2017年2月28日火曜日

嗤わぬでもなし

昨日の長谷川東新元副主幹氏の番組をYoutubeで聞く。
話題の学校法人を極端と論評す。
おまえさんが、極端と論評されていることを忘れるでないよ、笑止千万である。

SNSで諸々ピックアップす。
土地取引の不審、従来からの放送各局、某国特殊学校への払い下げと、比べて見よ。
トランプ反対派が良識派だと某教授、どれだけフェイクニュース流しているか知らぬか?
戦争悲惨論、君の思想来歴さはさりながら戦乱は仕掛けられるものありと知らぬか、愚か者。
防衛医官の某君、まともと思って議論したこともあるが、ただのサラリーマンだった。
トップギャランの記念公演、ジャンク歌姫と比べて秀逸だ。

いろいろと思うところあれど、個別には語らず、語れず。
すべて終わっていることだ。
さて、次はどうなる?

多分、力学通りの動きのほかなし。
マレーシアも頑張っているし、米中露、わが国も頑張るほかないだろう。
わが歩みも、自分の軌跡も笑い飛ばして進む。

爽快壮快。

2017年2月27日月曜日

陽光燦々

昼間になるとすっかり春だ。
屋根からは滴る雨滴の音が賑やかだ。
これで雑念がないとしたら幸せだらけである。

しかし、そうもいかない。
ああでもないこうでもないが尽きない。
それがなくなるのがお陀仏の時とすれば、生きているうちはこのままのはずである。

明日は二月の〆で、ちょいと外回りもしなければならないが、それも大したことはない。
三月は未だ見えない。
多分ああいうこと、こういうこともあろうがはあれど、こんな世情ゆえ順列組み合わせで色々とこねくり回しても詮ない。

道路の雪はメインロードはほとんど消え、内の細道もかなりきれいになった。
さて、庭の雪はどうだろう。
少しずつ外に出して雪割りに励めば、残雪も早めに消えるだろうか?

ダチョウは危険が近付くと、砂に首を突っ込むというが、まあ雪避けに精励するのも悪くないだろう。

さて事のなりゆきは?

夜に少し雪降り、昼は融ける。
ロンドのような日々が続く。
自然現象ゆえ、読みは冬の終わりか、春先だが、スパイラルで花占いだ。
国際情勢も似たりか?
北朝鮮の動きが、世界の注目にはなっている。
トランプ氏の決済依存だが、そろそろ最終局面の様相だ。
今回のマレーシア事件だって、北朝鮮の仕業は明白なれど、それは些末な話だ。
問題は、若き領主様を慮った犯行のミスマッチが肝だ。
特務の忖度が奏効せず、空回りであり、下手すると既に帰任後粛清されているかもしれない。
トランプ氏の決済によるとはいえ、事態は既にオバマ氏在任中の時期より動いている。
○首作戦の稼働を示唆するformationは、誰が大統領という話でなく、スタンバイだ。
あとは号令一下、始動はする。
ただ、青山繁晴氏が喧伝するように、一週間で決まりというほど事態は緩くない。
北の暴発が、日本をターゲットに集中するか、中国の上海北京をターゲットにミサイルが飛ぶか見えない。
日本の場合、ミサイルもミサイルだが、工作員の手が深く入り込んでいるので、米軍の北介入と同時に、戒厳令状態に入らざるを得ない。
日本のお気楽極楽も様々に決済されるので、それはそれで身がしまり悪くはないが、相当の自覚は要る。
SNSやネットが全てとは思わぬがお気楽すぎて、明治維新レベルの衝撃は不可避だろう現実は重い。
まあ、わが身は最期でいいが、若い人のことも考えたいとは思えど、老若男女他人様のことはわかり難し。

2017年2月25日土曜日

久々のクルーズgood~♪

車の始動を月末月始めに想定しながら、待ちきれず走る。
気持ちよく動く。
要は、しばらくの停止のおかげでpotentialがグッと下がったに過ぎない。
やはりどんな時にでも小まめなメンテが大事とわかる。

土地勘のある場所での走りで、smoothに動くことができた。
knockingも、stackもまぬがれて、車庫入れまでとりわけの支障なし。
このところ自分の足回りは、近隣に限られ、ほぼゲタの如く。
多分、今後もこの程度のtoolにとどまるだろう。 

ところで、SNSを始めネットのチェックはconstant。
ネット言辞のバイアスを補正し、的確な認識の確保の至難さを思う。
庶民はグチャグチャ、識者はバイアスが特異である。
これはやむ無し。

それが国柄ならば、それはそれなりの合理性ということだろう。
ただ、実際にチベットウイグル香港台湾南北半島をみて、お気楽極楽のわが国「リベラル」言説のバッコを見ると、暗澹としなくもない。
まあ、それもかかりにくいエンジンキーのようなものなのかもしれぬ。
さしあたり風景は、春に向けてである。

雪の洞門開通

一気呵成に車庫前の雪塊を横にどけた。
待望の車庫開放だ。
勇んで愛車に乗り込みキーを回す。

ウンともスンともいわない。
バッテリーがあがっているようだ。
不思議なことだが、エアコンは回り、カーラジオはつかない。

中途半端な乖離状況だが、とにかくエンジンがかからないのは厳然たる事実だ。
急いでJAFに助けを求めた。
一時間後の来訪とのことで、もう一度車庫に入る。

もう一度キーを回して、アクセルをふかすと少し反応する。
少しずつ踏み込み、knockingしなくなるまでエンジンの回転をつなぎ止め回復。
斯くしてJAFのrescueを辞退するところまで持っていけた。

このときから日に一度エンジンを動かして車の稼働可能状態を維持している。
しかし、まだ路上のエンストを警戒して、動かしてはいない。
今月中スタンバイを続けて月末月始めに始動させるか。

雪のlocked inも、車のハングアップも、当たり前の自由の貴重さを教えてくれる。
逆に、どんな利便もひとたびストップすると危ないことこの上ないこともわかる。
こういうことも、この年でやっと気がついた。

またひとつありがたさに感謝。
タイミングひとつで紙一重、乾杯。

2017年2月24日金曜日

雪割り大作戦

まだ時に雪が降る。
しかし、既に春に向かうモードは強く、朝の雪かきでも雪塊の反応は柔らかく、スコップを差し込むと簡単に割れる。
今の課題は、車庫前の雪よけだが、まだ三分の一ほどの状態で、月末まで精勤に雪かきを続けることができれば、来月にはドライブ可能の見込みだ。

まあ、大作戦とはいっても、季節の推移に沿っていけば勝てそうな趨勢なので、特に力む必要はない。
突発事に足を掬われないというスタンスが基本になる。
よって、慎重に歩を進めるが、実際に夜に凍り昼に融けまた夜に凍るのseasonなので、決してるんるんはできない。

そんな生活の小市民の近くもキナ臭い。
マレーシアで殺害されたという御仁の件も謎が多い。
女が素手で毒を塗ったとか言われているが、逮捕された被疑者自身はピンピンしている。
手段が猛毒なら、そういうことがあり得るのか?
注射での毒薬注入による暗殺ならば、かぶせたとか、拭いたとかいうハンカチ様の布は何の為だったのか?
謎は尽きない。

そんな中で、米軍の動きは急である。
マチス氏の◯首作戦は既にスタンバイに近く、すくなからぬインテリジェンスによれば三月に入れば、トランプ氏のサハイによるが、一気呵成にoperationが動きそうだ。
わが国とすれば、集団安全保障への噛み方と、国内の治安騒擾勢力への対策態勢の強化が課題だが、タイムリミットと実践能力が気になるところである。

そんなこんなで、のんびりとピリピリのコラージュになりそうな近未来だが、個人も組織も世界も「ここがロードスだ、ここで跳べ」は歴史の教訓である。
せいぜい首を洗って跳ぼうか。

2017年2月22日水曜日

夢の中へ~♪

いつものように早寝したが、枕元にPCを置いたのが運のつき。
変な夢ばかり見る。
加えて、記憶が変容したり、ベーシックな名辞が消える。
PCで流した番組で無茶苦茶だ。

考えてみると、生きているのは危ない。
ちょいとdrowsyになると、斯くの如く主観的世界は融ける。
目が覚めて、ネットで検索すると、再び賦形されるから冗談っぽく語れるが、、、、。
生き物は一瞬一瞬変容する。

これが低血糖、ショック、認知症その他もろもろで常態となれば、冗談ではなくなる。
言葉がを失われるだけでなく、認知認識がメルトダウンし、他人様も自分も訳ワカメのレレレのおじさん状態となる。
これはとりわけの個人ということでなく、誰にでも起こりうる。
われわれが類的存在であり、一定の確率で皆同じである。

大体、意識鮮明にして、思い込んでいたことが、人生のある時点で外れかとわかり臍を噛むことままあり。
遠藤周作先生は、あるとき気がついて「あーやんぬるかな」と叫んで、しばらく経ってそのときの自分をあんなことを思ってたんだと「メタあー」と叫ぶとおっしゃっていた。
そうなると、人生は素面でも、夢の中でも、所詮は「邯鄲の夢」か?
気がつけば物心つき、気がつけばはや渺々とした荒野だ。

まあ、人生みんなチョボチョボと思い定めれば、その程度のもの。
何はさておき夢を楽しもうか。

久しぶりの一回り

歩きたくて歩きたくて、バスの選択肢をさっさと放棄して、徒歩で一回りする。
久しぶりに図書を更新し、ゆっくりと歩きながらスーパーへ向かう。

別に除雪されたからといってアイスバーンは危なく、ヒヤヒヤのroundだが、それでも部屋に閉じ込められた日々に比べると、気持ちはウキウキるんるん。
あわてて転倒しないように、ゆっくりじっくりと進むが、近場なので、時間は余裕だ。

今日は近隣の別の地域が除雪日なので、家の前は雪運搬車の溜まり場で、トラックの列ができている。
朝は雪が降っていたものの、お昼の今はポカポカ陽気だ。

明日からは除雪モードも終わり、再び春待ちの家ごもりに転じるか?
出たり入ったり、降ったり止んだり、暖かかったり少し凍れたり、スパイラルに春に向かう。

人生を上書きしつつ、残り少なを惜しみながら進む。
自由が効いているうちが華だ。
実に幸せである。

2017年2月21日火曜日

雪ゆきて雪

除雪車が作業終了したかと思えば、また雪が降り始める。 
なんだ賽の河原じゃあないかとゴチながら、除雪であいた空間に新たな雪を置く。
まあビルの如き雪塊に比べれば、可愛いものだ。
雪の合間にも、春の隙間が随分とできている。

一日除雪の監視作業にlocked inされた反動で、明日の動きに気がはやる。
あれもして、これもしてと思いめぐらせhappyである。
動かず隠忍自重すれば、動けることの幸せよ。
人生凸凹でto payだ。

近隣は実に静かで、わが家とちょいと離れたご近所が少し動いた程度で、みんな小休止か?
しかし、世はテロ事件の後で、◯首作戦のカウントダウンもありうべしの報もあり。
これも世界規模の大変動あれば、全体の曼荼羅はわけわからず。
葭の随から天空を想像するばかり。

まあ、独裁政権も、世界大変動も、昔からあったこと。
なんでもありと明日に向かう。
基調は、極楽トンボが最善であるらし。

そこのけそこのけ除雪車が通る

轟音とともに除雪車が雪山を倒していく。
心待にしていた市と町内会のpartnership除雪の実施日である。
ユンボがどけた雪を次々とトラックが運び去る。

午前中にこの程度の進行具合だから、夕方までにはきれいさっぱりトリミングも終わるか?
ひと冬でたまった膨大な量の雪塊が、瞬く間に除雪車に押し潰され、数台のトラックに乗せられて去っていく。
やはり機械のパワーは凄いものだ。

ここまでくれば、凍れる日もあるにしても、概ね雪は融けて春に向かう。
二本バットを振り続けてきたバッターのように、身体は軽くなる。
活動しやすくなれば、あれもしようこれもしようと思うとワクワクする。

もちろん、こういう予想が直截に当たるほど現実は甘くない。
とりわけ、このところは天下大乱の予兆含みである。
るんるんホイホイとは行きそうにはない。

それでも、生きているのは、その日暮らしが基本だ。
その日この日をしっかり吟味しながら過ごしていく。
それしかないと気がついたら、それに沿っていく。

それにしてもが、風は少し強めだが、快い好天だ。
日々是好日。

2017年2月19日日曜日

時の流れに身を任せ~♪

金正男の暗殺も、とある国ではentertainmentの材料だ。
米軍の動きは、既に頂点作戦に入っているのに気楽なもんだ。
馬鹿げたわが国の反応と世界情勢、どちらも我が関心ではある。
わかるのは骨が大事だ。
もう少しで答えは出る。

ところで、既に春の気候で、方々が温んでいる。
明日は街による個別雪捨て行事の日なので、その準備が今日の課題である。
朝の町を巡回したが、随分と春めいている。
少しでも雪景色を、春の流れに合わせることができれば上出来だ。
イーブンな感じが快い。

SNSで各位の活動を垣間見る。
まあ、おまけのようなものであるが、なぜかなぜならばが興味が現在なので、特に異論なし。
50~60越えて変わるまい。
自分含めて因果を眺める、所詮は参考資料である。
まあみんなテンキョウインだ。

いずれにせよ、納税手続や雪掻きで、少し時の流れに追い付いた。
時は淡々と過ぎて行くので、所詮は負け戦である。
それでも追い付こうとするのが、生きているということだ。
生きられているからには、まだ負けていない。
自分の終わりで終わる。

生きているだけで大儲け。
それだけに金正男氏の死を悼む。
領主の子に生まれるのも恐ろしいことではある。

時に御加護あれ。

2017年2月15日水曜日

天下大乱に事もなく

金正男氏が、北朝鮮の刺客に毒殺された。
マレーシアの空港で起こることは、世界中で起こりうる。
いまや中国の国連対応すら変じたからには、北朝鮮の状況はかなり切迫していると読んでいい。

わが国内の治安もほとんど同じ。
大陸半島世界の激震に、パヨク諸氏の内ゲバも段々と顕わになってきている。
立って半畳寝て一畳のsecurityは、かなりnervousに扱うべきphaseになってきていると云っていいだろう。

まあ、世の中のphenomenologyは、その下に蠢く多々の要素の突出に過ぎず、政治・経済だけでなく、文化・ 文明すら越えて、愚行・悲喜劇の上にさえ成り立っている。
そして、世の実質的な代謝となれば、個体や組織の生まれて死んでの交代なわけで、それを越えた全体像の観察は所詮は余技のようなものである。
生き死に切迫している場合は、天下国家や世界の趨勢に全く関係のない個別劇のことも少なくない。

さて、季節は確定申告だ。
天下に大乱の兆しはあれど、国民の納税の義務が先ず果たすべき年中行事だ。
どえらいテロにやられるよりは、つまらぬよろめきで転倒して終わる可能性が大きく、まずはボチボチとご自愛をか?

2017年2月13日月曜日

路線バス乗り継ぎのお買い物

朝一で朝市に出向いたが、近所の買い物行だって容易でない。

タイムキーピングだけでない。
財布から小銭を出すか、プリペイドカードを使うか?
ちょっとした塩梅のズレがトラブルのもとになる。

いまや車庫は雪中に閉じ込められているので、車は使えない。
バスを乗り継いで、上手に行って来いをしなければならない。
荷物は、まとめ買いのパターンなので、帰りの挙動も十分な計算が必要である。

今朝は、最初に目的地の違う駅行き直行便に乗ってしまい失敗した。
乗り換えで、結局もう少し待てばよかった次のバスに乗ることになった。
しかし、この中途のバス停は、多方面からバスが来るので、仮に土地勘のない旅だときっと交錯するバス群に翻弄されただろう。

朝市では、後に銀行に寄って記帳や引き下ろしの作業の予定もあって、これまたタイミングが重要となる。
はやすぎて手持ち無沙汰、遅すぎると帰りがうまく行かない。
このところそういう読みに腐心しながら動いている。

これには東テレの「路線バス乗り継ぎの旅」が、実に参考になる。
うまく算段しないと、見事なしっぺ返しにやられる。
一分のずれで、所期の目的を達することができない。
太川陽介さんと蛭子さんの苦労も、ほんのちょっとしたズレだ。

ところで、このところ「帰って来たヒトラー」や「靖国」、「リリーレーフェンシュタール作品」などを眺めているが、このような作品が描く世界も、「バス旅」同様に微妙な展開を示してくれる。
E・Hカーは、「歴史とは、現在と過去の対話である」と喝破したが、この頃やっとその実感が強くなってきた。

よくもまあ、一回りすぎのサバイバルを完遂できたおかげである。

居場所の認識

ここはどこ?
あなたは誰?
これを見当識という。

SNSで知己の動きを見ると、実に鏡だ。
自分がよく見えてくる。
いまかかわっている人々は、99%関係ない。

死ねば、あんな変わったのもいたなだし、生きていれば、なんかごちゃごちゃ云うとるなに過ぎず。
これは快い。
所詮、顕れている交錯を含めて、人はひとりだ。

その中で、ごく少数のcontactあり。
多くは仕事であり、はたまたこちらが構わずとも生じるガチンコ状況であり、要はペンディングのスリリングなギリギリ状況である。
これらは、単に口を糊するという以上にクルーシャルで面白い。

一族郎党も、色がつけば、色がわかれば、それまでではある。
組織も同じだ。
わが国は、太古より不安定な国で、こんな不安定な時代には合うかもしれない。
開明派蘇我入鹿は暗殺され、聖徳太子は十七条の心得を説いたが、安政の大獄、桜田門外で血で血を洗った。
のんびりの時代でも、四十七士のリベンジがあった。
もともと島国根性のスラプスティック社会ではある。

今、Googleアースで世界は一目で見えて、狭くはなったが、曼荼羅絵は読み解き容易ではない。
基本は、いつもの立って半畳寝て一畳だ。
ここですべてを決める。

2017年2月12日日曜日

double thinking

ジョージ・オーウェルの「1984年」の中で、「二重思考」を「建前」と「本音」、「党是国是」と「所詮プロパガンダ」の病理的相克と描いている。
double thinkingを全体主義や少数者支配といった病理現象のベースと見れば、切ないだけの話かもしれないが、人間が言語を持つ生物である以上、シニフェとシニフィアンの矛盾相克乖離は必定で、特に喧々諤々騒ぐ必要があるように見えない。

そこでニュートラルに身近なdouble thinkingを考えてみる。
例えば、デフレとインフレだ。
リフレ派は、金融緩和財政出動規制緩和で、インフレを目指さないとダメだと語る。
わが見解も同じである。
高橋洋一氏をはじめとするリフレ派の唱導するとおり、デフレは失業率を上げて社会問題を噴出させる。
だからインフレターゲットでガンガンやらねばならぬ。
社会がシュリンクしたら、縮小均衡どころか社会解体に向かう。

その通りである。
しかし、ミクロの自分の気持ちは少し違う。
デフレで少額で暮らせればありがたい。
チビでショボい生活をしているほど、そう切望する。
これが典型的なdouble thinkingである。
マクロとミクロの矛盾でこの世は成り立っている。

これは、わが心象風景だけでなく、多くの人々の胸中にある。
右翼がわが国の国粋主義のネックを無視して大声でがなったり、左翼が中国や朝鮮の蛮行を無視して第五列言辞や工作に挺身している姿を目の当たりすれば、その矛盾は顕著だが、そのような極端でなくとも、小市民にデフレとインフレの如き矛盾は去来する。
わがネット知己諸氏も、そのような風景を生きているのが手に取るように見える。
矛盾ながらそれなりに楽しんで生きることができるのが、小市民的幸せであろう。

そんなこんなを思いつつ、己を斯くのごとく知識社会学的にいじりながら進んでいく。

2017年2月11日土曜日

靖国

まだ配偶者がいた頃、初公開された映画館に観に行った。
事前情報では、中国人監督のプロパガンダだと上映反対を唱える右翼が殴り込みかも?のニュースが流れ、実際にアートシアター系の映画館も少しピリピリしていた。
今から十余年前のことである。

アマゾンでDVDを見つけて、いま久しぶりに見ている。
当時日本政府の補助金が出たくらいの作品で、一見しての中国色は突出させていない。
素材も靖国神社の風景のアラカルトで、右も左もなんでもかんでも忌憚なくフラットに描いている。
しかし、やはり肝では某左傾反日新聞社の如く、旨いプロパガンダを忍び込ませている。
例えば、「南京大虐殺」の斬首写真のショットなどだ。

「南京大虐殺」の幻は、最近ではAPAの社長が、自社ホテルに著作を置いて主張されて話題になっているが、傍証は幻の方に傾く。
当時の記録には、中国側にも、日本側にも、大虐殺を示唆するものは全くない。
蒋介石軍も日本軍と正面からぶつかっていないし、八路軍はそもそも遠くに回避して現場にいない。
20万人の人口の地に、事件があったとされる後で25万人に膨れあがっている。
中国のいうように30万も虐殺があって、人口が膨らむことはありえない。
東京大空襲や広島の原爆禍の後の30万人の被害者となって、あのような惨状写真となる。
中国の当時は、惨禍どころか、非常に整然とした街並みである。
それだけの死者が出れば、死体処理の必要からでも、ドタバタの筈である。
元TBSのアナウンサー鈴木史朗氏は、中国で生まれ、戦後もかの地に赴かれたが、現地の人から当時のエピソードをいくら聞いても、虐殺など全くないことを述べている。

唯一あるとすれば、弁衣兵によるなりすましへの極少数の処刑である。
蒋介石軍は、弁衣兵といって民間人になりすまして軍事行動を取る作戦を行っており、その処遇として処刑はなされた可能性はあるものの、既述のようにマッシブなものは見られていない。
それを中国は、万だ何十万だとデフォルメして恥じない。
内戦で、何千万と虐殺してきた御仁らが、どの口で云っているかのお話ではある。

それにしてもが、映画「靖国」を観ると、日本のゴッタ煮的状況であることがよくわかる。
多分いまも風景はさほど変わらずであろう。
「帰って来たヒトラー」とともに、現代史、現在に興味のある方には、必見の映画ではある。

2017年2月10日金曜日

silent majority考

バスで通学している坊やが、選挙時にトランプがかぶっていたスローガン付きの帽子をかぶっていたからといって乗客のアンチからボコボコにされた。
あげくに、学校で、それがわかったら被害者にもかかわらず、停学になった。
母親は、その不当性を訴えているという。

これは、この子の問題だけでない。
大人だって、こういった有徴性を見つかると敵にやっつけられるから、トランプ支持者はその支持を明かさない。
トランプ氏の毀誉褒貶も様々だが、氏が移民の二世でありながらAmerica firstを標榜したのは、米国でありながらクリスマスを祝えない、「風と共に去りぬ」も楽しんで見ることができないアメリカのそれまでのポリコレ体制へのアンチからである。
そして、この表現は、ポリコレで支えられてきたならず者にボコボコにされた少年のように怖いから、テロられるから、秘密にされるわけである。

これは特に、米国だけでない。
沖縄中心に過激派崩れや第五列工作員らが、近隣の間接侵略の枝活動に必死である。
実際に、警備の警察官らに、お前の家族の所在地は知っている、ただで済むと思うなよと、脅迫を繰り返している。
官権に対してすらこれだから、われらが小市民は黙って政権を支持する。
それが、内閣支持率の圧倒的シェアと、反日野党の死に体の実相である。

自分などは、口の軽い方で、こうして口を開いてしまっているが、これはあくまで政治論ゆえで、その他は言えない言わない。
わがSNS知己というだけでなく、ちょいと縁のある教授は、汚い石の写真や感染写真を表紙に掲げ、実に汚く見えるが、、、、と思えど言えない言わない。
引用ニュースソースが低レベルに偏したり、矛盾だらけ、あるいは左巻きすぎたり右巻きすぎる諸氏も、言えない言わない。
これも実は、政治論のsilent majorityと同じで、口に出すとやばいからである。

しかし、思いつつ表白しないのは、ひたぶるに腹ふくるることになる。
効果を見て、云うべきときには云う。
この一番大きいのは、民主主義国家では投票権の行使であり、自由主義国家では言論活動である。
突出は、そのレベルレベルで失うものも大きいから、われらが小国民は黙って投票、黙ってわかる人と茶飲み話ということになる。

ということで、今日も一日ひたぶるに雪とたわむる。
精神衛生には実にいい。

2017年2月8日水曜日

何十億年からの本能

犬息子は、ともすると脱走しようとする。
昔、この厳寒の時期に脱走した。
太い道を渡り、道の向こうで騒いでいたのを発見して、大過をまぬがれた。

この「成功体験」があるので、いまもともすると雪山を乗り越えた同じ場所に来ると、挙動が脱走モードになる。
いまは怒らず、これをデフォにリードを引き締めることにしている。
養老先生も、殺せずペット化した研究室のマウスが仰向けに餌や水を摂るようになった後に、ある日脱走してえらく遠くに逃げた話を書いておられた。

これは人も同じである。
思想の右や左もあるが、もっとベーシックに人は同じく豹変する。
「真面目」な公務員や会社員が、酔ってなどのことが多いが、自制が取れると豹変する。
抑圧する分が多いだけ、羽目を外すと危ない。

ある意味、その理由は簡単である。
「真面目」な人ほど、ポリコレに忠実に日常生活をこなす。
その分だけ内心のマグマは熱くなり、飲酒その他の抑制解放で、露骨な「悪事」として開花する。

左右の極端人士なら、あいつ、あいつらなら、ああしそう、こうしそうは予想しやすい。
また、犯罪性向のある者は、プロファイリングなどで手口や発想は予想できる。
そういう類型の見えにくい「真面目」派は、えっあの人が⁉ となりがちだ。

中枢の反応はこうだが、細胞や組織はもっと複雑で反応は速い。
作ってはつぶし、どんどんと己の構成要素を廃棄する。
福岡博士や養老先生が紹介するシェーンハイマーのラジオオートグラフィーから、先般のノーベル賞のオートファジーに至るまで、msecの単位で激しく交錯するミクロの世界は、こんなゆるりとした中枢のアンビバレンシーに関係なく組合せをtryする。

まさにウイルスや植物といった存在との交易を、ただただ繰り返す。
これは、何十億年前からの栄々たる歴史そのものである。

という事で、犬息子の脱走念慮も、ネット知己の、あるいは通りすがりの人々の言動も、ただただそのものとして見ていくこととする。
もちろん、自分のありようも、、、。
特に己が養老先生のいう「自分の壁」があるだけに、冷徹に見つめることは至難だが、、、、。

シンギュラリティ再考

このところ密林さんのdeliveryには随分と御世話になっている。

DVDや本は、ほとんど郊外店にさえ御世話にならない。
品揃えは、新刊中古がほぼ無尽蔵だ。
配達も段々と進化する。

もちろん、世の中は震災をはじめ緊急時は常である。
先だってのニュースにもあったが、正月だ何だと繁忙期は事故がなくとも容量overになって、ハングアップすることもあり。
よって、常に当てになるというわけではない。

ところで、しばらく前のニュースだが、シリアで過酷な処刑が続いているという。
アムネスティか何かの調査だが 、さもありなんとは思う。
ただ、本国の内戦だ、ロシアだ、トルコだの介入を見れば、一筋縄に行かない。
誰がまともか、過激派のダミーか見えにくい。
アメリカなんぞは、建前と本音をうまく使い分け、アフガンだ、イラクだ、リビアだと帝国主義的なマヌーバーを続けてキーパーソンを抹殺してきた。
やっとトランプ氏になって、外に構わず、塀を作るとしたが、従来のオバマもクリントンも決してクリーンハンドでない。
犀利なリアリスト達が、マスコミの単純なヒューマニズムごかしの薄っぺらな論説をバカにする所以である。

世は利便性が極限化してお気楽極楽になるかの一方で、その極限を利用したテロだ、破壊工作も油断なくなる。
戦乱だけでなく、仕事も、余暇も、個人的な人間関係もさも似たり。
キリモミでスパイラルが現実だ。

そういうことを思いつつ、やってきた本やDVDを整理する日々である。

帰って来たヒトラー

風刺小説の映画化で、実にスラプスティックであるが、、、、実はかなりactualである。

1945年に自殺したはずのヒトラーが、ベルリンの空き地で目を覚ます。
2011年にタイムスリップしたことに気付いたヒトラーは、キオスクのバイトから映画製作会社にスカウトされ、InternetやWikipediaで今の世界を知り、活動を広げていく。

映画では、実際にネオナチや移民問題の現場に、総統の姿で登場し、今のドイツ、ヨーロッパを活写する。
物語そのものでもネオナチにドイツを揶揄するものと襲撃されるが、撮影でも同様に揉めたあげくに共感もされ杯を重ねたという。
つまりは、ベルリン陥落時と現在の位相差、及び共通性がこの作品の不思議な魅力となっている。

メルケル氏の偽善が、現在のドイツのこの両面性を生んでいるが、これもトランプ政権の誕生やブレグジット等々で厳しい現実にさらされるだろう。

とかくトランプ氏は、ヒトラーになぞらえられるが、ある意味で逆である。
歴代の米大統領が、国際主義の美名の下で実際は帝国主義的アメリカファーストを貫こうとしてきたのに比し、トランプ氏はinnerなAmerica firstを貫こうとしている。
もちろん、中国の崩壊に合わせて対応を取らざるを得ないのは、オバマだトランプだという前に、米国政治体制の中核思想で、マチスさんなどそのために東奔西走しているわけだが、そういった戦乱含みの話とはちょっと違った味が「帰って来たヒトラー」にはある。
何かといえば、国民の口を糊すということである。
有効需要政策は、ケインズの時代からマクロ経済の肝だが、ヒトラーも、米国も、安倍晋三氏も、プーチン氏も、習近平氏も、刈り上げ氏も、国民の食い扶持を提供できなければ持たない。
総統の口から、ベースは国民をどう喰わせるかの基本思想が語られる。

また、いまやpost factの時代といえど、マスコミのマスゴミ性は、ネット時代に顕著であり、「帰って来たヒトラー」のテーマの一つとみていいだろう。

なんにせよ、面白いお薦め映画ではある。

2017年2月7日火曜日

青春時代が夢なんて~♪

特別に森田公一とトップギャランにノスタルジーを感じて渉猟したわけでもない。
ただ、歌には歴史あり。
たどれば己の人生が見える。
Youtubeの連件で、己の人生をたどる。

一代だけでない。
宇多田ヒカルをみれば、藤圭子がみえる。
歌に限らず、吉本ばななをみれば、おやじの吉本隆明がかいまみれる。
人は、それぞれの歴史をメタモルフォーゼこみで生き続ける。

青春時代が、夢なんて、ほのぼの後から思うもの。
青春時代のまん中は、道に迷っているばかり。
さて、青春時代はいつの謂か?
いつも思っては、時は過ぎる。

このところ、己の青春時代から先日の日々まで、よく見えてきた。
しかし、気がついたところから、人生はまた始まる。
いつ終わるとも知れぬ。
死ぬまでrefrainは覚悟だ。

こうなれば、それを踏まえて、永劫回帰を繰り返さなければならない。
過ぎ去った人々は、もういいかと自制もできる。
新たな人々は、かつての青春時代を踏まえて接することもできる。
しかし、それでもなおここが肝の一瞬は続く。
青春時代は、夢とみて、ノスタルジーに浸ったり、過去のファンタジー手法をrefrainできぬ厳しさを持つ。

つまりは、死ぬまで、青春時代のまん中は、道に迷い続けなければならない。
面倒ではあるが、しようのない税金のようなものではある。

2017年2月6日月曜日

光と影

「光と影」というと、少し前なら渡辺淳一の医療小説を思い出した。
手術と保存療法の選択で、ひとりは軍の高官に、他方は狂死する。

最近は、レニ・リーフェンシュタールとマリーネ・デートリッヒを比べる。
特にどちらが光、どちらが影というわけでない。

ともに同じ1900年代初頭に生まれ、20世紀を生き抜いた。
ともにドイツ系の芸術家であるが、その生き方は対照的だ。

レニは、ヒトラーの寵愛を受け 、オリンピックの記念映画やナチ党大会のドキュメンタリーで腕をふるう。
戦後は、戦犯的purgeに耐えつつ、映画監督の道を全うする。
100歳のinterviewでも矍鑠として、己の人生を堂々と語っている。

他方、マリーネは、ドイツを捨て、渡米しハリウッドで女優や歌手として活躍、それにとどまらず反ナチの立場を鮮明に米兵慰問の活動を行う。
戦後、帰独の折りは、レニの逆で「裏切り者」の罵声も浴びたというが、おおむね暖かく迎えられたという。
最後まで矍鑠としていたレニに比べ、90歳で亡くなる前の十余年は寝たきりであったという。

同じ時代を対照的な生き方で駆け抜けた美人女傑といえようが、いずれも勁い。
もちろん、男性にも長寿はいくらでもいるが、やはり逞しいのは女性である。
さて、そういう目で回り見ると、、、、いるいる。

アーカイブと今

Youtubeなどの視聴、しばらく前まではライヴ性を重視していた。

論者や話題が、少し前をかなぐり捨て、今をシャーシャーと語る。
そういう繰り返しを経て、アーカイブに向いた。

ヒトラーを巡る言説、レーニン、スターリン、トロツキー、米欧政治史、わが国の諸々、その他に興味を深めれば、今よりはアーカイブに興味がいく。
今であれ、アーカイブであれ、肝はアクチュアリティーではある。

語るのは皆その時々の今であるから、本当は差はない。
本当は識字前にさえ思いを致さなければ不全である。

斬るにせよ、紡ぐにせよ、最終的には自分以外にはない。
自分というのは、しっかりと自分の壁があり、最も要注意ではあるが、しゃーあるめえ。
慎重慎重に自己点検の上で進み戻り、スパイらる。

2017年2月5日日曜日

ヒトラー三昧

トランプ氏をヒトラーになぞらえる向きが多い。
今日もYoutubeを視聴していると、いくつかの特集に遭遇する。

まず桜チャンネルの鼎談だ。
https://www.youtube.com/watch?v=OEQpfuf-QbI
ヒトラーとは何だったのか?-ナショナリズムの本質を考える

鼎談は正鵠を射ている部分もあるが、ちょいと踏まえ足りないのは、われらもさも似たりということだ。
昭和天皇のご聖断で、2・26や終戦時の「宮城事件」を乗り越えて、やっとこ国体護持できたわが国も実に危ない国ではある。

ヒトラーで、思い出すのは、「ヒトラー最期の12日間」と、それに先立つ「ワルキューレ」だが、レニ・リーフェンシュタールも逃がせない。
Youtubeで、オリンピック映画と党大会の編集を拾い備忘する。

アマゾンで「帰ってきたヒトラー」を注文する。
一種のヒトラーの相対化だが、偽善的かつ犀利な移民政策で、かの母国もヒトラー発生の頃の風景にさも似たりとなっているが、これはすぐにやってきて楽しめそう。

「シンゴジラ」は、3月dvdリリースだが、描かれている世界は、我が国の現在である。
3月まで間に合うだろうか?
ちょいと心配だが、しょうあるめえ。

赤色ナチの隣国の書、「中国最大の敵日本を攻撃せよ」に出会う。
筆者の載旭は、筆致から中共軍の実務家だろう。
トランプやマチスとは、ガチンコでほどなく開戦か?

時はいとまなく移り過ぎ、過去はすぐにメタファーとなる。
もちろん、大きな母斑をおしりにつけて、、、、。
まあ、その忙しいこと限りなし。

2017年2月4日土曜日

過ぎてしまえば~♪再考

土曜の午後だが、タイミング的には中途半端だ。
二月の中旬近くなれば、確定申告に向けて動きもするが、少しはやい。
ここはしばらくじっとうまくしのぐ必要あり。

今朝は買い物でしばらく動かない時期の兵糧を確保しようと動く。
まずまずの成果で、所期の目的は達したが、ハイヤーのオヤジにムカッ腹立つ。
しっかり備忘して今後絶対に乗らないこととする。

ところで、BGMで流すYoutubeも、このところおかしな論は、すぐにばれるので、うまくスキップすることになる。
こういう頭隠して尻隠さずは、逆に「過ぎてしまえば~♪」よけいにボロが出るので、しっかりとスクリーニングになる。
日々に理路や論筋のtrimmingの生活となる。

まあ、世に現れる情報のほとんどは、推論事実としては、実に頼りない。
ひどい奴は、コロコロ云うことが変わったり、矛盾がはなはだしい。
omitすべき部分と傾聴していい部分の聞き分けが重要だ。

こちらも、外れてしまえば、当たってしまえば、己の立場も豹変するわけで、あまり他人様のことは言えない。
特に世には事情変更の原則もあり、ドラスティックな変化があれば、話はコロッと変わる。
既に変わったところはハナもひっかけないという冷徹な経験則もある。

過ぎてしまうまでが華なのよ~♪もあれば、見ぬもの潔しもあり。
次には、青春時代のまん中は道に迷っているばかり~♪も出てくる。

2017年2月3日金曜日

過ぎてしまえば、、、青春時代~♪

朝方のラジオ放送で、森田公一とトップギャランの「過ぎてしまえば」が聴こえてきた。

「青春時代」は自分でも唄ったこともあるが、「過ぎてしまえば」も聞き覚えのある曲だ。
琴線に触れたので、Youtubeで繰り返して聴く。
ぼくらより一回り上のノンポリ青年の青春が歌われている。

作詞は阿久悠さんだが、作曲の森田公一とほぼ同じ世代の彼らの心情がうまく描かれている。
美しくもなく豊かでもない凡庸な青年が、楽天家にもなれず、かといってグレもせず、これでいいとも思えず硬いリンゴを噛じる姿は、いまの若者の多数派でも同じであろう。
実は、「青春時代」も、作詞阿久悠、曲森田公一コンビのベストセラーで、「過ぎてしまえば」と少し描かれる時相は違うが、主人公はほぼ同じ世代の同じ感じの青年である。

このようなレトロな世界を味わって思うのは、今との違いだ。
今の青年青女には、これらの歌のようなモラトリアムがない。
時代の変化は、急峻だ。
加えて、ゆっくりと自分で悩む余裕もない。
周囲の大人は、介入できず、自分のところでの滞留時間を恙無くが至上命題だ。
周囲の同輩は、ネットだ、ラインだと、集団バッシングやリンチで待ちうけている。
これは緩くない。
米国でも、トランプ派と自称「liberal」の内戦状態だが、十分に気をつけていないとテロられる。
カリフォルニアの大学では、「liberal」派の苛烈な卑劣なテロが炸裂し、トランプ氏は厳しく言論の不自由を指弾した。

身辺から世界までかくの如くでありながら、道に迷い、さまよって、答の欠片を見つけることのできた人間には、この世界は必ずしも地獄ではない。
これらの曲を聴きながら、昨日観た死刑囚のドラマを思い出した。
「死刑囚からの恋歌」
https://youtu.be/my5wfMtUSGk

生きていくのは、死ぬまで「道に迷っているばかり~♪」ではある。

2017年2月2日木曜日

この広い野原いっぱい~♪

快晴である。
気温は零下で、降雪はないが、四方はしっかりとフリーズしている。

自由に動いているのは野生動物たちだけで、家のボンもお嬢もインナーでまったりしている。
食っちゃ寝の生活だから、図体ばかり大きくなっている。

ちょっと歩けば、野原だらけのロケーションだが、道路も人ひとり通るのもやっとこの状態で、ハミングしながら歩く余裕はなし。
車もたまにスパークさせてやりたいが、車庫も雪にブロックされていて近付きにくい。

外との交信は、もっぱらネットやラジオである。
ほとんどは受信で、発信はささやかにクライアントや取引相手の最少必要なもののみである。

なりすましによる情報パクリやハッキングが危険なので、取引先名義のものでも、不要なスレッドには呼応しない。
これも、この広い野原なれど、広いゆえにピンホールに限るほかないパラドクスだ。

まあ、それなりに広げたfieldで動いてみて、やはり時代は十分にしぼらぬと危ないと悟ったあげくのことなので、感じはちょうどよい。
旧来のお付き合い先は、ほとんど死んだも同然、新しいfieldはギリギリに狭めたやり取りなので、ある意味で最高のシフトだ。

窮屈に思ったり、ベタベタできぬと寂しい向きには、索漠とした心象風景となろうが、ギリギリしぼって残った最高のお付き合いがベストと認知認識すれば、最高のconditionだ。
わが境地は、後者なので、実にありがたい次第である。

トランプ占い

トランプ現象の政治的分析は、手練れの国際政治学者三浦瑠璃氏の次のブログで必要十分と思われるので、以下にリンクする。
http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2017/02/01/145451
山猫日記「トランプ政権誕生12日目」

以下は、わが独断先行的絵解きである。

トランプ氏は、秀逸な政治家である。
阿呆な評論家口は、右も左もトランプは素人だとディスるが、そういう輩の狭い了見を超えて、トランプ氏はまともである。
とりわけ、民主党の引かれ者の小唄、例えばデーブ・スペクターは木村太郎に、モーリー・ロバートソンが高橋洋一に嘲弄されるように、所詮いわゆるliberalのディスりは、ブーメランに過ぎない。

兆単位の資産を持つビジネスマンが、暗殺のリスク承知で立起するのは、当然したたかな政治判断である。
そして、多くの凡庸バカの見逃しているというか、自明の事実の無視どおり、トランプ氏は共和党エスタブリッシュメントを蹴散らして当選した大統領である。

彼自身、移民の息子でありながら、アメリカ回帰で「アメリカファースト」を選んだ理由、それはひとえにポリコレ問題である。
米国人でありながら、「風と共に去りぬ」を見ることができない、クリスマスを祝えない。
辛坊治郎のようなマスゴミは、アメリカのプアホワイトが云々とディスるが、違う。
内外のセンシテシブな取材者は、民主党サイトの取材者さえ、トランプの支持者は、隠れ愛国者であるという。
ハーバードにだって、プリンストンにだって、支持者はたくさんいる。
しかし、カミングアウトすると、グローバリストに狙われる。
実際、オバマ、クリントンらは、マイノリティ擁護の口で、ドメスティック愛国者を討とうとしてきた。
やっとカミングアウトして、大統領令支持のアンケート等でもやっとカミングアウトで多数派になったが、実際就任式前後でもliberalのテロに遭ったトランプ支持者は少なくない。

ところで、冒頭に紹介した三浦瑠璃氏だけでなく、ケントギルバート氏も入国制限の大統領令も、しっかりと宗教と無関係といった規定を置いていると指摘している。
冷静に見れば、犀利なトランプ戦略が透けて見える。

一方、われらが宰相安倍氏は、しっかりと断末魔のお馬鹿質問をうまくかわしているが、当然のことである。
わが国も、しばらくで臨戦態勢に入らなければならない。

しっかり世界占いを続けて行くということになりそうだ。

2017年2月1日水曜日

深夜食堂と孤独のグルメ、そして刑務所の中で

共通するのは、個性派俳優の松重豊さんである。

深夜食堂では、九州の高校球児出身で今は新宿の地回りに転じたヤクザの龍ちゃんだ。
オカマバーのマスターに惚れられたり、敵対する組の鉄砲玉に刺されたり、高校時代の野球部の女性マネージャーの末期を見舞ったり、朴訥ながら存在感の大きいバイプレイヤーを演じている。

孤独のグルメでは、主人公として、各地のグルメサイトを回る。
主人公のコーディネーターとしての仕事で、物語は一話一話ふくらんでいく。
朴訥は深夜食堂と似てはいても、心象風景は饒舌だ。

そして、「刑務所の中」では、腕に「仁議」とゴンベン付きの刺青を彫ってしまった模範囚である。
この作品は、漫画家の花輪和一さんの銃刀法違反をめぐって下獄した話のセミノンフィクションだから、同房に一緒にいた実在の人物かもしれない。
深夜食堂も孤独のグルメも食をめぐる秀作だが、刑務所の中も同じだ。
健康食が日々serveされる様子が半端なく描かれる。

自分はスレスレで下獄をまぬがれ、シャバで泳がせてもらっているが、紙一重の刑務所的生活は、塀の中も塀の外もさして変わらぬものと思っている。
そういう人間にとって、この三作はよい教科書である。
定期的に回して味わっている。