の命を奪っただけでなく、路線闘争で追放したトロツキーをアランドロンが映画で演じた刺客をメキシコに送ってまで惨殺した。

ペットたちは、こういう残忍なことはしないが、人間はする。
われわれ日本人もそろそろ本気を出さねばなるまい。
国際的に残虐なテロリズムが暗躍している今、安全保障に国際協調するのは最低限の義務である。
マグロや肉を飽食して、よその苦難は他人事では済む時代ではない。
安倍晋三総理の国連演説は、他国に向けたメッセージであるとともに、われわれの自戒の表明と読まねば、平和ボケと諸国民に評されてもやむない。

ということで、わがmissionは、この子らの命を守り、ささやかにアンチテロリズムの戦線に共感共闘することだろう。

そんなことを思いつつ、松山千春の「はまなす」に耳を傾けると、また涙がにじむ。

歳をとると感情失禁するのは当たり前だ。
なだいなだも、北杜夫もそう云っていたのを思い出す。

ブラディーメリー

休みゆえ、冗談抜きに飲んでいた。
そこへこれも冗談でない悲報が飛んできた。

メアリーが手を下した半数ほどの人々が倒れたらしい。
何時の時代も、鬼畜の振る舞いを躊躇せぬ勢力はいる。
世界中で追悼のメッセージが発せられる中で、犯行現場近くでテロ協賛の気勢をあげる連中も目撃されている。

われらも厳戒体制相当のリスク下にはいる。
十分に注意して立ち居振る舞うべし。

明日も伏せの姿勢でおこもりかな?
わんこらは、それでいいといった風情でゴロゴロしている。

土曜の夜は~♪

実は土曜の夜じゃなく、朝なのよね。
ルチーンの小原庄助さんmodeで、バスタブ中ネット整理してたら、日にちをまたいだ。

わが情報ストックは、在庫一掃し、新たなやりとりは、SNSに勝手にアーカイブ化されたり、クラウドに載るもの以外は、末端に溜め込んではいない。
だからかフットワークは軽い。

駄菓子菓子、robot運用のはずのSNSからは、思い当たるご推奨が次々。
係累、元彼女、「友達」のご係累その他エンカウンターすると、何でそんなに関係性ようわかんの?とお尋ねしたくなる命中率。
そりゃそうだわな。

よく利用するアマゾン、楽天、Googleその他おいらの嗜好なんぞパンツの中までお見通しがネット企業、組織内情報。
いまさら不思議でもなんでもない。

ということは、一朝ことあれば、どうにでもしてね~♪でなく、どうなとされちゃうキンタマ掴まれ状態ということ。

他人様には「よう気つけなさいや」なんぞとコンサルタント口を叩けども、、よく考えりゃ、大して考えなくとも、、、、危険が危ない。

ということで、今日もバガボンド。
櫂を削りながら、どう攻めよう、どう逃げようとシミュレーション。

皆さんもおたっしゃでね~♪

2015年11月13日金曜日

すやすや

いい運動後だからか、グースカピーと寝息がにぎやか。
久しぶりの海辺、結構うごいた。

帰りのカーラジオNEWSによると、嵐のコンサートがすごいらしい。
ドーム周辺が身動きできないほどとか。
芸能界音痴の身には、なんじゃその騒ぎは?とばかり。

駄菓子 菓子、落としていく経済効果はすごいらしい。
混みよう聞いただけで、そりゃすごいだろうと思う。

こちとらは、それはそれとして週明けの準備。
ところで何すりゃいいんだろう?
スケジュールさえ、ふにおちていない。
まあどうとなとなるだろう。

今はもう秋~♪

久しぶりにお好みの浜辺を訪れる。
今はもう秋、誰もいない海~♪
歌どおりの海辺。
この程度の閑散mood、modeが大好き。
レトリバー連れのご夫婦もいて、犬息子はご主人にずいぶんと可愛がられ。

草原では凧好きの男が、夢中に凧あげに興じている。
昔、凧あげ男の小説評論をradioで聞き入ったことを思い出す。

この海辺には「星守る犬」という漫画の映画化で登場する知るひとぞ知るのカフェがある。
通年営業でなく、閑散期冬季は閉鎖休業で、既にopenしていないが、近くを通る。
雰囲気よし。

今はもう秋誰もいない海~♪といったシャンソン風だけでなく、佐藤春夫の「海辺の恋」なども浮かんでくる。
小椋佳の歌だけでなく、森本レオや岸部シローが演じた「黄色い涙」というドラマなんぞも思い出す。

歳をとるとかくのごとく、ノスタルジーがわんさと涌く週末となる。

ネットのお手入れ

久しぶりに、古いメールやリンクのお掃除をしていたら、とってもスッキリ。
それで思うこと。

スパムは触れないので、ひたすら消すが、毎日やっていると知識社会学的なリテラシーはずいぶんとあがる。
このところは「まともな企業」「政府」さえもスパム源になる。
なにがなにしてなんとやらを「読んで」対応しないとドツボにはまる。

今日もネットだけでなく、電話で重要会議を行ったが、小さなものから、大きなものまで、タッピング、エシュロン、超限戦されているのは前提。
自分は小者だから大丈夫ではない。
医療、救急に截然とした一次二次三次の区別なく、ウオークインの患者があれよあれよという間に心肺停止に移行することのあるように、情報もTPOによっては、世界的大事件とdoor一枚。

そんなことを思つつ、きれいになったスマホ、タブレット、PCを傍らにごきげん。
嗽手水に身を浄めた気分。
今日も夜明けが近い。

2015年11月12日木曜日

毎日がslapstick

特に大仰な事件でドタバタしているわけではない。
無事これ名馬。
養老先生おっしゃるように、NEWSの如くこれが起こったあれが起こったも重大なことではれど、あれが起こらなかったこれも起こらずに済んだが大きい。

モノのロジスティックスは順調。
ここのトラブルがないのは、非常に大事。

再度、特殊清掃戦う男のblog最新記事を読んで涙。

http://blog.goo.ne.jp/clean110/e/5a17ce8cead093217b5ca8038218eb98

同じ愛犬家として気持ちがよくわかる。
もちろん、人のはなしも、今回は感動。

ネット知己とはゆっくりの交遊で、ゆるりゆるりと再構築が進んでいる。
スラプスティックでなく、淡交と言っていいだろう。

ハラハラバタバタながら、まずまずじっくりと遊泳中。
幸せと言える。

道程

ぼくの前に道はない。
ぼくの後ろに道はできる。

有名な高村光太郎の詩だ。
frontierをいく者の矜持や勢いが鮮明だが、実は大変だったはずだ。
心を病んだ嫁を抱え、獣道をラッセルするなんて、相当の根性なければ、自己認識さえ困難よ。

ところで、全く駄洒落に近い、それでも本気の社会評論に移るが、童貞が多いらしい。
彼女は、ネットでアプリその他を総動員で男子を自由なオタクにしてくれる。
realワールドでは、肉声のおねーさんに近付くには、大量のCDでも買って握手してもらうしかない。
下手に近付くと、変質者、ストーカー扱いまでdoor一枚。

わが師匠らは、それではいかん。
人類が滅ぶとshoutするが、、、、。
教育者がshoutしようと、官房長官がおねだりしようと、福山家の子作りは、福山夫と吹石妻のお気持ちに委ねられるほかなし。
奥さんも有名athleteのお嬢様だから、その気になれば射程距離は短いが、やはり政策的意図で外野が騒ぐのは不健全に感じる。

獣道を行こうと、童貞を貫こうと、至誠の道をいけば一億総ハッピー。
今月号の文藝春秋の総理寄稿を読んだあとで、そのままかくのごとくおもえり。

2015年11月11日水曜日

ふたたびそぼふる中で~♪

晴れ間にさんざん疾走してスッキリしたのか、グースカピーと寝入っている。
他愛ないのが最高で癒される。
北斗晶一家のハナちゃんもメチャ可愛い。
BUHI族は愛嬌の塊である。
闘病生活も、この子でずいぶんとエンパワされているようだ。
祈快癒。

生と死は、生き物の永遠のテーマだが、今回の戦う特殊清掃マンのblogもいつもながらに秀逸。
http://blog.goo.ne.jp/clean110/e/5a17ce8cead093217b5ca8038218eb98
ぜひご一読を。

自分も老を生きれば、センセイの鞄や老人の恋など、年寄りモノに見入ることが多い。
まあ、今日唄った千春も、若唄いと老成の唄いには、大きな違いがある。

さて、雨ゆえ、雨に濡れても~♪、雨に唄えば~♪でいくかな?

雨あがる

延々と降り続いていた空が、やっと明るくなった。
インナー生活にすっかり倦んでいる犬息子犬娘を連れ、ドッグラン。

おやぢは、おこもり生活で、SNSのトリミング、通販の受領アレンジ、その他の懸案事項をひとつひとつ処理完了。
目の前に何が山積しようと、できることはひとつひとつ。
もつれたコードをほぐすように、丁寧にうまくハンドリングしなければならない。

さて、某サイトの特別会員になると、結構な巻数の映画が見放題になる。
しかし、だからといって夢中に流すということをしない。
サンクコスト、機会利益という発想で、見ない贅沢も行使しないと、引っ張られすぎる。
また、不在のDVDなどは、別途発注入手しないといけない。
このところ、やっとこケチ臭さを捨て、それができるようになった。

ベストミックスを目指して、ベタでなく、一丁嚙みをソフィストケイトしていけば、それなりの結果が出せそう。
基本は待ちがいい。
必要があれば、ネイチャーが呼んでくれる。
それがお花畑であれ、暴風雨であれ、向かいあうべき事態の集合ということだろう。





early exposure

あえて和語にすれば、早期体験学習か?
基礎配属なんてのもあって、基礎の教室の丁稚見習いも来るらしい。
畏友某君は、いつものように朝だけでなく、一日張り付くことになるんだろうか?
そうならば、いろいろと教えてもらおう。
一気呵成に末席に迎えられたので、日常業務のおじゃま虫のイニシエーションも済ませていない。

加わる方の学生さんも、上手にまなばないといけない。
exposureの後にはdesposureが待っているやも。
disposalの注射器といえば、使い捨てのプラスティックのことだ。
変なことはまねばず、正道を歩むトレイニングを経験する。
真贋を見分けるのは、最後は自分だ。

なんて偉そうなことを、人生おわりかけの今にやっと気がついた。

とかくそういうものではある。

2015年11月10日火曜日

energy一定

ネットも、realも、関与先が増えた。
当然のことながら、個々の枝葉は、うまく剪定して、軽いタッチで流していくことになる。

そういう事情の有無に関わらず、時代はフレイミングや粘着を、うまく排していくべきphaseになってきている。
それを忘れて、野放図にしていると危ない。
野放図の気味のオイラが云うのだから間違いない。

ただそれはティミッド一方やりということではない。
緩急自在強弱随意に押し引きすることも要る。
まあ、合気道、空気投げの機微は会得しておかねばならない。

あすも一定のenergyを善用して、最適のエントロピーを確保することに腐心する。
ある程度生きてくりゃあ、目指すところは似たようなもの。

雨雨ふれふれ~♪

内地と電話で、どこも雨らしいぞ。
わんこらも雨音実感すると、庭runningを諦め、グースカピー。

雨でも、ゴミは捨てにゃあいかんし、コンビニくらい覗かんと、兵糧の確保ができぬ。
ロジスティックスが重視されるこの時代、上手く兵站構築せんといかんぞなもし。

雨が降っても、秋晴れピカピカでも、時間が許せば、逆に必要があれば、ネットの手入れに忙しい。
しかし、上手にこれで下拵えしておくと、リアルの用事はずいぶんと省力化できる。

情報空間カルチベイト、現実行動の端整化。
現代人に必須の課題、たしなみじゃろうな。

2015年11月9日月曜日

新しい週明けスタート

朝から若き学友らと本読み。
チューターと若者のやりとりを見ていると、実にいろいろと教えられる。

続いての講義も、自分にとっては再履修のようなもので、実に面白い。
教官と学生さんのやりとりで、彼らの、自分のリテラシーも検証できる。

帰って、行きしに窓ガラス挟んでベーゼに及んだ犬息子が、もうバカにして呼応しない。
わんこも三歳児程度の知恵がある。
犬にバカにされて喜ぶお父さんの巻。

帰還後のSNScheckで、ずいぶんと旧交を暖めたり、新来のnetworkが生まれたのを知る。
実に有益。
やはり、自分含めて、バカとハサミは使いよう。
わんこにバカにされても嬉しい親バカの如く、よい塩梅を模索しつつ、ニューマイ、ourワールドを拓いていくべし。

そういうメッセージを各位に発受信中。

精進拳拳服膺

教室でコマ変わりのひととき。

下肢のご不自由な講師の方。
電動車椅子で、ササッと障害物を整序。
ホンに精緻な動き。

日頃から御苦労を甘受しているだけでなく、より上手く動けるように、日々精進、エンパワーメントされておられるのだろうな。

サリバン女史にwaterを教わり世界を拡げたヘレン・ケラーも偉いが、あの講師も偉い。
美人にオマージュ多々のわが偏奇では決してない。

平日始動mode

なんやかやといぢっていると、夜から朝へもはやい。

英気&鋭気が切れてきたら、犬息子娘らと分離して、爆睡。

寝落ちすれば即深昏睡のケラク~♪

すっかり再チャージして、心身のアイドリング中。

ボンボヤージュ~♪
ちょいと引いていたSNSの諸氏にも、ちょいと復帰的に一丁噛み。
適宜な距離で一丁噛みしますので、ヨロシク~♪

2015年11月8日日曜日

ストックホルム症候群

人質になった人々は、犯人らもそう悪い奴等じゃなかったと思いたい。
そう思わないと、長時間の監禁、拘束に耐え難い。
人間の適応心理のひとつである。

それは専ら犯人という人間に対してであるが、状況そのものに想いを投影することもあり。
わが人生の、就職、結婚、育児、その他もろもろ、症候群下にあったことは否めない。

今や師匠に弟子入りして、拘束感も、窮屈感も全くないが、御世話になっている皆さんに迷惑をかけたくない、かけられないという気分は濃厚にある。

もちろん、そのようなことは、社会人として当然のことではある。
逆に、タイミングによっては、撃って出る必要のあるタイミングもある。

日々是修行の感が強い。

大人買い

専門学校や大学で、賃仕事としての教育は撤退したので、久しくシネエディユケーションの機会は持っていない。

逆に、本気で研究機関に縁を結んだので、準備におさおさ怠りない。
いつでもドスコイmodeにシフトできるようにと、教育用のDVDを大人買い注文した。

しがない年金生活と小自営業のハイブリッド老には、決して楽チンな負担ではないが、まあ使えるときに使っておかないと後悔するようにも思うので、されば嬉し楽しの擬態でもいい、ワクワクと待つことにした。

DVDだ、わんこら用の電熱機だと、物要りな秋だが、冬はもうそこまで来ている。
歩いて図書室に予約本を取りにいくだけで、結構冷える。

焦らず、たゆまず、おこたらず、冬に向かってライフスタイル、ライフラインのrefineに励む。
そういうのが楽しくて面倒でなくなってきたのが、老いの成果ではある。

今日は何の日~♪

一瞬曜日の見当識を失い慌てた。
ネット等々で今日は日曜と合点し、窮地を逃れる。
もう大事なmeetingに遅れてしまうと大焦り。

苦あれば、楽あり。
嬉しいのは、休日一日儲けの気分。
おっちょこちょいのオイラの人生は、こういうことの繰返し。
哀しくもあり、嬉しくもある。

ちょいと休日気分を拡げて、風呂敷も拡げる。
六無斎blogと銘打ち、江戸びとの気分を味わい始めたが、やはりよしなし草の頃がいい。
吉田兼好師や鴨長明師に教えられることの方が、ベイシックだ。
徒然草ひとつで世の無常なることは十分に教わるし、方丈記ひとつでコンパクトLIFE、ビオトープの思想を教えられる。
養老師や福岡ハカセなどは、これら古典のリフレイン、エピゴーネンに過ぎぬと気付く。

ということで、今日もおこもりmodeで、休日を楽しもう。
いまだ火の吹くドンパチは始まってないが、現代戦の典型サイバー戦はまっただ中mode & mood。
実際に、ネット知己らが、サイバーセキュリティ当局からcautionを受けたり、ネット企業の動きを見ているとハッキングやなりすましを前提に動いているのがよくわかる。
したがって、倫言汗のごとし、天知る地知る我知る丸裸の自覚は必要。
秘密保護法など何のその。
共産党に国家秘密が垂れ込まれ、閣議内容も、与党の密談もすぐに仮想敵国に駄々漏れの我らが世界。

バレバレ前提に今日もいく。

2015年11月7日土曜日

週末模様承前

土曜の夜は~♪
youtubeにupされた朝生のアーカイブに耳を傾ける。
相も変わらぬマンネリ田原のルチーン二分論で、飽食確認。
ただ、知識社会学的な見地から、そのこと自体を分析することは大事で、この頃わが心も安らか。

車の傷塗り、犬息子犬娘らとのドッグランも予定をこなせて至福。
師匠連とはやりとりは特にないが、情報提供などは継続的に続けている。
どこまで通用するかは不明なれどベストエフォートは必要。

最後に、ちなみに話を。
若き「友達」のプロフィール書きに触発され調べた逸話。
「明日で世界が終わるとも、今日リンゴの樹を植える。」
ぼくは、開高健氏の書き物で知ったが、実はルター時代の文学者の物言いらしい。
あの時代に、人間解放にロマンチシズムを見いだした人々の魂の声だったのね。
ドッグランに、ラベンダーやハーブの種を撒いたが、芽を出すかな?
来年のことを言うと鬼が笑う派なので、まあカラスにつつかれても、わんこのションベンで流れても、嘆かない。
まあ、気持ちはこういうスタンスが好き~♪

2015年11月6日金曜日

週末miscellany

週明けへのsettingを期して外回り。
まずまずの好天で足回りは快適。

realで動き回る作業は多くなく、ほとんどがネットで用が済む。

副産物に若き知己と、SNS「友達」に。
ともすればジジ臭い付き合いに偏しがちなネット交遊も、少しは若返りそう。
自分より歳かさと付き合うと、年寄りの偏屈と扱いにくさを痛感するので、反面教師として淡交を志すこととする。

SNS等も管理当局と鞘当てなどする中で、すっかりダウンサイジングしたが、その分だけ濃くなり、手入れの手間はずいぶんとかけるようになった。

今日もいろいろといぢっているうちに、朝生の日程を知る。
寝落ち爆睡することなければ、BGMにして視聴してみよう。

週末は統計学書三昧の予定だったが、サッとthroughできたので、高橋洋一暗黒卿の切れ味鋭い書き下ろしを図書室に予約。
サッと揃ってくれれば、週末にまたひとつエンパワーメントのよき自己満足を得ることができそう。
わくわくと待つことにする。

2015年11月5日木曜日

暖秋の日向を享受

昭和のお母さん逝く。
加藤治子さんの訃報。
向田邦子モノ、センセイの鞄、その他の名バイプレイアーものを思い出すが、古畑任三郎シリーズで、主人公の女流作家を演じたのもよかった。
昭和がどんどん遠くなる。

朝の外回りで、若き父と歓談。
realで濃い知己が増えていくと、ネットで不特定多数とフレイミングなどしている暇はなくなってくる。
うれしいことでもある。

男の子らしいが、いつか写真でも見せてもらおう。
某オッサン知己も、娘にドロドロ。
もののふゆえ、ちゃんと支える体制の必要性を想う。
硫黄島の栗林中将を思い出す。

明日は遇々オフ。
このまま週末に移行するmodeか?
自営業は休みがあってないようなものだが、少しは気分が違う。

図書室に予約しておいた統計学書が揃う。
休みの三昧材料のひとつ。
わくわく。

2015年11月4日水曜日

プロファイリング&リテラシー

山本夏彦翁は、ホンに人間通のご仁だった。
話せばわかるの青年将校風には、決して無駄口はきかないタイプの人で、かと言っていうべきことはポソッと一刀両断。
鋭かった。
本当にいろいろと教えられた。

山本翁だけでなく、日下公人師なんぞもその類いの人だ。
斎藤一人氏も、リーダー的賢者だが、カルト臭を欠く商人道伝道師で、ちょいと毛色は異なる。

ところで、このところ、人のプロファイリングだけでなく、状況や知見のプロファイリングに励んでいるので、結構な負荷である。
生まれてはじめての境地なので、自分の生的状態でありながら、慣れるのが大変。

まあ、全ては自己責任。

上手に回避したり、ぶつかったりで、アラ還手習いを続けていくほかない。

2015年11月3日火曜日

コンサルティングの難しさ

自分が一番わからない。
小生なんかその典型だと自認した上で、その不可思議、不条理を痛感する。

もちろん、それでいいのかもしれない。
自分のことまで、まるまる、あけすけに、深く、浅く、みんなわかっちゃったら、いきにくい。
自分がようわからんから生きてゆける面も大事かもしれん。

駄菓子菓子、
ダブルな面から他人様の悩み事にコンサルティングするなりわいで口を糊してきた立場からいえば、相談された相手がそれで大転けして、あまりに大きなものを失うリスクが透けてみえれば、直截的な指摘や諫言も必要なときがある。

これが実に難しい。
脅して、葉や枝を枯れさせるは、幹や根まで弱れば、剪定にもならぬ。
誉めすぎれば、誉め殺しという副作用合併症が出現することもあり。

思えば、このなりわいで生きるトレーニングを、三つ子の魂がローリングしはじめた頃より、ずっと続けているように想う。

ということで、こんな表題のblogを書きながら、次の一手はなんぞと考え続けている。
病膏こうと言うべきかも?

2015年11月2日月曜日

選ぶこと捨てること

いつの時代にも過不足はある。
現代日本も、絶対的窮化や相対的窮乏化の議論が、かまびすしい。

しかし、デフレ時代のいま、過剰の弊害も恒常的だ。
ジャンクフード、期限切れの食材、作りすぎた料理。

捨てることにした。
全てを飲み込めば、肥満、生活習慣病、日常生活のアンバランスが、すぐにお出ましの用意をしている。

これらは食物、食材、摂食だけでなく、情報とて同じ。
情報を捨てず、溜まるにまかせれば、情報のゴミ屋敷の住人となり、積もったジャンクインフォメーションの下敷きになる。

エントロピー増大の法則に逆らって生きるには、常に捨てることが必要。
そして捨てるには、取捨選択、断捨離が必要。

断捨離か、捨離断か、はたまた他の順序か、回れ右となったり、ロンドとなったり、入れ子細工になったり、実践論的にはvarietyは何でもあり。

今日も脳内シミュレーションや、作業療法的お手玉作業で、少なからぬ懸案を、潰したり、組み立てたり、しばらくペンディングにしたり。

そんな作業に身をやつし、目的合理性の確保に腐心していると、一日ははやい。
目的合理性などと言っても、無用の用やランダムウオークで、酔拳の老師のごとく。
華麗な技を目指す歳でもないのに、ブルース・リーの如く舞って中毒死するのは身に合わぬ。
ウサギと亀の後者のごとく、ノソノソと一日を終える。

2015年11月1日日曜日

世間は狭い

「復讐するは我にあり」の原作者、佐木隆三さんの訃報に接する。
主人公榎戸役の緒形拳さん、はまってたなあ。
久しぶりに観てみようか。

そんなところに古いネット知己の某氏よりrequest到来。
このblog場提供のSNSは、みんなあまり使い勝手がよくないのか、古手のネット知己諸氏の最近upをみない。
自分自身は、勘所が分かってきたので、こうしてblogをupするだけでなく、ヘビーユーザーの発受信を味わったりしているが、確かに異色のハンドリングしにくいSNSではある。

このネット知己氏に、旧来からの馴染みSNSのrequestをいただいて、付加された人脈を拝見すると、最近realで知り合った若者らの姿が浮かぶ。
実に世間は狭い。
手広く何百人と名刺交換的に「友達」になるより、数人の濃いクラスターとnetworkしている方が実のある発受信できる不思議というか、当たり前。

まあ、慌てずにじっくり交際していくことで、カルチベイトしていくのがよろしいと悟る。

また楽しからずやの月はじめである。

月跨ぎ

あと2ヶ月。
年度表記でも、3ヶ月プラスの5ヶ月。
ホンにカウントダウン。

月始めの休日は、図書館で集めた生物学書の三昧。
池田清彦、養老孟司、福岡伸一、すでにyoutubeでずいぶん聞き入った方々との、活字おつきあい。
至福なり。

今週の師匠は遠出で、こちらは留守居mode。
男子1週間会わねばで、再会できれば、それも至福。

課題、夢を、亀のごとく充たしていくのが、わがメタ夢。

2015年10月31日土曜日

月末断章

外回り、月締め、メール送受信等々をやり終え、落ち着く。

気の合う人々と交歓するのは快いが、気が合う人々とのやりとりだけでは、自家中毒、ファッショ的倒錯が危ない。

かといって、気の合わない、気が相互に違っているcrazy空間に身をやつすと、消耗したり、させたりで、美味くない。

そんな塩梅で、四囲を忖度していると、丁度いいtoneになる。

師匠連、クライアント連と、コンタクトとれるまで、ゆるりと英気を養う。

2015年10月30日金曜日

枯れ葉散る~♪

観楓会のシーズンに、紅葉も観ず、はや月末。
時の足は、はやい。

月末〆を完了したら、近くの公園ででも、プチ観楓会散歩をしようかな。

毎日毎日の風景を楽しむ。
ホンに日々是好日。

2015年10月28日水曜日

信賞必罰

スッキリしない天気のわりに、気温自体は高め。
外回りも大過なく巡回できた。

最近父になったらしい若き知己は、まずまず面構えが男らしくなった。
未だ委細プロファイリングできぬ仲だが、ことほいでいる。

ネットでは、omitしてきた生意気な若オヤジを迎撃的block。
米軍ではないが、看過できぬフーリガン的挙動には、きっちり対抗手段をとっておかないと、禍根を残す。
この辺りをズルズルにすると、己の性根も曲りよくない。
毅然が基本で必須。

ただ、別の化石オヤジにはコメントせず。
同年代で、基本左翼リベラルで来たろうとプロファイリングできるご仁で、現在の状況が国際的秩序へのハーモナイゼーションというか、常識的パラダイムへのシフトという点が解らず、岩波新書や朝日媒体程度のドメスティックコメントに留まっているのを観察するが、容喙しない。
ご本人が時代状況やグローバルな流れに気がつかないと何を言ってもダメだろう。

まあ、何はともあれ、face to faceの身近な世界でしっかりプロファイリングして、種まき収穫を繰返していかないと稔りは得られない。

被害妄想

これ系のBloggerから、閲覧困難にされた形跡あり。
まあ、自分のこれも、奥座敷に密やかに置いて、他人様のことは言えない。

ただ、知識社会学的なリテラシーというより、自己防衛 、事故防止、security確保のためには、十分状況分析できてないと危ない。
逆の立場になったら、被害妄想を持たれかねないと言うことだから。

bossのこともかなり分かってきたから、周辺のプロファイリングもかなり進める。
インテリジェンスというのは、最後は人で、紙一重。

2015年10月26日月曜日

新たな週日のはじまり

学生さんと、ちょい交流。
やる気のある子が残っていくので、その姿をみて、朝の数分の交流ができるのが楽しい。

ところで、こういうリアルでの交流でなく、十分長い間ネット知己でありながら、リアルでは初対面というタイミングの挨拶がむつかしい。
はじめましてというのも変だが、いつも云々も変。
今日は、K先生とそんな感じだったが、会えてよかった。

師匠とも、フランクな会話が進みgoo。
敬意を持ちつつ、ため口も交え、よき関係に腐心する。
そんな絵図を維持したい。

2015年10月25日日曜日

ノンビリと日曜日

初雪のおかげで、ほぼロックドイン。
駄菓子菓子、やることはいくらでもある。

次の一手に進めば、その次に指す手も浮かんでくる。
このところ無用な失着は意識的に控えているので、過不足感はない。

いままで生きてきて、丁度いい辺りに来ている実感。
まあ、このままマネッジしていこう。

スローライフが、一番スピーディーに行く道と気付く。
まずは、ありがたいこと。

雷鳴激し

雪の予報が、雷鳴ともなう雨模様。
ということで、おこもりmodeで晴耕雨読mood。

とは言っても、捗らず。
慌ててジャンク情報を集めるのはやめたから、じっくりゆっくり吟味し考え思い想い進む。
残り時間の短さ、時間切れを意識しての乾坤一擲に走ろうとも思わず。
やはり浅漬けも、じっくり漬けないと美味くない。

思えば、もう月末。
月末モードの番組も探さにゃあいかんか?

2015年10月23日金曜日

月がとっても蒼いから~♪

小学校で日出観察、高校で地学も勉強したが、ものにならず。

いまも月をみて、表題どおり口ずさんだが、凸型の姿がわからない。
地球の影なら、三日月のようになるはずで、なんで凹でないの?と思う。

その程度の見識なのに、宇宙論は嫌いでない。
困ったもんだ。
リテラシーは、知識の進化どおりでなく、困ったちゃん的パッチワークだ。
にわかラグビーファンの如く、ホーキングを口にする。

そんなことはどうでもいい。
歌どおりロマンチックな邂逅や逍遙があれば十分だ。
学理の究極化のために生きているわけではない。

まあ、人に望まれ、人に恋いて、篤きコミュニケーションが果たせれば、すなわち幸せであろう。

ワンコたちは、不明の月への咆哮。
さしあたり、この子らの世話で満ち足りている。

豊穣の頃

あれは作品を読んだのだろうか、それとも文芸評論で知ったのだろうか?
登場人物の女性が、鏡に映る自分の乳房をみて、「豊穣」と声を出すシーン。

今はもう秋~♪
スーパーの棚にも、新鮮な、あるいは熟れた果物などがわんさと並ぶ。

貧乏人の私には容易に手の出せないものが多いが、それでも値頃だと思えば、ひとつふたつ買って帰る。
こんな感じで豊穣をことほいでいる。

研究者ゆえ勉強好きは当然の師匠と、いまだ豊穣なるやいなやの不明なこと事を、語り合うのも、それ自体豊穣な時間。
いままで、師匠持ちになかなかなれずにきたが、なかなかうれしい時間。

そう感じれば、次はお裾分なのだが、教師はなかなか学生に弟子を持てない。
彼らも過剰にインボルブされるのを怖がったり、敬遠する。
できの悪い学生だった自分も、その機微はよくわかるので、お裾分けも無理強いせず。
あくまでバッファーとして置物となる。

とっくりタヌキ、あるいは招き猫がわがミッションと心得たり。

2015年10月21日水曜日

ほどよさの模索

このところ一日一日が、ほどよい濃さで推移していく。

ある程度ゆっくりと観察できるようになって、じっくりと見ていくと、現代の生き物は忙しい。
ワンコらでさえ、一日をあわただしく過ごしている様子がよくわかる。
わかれば細心の注意を以て、世話してやらねばならぬ。

もちろん人とならば、いまの時代、実に難しい。
過剰なコミットメントは悲劇を生むことも少くなく、薄情も情のうちを踏まえなければいけないし、かといってそれは非情酷薄の勧めではない。
濃からず薄からずつかずはなれずに腐心するが、オプティマルにいくはずはない。
上手に失敗して、学習を続ける必要がある。

自然もほどよくない。
エネルギー代謝が大きく激しい時代、エントロピーの拡大が急峻となれば、異常気象や天変地異が頻発し、常態化しかねない。

武士道は死ぬこととみつけたりといえども、自然の流れにドンキホーテして犬死にすることがチャーミングなわけはない。
ドッグイヤーならば、覚悟の上で生き往きを粋にこなしたい。
天上天下唯我独尊、人生は一度っきりで、初体験即最終体験。

ということで、日々のワンダーフォーゲルを続ける。

枯れ葉散る~♪

このところ忙しく、ゆっくりと散策もしていない。

この地には、観楓会なるイベントがあって、いま時期の紅葉を楽しむ。

別に、特に奥まった温泉地などに出かけなくとも、近所の公園でも、結構秋の深まりは堪能できる。

要は自然を楽しむ、自然に遊ぶ機会や余裕があるかどうかの問題。

そこそこ長く生きていると、いろいろと思い出はある。
あそこで、どうしたなあこうしたなあ。
いま行くと、こうなってるかなあ、どうなってるかなあ。

心のなかで反芻したり、いま行くならどうだこうだ。
そのような味わいは楽しむことができる。
外回りの道すがらに、ドングリを見つけ、水ならを仰いだり。

天はちゃんと恵みを施して下さるのがありがたい。

2015年10月19日月曜日

駿馬も

週のはじめに学生さんらへの叱咤激励に遭遇。

みんなスタートはさも似たりだが、しばらくして兎と亀、ありとキリギリス、天国と地獄のBGMに身をやつす。

いつも運動会の競走音楽に追いまくられては可哀想だが、みていてちょい意欲に欠ける子が少なくないようで残念。

自分もギリギリで生きてきて、いまもその渦中に居る自覚はあれど、それでももう少し大文字の世界を意識して、ミゼラブルな青春を通過した覚えはあり。

ただ、いまの若い人は相当の管理社会でマネッジされて生きてきているのがよくわかるから、コミットメントがむつかしい。

指導教官諸氏も熱血蘇生に情熱を燃やしておられるが、馬の耳に念仏のgapも見てとれる。

馬を川の傍までは連れていけても、自身が水を飲むかどうかは、本人に任せるほかない。

入学試験時の偏差値、地頭は悪くないから、うまく水を飲めればそこそこまで行けるのだろうが、教育はむつかしい。
自分も落ちこぼれだからよくわかるが、相当のマッチング、systems構築が要る。

ところで、防衛医大の医官が脱法ドラッグで逮捕されたよう。
防衛医療の恙無さに危惧を持つ。

冒頭から触れているように、一般医育はもちろん、今日的教育、学習、なりわい、すべてにいえることなのだが。

2015年10月18日日曜日

日曜日はお好き?

やっぱり休みは休まなきゃ。
貧乏性で、それでもいろいろと調べものをしたり、検索してしまうが、それでも休みは休みmodeにしないと、ダラダラになり、区切りや展望が築けない。

ということで、東屋のラッカー塗り塗りに精をだし、何とか冬支度をひとつやり終えた。

車の整備も済ませ、雪虫の督促に応えた。

世は観楓会で秋たけなわをenjoyしているようだが、うちはノンビリおうちSunday。
こんなmodeも大好き~♪

みんな違ってみんないい?

金子みすゞさんのおっしゃるとおりだが、むつかしい。
ホントにみんないいなら、旦那さんもいいのだろうが、そうは容易でない。

性病はうつすは、女房にモラハラを重ね、最後は自殺に追い込む。

追悼懐古番組などでは、鬼畜の扱い。

故人を慕う人たちからすれば、そうだろう。
赦しがたい旦那。

駄菓子菓子。
なんとかにも三分の理。
わが生業からすれば、いろいろとことあげ可能。
家業大変なおり、きれいな作品はいいが、憧憬の対象に追っかけを行い、そりゃあ文句のひとつもいいたい。
言えばあのように逝き、鬼畜のレッテルを残す。
実際に、末代まであのようなドラマが上映され、旦那も末裔も抗弁を許されない扱いが続く。

てな話は、個人の故人噺だけではない。
いま日々続く歴史問題など、こういうことの大規模集団現象。
いまを生きるは、過去と未来を今に抱えて突破の作業。
生きるとは、エントロピーを小さくしつつ、エントロピー拡大を余儀なくされる諸現象。
まあ、大変なことではある。

2015年10月17日土曜日

雪虫乱舞

外回りの夕に、雪虫の乱舞に遭遇。
北国の冬のmessenger。

東屋のラッカー塗り。
車の足回りチェック。
その他、冬支度のテーマが次々とわいてくる。

朝の冷気に上着を一枚増やしたが、まだダウンジャケットはちょいとはやい。
日内格差の大きい地ゆえ、汗をかいて冷えて風邪をひくパターンもあり。
それなりの智恵が要る。

雪虫のように舞踊りながら、軽やかに冬支度を実行するのが理想的である。

2015年10月16日金曜日

ちょいと落ち着いて

所作もちょいとmood換え、mode換え。
もちろん、三つ子の魂なんとやらで、基本の癖はそう容易に変わらない。

ネット知己の某教授のフレイミングをみる。
ワシがやったのとほぼ同じパターン。
こちらはもう一丁噛みも卒業。
ワシが火中の栗拾いをやる必要はなく、新手に任せばいいだけ。
他人様も三つ子の魂なんとやらで、今更変わらんし。
よいコミュニケーションにもならんと悟れば、人をみて法を説け。
己自身にもそうせにゃあならん部分多々。
養老師のおっしゃるように、自分が変わるのが希望かな。

それにしても冷えてきた。
近所の山も初冠雪。
コート着てくってもんかな?

2015年10月15日木曜日

寒い~♪

もう秋たけなわというより、冬の入り口。
冬支度もしなきゃいかん季節のようだが、生身の順化に精一杯で、まだまだ着手できていない。

ところで、よそ様のPCでわがHP覗くと、さっとこのblogにこれないのね。
まあいいかと放置。
養老先生の段差放置のバリアフリーならぬ、バリア満載のポータルに。
スパム、フーリガン、炎上満載のこの時代。
いいんでないかい~♪

話再転。
情報社会で忙しい学生さんみて、大変だなあとシンパシー感じていたら、なんのことはない、自分も〆切に追われたり。
まあ、当事者性を確保担保してはじめて発言権ありとされる時代。
上等じゃないかと、シンクロしてでもないが、しっかりアタフタの日々。
アタフタのおかげで熱産生増えて暖かい。

うまくできているもんである。

2015年10月13日火曜日

連休明け

休みが余分にあれば、翌日はバタバタする。
しかし、凡人のバタバタゆえ、大したことはない。
大事なことは、pathの選択とプレゼンテーション、リテラシー、インテリジェンス、要はコミュニケーション構築の上手下手。

上手には来れなかったが、下手は下手なりに精進すれば、わずかながらでも進捗はみられる。

ということで、明日は明日のミッションをこなす。
そういう一日、一日が大事。

連休末日

無事終る。

ほとんどが半泣きの天気。
それでもワンコらのラグも調達でき、ささやかな晴れ間に庭遊びもできた。
あとはYoutubeの歴史物対談等をBGMに、読書三昧。

至福の三連休〆と言ってよい。

今日はまたずいぶんと冷えて冬が隣の天気らしい。
防寒につとめて恙無く過ごすべし。

2015年10月11日日曜日

連休中日

嵐のごとき天気が続く。
おこもりパターンも続く。
まあ、それもなかなかいい。

雨の日には、雨の日でないとできないことがある。
神は細部に宿るゆえ、細部にこだわる。
鈍重な細部なれど、続けていけば少しずつはうまくなる。
うれしいものだ。

BGMはlectureとclassic。
Youtubeも使い方が落ち着いた。
Amazon、ヨドバシのような購買、Facebook、TwitterのようなSNSも、プロファイリングされるは覚悟の上で、ボチボチと利用。
小者ゆえ、ピリピリもしないし、敏感関係妄想にも被害妄想にも陥らない。
マイナンバーが熟れれば、より管理社会化が進むわけだが、特に隠すほどのこともなし。
淡々と進む。

明日も雨模様らしい。
楽しめれば悪くない。

お休みその1

お買い物外回り。

お安く目的を達する。
あとは実際に使ってみないとわからない。

人出は多すぎも少なすぎもなく丁度いい。
幸せな風景といえよう。
ちょいとフーリガンっぽいオネエチャン集団と、別途賑やかなオバチャン軍団に遭遇。
男は元気もなく配偶者の荷物運び。
女性は群れでも、個人でも、男より元気。

庭遊びで感じる秋の風。
もうすぐ冬、雪のseason。
少しずつ冬支度を意識しつつ動いている。

お休み大好きの第一弾。

2015年10月9日金曜日

typhoon続

まだ台風一過とはいかないが、かなり治まってきたので、ちょいと外回り。

雨風は残れど休み前。
やっとくべきことは済ませておきたいという自分のような人々も少なくないのか、それなりの人出。

居てくれたらいいなと念じていたスタッフとも会え、懸案事として頭にふやかしてグルグル回していた疑問も大半融けて、気持ちよく連休を迎えられそう。

土日月と、自由業という不自由生業ならいつもと同じじゃねえかと思ってきたが、やはり世の中の体制、風景が違ってくれば、こちらの姿勢、動きも違ってくる。

ということで、日付が変わるまで、どう使おうかな、、、、なんてお楽しみしてみよう。

typhoon

雨風が続いている。
連休も天気はよくないよう。

晴耕雨読modeで、運動不足は室内移動で手当の予定。
ちょいと腐心する懸案事が幾ばくかあり、寛いでのお休みではないが、それ含めて自己分析も続けている。
行というか、業だな。

工夫は嫌いでない。
ただ、下手の横好きだから 、上手の縦好きになかなか持ち込めない。
手入れでも、修行でも、技術革新でも、言葉は何でもいいのだが、自己満足のできる程度まで、横から縦に起こしていくのが大変。
まあ、爺の手習い、死に土産だから、あまりはりかけないのがいいだろう。

台風も居たくているのか、別のところに行きたいが諸般の事情でいる他ないのか、まあ事情が変わればさっさと他所にいったりもする。
いまのところ大きな被害も生じていないよう。

まずは今日一日じっくりお付き合いしよう。

2015年10月8日木曜日

あたふたアタフタ~♪

ネット、リアル、ともにポータルを縮めたら、ずいぶんとお忙しくなった。

広く浅くああでもないこうでもないと井戸端会議に興じ、情報もあまりその意味も考えずにオーバーフローさせていると漫然と終わり勝ちな一日が、狭く濃く深く考えつつ諸々に対処していると、忙しくも波乱万丈にときが過ぎる。

もちろん、他人様は関わり知らぬことだから、わが脳内で勝手に起こっていることにすぎないということになるが 、それでも地球は回っているか、天が回っているかは、実はいまだ判然としていないので、きっと今日かかわった他人様にもそれなりにバタバタさせたかもしれない。

というのは、わが言動はかつて恋人や妻に「はやく死ねばいいのに」と愛の罵倒をいただいたことのある位に面倒だ。
今日お付き合いした本官さんをはじめ「わが社」の皆さんも、このところcomputer管理が進んでいてすぐに対象者のプロファイリングが可能なので、慇懃にして無礼なんてパターンにもなり易い。
もちろん、権力を持っていれば、逮捕やところ払い、社会的purgeなどtrapも容易で、こちらもフーリガン的な無礼でなく、慇懃な反撃や反問が必要になる。

まあ、年相応な振る舞いができたと自分を誉めてやることにする。

あたふたアタフタして、やっとのんびりと刻を味わえるから、明日もまだアタフタのphaseが予想されるのは、ちょいとつらい。

あたふた半分、のんびり半分が目指すべきところか?

2015年10月7日水曜日

交際術

今日は交際術について考える。

賞罰たいしたものと付き合ったことなし。
沈香も焚かずボワアナールも密やかになもので、チンピラ風のまま。

組織ははぐれ者で、かつ怯懦なもので、結局はマージナルマン。
あんな変人には構うなと敬遠されつつ、鵺の気味悪さで一応知りひとぞ知る。
知らぬ人には面割れされていないから気は楽だが、情報化された大衆社会のスコール的な襲撃はそういうことには無頓着ゆえ、人並みに大変。

最近準お役所というか、実体はお役所そのものとお付き合いして、いろいろと思う。
まあ郷に入れば郷に従えという。
面白くもないが、フィールドワークとしては興味深い。

自然との交際は、ティミッドゆえbehind。
ただ、behindすぎると衰えダメになるから、ゆっくりとお付き合いする。
ペットも自然に近くswitchが入るととちくるい、切れると落ちる。
場合によると、そういう状況が点滅して交流波のようになったりする。
自然災害への対応ではないが、鍛練していくほかない。

時間との付き合いも難しい。
しかし、万人24時間。
平等ゆえ、これも自分で学んでいくほかない。

ということで、けさは交際術の自分を素材にした検討でした。

2015年10月6日火曜日

有縁無縁

ノーベル賞、聞こえていた下馬評外れ。
へそ曲がりゆえ、ノーベル賞もOlympicもワイのワイのいうタイプではないのだが、知識社会学的には興味をもって居る。

その所見はああでもないこうでもないとやらかす余裕はないが、一言いうと、下馬評より今回のような受賞は味があっていい。

さて、イントロも短くなった。
手短は自分でも好きだ。

別にイントロに戻る訳ではないが、ノーベル賞は死人は貰えない。
この賞に縁あろうとすれば、貰える程度に長命である必要がある。
授賞決定されて授賞式までに急逝されるようなケースはどうなるか?
知らず。

つまりこれは知識や時間との縁の問題。
トリビア、例外、蘊蓄に励めば、そういう知識は貯まるが、貴重な時間はどんどん消費されてしまう。
知識との有縁無縁もgateをしっかりしておかないとライフスタイルを誤る。

ところでプロファイリングから人にまなぶ、真贋鑑別心眼鍛練に移ることに方針転換した。
まず好き嫌いや批判は置いて、適度な傾聴に重点を置く。
適度な時間管理、ストレス調整、落語を聴いたり漫談を楽しむ程度のhumorの余裕があれば、自分の生理的嫌悪や思考バイアス、その他を越えてハンドリング可。
もちろん、SNSで図々しくもスパイするために「友達」申請してきたり、スパムが飛んでくることもあるので、そういうのは上手に身をかわす。

最近の自分の傾向は、自分より高齢の知己も、たまに構いにいこうかなと思うことあれど、難しい面あり、言ってこない限り、いじらなくなってきている。
若いひとも構ってみて、いま自分が年上に感じる面倒さを感じさせるのも、なんだかなあと思うので、距離を取ることにしている。
また、変に甘えられても、そういうのはあまり好きでないので、そういう意味でも距離とり気味だ。
年関係なく、企画振ってみてダメそうな方々、組織、それはマッチングよくないんだねということで、これも早々に見切る。

いろいろとあるが、有縁でよかったこと悪かったこと、無縁でよかったこと悪かったこと、紙一重で微妙。
鴎外の「雁」で示唆的な、下宿の料理にさばの味噌煮が出ることで、人生は大きく変わる。
忸怩たる人生をいきながらえてきた自覚はあれど、まだ棄てたもんじゃない。

ゲームセットまで有縁無縁をアプリシエイトする。
後のことも気にする方だから、それも気にしながら。

2015年10月5日月曜日

不思議な不思議

まあ生きていること自体が不思議。
みんな遅かれ早かれ死んじゃう不思議。

個体、集団みんな違うようで似てる。
似てるようで違う。

そんな根本的な成り立ちの不思議を思えば、あとはおまけのようなもの。

それでも、いつものようにあげつらってみる。

ブサヨとネトウヨから揶揄されるサイドの人々。
官邸のサイトその他に口汚い書き込みをいやほど書き込む。
まあ、思想信条の自由、表現の自由の範囲のうちならば、ヘイトスピーチ的な下品さは気持ちよくないが、勝手にしたらとしか思わない。
ただ、捨てアカならば、やり放題と思っているところがお目出度いというか、無知蒙昧。
ちゃんと身元までたどることが可能なことがほとんどだから、匿名なら大丈夫どころか、要注意活動家として公安の名簿作りに協力しているようなもの。
そういうところに頭のいかない不思議。

某医師のSNS書き込みに不思議。
妻が悪性疾患を得て、医学、医療、医療機関の狭間で苦しんで亡くなり、その矛盾を独白もしていたのに、根本的なところで直視しない。
車に、音楽に、何々にと誤魔化し、錯雑なお勉強成果の開陳、自己宣伝に怠りない。
あなたと同じ思いをする人々を拡大再生産するのではという自己省察、反省はないのか?
と問ったところで、肝のところは鉄仮面のようにペルソナに食い込んでいるから、無駄のよう。
しかし、ほんの少し前は、根本的な問題提起や自己批判の意義を少しは留保できる時代でもあったが、いまやそういうことも困難な時代になり果てたのか?
個人、社会の不思議。時代の不思議。

他方、虚飾や自己欺瞞では乗り切れぬ厳しい時代に突入しつつある。
その最先端をいかねばならぬネット知己の怒り、憤りを読む。
まあ様々な足枷に拘束されてきて、体制が追いついていないという現実がある。
他人事っぽい口調としかられるかもしれないが、しっかり怒って体制がためが一歩でも進むよう期待したい。
可愛いお子さんの写真を見ると、強くそう思う。

NYに飛んで戻った辛坊さんの話。
どこもかしこも戒厳令mood、mode。
テロリストの跳梁跋扈する中で世界大戦の予兆もなくはない。
 なにが起こってもおかしくない時節に、スマホや携帯をにらみながら歩く人々。
不思議な不思議な光景ではある。

2015年10月4日日曜日

便りのないのはよい便り?

プロファイリングについて延々と考え続けている。
プロファイリングに相対性原理、観測問題を意識すれば、相手のことだけでなく、プロファイリングをしようとする己のこともしっかりと腑分けして総合せねばならぬ、というところまではきた。

ところで、このところの情報社会、溢れんばかりの情報が押し寄せて来るが、その処理が難しい。

わが現phaseでは、情報の間口を狭め、玉石混淆真偽不明の交通整理に腐心している。
難しいのは、そこいら辺りが容易でないことだ。
定点観察して、やっとこわかるとことがほとんどだ。
最後の最後まで得心しがたいケースもある。

長時間をかけて、玉ねぎの皮剥きではないが、結局空っぽだったのかとわかることもある。

また、人生は一度で短い。
結婚だ、親子だ、自分の故事来歴だとなると、棺桶に片足を突っ込んでやっとあぶり出しのように関係性が見えてくることもある。

長いイントロになったが、あまり賑やかに構いに行かないで情報を吟味しているときに、便りのないのはよい便り?かと自問してみる。

死にかけてる、死んだなどと必ず伝わってくるだろう関係ならば、それは当たっているだろう。
究極のそれは亭主元気で留守がいいだ。

もちろん、そうでないこともある。
特に災害や、平時でも失踪などで、連絡も絶えて、実は無明の向こうでは、こんな悲劇、無惨ということもありうるので 、この諺言も必ずしもこう言い切れるわけでもない。

そういうことも踏まえながら、それでもしっかり生きているらしきことはわかっているが、連絡がない。
これはご縁がなくてそれでめでたいのだな。
こちらもその方が楽だ。
そういうところがいまのところ実に快い。

2015年10月3日土曜日

メタプロファイリング

確か昔読んだ丹羽文雄氏の「小説作法」に書いてあったことだと記憶しているが、小説を書こうと思うぐらいの人間ならば、相手が自分にどうしたこうしたときに、なぜそうするのだろうと根問いする資質が必要だという。

確かに、これは大事だ。
やなやつだ、おだててくれて有頂天だけなら、小説にはならない。

小説作法を読んで、己には小説を完成する能力のないことはよくわかったが、プロファイリングの重要性はいつも感じている。
このところ考えているのが、メタプロファイリングだ。
プロファイリングは、相手の言動をウオッチングして、丹羽文雄さんのやれとおっしゃる根問い、とことん検討をするわけだが、その手段は己という鏡に相手を映し、己のフィルターを通して相手をスケッチすることだ。

当然、こちらの能力、リテラシー、価値観、感情移入、感情転移その他もろもろ全てが出
る。
つまりは、見ることは見られることだし、ラベリングすることはされることだし、先般も書いた観測問題、つまり相手に影響を与えるインタビューなどならば、当然そのこと自体が相手に影響を与える。

つまり、このような相対性原理的な機微を踏まえながら、自己省察を加えながら作業しないと大きく間違える。

ということで、某先生、某先生、某先生、、、、その他みなさんごめんなさいね。

2015年10月2日金曜日

変化の中を生きる

SNSで医療者知己の「特養増設計画に問題あり」と銘打ったネット医療ニュースの紹介を読んでみた。
久しくその会社のサイトに入るIDやパスワードを忘れていたので、ああでもないこうでもないと探して、やっとこ入った。
特にどうしてというニュアンスが読み取れなかったので、どの点が問題とお考えか?と知己のコメント欄に書き込んだが、時差がありすぎたのか教示は受けていない。

ところで、さきほど嵐のような天気の中で立ち寄った喫茶店で、これからの特養に限らぬ介護や医療のresourceの難問について書かれている地元紙の記事を見つけた。
郡部の施設は、過疎化で施設に空きが出てきて維持が困難で、都会から利用者にきてもらって何とか維持を図りたいと動いているといった話。

むべなるかな。
いまはこうだけれど、これからの流れで必ずこうなりそうという、実際にこうなっているという急峻な流れは、いまの時点でみえみえ。
同時に、そうなれば、人々はどうするだろうこうするだろう、いやそんなことはせず、逆にこう動くだろう。
きっとこうならざるを得ないという動きと、不確定要素で逆になってもおかしくない可能性と。
国や地方公共団体も、財政的に余裕があってやっているわけではないから、無い袖は振れないと、潰えるものはしようがないと腹をくくっているかの本音が見え隠れするところもある。

特に、たとえば田舎が必死で都会から人を呼び込もうとしても、実際にどの程度都会の行政や当事者とマッチングがうまくいくか?
もちろん、やってみないとわからないところがてんこもり。

また、ときが過ぎ、田舎にせよ都会にせよ、箱ものもマンパワーも余るとなれば、手仕舞の準備というか、縮小の算段をしつつ動かなければならない。
そういう事業の難しさは医療や介護に限らないが、上手にやらないと大変だ。

そういうことを思いながら、新聞を読み、お茶をのみ終えた。
外の雨の風景も転々と変わるのが見える。
こういう時代に生きているのだという実感をより強くした、嵐の日。

puddingは食べてみなければわからない~♪

昔、高名な哲学者の本で出会ったが、欧米ではそれほど珍しくない諺らしい。

食べたことのないものは、落語の「ようなもの」であり、実際に食感もなにもわからない。
もちろん、食べたからすぐにわかるというわけでもない。
好きになってか、仕事でやむなくか、頻繁に食べていると、varietyやTPOもわかってくる。
逆に、その頃には初体験を忘れてしまったりする。
わかるというのも難しいものだ。

コンサルで、まだ食べたことのないpudding、辛子明太子、その他いろいろアドバイスする。
人間すべてを経験して他人様に関わるわけにはいかない。
死刑囚に人生を語る教誨師は、人をあやめたことがないのが普通だ。

今日は新しい月に移行して、食ったこともないこともない、アドバイス等ではさんざん関わってきた類いの当事者としての初体験をした。

こういう自分が当事者となってフィールドワークしてみないとわからない初体験を、人生を半分降りたと実感している季節にするとは思っていなかった。

もちろん、うれしいだけでなく、肩の荷を重く感じる部分もある。
VWのようにB勘定のエンジンを載せて走っているわけでもなく、そんなダブルトラックにtrickできるsoftを作る能力もないが、やはりコンプライアンスはうるさく、管理社会化が進む一方の現在だ。
養老先生は、一人称の死は本人には関係ないとおっしゃるが、できれば生きて迷惑という排気ガスをさんざん排出してきた我が身なら、できるだけ死後も増幅させたくはないと考えるのが、死者予備軍のノブレスオブリージだろう。

ということで、ネオンサイン、ミラーボールのキラキラするノイジーな秋に、月見団子ならぬ初pudding。
肉を詰めて膾を吹く。
puddingもそろそろと吹きながら味わいはじめ。

2015年10月1日木曜日

インタビューのコツ

壇上で、「武士の情け、最後ぐらいちゃんと聞け」という風な啖呵を切ったとニュースで知った。
しかし、大分前のテレビかなんかで反対意見の論者とディベート風をやっていたのをyoutubeで見ていて、そんな大上段に言えない風のうなずきもしていたのを知っていたので、ああこれは晴れの舞台での芝居だなとすぐにわかった。
新聞やテレビしかない時代ならこれでも通ったかもしれないが、いまはライヴ中継、アーカイブ、それを指摘するネット住民。
すぐにばれる。

それでも、人は演技することをなかなかやめられない。
その時その時の立場、打算、気分、作戦等々いろいろな要素を抱えながら言動する。
よってインタビューは難しい。

立花隆さんは取材の前に、入門書、専門書、論文等を相当数読み込んで、かなりのリテラシーを身に付けてインタビューに臨まないと効果を上げられないと書いておられた。
氏に限らず、誰でもそうだろう。
本当は、ビッグネームに当たる前には、相当人数の事情通に当たっておかないと、ビッグネームのマジックに引っ掛かってしまうかもしれない。

継続的に肝試し勉強会に参加しているが、これは前記のような下ごしらえまったくなしのぶっつけ本番。
やみなべ風だから、下駄も出れば、サンダルも出るが、そのときの顔で人格のかなりの部分が出る。
実に面白い。
自分の馬鹿さ加減を楽しむ。
復習でそれを味わうと、ちょっとだけバカにつける薬になる。

ところで、インタビューには、観測問題が入る。
問い詰めれば、逃げたり、開き直ったり。
こちらへの精神分析でいう転移現象も出る。
そういうところに配慮しないと、良質のインタビューはできない。
TPOは大事だ。
縁がなければ、それで終わり。
そういう意味では、ホンに一期一会ということになる。

2015年9月30日水曜日

こんにちは~♪

偶然BGMにしていたyoutubeに、石原慎太郎と堺屋太一がBSフジで並んでいる最近のアーカイブが出てきたので、耳を傾けた。

東京オリンピックを中心に、過去の東京オリンピックのepisode、そこから社会変化、政治、文明論と面白い論が展開してゆく。

ここ半世紀で文明はおおいなる「進化」を遂げたが、それがありがたいことかどうか?
ITによる管理社会化が究極化しているばかりで、少々野放図にやってもいいじゃないかという余裕がなくなり、沈香も焚かずなんとやらで、生物、動物として生まれてきた醍醐味に乏しい。

こんな前振りで、こんにちは~♪こんにちは~♪の話。
Olympicの話を続けるわけではない。

機械による管理との付き合いかたである。

SNS、closedなメルマガ、その他いろいろID、パスワードで誰何される。
machineも性格いろいろ、働きいろいろで、いままでパスワード覚えていて自動で入れていたのに、急に入れろなどという回も出てくる。

そうなると、機械によるsystem管理がなされている大審問官様のcheck、検閲をまさに上手くパスせねばならない。
これがマーフィーの法則で、うまくいかずゴテることが多い。
そうなると、一からやりなおし、下手するとpurge、永久追放となったりする。

ネットバンキングなんぞは、自分の預金をしっかり守ってくれているんだと思い、紙媒体で書類を出し直せと言われても素直に応じ、この預金を貴重情報やプライバシーと読み替えればSNS等も同じではあるものの、面倒なことよとゴチることが少なくない。

短時間に焦って再設定のために、ハイパーアクティブとsystemにお目付けされると、よけいドツボにはまるので、そういうときは暫く干す。
system様の疑惑や勘気が解けたら、おずおずと再挑戦する。

堅気としては、そうするほかなし。

斯くして、口ずさむのは、こんにちは~♪の次は、だってしょうがないじゃない~♪ってことになりまする~♪

2015年9月29日火曜日

散るぞ哀しき

単なるネット知己ではない。
彼のblogを読み、そのうちやり取りが始まり、実際に呑み、歌った。
真面目に生活から社会、天下国家、出自まで、特にこれ以上に根掘り葉掘り聞いておかないとと焦らない程度に、わずかのリアル機会だったが共有の時間を持ったこともある。

彼の写真を拝見した。
眼に入れても痛くない愛嬢の写真。
僕がぽにょ子を猫可愛がるように、デレデレ。

ここで話は飛躍する。
散るぞ哀しき。
漢字はちょい替えた。
解説は細かくしない。
詳細は、梯久美子さんの「散るぞ悲しき」を読んでいただきたい。
実に家族に情の厚い指揮官が、大本営の馬鹿どもがと思いつつ、命を懸けて闘って、マッカーサーにも、クリント・イーストウッドにも、梯さんにも、青山さんにも、総理にも、ただものでない至誠と感動させた足跡が、いまの硫黄島に残っている。

この時期ゆえ、心ある人々に読んでいただきたい。

ムーンフェイス

スーパームーンらしい。
初耳だったので、らしいにとどまる。
小学校高学年で日の出の観測を女先生に命じられ、sketchや角度の測定をした頃で、天文とのお付きあいはほぼ終わった。
高校で地学を教わったが、多分興味が乏しかったのだろう、微々たる知識を得ただけで終わった。

ということで、今日もにわか天文ファンにもならず、ウロウロしたりはしない。
たまに、月や太陽を意識したときは、チラッと目をやり、天空に想いを馳せる。
今日も月は拝んでいないが、不思議は感じている。
スーパームーンであれ、オーディナリームーンであれ、月は結構でっかく見える。
ところが、地球をサッカーボールにたとえて、月との距離や大きさで比例させ、自分の元にサッカーボールを置くと、月は遥に遠く小さすぎて見えない。
そんな、遠さ、大小なのに、天空ではあんなに大きく見えるのか?
天文学、物理学、数学、生理学に精通しているご仁に遭遇できたら聞いてみたいと思っているが、死ぬまでに会えそうな予感はない。

こういう俗人的疑問は、実は非常に重要である。
今日はドクター師匠の講義を若いひとと肩を並べて聞いたのだが、学生さんに振られたここに座っていて東西南北はどっちとどっちだのご下問。
地頭偏差値の悪くない学生諸氏にも、勘のいいのと悪いのと、当たるのと外れるのvariety豊か。
実は、これは大事。
実務家で、これを間違えると危ない。
わが方向感覚も鈍く間違えやすいが、ひとつだけ自信のあることがある。
それはその弱みの自己認識が身に染みていること。
したがって、必ず逆張り、ポートフォリオ、確実なディテクションも加味するから、そう大きな間違いにはまってしまわない。

話は、勘の話に流れたが、SNSでの話題。
あるドクターが、健診で肺がん疑いのご婦人の相談に乗った話題。
そのご婦人は、2枚の写真を見た某Drから、2枚は人違いで云々と説明をうけたという。
相談をうけた書き込み先生は、この写真を加工して、スーパーインポーズして、同一性を検証したという。
この記事に、わがネット「友達」の健診専門医は、コメントで、健診領域でも複数の写真を差分解析して、変化を分析する専門手法があることを紹介していた。
教授が、いくら学生さんに東西南北の見極めの重要性を説いても、勘は間違う。
そういうときに磁石やGPSは便利で重要だ。
もちろん、機械も誤作動誤表示があるから、勘が鈍くてよいわけではない。

スーパームーンのように福々しいお顔の方に遭遇して、これが生まれついてか、この頃急に健啖家になったのか、あるいは病気や服薬でいわゆるムーンフェイスになったのか、いちげんさんではわからない。
過去現在の写真を比べたり、スーパーインポーズして、骨の形も変わっていないか、ボロボロになってないかなどの検討も必要になってくる。

月を想い、丸顔への連想に進んだ今日のミニ回想記。

2015年9月28日月曜日

秋の味

外回りの帰りに寄ったスーパーで、日頃はあまり手のでない果物を購入した。
秋たけなわで、特にセールなどと銘打っていないが、実にjuicyそうな柿、梨、りんごなどが並ぶ。
思わず手に取り、カゴに入れた。
旬の瑞々しさとリーゾナブルなお値段。
やはり季節に沿ったライフスタイルがいい。

午前中の雷鳴と窓を叩きわりそうな驟雨も極々短時間で終わり、午後は秋色の庭遊びに興じることができた。
繁茂していた野草も疎らとなり、色も落ち着いた秋色である。
そろそろ冬支度が気になるお彼岸過ぎ。
秋のたわわな果物を並べて眺めている。

さて、果物はオブジェとして眺めるのもいいが、難しいのはお魚。
置いておけば生臭く、焼けば煙が大変。
最近は、そういうネックに対応する調理小物も出ている。
下ごしらえ、タイムキーピング、その他すこし面倒でも、気をつかえば、ひと手間ふた手間を惜しまなければ、まさに上手く料理できる。
あるジャンルで、己を猿と見定めれば、毛の二、三本ずつでも増やしていけば、知らぬ間にまずまずフサフサしてくる。
自分でいただくのだから、下手の横好きでも、好きこそものの上手なれでも、毀誉褒貶は特に気にしなくともよい。

BGMにしているyoutubeでは、旬を過ぎた古老の司会で、すでに成立した立法談義。
化石化したMCに、常識派を第五列らが挑発、おしゃまにプロパガンダする構図。
ある程度のリテラシーあれば、ちゃんちゃらおかしい小田原評定ではあるものの、これが我が国のいま、もしかしたら伝統かもしれぬところが切ない。
切なくとも、秋のメランコリーに親和性も持たず、まずまずの積極的ニヒリズムに身を委ねられているhappiness。
久しぶりに交流した身近な先に送り状の説明書でもメールしようか。

2015年9月27日日曜日

お庭でピョコピョコかくれんぼ~♪

母親役がえらく吠える。
何か異変があったかと耳を澄ませるが特に異状は感知せず。
しばらくでおさまった。

何十分かすると兄貴分がドアのそばでソワソワ。
ちょうど部屋を出る用事ができたので、ドアをあけると、末っ子のお転婆がポーカーフェイスで入ってくる。

何かの機会に部屋の外に出て、るんるん一人遊びしていたよう。
お転婆だけでなく、肝も太い。
もって生まれた素因か、末っ子で育った短いながらも生育歴によるものか。
そんなことは誰にもわからないが、こういう性格の子との遭遇ははじめてだ。
なかなかhappy。

こういうほのぼの前振りの後で、無粋な話だが、ストラグルの話。
著名法人と著名幹部の懲戒解雇問題。
ともに個性の強い当事者の、単なる労働問題でもない、ヘゲモニーの握り合い色の強いという意味では広義の「政治性」を帯有する少々変わった事件である。

ここで個別具体的に論評する立場でないので、別の視点からの言及。
それはなにかというと、「ナンバー2は必ず消される」。
母校の政治思想史の教授であられた勝田吉太郎先生が、「諸君」に書かれた論文の表題。
手短にいうと、ナンバー2は必ずトップの目障りで、忌憚に触れ、路線闘争等々でトップにpurgeされるという内容。
確かに、最近でも北朝鮮の青年領主様のおじさんが壮絶な処刑されたといわれる事例があった。
毛沢東の側近周恩来のように無難に天寿を全うする例は、共産主義国家などでは稀有といっていいだろう。

切る方も楽でない。
ヒトラーも暗殺未遂は一桁ではすまなかった。
ナンバー2でもpurgeされるくらいだから、しもじもだってアンチパシーは醸成される。
習近平氏も政敵の暗殺に非常に警戒的に動いている話が飛び交っている。

個人がクーデター的に暗殺されるだけでなく、国家や組織の崩壊の危機ともなる。
今回の懲戒解雇事件も、プロファイリングする材料は、いずれと思わせる形でずいぶん広がっていたが、人生も、組織も、まさかの坂はどこにでもある。
決めつけずに見ないとわからないこと多々である。

2015年9月26日土曜日

今日気がついたこと~♪

伊集院光氏の「深夜の馬鹿力」は、翌日のyoutubeで必ず聴いている。
ライブにも聴こうと思えば聴けるが、楽曲のカットでコンパクトにトリミングされ、stopやrefrainが可能な翌日アーカイブが助かる。

冒頭に、「今週気がついたこと」を開陳してくださるのだが、落語家出身、コラムニストも巧みにこなす芸人、実に面白い。
ドロップアウター、鬱親和的なキャリアをバネにしているだけに、自己諧謔を駆使するユーモアとペーソスが小気味よい。
それが毎回小旅行記や趣味実践譚などの形で語られるわけだが、ご本人の乗っかっておられる業界の事情も、辛口にリビールできるギリギリでいじることも少なくなく、教えられるところも多い。

わがキャリアは、このような芸能に欠けるはもちろん、守秘義務その他でアンタッチャブルなことも多く、なかなかこのような手法で語ることは困難である。
まあ、それでも、今日気づいたこと~♪を語ろう。

虚空に吠えるような部分、trafficが多くて翻弄されるようなネットライフスタイルから解放されて、非常にカンファタブル。
リアルライフも、関係者と腹蔵ない意見交換がしたいと温めておいたQ&Aもやっとというか、タイミングよく解決し、ずいぶんとスッキリした。
やはり、隠忍自重がばっちり効いたと思う瞬間は自分史へのボーナスである。

さて、以上を少し長めのイントロにして今日気がついたこと。
SNSの数少ない「友達」の書き込みは、特にない。
これがいい。
両名とも恙無くやっておられると推測。
そのお一人がコメントしている結構有名なprofessorが、病名は定かではないが、入院とか。
少壮でクレバーな研究者であっても、歳を重ねれば生老病はshiftしていく。
自分で書き込める位だから、状態はそれほど悪くなくラッキーのうちなんだろうが、ここが各人、組織、社会、国家の妙。
むやみに不安症強迫症に陥ってもつまらぬが、やはり自他ともに仏陀の慧眼はアプリシエイトしておいた方がいいと推奨したい。
まさかの坂は、実はそれほどまさかでないことも少なくない。
本人が気がつかないというか、気がつきたくないために。

病気も偶然、必然いろいろと議論はできるが、個人的にも、集団的にもプロファイリングはできる。
異様にダボ、雑食健啖、多重人格的でギラギラ、平気でタカろうとする、何事にも浅く丸見え。
個人的にも、集団的にも、聞きしに勝る怪異醜悪さ。
実際に不思議と思いつつ温存してきた疑問符が、ジグソーパズルの完成でしっかりと理解できた。
まあ、彼らのような部分、別の形で己の中にありとも思えど、絶対にああはならぬという自己認識も再々自己問答するが、まああんな感じにはならないな。
他山の石。

さて、あらまほしは、ほのぼの話題。
お忙しそうな「友達」武人は、子煩悩。
自分の若かりし頃を思い出す。
ふたまわり目のわがコッコは、人間ではないが、幼弱個体というのは普遍的に可愛いと思う。
自分には稀薄になったエランビタール、生の躍動が伝わってくる。
これがいい。
一瞬一瞬が新しい今へのチャレンジであり、学習である。
もうこういう形での己の生はないという自覚と、ただひたすら新を味わうコッコらをかわいく思う想いが交錯する。
実にhappy。

2015年9月25日金曜日

let it be~♪

ネットへのスタンスを変えたお陰で、ずいぶんと動きがスムースになった。

ここに列挙してみると次のようなこと。
第1に、trafficを良質なものにsaveすることで、読みやすくわかりやすくなった。
かかる時間というか、アプリシエイトする時間は変わらないが、焦点をしぼると不本意な関与、無駄なstressが減る。

第2に、間口を狭くして、かつ深くあるいは広く浅く渉猟してみると有り体のところにバチっとはまる。
今回の新機軸に至ったepisodeも、そこそこの伏線があって、従前からどうも違うというテイストが続き、閾値に達して一気に排膿というパターンで成る程に至ったのだが、反省点は少なくない。
セクトカルトごろつきはどこにでもいて、その違和感を解消するためにぶつかり稽古するのも悪くないが、リスク、時間、手間、無駄を考えれば、さっさと情報収集してしまえばまあ間違いのないだろうの俯瞰図虫瞰図を得ることができる。
今回も某板でどういうわきかたをしている人間関係かと見れば、ずばりこりゃおぞましいと一目瞭然だが、自分の五感第六感で当ててみたいという志向がチョイと災いしたかも。
勿論、こうは思えど、二次情報よりも、自らの生の体験が貴重で全てに省力発想するのは、実に危険とも思っている。

第3に、ネットだけでなく、何についても、じっくり考え、あるいは手足を動かして一時はすっかり忘れないと、アディクション的に振り回されるは、表層的なあるいは教条的な思い込みに苛まれる危険が大。
昨日縁切れしたご仁にも、そういう違和感を深めたが、他人様のことに違和感を抱いたり心配するより、自分の似た頭の上の蝿を追わなくてはならない。

斯くして、われは随分と自由になったが、もうひとつポイントがある。
読み込みを絞った上に、書き込みも最小限に絞った。
どうしても言っておきたいことは書き込むが、他人様の目もあれば、先様の自由度の問題もある。
従って、このように自分のblogで言及しておけば、ご縁があればつながる、なければ繋がらない。
それがいい、それでいいのではないか?

医療者のネット知己が、友人の治療費問題で、今後の財政問題をからめて、制限的方向な流れを已む無しのニュアンスで応えていたが、こうでない頭が化石化したご仁は唯我独尊でこちらもつまらぬアジや嘆息に付き合わされる。
そういう意味で、交流ゲートを絞り往来を良質にすることは、環境整備に重要。
介護の離職率問題もシェアされていたが、単に経済的問題だけでなく、虐待などにみられる仕事そのもののやるせなさ、難しさがあるだろうと、ここにコメントする次第。

浮いた時間をネット環境の整備や手足を使った掃除その他の家事作業療法に使い、肝のお付きあいには真剣勝負に臨む。
ホマチ金あさりを2ちゃんねるにキモいと嘲弄されるなど、われには想像外だが、現実にはあるのだから他山の石にせねばならぬ。

狭いfollow範囲だが、たとえばFacebookとTwitterでfollowし比べると、同じ人でも微妙に発受信が違う。
followするに足る人をfollowする、これ原則。

まあlet it beが好きなので、当面この方向で進む。
happy & exciting~♪

2015年9月23日水曜日

プロファイリング、あるいはいいことに気がついたね~♪

ネットでフレイミングというほどのことはないのだが、ちょいとした経験で、これまたずいぶんと気付かされることあり。

あるSNSでclosedなサークルを作って結構手入れしていた。
まあテーマは仕事類縁で、必要と思う際は場外でアドバイスしたり、情報交換もしていた。
closedと管理の趣旨は、systemからは見え見えでも、フレイミングや情報拡散散逸をおそれて議論が進まなくてはとの想いで、あえて障壁を作り実をあげたいというところにあった。
当初は、ちょいとした社会問題についてインターフェイスもしたいというのもあって、割りに真面目に議論しているメンバーには壁外でも丁寧なやり取りが続いた。
社会問題はデリケートなテーマだったので、ディベイト風の議論にはならず、ここで示唆的に書き込んで読んでいただくという流れであった。
同じ活動されていても、もうひとりは科学哲学ノートを読ませていただき、さすが基礎科学系だなと感服することもしばしば。
ちょいと饒舌すぎるというだけでない変わったパーソナリティーと感じさせられるメンバーもいて、適宜はぐらかした対応をして推移していたのだが、今回ちょいと方向転換した原因となったsiteのご一統さんというかお仲間、コアメンバーのよう。
特に詳しいプロファイリングをしたわけではないが、ちょいとfighting風になったおっさんとさも似たり。
このおっさんのアーティクルをみたら、わが情勢渉猟とほぼ似たりの情勢分析と変わらぬ、結構穏当なもの。
ただ、このおっさんもよくは知らぬが、紆余曲折あっていまの境地に達したようで、ときにムチャクチャな形の問題提起をされたりで、なりわいだけでないscarが残っているよう。

わが作法は、そういうこと頓着せず、リトマス試験紙をポンと置いてみるので、反応の激しいときは、こういうことも珍しくない。
別にイタズラっ気というより、それが一番のプロファイリングの手法と思っているので、まあ琴線が逆鱗には、反応が私という鏡に映った相手の影だからやむを得ない。
但し、本当に病的な被害妄想などお持ちの方は、構うとエスカレートすると危ない。
自分だけでなく、世間様を騒がせる、ご本人の病状を悪くする。
よろしくない。
禁忌である。

さて、議論も生産的でないと見定めたclosed circleだが、解体の後に残した細い糸とそこに繋いだ豊かな情報空間で、一段と動きがしやすくなった。
そこにはこのblogも細く繋ぐつもり。

更に、わがネット知己の猫持氏のされているように、このようなopen空間で気を使いながら意味深長に書きつらねるより、ホンに気のおけない別途の場で、淡々と独白するのは 、これまた快感。
自分の秘密の東やとしてボソボソとclosedに語って行こう。

自分がこういう風だと自覚する深度が深まれば深まるほど、実に気持ちがいい。
ホンにいいことに気がついたね~♪

すっきりすきすき~♪

スマホにも、タブレットにも、すっきりと入っていたスカイプが、PCにはうまくダウンロードできないで膠着していた。

それが、あるPCにだけうまく落ちてきた。
これを各PCに持ち回りと見事全てのPCに移植可能となった。
しぶとく食い付くのが大事と悟る。

これとは逆に、ネットで自分の営為がムダというか、続けるとminusにしかならないと痛感する出来事があったので、さっそく新機軸に転じた。
失礼にあたる向きもあるやもしれんが、まあそうでもないとか、こちらが思うっているほど他人様は気にもかけてないとかいうのが如実にわかるエピソードでもあったので、心当たりの方には釈明のひとつもしたいが、多分それほど濃い自覚の方はおられないかもと。

実はわが敬愛かつむちゃくちゃゆえアンタッチャブルの猫持さんもハブとなる所ひとつ残し整理された。
その顛末もよく知るが、賢明と感じた。

ということで、わかる人にはわかり、わからぬ人にちんぷんかんぷんのああすっきりした談ではありました。

プライミング

Skypeの次にGoogleのハングアウトの自前通信を試してみた。
Skypeの世界的なトラブルがあって、そういうことの考慮もしてハングアウトも自家薬籠中にという思惑もあるのだが、モノは複数ないと比較もできない。

やってみると、最初はなかなかうまく行かないが、なんとか通信できるところまで行った。
あとは毎日の バットの素振り、バッティングセンターでの鍛練程度で、草野球のバッターボックスには入れそうだ。

別に電話会議の予定はない。
若い子が遊んでいるような使用法も趣味にはしない。
たまに業務に使うことはあれど、特に予定があるわけでない。
しかし、現在の自分のresourceとしては、非常にベイシックで、かつ重要と踏んでい
る。

ちょいとわけを語ろう。
あくまでわがコミュニケーション論ということだが。
第一に、十分な理解には顔つき、絵面の印象が大事だ。
まあ、五感第六感駆使するには、それでも不足で、医事法制でも対面診察が基本に課されているわけだが、せめて動画的把握は必須である。

第二に、だからと云って、拙速にビデオチャットは不適切。
メールや静止画像、あるいはリアルの人間関係で、一定のプロファイリングができていないと、遠隔画像コミュニケーションというのは、ミスリーディングが入りやすい。

第三に、ここいらが上手にできると、わざわざリアルで会って残念~♪とguitarを掻き鳴らす必要もなくなれば、もっと前にメールや手紙で、その先のビデオチャットもomitできる。

つまり、このようなpolicyで行くと、ビデオチャットなんてのはよっぽど親しい交流者でもいない限り、そう使う代物でもなくなる。

したがって、複数IDを公認されているSkypeやハンドアウトを使って、野球選手なら基本の素振りやノックに相当する自己間通信に励むわけだが、これが各PC等のメンテにも効く。
通信機能とワープロ機能の始業運転、メンテ作業にはピッタリなのだ。

斯くして、ネット対応も、表面的な動きに右往左往するだけでなく、本来の貴重な稀有なプライスレスなレベルの交流にオサオサ怠りないつもりなんだが、現実はきびしい。

昨日も某SNSで「友達」リクエストがあった。
スパム、フィッシング疑いは即rejectするのだが、そうでもなさそうと一応応諾して、二段階目のcheckに。
特にクレイジーとも思わぬものの、自己愛的な過去ログの下に、ファンタジーっぽい書き込みがずらっと。
古いそれらの書き込み見て、やはりこれはお構いできかねると「友達」はずし。

斯くのごとく、スパム比率同様、この世は深くお付き合いできる関係が醸成される確率は微々たるもの。
まあ、特に使わなくて済めばそれでよしの保険のような側面あるツールで、環境整備できればそれもよし。
いまのところ日々の営みの一部になっている。

2015年9月22日火曜日

miscellany

まあ休みったって、特に何の計画があるわけでもなく、驟雨がときどき襲ってくる空模様ゆえ、晴れ間に庭遊びで運動不足の解消を図る程度。

こういう日が続くと、冷蔵庫の、食品棚の棚卸しには最適。
あえて頑張って在庫一掃を目指す。
調味料その他そう簡単に使いきるわけのないものは、期限切れを捨てる。
しかし、貧乏性でどうしても果敢にはできない。

リアルワールドでは、モンロー主義ではないが、あまり濃いコミットメントはこちらからは企図しない。
進むところ、熟成するところを無理せず流れに任せる主義にしているので、ちょうどよい。

ネットでは 、スカイプのスタンバイを日々check。
LINEは、systemに危惧感持つのでオフリミット。
テイスティングしたことはあるが、勝手に他人様が一丁噛みしてきたり、ノイジーでリスキー。
スマホやタブレットの本来的機能とスカイプのビデオチャット程度で十分。

ネットは、いろいろと思うところはあれど、ハンドリングは容易ではない。
一番は自家中毒。
狭い発信に溺れたり、漫然とした情報検索は、ケトン体を増やしてしまう。
アタッチメント、ディタッチメント宜しきを図るバランス感覚が必須。
このところ目配りよくいけていない不全感強し。

二番目は、他人様に教えられるところ。
まあ、老若男女、上下左右、豪柔長短その他属性は置いて、これはダメだなというモードは自分には禁忌にして、せいぜいwatchingする程度にする。
特に気を付けるべきは、自意識過剰を越えて被害妄想っぽいありようには気を付けた方がいい。

rssrリーダーでfollowしている某doctor。
出身校でスタッフにいじめられたとスピンアウトした方で、その辺りの怨嗟の念も少々度を越したレベルなんだが、その他の言動も尋常でなく、自分の方を見た子供がどういった、若いおねえちゃんがこういったと、精神科医でなくとも妄想噴出のわかるレベル。
シゾフレニーはまずまちがいないが、この程度で治まればいいが、、、、。
長崎の初代教授もミイラ取りがミイラになって、米留学時に被害妄想から人を殺めてしまった。
生物学的な理解ならピントはずれと云われようが、少しでも分析的な目で見れば、人間の自我肥大、それに伴う被害意識の肥大は誤想防衛を生むからむつかしい。
今回の政局も、理性的にマヌーバーしている意識のある連中はわかってやっているわけだが、その操作によって舞い上がって頭のつむじをグルグル回しすぎの連中の言辞には危険なものを感じる。

先日のことだが、素朴につきあえると思っていた知己が、来いというので行ったら、かえれという。
こちらは、血中酸素飽和度を下げるほどに駆けつけたので椅子で小休止しているのを追いたてる。
一生友達でと握手を求めてきたご仁なれど、彼の限界はよくわかった。
以前からA型のいいふりこきは気が付いていたが、ちょいと正直な所見をいい募られると ビビるようで、実にけつの穴が小さい。
自分の他人への体面を危うくされると感知すると、斯くのごとく酷薄。
その上で、自分の頼みたいことは維持的に変えない。
あっ、これは俺の友の概念には入らないと、黙ってomitすることに。
全て慇懃無礼かつ欺瞞的威圧的に解決しようとする団塊っぽい要素も入っているかもしれない。

三番目は、質の向上。
ちょいと上質とみてfollowしてみると、冗長なだけだったり。
他人様はかたくなだと批判して、そのうちご本尊がそうだとわかったり。
これは他人事ではない。
己が最も注意すべき点。
マルクスが経済哲学手稿で、愛は愛としか交換できないと喝破したとおり、真善美はそれ相応の真善美としか交われない。
水魚の交わりを欲するなら、畳の上の水練からでも学ぶことは必須。

ワンコらは、安易な安心を許さず。
気を抜くと、エントロピーは大きく広がり。
うまくない叱責は、見えぬところにゲリラ的犯跡を残す。
当面ここがわが主戦場である。

2015年9月21日月曜日

わかるということ

連休ということで、いろいろザッピング三昧。

新聞テレビは信憑性に疑いを持った時点で辞めた。

週刊紙もガセ、キャンペーン、その他もろもろ、せいぜいdマガジンで流す程度。

youtubeその他のネットは、玉石混淆で裏を取れない情報は、陰謀論等でなくとも危ない。
結局は、ただで流布してるものは所詮その程度。

それでは有料なら如何といっても、特に出版社が自称クオリティ誌と自画自賛しているのにろくなものはない。
何誌か購読したことがあるが、ただの通販を越えない。

素人でも定点観察したり、検索能力に長ければ、結構間違いのない判断をできるところはある。
クレムリノロジストは、プラウダ等のアクセス可能紙を定点観察して、写真の変動で権力変動などを見てとった。
北朝鮮、中国なども現在もほとんど同じ。

あとは料理人の藤本某氏のような近しい人間の経験譚を腑分けしていけば、ある程度間違いのない推測はできる。

まあ、そんな仕事をしているわけではないので、別にどうでもいいのだが、生活万般を床屋論議から少しレベルをあげるには、このような「わかるということ」のソフィストケーションは必須。

そのためには実践も不可欠。
やってみて、口先だけの自分ならやらせてみて、やっと少しましにわかる。

しかし、人生は一度。一日は24時間。

猫のように何千回も生まれ変われると思うならよし、思えない我ゆえに、そこは己の甲斐性もみて、ぼちぼち、おそるおそる、必要なら果敢にやっていかねばならぬという話。

2015年9月20日日曜日

さようなら

どっかへ行く、だからさようならfarewellって話ではない。

左様なら。
このようそのようならば、こうねってのが、左様なら、さようなら。

これはまず現在使われている挨拶などがあてはまる。

道で顔を合わす。
知己で会釈する。
ちょいと立ち話してみるが、時間がないのでいきますね。
知らない人だが、会釈してくれるから、こちらも会釈しておこう。
向こうから不穏な感じの人が歩いてくるから、さりげなく道を渡り、歩く。

これらは、みんな「左様なら」で「さようなら」ということである。

これは、かなり汎用性がある。
たとえば、ネットでフレイミングになりそうになる。
危なそうな奴だから、そ知らぬ顔で通りすぎよう。
言えばわかる相手そうだから、それなら少し心を怒りから放して説明してみよう。
くやしいから、そんな奴には捨てぜりふ浴びせて、ヒットエンドラン。
形は違えど、さようなら。

これはmachine相手などでもあり。
愛機のPCが、フリーズする、過熱する、その他もろもろ。
この子はよくこうなる。
しばらく放置すると、クーリングすると、戻ったりする。
だからしばらく置いておく。
これも左様なら。

ここいら辺りまでは、生活の智恵、有象無象の蘊蓄もどき。
困るのサヨナラできないケース。
これが今回の法案審議のドタバタ。
中国がうちのドアまで、いや領土の内まで足を突っ込んできていて、軍事パレードで核もぶちこめるぞとミサイルまで誇示し威迫している。
アメリカは、どこまで噛めるか、ムニャムニャが大きくなって頼りない。
左様なら、逃げるだけではいいようにされるだけだ。
しっかり、自分で、また同盟国と紐帯と強めて、対抗したい。

これに対して反対派も「左様なら」と、さようならと距離を取るどころか、タックルするごとく肉弾戦を選んだ。
そして、国際紛争の前哨選のごとき左様ならマッチが展開された。
少なくない人々が間接侵略ではないかと認知認識する政治闘争は、法改正後も続くだろう。

基本できれば、さようならとディタッチし、そうも言ってられない看過できない左様ならならタックルも辞さない。

これは特別にわが国にあてはまるというより、かなり普遍的な作法と言っていいだろう。

2015年9月19日土曜日

だってしょうがないじゃない~♪パート5

黄色く警報的newsもやってくる雨。
今日も散歩無理、加えて庭もべちゃべちゃでインナーlife。

休みが長いと、毎日が日曜日の自営セミリタイアも、ロシア民謡の「一週間」のチュラチュラなモード。
ゆっくり、ひとつひとついじる。

スカイプのメンテで、一人芝居×2でビデオ会議。
メンテ怠ると、実際に使おうというときにごてる。
今日もゴテたので、毎日でなくとも、忘れない程度に要メンテ。

SNSご老体とやりとり。
特にフレイミングでもないが、いま現状で論点となっているところから終戦直後からしばらくまでの故事来歴ふまえぬマダラ退行の原理論に戻られても、こちらもニコニコやりあう暇もなくomit。
今回の世の喧騒も、それ未満のまだらどころか、ストレートdementiaのシュプレヒコールが空を飛んだ。

整理学。
わかりやすいところに置く、寝かせる。
仕舞うレベル、タイミングを考慮しないと、すぐに参照必要が重なり、出したり入れたりで散逸のリスクも増大する。
そういう算段が大事と思うまもなくロートル道に来た。
それが上手だったら、こんな人生いきてないわい。

今日も、だってしょうがないじゃない~♪のオンパレード。
でも、諦めきれずに、諦めきらずに、シコシコむしむし。
生きるって、家康爺のいうとおりそういうもんよ。

だってしょうがないじゃない~♪パート4

休みだからとのんびりblog。

昨日お話したように、gmailの動作がうまくないのに辟易した。
今日は一世代前のタブレットでやってみた。
すでに旧式で、現役のSIMカードなし。
Wi-Fiで動いている。
そのせいかどうか、どこの棚がというより、gmail自体が自動で同期しない。
別途面倒な手作業で、現役SIMのタブレットで同等に。
そして、testしてみた。
なんと書きかけで保存して、これに加筆しても、ちゃんと反映してメールを送りやがる。
嬉しい方に予想外。

これは、想定外、予想外のだってしょうがないじゃない~♪。

もし、SIMの通信機能や、旧来機のメーラーの正常なる特性から来ているのなら、システムの切れていること、一気通貫でないことの幸甚、悪くなし。

結局、だってしょうがないじゃない~♪の断念と、逆の望外のラッキー感。

だってしょうがないじゃない~♪の万事塞翁が馬バージョンである。
政治家なんて、普通こうなんだろうな。

だってしょうがないじゃない~♪パート3

gmailの下書きにメールの中間品を入れる。
加筆しようとすると、加筆はできなくはない。
しかし、完成品を送信しようとすると、送信の表見的動作は出るが、実際には飛ばない。

ネットで調べると同事例がわんさと出てくる。
Googleの社内Q&Aでもスタッフが応答してるが治せていない、要はバグだ。
今日はちょいと業務っぽいメールで、このゴタゴタに巻き込まれたので実際的にも困りモノではあった。
タブレットにバンドルされている標準メーラーでやれば、加筆もちゃんと保存し、送信も恙無く終わることがわかった。
Gmailも、一気に書き込めば、下書き欄で作成しても、送信メール欄で作成しても、支障なく飛ぶが、安心してレジューム機能を使うためには、バンドルされたメーラーの方が使いやすい。
逆に、こちらはゴミ箱欄に大量にメールを溜めると、一括削除が困難、できない。

斯くのごとく、ユーザーはバグ含めて提供されたsystemに追従するほかない。
エバノートにも買い物メモをあげといたら、見ようと思うと文字化けでパー。
クラウドも仕事の書きためなんぞしとくと、一瞬で長時間、長期間の労力がパーになるリスクを背負う。

昔は、こういうことも無料だから、有料ならましかもとも幻想できたが、そうでないことはよく耳にする。
特にシステムdown等なくとも、会社の方針で電子書籍が読めなくなった、クラウドにつなぐ端末機が使えなくなった。
枚挙にいとまがないほどある。

ということで、システムのだってしょうがないじゃない~♪はここまで。
本論の人間論、人間関係論に移る。
SNSなどでも、あれだけ説明したじゃない、、、ってのが聞いてないよかどうか、聞いても知ったことじゃないよか、ああ通じてないんだなということは山ほどある。

当たり前だのクラッカー。
そんなもんで共通理解、マンセーに至るなら、このたびの政治scene、茶番劇もあるはずはない。

ここも面白いところだが、距離おいて偶然やり取りする場で、ずいぶんラポールがいいなってこともあったり、それも工作員かどうかなど疑惑要素や被害妄想に陥りかねない要素を読み込めば、まあいろいろとあるもんだなあとご縁をアプリシエイトする程度がいい。

斯くして、人間模様もだってしょうがないじゃない~♪
辛いのも楽しいのも、あたりはずれも、いまはこう、先はさき、昔は昔いまはいま。

こういうのを積極的ニヒリズムというのか、適当主義というのか、少なくとも自分がそうなってしまっているのはよくわかる。
だから、だってしょうがないじゃない~♪なんぞとハミングしながら、ワンコの粗相の始末しておりまする~♪

2015年9月18日金曜日

だってしょうがないじゃない~♪パート2

朝が押せ押せだったので散歩はサボった。

ゆえにゆうげのころの庭遊びを日頃より長めに楽しむ。
たまってるんだな。
いぬ息子はスイッチが入ったように走る。
いぬ娘にかまう。
度がすぎるとたしなめるが、そこそこはバイスタンドするだけ。
度がすぎて放置すると悪癖を身につけてしまうので制止はすれど、彼もそれなりにはわかっていて、たしなめられればtoneは落ちる。
全体の気がはれると、自然と撤収ムードになる。

十分にstress発散すれば、ケモノの喜びは夕食。
鶏も食われるために生まれてきたわけではないが既に食用に化身。
ガラを細切してもそこそこの骨身は残るが、この頃はあまり頓着していない。
スプーンfeedingしても、老いれば、馴れて咀嚼嚥下能が退化すれば、誤嚥したり、骨を喉に刺さらせて往く子が出る。
命をいただく怖さ。
給食でうずらの卵を喉に詰めた子がいるが、食事は自分との、餌に化した生命体との対決ではある。

さて、長いまえふりの後は、人間様の話。
有名どころの副院長が、理事長に反旗を翻してドタバタしているnewsを知る。
判例やnewsのアーカイブを調べると、結構解雇無効訴訟の前例は出てくる。
訴訟になる時点では、既に結構無茶苦茶である。
病院はpurgeした医者の不行跡を言いつのれば、purgeされた方は、病院の、理事長へのcounterパンチを炸裂させる。
事実上は、無効判決が出ても元の鞘には戻りにくい。
戻っても事業所の幹部としては使えないから、配転、ナンバー2ともなれば降格しかなく、これも揉めると、どこまで続くぬかるみぞ。
これを避け転職と決めても、ビッグネームなら引き受け先も大物係争の影響を考えて二の足を踏むかも知れないし、温厚円満を望むところならば前職でメチャ戦闘的は忌避心理を呼ぶ。
あえて火中の栗を拾うのは、ライバル企業やご当人の戦闘理念に共感など、前の所属病院に、確信犯的にタイマン張ってよしというところだろう。
仮に、そういうタニマチが出てきても、出てきたがゆえに戦闘も拡大するということで、戦闘維持の負荷はより重くなる。
解雇した病院も著名になるは一癖ふたくせ、黙って専守防衛していれば、敵に切り返されたままとなり、とんがるは必定。
ベトナム戦争ではないが、泥沼化する可能性は少なくない。

かくて、イントロのワンコら風景とリンクだが、ワンコにはワンコで駆け回りたい、喉に刺さるかもしれぬ骨もバリバリかじりたいという本能、業がある。
やり手、出る杭さんにも、その資質と、暗転すれば喉に刺さる副作用もある。
斯界も鵜の目鷹の目で注視している。

話はいま騒ぎの法案に変わる。
法案というより、反対派の態様である。
ある意味かわいそうでもある。
昔だって、新宿騒乱もあったし、凄惨なウチゲバもあったが、命懸けの活動で、過激派にももしかしたらなんぶかの理もなくはないかなとも思えなくもないところがあった。
ところが、この情報社会、ネット社会。
カルト異教の活動家が、いくら一般学生ですとシャーシャーとしても、バックグラウンドは瞬く間にさらされる。
コリアン系の議員が、テレビニュースでいくら与党議員の暴力でと息を切らせて芝居をしても、ちゃんと委員会で暴力をふるったのが自分たちだというのが ばれる。
いまは国際的な画像も日々オンパレードで、あんなすぐばれる嘘八百を平気でつけるのは、帰化前の母国の血脈か?なんぞと、昔ならそんな形で出なかった条件反射も生んでしまう。

ということで、何をどう分析しても、言動に表しても、いま現在という有り様には逆らえない。
つまりは、だってしょうがないじゃない~♪
でも、因果応報、あるいはまさかの坂は、常にあり。
心得ていくほかないべし。

2015年9月17日木曜日

だってしょうがないじゃない~♪

結論的に言うと、生前レクイエムのために自分用コラム集作るのやめたぞ。

偶然youtubeのお勧めに出てきた中国人経済アナリストと日本人識者の対談をcatch。
いつも参照している宮崎某氏や石平氏らのような桜チャンネル系中国ウオッチングと異なり、さすが富士通のアナリスト、実体をもう少しクールにとらえている。
もちろん、中国人ゆえ粛清されるわけにいかなければ、政治的にデリケートなところには不必要に踏み込まないが、以前から時々コラムで読んでいたとおり、政策的批評などは向こうの当局の耳に逆らいそうなことでも淡々かつ辛辣に語られる。
何(カ)なんとかさんという方だが、不明なこともまた何故に不明かを明晰に説明される。

確かに、右派系の中国は危ないから脱出せよ、もうすぐ潰れるばかりのリフレインだとつまらない。
田母神閣下に論文賞与えて問題になったAPAホテルの総帥夫婦も、この故事来歴どおり右のタニマチだが、近所のAPAも中国人旅行客であふれ、売りの大浴場も彼らが無作法だと日本人客が忌避するほどだ。
APAだけでなくヤマダ電気の壁には中国語でtax freeの表示デカデカで爆買どうぞどうぞmode。
考えてみれば、トヨタだって、今どきどころか、自分が医者になった大昔に中日友好病院に資金入れ込んだり、覚悟の進出を何十年も前からしっかりとやってきている。
何センセイの分析する冷徹なアナリストの目でみないとわからない。

自分の中にも、桜のご一統 にウンウンと、イヤイヤそうでないべがあり、リアリストにも同じく。
APAの社長らにも、ヤマダの業態にも、そうだろうなあと、大変だねと、いつまで続くんだろうねと所見、質感のミクスチャーがある。

長いまえふりのあとの本題。
二股膏薬のほかに、というかそこから派生で売文、教育一丁噛み、講演などで口を糊してきた。
元に疑問が満載と同時に、派生にも売文の被管理感、マスコミ実態への反発 、読者へのノビーっぽい反発怒り、教育講演でも略するが大同小異。
そこで人生一回りしての後の自由に、野垂れ死に覚悟の無理矢理の宴のあと気分が加わってのいま。
さあ書くぞが、自由に正直に自分への献本がdriveだったが、、、。

駄菓子菓子、昨日のようにひとつラジオのアーカイブ聞くだけで、自分の持っていたパースペクティブが変わるわけだ。
別に何のためということでもないが、ネットでも少数のまさに自分が対話するに足る、また情報流入元としてそれなりの質とおもえる抽出集団、ネット知己を通して、ああでもないこうでもないをやっているが、教えられるところ、似たところ、違和の強いところ、当たり前だが多々触れさせていただいている。

このように、日々パラダイムシフトというほどでなくとも、宗旨替えというほどでなくとも、日々微変態するのならわざわざテンパることもあるまい。
仮に商用の場で書くことがあるにせよ、かつてのように口を糊するためのムチもアメもない。
多分ひたすらいまこうすることに意味を見いだすという、陽明学は信奉せぬが知行合一的なものであろう。

ということで、冒頭に戻る。
良いことに気がついたねで、いまが幸せ。

2015年9月16日水曜日

時の悪戯だよね~♪

言動という言葉がある。
これが、言論のみを指すのか、言論と行動の両方を含む言葉なのか、しっかりとわからず、わかろうともせず来た。
辞書でみると、言論と行動の両者を含むらしい。

わが疑問のようなはっきりしない感も少なくないようで、そんなQ&Aも見かける。
まあ、単に並列で二者を含むというだけでなく、言動不一致、言行不一致のようにコントラストを示唆するようにも使うというところで疑問も出てくるのかもしれない。

言動不一致で、言うこととやることが違うというだけでなく、どうも言動そのものにそういう怪しさがあるように思う。

というのは、言うなり行うのは、その時のものである。
しかし、時は流れ過ぎていく。
主体の肉体も日々代謝によりホメオスタシスは維持しつつも異なった構成体と変じ、それにつれ心、精神も変わる。
結婚、就業離職も、3日、3ヶ月、3年が一里塚、二里塚、三里塚になっている。

もちろん、戦略的に、あるいは擬態としてやることもある。
シールズ某君は、真っ黒頭にして、おせらしく公聴会供述を行っていたが、川藤氏のいてまえ路線的発言はおくびにも出さず、これだけの人がダメだと言っているんで何とぞと擬態を演じた。
民主党のイオン氏らは、髭隊長に従前の集団的自衛権容認発言を指摘され、ブーメラン怒髪天を演じた。

しかし、そういう戦略的意図的な話でなく、人は生きていて徐々に、あるいはドラスティックにだろうが、転向といおうが、成長と評そうが、堕落と唾棄しようが変わる。
ここが時の残酷さと言おうか、優しさと言おうか、とにかく悪戯だよね~♪なわけである。

だから、冒頭の言動の語義に戻って、言動はアドホックで、遷移しやすく、一定のタイムスパンで見れば、言動不一致、言言不一致、動動不一致なんでもあれとなる。
もちろん、変わってもアイツらしい変わり方ってのも他人様もよくわかって、棺桶に片足突っ込む頃には自分でも少しは勘づいてくる。
まあ、変化含めてのプロファイリング。
微分的プロファイリングと積分的プロファイリングの総合統合化とでも言おうか。

かくて、言動を長編動画でなく、ワンショットでとらえようとすると、手練れのカメラマンのように相当のスキルが要る。
それが我には欠ける。

また、コラム集に着手できない言い訳を並べてしまった。
残念~♪

2015年9月15日火曜日

めぐるめぐる季節の中で~♪

秋雨の合間なので、庭遊びもあきらめた。
ワンコらは、今日調達してきた豚足をしがんでいる。

ということで、日が落ちたらさっさと寝落ちした。
秋雨の肌寒さのせいか、早寝のせいか夜中に目覚める。

季節の移ろいの中で、少しずつライフスタイルもシフトしていく。
今日はカイマキ風を調達予定。
これはワンコらの敷毛布の洗濯中のリリーフともなる予定。

このようなささやかな一人称のわが歴史と、世の中とふれる二人称の中歴史、及びもつかない地球、宇宙、逆に小さすぎて複雑すぎて見えない素粒子レベルの三人称の大歴史。

まあ一人称も認知症に至らずとも、とぼけて生きて、いまも進行中。
心理学的、医学的、文学的その他、錯覚も誤解も独りよがりも、遺伝や経験で、てんこ盛り。
大したこともなさず、ゆえに大したリサーチ、プロファイリングもなされぬゆえ、自他共にやみなべ。

二人称も、こちら側からは一人称の敷衍型だが、相手様側からは、渡って来た狭い世間も、われはせいぜい変わり者の小者で、量質ともネグリジブル。
重厚長大、エッジのキレすぎダルすぎが嫌いな己にはちょうどよい。

三人称も、膨大狭隘浅深すぎておぼろ。
まあ、無知の知、知るをもって云々知らざる云々これ知るなりからすれば、いまのおぼろげを続けていくほかなし。
日々そこそこ学んでいくと、そう変にダイバージョンしないかなんて、自惚れもちょい残ってはいる。

自分でも、人様でも、こういう構図にはなっていると思えど、人様参照も大事。
いつも話題にする江藤淳氏や吉村昭氏の生きざま往きようは、一人称と三人称のコントラストの強さで、人生の不思議を教えてくれる。
別に骨太の文人でなくとも、たかじん氏なども形は違えど、そういうディスクレパンシーを如実に示された。

ご存命の西部邁氏なども一人称と三人称を老いの一徹で取り纏めようとされているかに見えるが、世代の違う人間からみるとかなり痛々しい。
彼がよく登場する桜チャネルでは、社長のお気に入りゆえすっかりヒールになり、MXTVの西部セミナーでは幅広い受容力を示し最近の鳩山由紀夫氏までゲストに登場させている。
すでに終ったがBSでの佐高信氏との対談は、噂で聞いたことのある京大人文研での会田雄次氏と井上清氏の茶飲み話風景が本当にあったのならばこんな風だったのだろうか、と思わせるような奇妙なハーモニーを奏でていた。
奥様様が亡くなられてお辛そうなのがヒシヒシと伝わってくるが、男はそういう生き物だ。

さて、人様の人間動物園を続けていてもキリがない。
もう肝心とは思わぬが、まあドッペルゲンガーがまとわってるお前さん自身がテーマだろ。
往くまで二心同体だし。

この頃は、養老師の教養とは他人のことがわかることという教え、自称インテリジェンス専門家が国策捜査にかかること等々を踏まえ、その他二人称をネットでも最小限に抑えて、三人称的世界を読み込んでいくことにつとめている。

めぐるめぐる季節の中で、千春も変わる、宗男も変わる、優も変わる。
師の虫好きは変わらないよう。
さて、オイラは。
カウントダウンの中で~♪

2015年9月14日月曜日

太陽がいっぱい

もう陽光は十分。
十分すぎて眩しい。
朝は太陽が低いので逆光はdriverにつらい。
ひとつ間違えばひどい事故になりそう。

右折の際にそのspotにはまった。
後ろには同じく右折しようとする車。
止まるわけにはいかず、おそるおそる大丈夫を確認しつつまわる。
大きくクラクションをならされる。
後ろからのものか?、信号変わり目ゆえ他からもありえる。

冬はホワイトアウト、豪雨ではワイパー最強でもさも似たり。

太陽も、水も、命に必須といえ、TPOによっては瞬時に抹殺のtoolとなる。

アラン・ドロンが、富豪の息子で自分をめし使いのようにあしらう「友」を豪華クルーザーの中で殺害し、このヒースクリーフ氏になりすます。
あっというラストシーンと甘い主題歌が忘れられない。

わが幼な馴染みもさも似たり。
社長の息子で、小さい頃からよく遊んだが、いま思えばずっと船上状態だった。
人生一回りして、こういう関係に気付き、少々突っ慳貪にすると、妙に酔って絡んでくるような雰囲気の賀状などを送ってくるので、よりはっきりと示すと縁が切れた。
太陽も肌にきつくなると、敬して遠ざけることになる。

今回の水害も急峻だった。
これからあり得る地震も緩くないだろう。
国際関係も、安全保障だけでなくシビアな予兆。
実際も現在進行形で動いている。

敬遠ばかりでは、動きが鈍る。
冒頭の交差点エピソードを経験して、帰還直前に、後ろから煽ってくる車が、猛speedで追い越して行った。
Uターンして戻ってこれない距離で思い切りクラクションを鳴らして抗議し家に戻った。

太陽もいっぱい、riskやstressもいっぱい。

自分の取説

すでにモジュールは陳旧化している。
したがって軸組からツーバイフォーなんてことにはならない。
建前なら壊してできるが、人間は生身ゆえブルドーザーで壊せない。

しかし、スペックが劣化しようと、型古パソコン の如く、ああでもないこうでもないと使うほかない。
だから、焦れない、急げない。
スペックの弱いのに、無理な負荷をかければフリーズするは、それを越えるとHDが終わる。

それを承知しながら、年をとればとるほど、スペックが劣化するほど、イラチ、タンパラになる。
PCならぶん投げてやろうかだが、年寄自身ならジジキレ、ババキレとなり、ろくなことにならない。
根に自愛心、隠忍自重があれば、まあがまん、適応が肝要。

各論的には、時間管理、労力適正配分、年寄型技術革新の模索等々がレゾルーションになるわけだが、容易でない。
ろうたけると、弁解がうまくなり、サボることを合理化し、なかなか短いだろう余生の料理に長けるようにならない。
また、年取ると級数的に時間の流れが速くなる。
しかも、時代は老若男女、時間に追われる現代。
ルチーンに乗っかれば、瞬く間に過ぎていく年月日。

このように、ああでもないこうでもないと言い訳に汲々としているこの作業自体が、言及を実現するようなもの。
さてどうしようか。
要見切り千両。

しかし、見切り千両といっても、実はいままで見切り千両の経験もなければ、成功譚もない。

結局、生理的範囲内で登場するドッペルゲンガーの、おいおいもうちょっとこうしないとヤバイんでないの?こうした方がいいんでないの?って声に従うほかないんだろうな。

困った他人様や組織も取り扱いに困るが、自分の取り扱いって困るのよねえ。
まあ、しょうねえか。
色即是空、空即是色、、、。

2015年9月13日日曜日

見えるか、見えないか

ある美人が、わたしは自衛隊が犯罪的な存在だと思うので、被災しても助けてもらうより死んだ方がましだというTwitter書き込みがあった。
その他のツイットも中国マンセーの、しかも常軌を逸したmodeの書き込みである。

そのうちこれは架空人による書き込みだという指摘がネットに流れた。
某FM局にはプロフィールに該当する人間はいないと。
指摘子は、ネトウヨの仕業だと。

これが右よりの人々が蝟集するサイトに行くと、左の連中の工作だといいつのる。
これを確実に証するデータ提示もない。

ネット放言で、特に犯罪に即該当するように思われない類ゆえ、警察も動かず裏もとれない。

まあ、ホンモノの工作員ならこのような直截な露骨なむちゃくちゃな手法は普通使わないだろう。
ゾルゲもコミンテルン、ソ連のスパイだったが、ドイツの特派員で密かに日本の中枢に浸潤していった。
ヨシフ君も、名前どおり、コミンテルンの頭目に子分だった親が憧れた息子で、実際に衣鉢をついで共産党員から転じて公然活動家になり、ナチスの突撃隊似の外宣counterの横で使嗾しているのがせいぜいだ。
ここまでお馬鹿な公然活動はしない。
中国だって変にウオッチングされるここまで稚拙なことを工作員にさせない。
つまりは右にせよ左にせよただのふざけにせよ、架空のつぶやきであることはまちがいない。

長いイントロをここまでにして、肝心の見える化、見えない化について語ろう。
ネットだけでなく、この頃の計算技術、グラフィック技術等々の進化できれいな図表や動画が学術資料の分野でもめざましい。
専門知識や自分の頭を駆使することをサボっても、見える、わかったつもりになれる、それを基に次に進もうとする。
しかし、これが8~9割適切、1割捏造、改竄、意図的でなくともオーバーラン等々のキメラであれば、どうなるか?
ゴミ部分がbaseになれば、その上に積み上げられた知見判断予測は、多く、大きく外れる蓋然性が高い。

われわれが直面している様々な問題のどれだけが、このような有り様、罠に関係しているかはわからない。
ただ、おぼろげには読める。
たとえば、サブプライムローンの破綻、リーマンショック。
金融工学の最先端の計算でまず焦げ付かない。
そういって金融工学系エリートらが設計したシステムが見事バーストした。
中国が現在剣ヶ峯を綱渡りしているのも、共産党の捏造改竄による見える化見えない化の複合体が自壊しかけているところが大きい。

このように、人間は見たいものを見たがり、見たくないものは隠したがる。
これを超克するのは至難である。
座頭市さは、「めあきは不自由だね」と呟くが、五感第六感を駆使しても悟ることは至難。
ため息のでるような見事なトリックや催眠術、イリュージョンがあるゆえに、われわれは素面に現実を見つめるというのは容易でない。

2015年9月12日土曜日

たじたじ

rssリーダーに漏れが出て不満だった。
偶然その解決ができた。

表示がスマホ用になっていたのだ。
ところが、その端にある「パソコン画面でみる」のボタンを押せば、従来みていた網羅型の表示をチェックできるのだった。

情報処理に負けている。
ゆえに時間をムダにしている。
無用の用も大事だが、無理無駄ムラで消耗するなら見切り千両も大事だ。

人の24時間は決まっており、使い方を選ぶのはもっぱら本人。
もちろん、制約条件が経済力その他に左右されることはあれど、それをポートフォリオさせるのも本人が選んでいるというところは大きい。

このところそういうところを意識してライフスタイルをトリミングしたり、抜本的な塗り替えを画策もしてみるが、冒頭にあげた気付きのようなことは、焦っても手に入らず、何だかんだやっているうちにわかってくる。
大きなmyパラダイムシフトも、無意識的なああでもないこうでもないの熟成期間の後に浮上してくると考えた方が自然だ。

そんなことを思いつつ、書いておきたい、作っておきたい手作り本のことを、時々思い起こす。
出版事情が大変だ。
出版社も潰れるところが多く、書き手も口を糊のに楽でないとなげく。
もちろん、それでも一人出版社を立ち上げたり、食いにくいところをバイトでうめて書き手としてのidentityを保持しようとする人もいる。
ただ、怠け者の、器用でない、へたれの、はまるとはまる方の自分としては、仕事にしたり、何かで埋め合わせたりするガッツはない。
加えて、商業としても、趣味半分としても、人とコラボしても、ひとり手作りでも、時代の流れ、情報のoverflowが甚だしく、じっくり書いているうちに、すぐに陳旧化する。
斯くして、精力時間speedその他を理由に、うっちゃってしまっているのが、このところの常態だ。

しかし、いまも、古事記だ日本書紀だ万葉集だ源氏物語だといえば多くの読者を持つ。
文学趣味歴史趣味とも薄いわが読書歴でも、徒然草方丈記奥の細道などは愛読書になっており、決して旧いと感じない。

そう思うと、現在のせわしない情報の転変に振り回されないコラム的なところを遺書的な書き物、手作り本を、寿命が許してくれれば、作っておきたいなと思ったりもする。

そんな酔狂なものを製作して誰が読むの。
時間と労力の無駄ではないか。
そう思って発心を棚上げしていた面もある。
ところがひとり熱心な待望者、読者予備軍がいる。
ペットらは字が読めず、与えても噛み破るだけなので該当しない。
誰を隠そう、この私である。
私は特にナルシストではない。
では、何故か?
このところ英書の輪読会で、どうだろこうだろああでもないこうでもないを日々楽しんでいる。
そのなかで、いろいろ言いうるだろうが、ここいら辺りは間違いないだろうが、そっちは正直に不明というのが正しいのだろうな。
そんな会話を、人生の黄昏で勉強会の時間のほかの自分としている部分がある。
人とのdiscussionがフレイミングか、カルトセクト的協賛会になる弊から身を引くというだけでなく、やはり言い切っておきたい、それを自分でアプリシエイトしてから生物から静物に化したいという欲求があるようである。

多事争論にたじたじとなりつつ、多事小論にまとめたいという欲望。
わが能力、時間、運命が許せば可能。
ムリなら、ほとほとまとまりのない人生という御神籤の答ということになる。

2015年9月11日金曜日

秋の怪談

ピンポーンが鳴り、monitorの向こうにはババジジの二人組。

国勢調査だと云う。
開口一番、異なことをおっしゃる。
「間違った宛の書類をポスティングしたので回収させて欲しい」

わが応答。
「不自然なんで、そうなら国にでも地方公共団体にでも、こちらから直にお渡ししますから、お帰りください。」

オバサンは引かない。
このところなりすましの詐欺も多く、開口一番誤投入など不自然で信用できぬとのわが言に、これこの通りと首からぶら下げた身分証風をmonitorの向こうでいじっている。

「そんなもんこの時代にいくらでも偽造できるし、ホンモノか自称不明のNHKやら、町内会長のマル適もらってるとこいて消火器だなんだと押し売りに来るのもいる。わしゃあんた知らんし真正性を確認できんから悪しからず。お帰りあれ。」

オッサンは家の表札あらためてすがめて「弁護士か、、、」むにゃむにゃと言いながら、去っていった。

ホンモノなら担当部局に郵送なり、ついでに持参なりしてやろうと外回り時に玄関みると、ない。
ウソ。
ホンモノでも、詐欺師でも、釣りであったことは間違いない。

まあ、なりすまし詐欺師、押し売りの可能性もある。
いまや、こういう行政対応、施策実施というニュースが流れたら、即詐欺approachが涌くという時代。
否定はできない。

駄菓子菓子、「ホンモノ」で次のような可能性が高いと思っている。
上述したとおり、いまや子供でも、少々認知症気味の高齢者でも、自己防衛リテラシーがあれば、わが対応に近い猜疑心でホイホイ乗ってこない。
privacy理由で、ピンポンlevelではじかれる。
だから誤投入のような姑息なウソで先ずは玄関を開けさせ、その勢いでこれがホンモノ、貴方の分と押し付けて帰ろう。
そういうあざとい戦略の可能性が透けてみえる。

なぜなら、ピンポンも押さず、説明もせずいきなり守秘性重要とされている用紙を投入するなどというstoryの不自然さである。
実際にrejectされることの多さに辟易しての苦肉の策かもしれない。

それにしても困りモノ。
曲がりなりにも公務を受託した調査員が、理由はなんにせよこのような欺罔的手段を弄して業務を行っていいのか?

実質的な金銭的損害が出ずに詐欺罪に該当しなくとも、許せないと思う住人に住居不法侵入などと指摘されてもしかたのない行為だ。

正当業務行為だと強弁しても、適正な手続きを経てはじめて個人情報の徴求を正当化できる仕組みだから通らない。

自分なども、今年からネットで回答可能と知ったゆえ、来たらネット回答を心づもりしていたが、こんなホンモノかなりすまし詐欺師か不明の人士らが持参する用紙に記載しているパスワードなど、fishingの危険大となれば、対応が困難になる。
国勢調査には、拒否にサンクションも用意されているが、こんな現状ならば正当な猜疑心として正当化できると思う。
しかられたら、そういうデュープロセスで当局の見解を聴きたいと思っている。

かくの如く、時代に合わないトンチンカンな作法、システムは、デファクトのlevelで動かなくなってゆく。
経済だって、教育だって、治安だって、国防だって、こういうレベルでの手当て、目配りができないと、実効的なアウトカムが得られず、混乱を増幅させるばかりとなる。

このオバチャンオッチャンが詐欺師なら、なにやってんだバカ野郎という気持ちだけでなく、こんな犯跡の残り易い形で何をどうgetしようとしてるのかわからないが、すぐにバレちゃうよという気持ちにもなる。
ホンモノなら、なり手の少ない時代に、ほまちフィーでしかも詐欺師もどきの手法がと叱咤激励どころか厳しく論難されかねないのに、ご苦労様と言いたいが、言えない。

世は、安保法制で理解力に乏しい若者やそれで味をしめる組織が騒いでいるが、そのかげでマイナンバー、消費税増税など国民を丸裸にして、ギリギリと搾り取るというわが国風の超限戦も粛々と進められている。
是々非々論者、最後はわが国に合ったおとしどころ模索論者の自分としては、結論的には已む無いと思えど、かくのごとく、都度都度の怪談講釈は死ぬまで演じようと思う次第。

それぐらいしかできんもんで。

2015年9月10日木曜日

だって当たり前じゃない~♪

はやい夕食をとるとササッと眠くなる。
聴こえるか聴こえないかでBGMを流すと、脳も末梢も落ち着くのかスッと寝落ちする。
コッコがベッドにしている安楽椅子に上がってきて、就眠儀式をせがむ。
乳児の母親の如く、窮屈と平安のないまぜでまあ心身のチューンナップはできている。

そして自然に覚醒した後は、もっぱらスマホやtabletを数台とっかえひっかえ、alcoholなしのお茶で水分補給しながら、小原庄助的三昧の世界に入る。

ペットの性格がその子その子によって違うように、各machineの性格も区々。
ソフト、アプリの委細も動かしてみると、きっちり同じでない。
通信速度もクラウドの動きも、SNSの動態も、同じものはおなじはずなのに、実際に動いてみると、動かしてみると随分と違う。
先ほどもネット知己のブログをrssリーダーに登録しようとして、登録関連場面にいってみると、ずいぶんと読み漏れがあることに気付いた。
このようにおなじはずが同じでない世界なので、油断ならない。
趣味娯楽ならよいが、仕事や真剣勝負でものを考えようなどというときには、信用ならない。
したがって、素直な自己謙抑というより、疑心暗鬼によるクエスチョンマークで割り引いておかないと大きな判断ミスをしそうだ。

そんなことを思いながら、いつものネット回游をやってみると、どうも見切り千両、岡目八目、メタ見識が要るなと痛感。

まず己のことは棚に上げる。
後でまとめて棚卸しする。

なんでそれほど悪くもない、いや美徳も秀逸さも感じるのに、ここはこうなんだろう。
思いつくままに列挙してみる。

ネットそのものが便利なのに、明らかな間違い、流言蜚語、極端なフレイミングなんぞが奔流になってしまうのだろう。
膨大な情報量が津波の如く押し寄せる、またLINEのようにお互いに狭い世界に押し込め合うのに好適なツールが提供されるようになれば、かくなることと容易にわかれど、そういうものの全くない時代を大半に生きてきた化石人間には、やはりなぜという嘆きのような発問がついてまわる。

SNSなどでは、「いいね」中心でほんわか共同幻想共同体、日頃のstressうっぷんをヨタ会話で晴らしているところに真面目な闖入など行えばフレイミングが起こるのは当たり前かとも思う。

その他 、人がどうしてそのように考えるか、感じるか、行動するかは、DNAだ、生育歴、故事来歴その他諸々がこうだからとプロファイリングしても、所詮最後はトートロジー。
プロファイリング専門家が犯行パターンを解析するように、そこはそうなんだわーというところ以上に行かない。

実務修習のとき、金魚のフンをさせていただいたエリート裁判官に、「何々君はこう言うのですが、ボクはこう思う」と話したときに、「なに言ってんでずか、だからこの商売があるんでしょうが」と叱られた。
男と女のあいだでなくたって、深くて長い川はある。
えんやこらなんとかしようとしてならねば、上下左右、体制反体制、多数派少数派、改革派守旧派、性質決定のできないトラブルまで扱うのがこの仕事だ。
そこそこ年食って卵になってもまだわからんか!の教えであったわけである。

養老師のご指摘どおり、人は自分にひいきする。
だから、自殺者よりも日々生きようとする人の方が多い。
上述のようにトラブルでバッシングされるのが自分であれば、自分で自分にそこそこのハンデを与えてやらないと、ラウンドする気力も萎えてしまう。

そういうことで、先ほどはひとまず棚に上げて棚下しすると言ったが、とことん棚から下ろすと生きていく勇気がめげそうだから、そこそこ自分にハンデを上げて自己言及する。

相互異見性は、人間の相対性原理のようなもので当たり前。
逆に、無理やり一色に塗ろうとするのは、全体主義で危ない。
ネットの誤謬やカルトセクト誘起性は、副作用、特性として承知する。
フレイミングは敬して遠ざけるが、高須clinicの院長の如くそれが余生の肝と覚悟すれば面白いことはわかる。

まあ、ノイズやバカな手合いの妄動を引き起こすより、スパムは無視が最上の対応策といわれるように摩擦係数、リスクの小さい対応が賢いといえば賢い。
それでも、以前からフレイミングまではいかなくとも不毛な応酬を繰り返してきたかのネット知己と、まずまず相手のプロファイリングを踏まえてまずまずの交流ができることもあり、要は自分や相手に合わせたカスタマイゼーションの問題だろう。

徒然草に、打てば響く共感性の高い友のあらまほしさが書かれてあるが、容易でない。
経済的利害対立やイデオロギー対立をまぬがれても、人の嗜好性というのも難物である。
お追従を装いあっても、腹の底では黒い憎悪が渦巻いているということも少なくない。
結婚が、親子が、兄弟が、その他近場がこれで、少子化という面も小さくないように思う。

うまくいけば疎通性よく、距離取りもできて、ホンネも通じ合える関係は可能であろう。
吉田兼行も難しいながら希求するというのは昔から美徳のモデルとしてあったということだ。
わが胸襟開く朋輩は、少数の人々と、種を超えてワンワン連中だが、先般も書いたとおり、ちょいと気を許すと引き摺り倒される愛情で結ばれている。
万物の霊長が取り仕切る環境で生きているゆえ、責任を取るのはわれのみ。
その責任も難しい時代。
質の向上のスローガンのもと、諸々の劣化が激しいこの頃。
「責任」の取り方もむつかしい。
国際情勢、経済情勢、諸組織の動態、状況倫理、その他みても責任論もまとまらず、責任をとるという定義、語義すらさすらう時代。
責任を、責められる任務と読めば、わんこに引き倒されるのがわが責任、脳挫傷で飼い主が死んだら屠殺されるか、脱走して車にひかれるか、家で餓死するかが、この子らの責任。

まあ、わが当たり前がこの辺りだから、自称六無斉もどきがちょうどいいかもしれない。

2015年9月9日水曜日

アニミズム

ちょいと思った話。
妄想と言ってもよいかもしれない。

われらはアニミズムの民であるといわれる。
国生み神話から、近代的工場マシンにモモエちゃん、セイコちゃんなんて愛称を付けるまで、生物以外にも心のごときありさまを見いだす傾向を持つ。

今朝ふと考えたのは、岩石のような静物にも精神のようなものがあるのではないかということ。
無機的にただただ変わらないという のでなく、スケールの大きい空間で 、われわれ個々には想像しがたい時間のなかで、解体し凝集し循環し「いま」の構成要素を作っていく。
福岡ハカセが生物で語る動的平衡のようなシズテムの遷移話を、非生物の動きの乏しそうなところにも強く感じる。

われわれのいま生きているようなテクノロジー進化の痕跡は発見されていないが、この先に人間の文明が自滅で終わるにしても、乏しい想像力で想像するだけだが、星間衝突で地球が木っ端微塵にでもならない限りない 、また再び似たような歴史をrefrainするのだろうか?

アニミズムっぽいムードでみるなら、地球なんかの物質系の魂は太陽あたりにあり、ここ地球はその支店、末梢の如く動いているのだろうか?

まあ、季節は秋。厳冬のシベリアっぽい冬をサバイブするようには予感しないので、しばらくでばらばらの物質に変身するだけのことであるような自覚で居座っているのだが。

風吹かば倒る

庭でわんこといつもの一時を。
そう思って外に出て、あやつらに引っ張り倒された。

狭い庭も裏に回れば玄関も見えず、不用心ゆえ鍵はかける。
シリンダーを回すのに集中していたら、強い引力で引き倒された。

走りたいばかりの彼らの力は、相当のものである。
まだ普通の態勢ならば重力に抗すことはできるが、彼らの牽引力が加わると勝てなかった。

幸いケガなくすみ、たぶん慢性硬膜下血腫は大丈夫だろうから、今度からは先にドッグランに放り込んで鍵をかけようかと思っているが、油断も隙もない。

こっちが手綱を捌いて支配しているつもりが、ちょっとしたタイミングでnature teach me.
すきあらば、自然の力が、君を試すかの如くに教育的経験を与えてくれるのだよ。

ペットならばわずかに教育も可能な部分はあるが、大きな自然の狼藉には逆らえない。
そういう場合は、シンクロして倒れるしかない。
このところ人間が地球上でなしている諸々がろくでもないと感じているので、パスカルのように考える葦であるなんぞと能書きをプラスして倒れる余裕はない。

まあ、危ねえもんだよ注意しな、の教育的メッセージを天より受けたとして新規巻き直し。

でも、後に支障がなければ、ぶっ倒れるときに、ありゃーいかんいかん・・・・・
ああやっぱり倒れた、というmomentって悪くはなく、ある意味で気持ちいいのね。

2015年9月8日火曜日

ゲリラ豪雨

このところ晴天が続いているが、しばらくまえは驟雨、雷雨がときどき襲ってくるような天候だった。
ゲリラ豪雨と呼ばれるようなキツそうな急変ではないが、一応ピクっとはなる程度の急変。

さて、天気の話でなく、このところの世相。
外回りの車窓から、コンビニ店がつぶれて、不動産屋の広告看板がついているのが見える。
ほんのしばらく前、盛業に見えていたのが、厳しい。
近所にも、「自分等もいつまでもつやら大変だねえ」とよその閉店の話をした店長のいた別系列のコンビニも、しばらくしてつぶれてミニ宅地分譲に変じた。
コンビニも、どこもギリギリの競争で、フランチャイズ契約の期間を満たす前にこのような姿となるところが多い。
すべての資産や担保を差し出して、なんとか破産しないで足抜けするのがいいところと想像できる。
そういうのを知ってか知らずか、新たにオープンする鴨さんもつきない。

ミニ宅地開発だって、オーバーローンで愛するマイホームをチャラにもできず借金抱えて手放す人も少なくない中で、ちゃんと売れるよう。
結構見映えのする車を駐車する新居住者の風景もみえる。
世は当たり前のことだが色々。

しばらくいくと、コンビニならぬ病院の玄関に、テナント募集の張り紙がみえる。
知らぬところではない。
クリスチャン風の名前がついているが、結構あざとい診療をしていた。
院長はレスピレーターやペースメーカーの装着に余念なく、スタッフにもボーナスボーナスの元だからと掛け声をかけていた。
子供らは内地の医療系進学の歩留まりのよい学校に入れて、事業承継にもおさおさ怠りなしとみえたが、急死。
病院はミニチェーンのやり手理事長の枝となり、当時のニュースにもなっていた。
それから数年。
吸収した母体はこけていないので、ベッド数だけ調達できたら箱ものはM&A後スクラップの扱いでいいのだろう。
元院長の遺族にどういう処遇があったかは知らず。

中国の経済がーとか、欧米がかくのごとく苦難とかいうものの、わが国のもろもろのなりわい状況もただならぬ相貌といえばかくのごとし。

内戦に近いスラプスティックが中国内に起こりつつあるといわれるが、報道管制下でも経済破綻による自殺者が急増しているらしき話も耳にされるし、欧米もこれらに共依存しているゆえに特効薬もなし。
考えてみれば、我らもさも似たり。

雨はやんではいるものの、塹壕のごとき塒からよしの髄を覗けば、みえるは一応の晴天。
次の晴天の霹靂にはいかがいたそう。
まあ、いい答がないゆえにこうなってるわけで、嵐の前の静けさを風流にすればいいのだろうが、貧乏性でできずいかんねえ。

中ぶらりん

当地の言葉で「あずましくない」というもっぱら否定系で使われる方言がある。
どうも落ち着かない、しっくりこない、安穏でない、そういう座りの悪さ感を表現する言葉である。

ライフスタイルからすれば、セミリタイアであるので、もうどうしなくてはという気がない。
少しまえは、どんどんとこの世への執着をそぎおとしていって、フェイドアウト。持たなくなったところでハングアップしようと決めていた。

ところが、そういうつもりでも、見れども見えずの諸々が見えてくると、そうもいかぬかなと思うに至る。

スムースにいっても、余剰の歳を生きるのは楽でない。
認知症の診断をいただかなくとも、中枢も末梢もおちていくばかり。
もともと、こちらがうまくないは、あずましくないはに、ご近所から国際情勢までパラレルだから、楽隠居なんぞ毛頭望むべくもないはもちろん、こりゃわしがburstするか、この世がburstが先かの競争だなあという感じ。

まあ、そういう時代には、ひとの不安につけ入る商売が繁茂し、こうすればよしのポートフォリオが喧伝されるが、そんな特効薬があれば、こういう風にはならない。

ということで、セミリタイアの牧歌的指向を捨てて、まあカタストロフィーにらみでどう淡々とやっていくかというと容易でない。

もともと帰依する宗教もなく、イデオロギーやその支持母体、組織なんぞが魅力的に見えない体質、もちろんそうであるのは、がむしゃらな立命安心さがしなど救われないだろうというみきりがあるわけで、かくのごとく、ああでもないこうでもないと日々ランダムクオークしているわけである。

今日も、ネットでいろいろと経験。
clientに送ったメールが迷子に。
スパムメールは、頼みもせぬのに律儀に到来するのに、肝心の目途でフェイントがかかってしまう。
9割以上がスパムないしはどうでもよい送り付けられ、1割未満でかくのごときチョンボ。
便利のはずのツールがなかなか秀逸とほめられない。
ああずましくない。

わが生業として、口を糊するフィールドワークとして体験してきた領域。
医療事故調査制度が具体的にstartする前に、方々から声が聞こえてくる。
別にいまに始まった話でなく、自分が知らずに足を踏み入れた20年足らず前から、理屈で言うようにならんのねと右左から思い知らされたありさまである。
最後は存在そのものが地雷のごときclient、patientに塗炭の思いを何重にもプレゼントいただいた。
まあ、鵺の立場できたゆえ、そのこと自体の曖昧性を、自分が指弾のtargetにしていただき味わったので、まあ安くない授業料、人様から口を糊するresourceをいただくのは、こういうリスクも甘受することなのねという摂理を身をもって拝受もした。
そういう身で、SNSでfollowしているactiveドクターたちの言いたいことも、素朴にはわかるし、逆にわかれど自分の踏んできた軌跡と、自分が参照枠としている社会科学的目で検討してみると、通りそうなところと、無理筋がみえてくる。
賛同してよいところと、下手をすると贔屓の引き倒しになりかねないところを気にすると、婉曲な言及にとどまる。

さきほど、医療系のMLで患者側から医療事故調査制度にactiveに物言う活動をしている某氏がシンポジウムの広報を載せていた。
参考にpasteしようと思って引用許可を求めたが、ちょい遅れでclientへの業務mailゴテゴテのあいまに、これも保存先がわけわからずになった。
こちらの登場人物は、もちろんドクター戦闘派の裏返しで、強面当事者、代理人等々である。
もちろん、この間には、厚労省、日本医師会、従前からの社会実験的調査試行の実務家集団からなる一番中心を担う層があり、この立場で開かれたシンポジュウムの質疑応答など読むと、左右の声に挟まれ、やるほかない人々の実務家的物言い、含意もよくわかる。

そんなこの頃、ある医療系の講演会のポスターをみた。
Aiの研究者のこの領域に関連した現状解説だが、略歴をみて驚いた。若い、その領域であまりキャリアを積んでいない。
これはどこもそう。あまり人が集まらない領域はみんなそう。
だから、大きな質の高い構想を法律や言葉でぶちあげても、インフラは絶滅危惧種が担うということになり、結局理念だおれになりかねない。

これもありさま自体があずましくない。
まあ、病人になってみれば、こういう構図とはあまり関係のない自己決定に悩むところが大きく、それも自身が命がかりの病気や事故を経験した身からすると、あずましくない。

一番首根っこが落ち着かないのが、国際情勢であるが、前の大戦前もこんな感じだったのだろうか?
情報社会で対応策も昔に比べ洗練化というか、目の子はつけやすくはなっているが、、インフラのハッキングだなんだとか、サブプライム、中国の隠蔽ごまかしにみえるような裏目も大きい。
右の大和魂声高も左の国際常識欠如もこまりものと思いつつ、若い人がhappyそうでない、老人らが老害を噴出する図も救いに乏しく、これで冒頭に戻るが、セミリタイア根問いではないが、なかなかいいおとしどころが見つからない。

ロシアの文豪が言ったように、誰かの不幸は他の人間が連関しているだろうし、逆に幸せのインフラもめに見えず連関しているだろう。
養老師のいうように、何が起こったよりも、何が起こらなかったということが重要ということもあり、狭い家内安全というより、自分が起こさないですむことを起こさないと、今日も生きてみるか。

2015年9月7日月曜日

見れども見えず

せまい庭でワンコとくつろぐと、せまくても生態系がみえる。
日陰には羊歯類が繁り、日当たりがよくて踏まれない場所は伸び伸びと背高雑草が突出する。
歩いてみると、blindで蒔いてみたハーブの匂いが漂ってくる。
殆どが野草で、野草の知識の乏しい人間にも、五感でいろいろと住み分けている様子がわかる。
こういうこともやっと最近になってわかるようになった。

話は変わるが、故郷の同級生が高校の同窓会誌をlinkさせていたので覗いてみた。
校長氏の話を読むと、なるほどという現実が明かされていた。
学区規制が変わり、県庁所在地にまで受験可能になった。
いままで母校に入学していた層の4割が流出するようになったという。
受験ランキングだけがすべてではないが、基礎学力等のいわばインフラがゆらぐときつい。
地域創成にはマンパワーは必須、悩ましい。
こういう論旨には、なんのなんの、昔から大学受験となれば多くは遠く離れた地に散っていったではないかという反論もできるが、それでもいまの母校の生態系がそうなんだと知るのは、自宅の庭の如く定点観察していないだけに、俺らの頃はなんぞと簡単には云えないなと自覚。

自分の尺度でしか見えないというのは、わがことのみにあらず。
strong ネットワーカーの田中秀臣氏が、Twitterでreplyが脊髄反射的でかなわんとぼやいておられた。
いくら説明しようが、simpleに頭にはまりこんだ常同的反応が延々と続くのみ。
池田信夫氏は、自分に気に入らないreplyは、このゴキブリめ!と呟きながらブロックして、極々穏当な批評やadviceをしてblockされたよというわがネット知己に悪評サクサクだが、田中氏のぼやきつつも応答している姿の方が数段上品にみえる。

同じTwitterで、反安保活動をしている青年が、中国から攻められたら無抵抗で対するとして、保守派だけでなく、方々から嘲弄されている。
南シナ海や尖閣その他への帝国主義的膨張活動だけでなく、チベットウイグルでのジェノサイド的蛮行、天安門どころか文化大革命でも膨大な殺戮の犠牲者を出してきた支配集団である。
やむなく非暴力的抵抗で虐殺されたり、自殺を余儀なくされている図が転がっていて、これなども見れども見えずならぬ、見ざる聞かざる言うだけの体たらく。
大人で反体制利権やしがらみで、わかってやっているのも困ったもんだが、昔なら元服をとおにすぎ、大学にいってもこれなども、文科系だけでなく、肩書だけの大学なんぞ潰してもいいような気もする。

なんて、言ってはならぬことの重畳の気配。
黙して、今日も定点観察に入る。