2015年12月6日日曜日

セルフケアと他人様の治療、商品には手をつけるな

究極のカスタマイゼーションとしてセルフケアは、一般的に推奨される。
自傷他害の危険ありとされたり、公序良俗に反してよほどの反社会的振る舞いとされない限り、反医療主義であろうと、ホメオパチーであろうと、ご随意にというのが、自由の国のルールである。

しかし、これがひとたび他人様の治療となるとそうはいかない。
医療者がこれでいいだろうと思っても、受ける方の十分な納得がいる。
インフォームドコンセントを形成せず、専断的治療とされれば、傷害罪とされる可能性もある。
患者本人や家族がいいと言っても、社会的に問題をはらむ治療は慎む必要がある。
生命倫理に反する、虐待となる、その他もろもろ社会的に施行を自重しなければ、法律や規制的制度で、どえらいサンクションが課せられる医療行為もくさるほどある。

この時代の医療には、この大変さが重圧になっている。
最近、医師たちで脱ヒポクラテス宣言を唱導している人々がいる。
一休さんの問答のように、「蓋を開けずに、味噌汁を飲め」といった無理難題が降り注ぐ時代に、医者は医聖ヒポクラテスのごとく振る舞えないということだろう。
確かに、交通事故が起これば、どんな患者管理をしてたのだとくる。
風邪薬には眠気を誘うものがたくさんある。
てんかんなどに比べても、どの医者でもあたる。
実は、薬など使わずとも、ちょいと休ませただけで、どどっと疲れが出て、動きが鈍くなることもある。
先日、あるdoctorが、Twitterで「そんな大げさな」という反論者に、「健康を害して、運転に不適格な状況で運転すること自体が道交法違反」、「車置いてタクシーで帰れと指示する」と応えていた。
確かにそんな時代だ。
そういう意味では、古きよき時代のヒポクラテス、赤髭を演じることは、もはやできない。

このような厳しい、ある意味では当然のことが要求される時代に、「商品には手をつけるな」という格言をしっかり認識しなければならないといった話がある。
患者さんと特別の関係になる医者や医療者がいる。
精神科医が人格障害の患者さんと恋仲になり、翻弄され、殺し自分も死にかけた。
ミイラ取りがミイラになる。

別に医療に限らない。
先生が生徒に、コンビニの店員が商品にホントに手をつける。
司法試験の先生が、受験生に手をつけて、立件されるところにいるとニュースになった。
手をつけそうなところほど自制が要るのだが、人は弱い、つい手をつけてしまう。

この辺りのリテラシー向上が必須なのだが、なかなか上手く学ぶのは困難である。
何故なら、人はどうしても自分を埒外に措くからである。

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