2017年2月13日月曜日

居場所の認識

ここはどこ?
あなたは誰?
これを見当識という。

SNSで知己の動きを見ると、実に鏡だ。
自分がよく見えてくる。
いまかかわっている人々は、99%関係ない。

死ねば、あんな変わったのもいたなだし、生きていれば、なんかごちゃごちゃ云うとるなに過ぎず。
これは快い。
所詮、顕れている交錯を含めて、人はひとりだ。

その中で、ごく少数のcontactあり。
多くは仕事であり、はたまたこちらが構わずとも生じるガチンコ状況であり、要はペンディングのスリリングなギリギリ状況である。
これらは、単に口を糊するという以上にクルーシャルで面白い。

一族郎党も、色がつけば、色がわかれば、それまでではある。
組織も同じだ。
わが国は、太古より不安定な国で、こんな不安定な時代には合うかもしれない。
開明派蘇我入鹿は暗殺され、聖徳太子は十七条の心得を説いたが、安政の大獄、桜田門外で血で血を洗った。
のんびりの時代でも、四十七士のリベンジがあった。
もともと島国根性のスラプスティック社会ではある。

今、Googleアースで世界は一目で見えて、狭くはなったが、曼荼羅絵は読み解き容易ではない。
基本は、いつもの立って半畳寝て一畳だ。
ここですべてを決める。

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