2017年1月31日火曜日

ながらえば

「ながらえば」は、笠智衆さんの晩年期の作品である。
山田太一さんの原作で、笠さんの演技も従来の朴訥から転じて、抑えながらも自己主張的だ。

妻を名古屋の病院に置いて、息子夫婦と富山に行った智衆さん。
妻危篤の虫の知らせで名古屋に戻ろうとするが、息子夫婦は許さない。
出奔するが如く、ささやかな金員を持って、名古屋を目指すが、資金ショートで途中下車となる。
無銭飲食風に泊まった宿で、おかみの通夜に出会う。
妻を失った宿の主人のシンパシーで、旅費を借りて名古屋に向かう。

年取れば、それまでの様々を失い、剥ぎ取られながら、最期を目指す。
自分には、笠さん演じた夫のように、年老いて求愛する妻はいないが、笠さんや宿の主人の気持ちはよく分かる。

今日、外回りから帰る朝、前に少し歩いては立ち止まる人影を見る。
追い越そうとすると、近所の御夫人だ。
仲のいいご夫婦で、旦那は一回り二回り下のガッテン系である。
働き者で、今日も医大の飯場に出ているという。
ファンシーな置物に、ご夫婦のファンタジーを感じるが、やはり歳の差、厳しさは足に来ている。

この厳しい時代、われわれは各自「ながらえば」の厳しさを持って生きねばならない。
大時代的な激変が進みつつある現在、やはり身辺に見えるは、こうしたながらえばの世界だ。
自分もどこまで行けるかは無明そのものだが、いくほかなし。

シンギュラーポイント考

物理や数学の世界では、シンギュラーポイント(特異点)ということがよく云われる。
例えば、水ならば一般的に零度で凍るし、100度で沸騰する。
そこで、固体液体気体と相が変わる。

このところAI(人工知能)とからめて、シンギュラーポイントということもよく云われる。
人工知能が、人知を超えて、人は考える要のない世界に至ると。
これにはもちろん否定論もあって、それはないだろうという論も厳然とある。

わが見解は後者だが、その論議はひとまず置いてクエスチョン多々あり。
AI研究者や礼賛官僚らが、フォーラムを開く。
しかし、それが実現すれば、あんたらも無用の長物として排除されるが、そんなニュアンスはまったく聞こえず、まさに???

話を変えるが、人間はバカである。
バカの壁、死の壁、自分の壁、養老氏に聞かなくても壁だらけだ。
例えば、中国では、本物の人権派弁護士が投獄や拷問に耐えて活動したり、ノーベル賞受賞者が国家転覆罪で服役している中、わが国は最高裁判事の任命
は、憲法に内閣の指名や任命の規定があるのみなのに、推薦出自がどうのこうのの談合論議にうつつをぬかし、また共謀罪も国連要請にも関わらず、成立後適用されるべき団体の活動やプロパガンダ野放しの現況である。

話を再転する。
某SNSで、文系左派の爺様が、迎撃ミサイルは当たらないとシャーシャー。
先日も、中国が宇宙ステーション用に打ち上げたブツが、制御を失って宇宙のデブリになるのか、地上落下か、とにかくショボン状態になったニュースも知らぬのか。
われはシンギュラーポイント否定論者なので、すべてが予想通りなんぞは絶対にあり得ないとは思えど、NASAやJAXAのサイトを見れば、どの程度のレベルで宇宙管理に達しているかは一目瞭然だ。
こういったボケ老人も、死ぬまで躍り忘れず妄言を吐き続けるのだろう。

話を再々転する。
ネトウヨがご都合主義の突出改憲論、医療系護持派も屋上屋の桶屋の寝言。
みんなファンタジーでワガエーの論を突出するが、現実は非常にdelicateであることを知らず。
右も左も真っ暗闇じゃあござんせんかで、円満な現実が担保されたことは一度もないので、悲憤慷慨することはしないが、シンギュラーポイントどころか、現実の想念の世界は、テンキョウインそのものである。

ということで、シンギュラーポイント考も、人間のボチボチの手作り試行錯誤以上に楽な安パイなしが、わが結論である。
つまりは横井庄一さんが云ったとおり「しっかりなやめ」である。

2017年1月30日月曜日

いろいろと覆われて

早朝の雪かきで庭の外を見ると、獣の足跡が残っている。
獣の足跡だけだから犬ではない。
大きさからするとキタキツネか?
しばらくの雪で、足跡も雪の下に、、、、雪はすべてを覆う。

定点観察をしているとこういう風にいろいろな現象が見える。
丑三つ時に、野生の獣が、隣との境界の低い雪山を駆け抜ける。
うちの子も庭遊びばかりだが、こうして野生の仲間と交流する。
以前に大学のキャンパス近くで、キタキツネに先導されて散歩したことがあるが、立ち居振舞いがなかなか洗練されたダンディーなやつだった。

さて、先日の朝生をチェックすると、わが国から見たトランプ云々ばかり。
しかし、民進党ながら日銀出身の某氏、韓国から退避訓練が稼働しているとの情報もあり、、、、と口にしていた。
ちゃんとsensingできる人はわかっている。
トランプ氏の臨戦態勢云々の前に、オバマ退任の前から、そろそろ中国韓国朝鮮の崩壊を覚悟した米軍の動きは、まさに覆われた雪の下の如く。

まあ、フルシチョフの失脚やゴルバチョフのペレストロイカも一気呵成だった。
習近平失脚、中国崩壊となれば、ネトウヨの日本万歳では終わるまい。
日本だって、戦争の最中や最期は2・26だ、日本の一番長い日だと、首の皮一枚の事件が起こっている。
なかなか容易ではないだろうが、そうなればなったで対処するしかあるまい。

まあ、世界も、国も、近隣も、残ればまた始まる。
雪も融ければ、馬糞風も吹き、いろいろと露出するが、世界はそうして何十億年も続いているらし。
いざ覚悟覚悟~♪

2017年1月28日土曜日

天気晴朗なれども波高し

今朝からの雨で雪山はかなり嵩低くなった。
しかし、融けてしまうどころか、鎮座する雪は、氷柱化したりアイスバーン化したりで要注意だ。

それでも、少しずつ家周囲の雪をシフトさせ、個別除雪に利便なように動く。
うちだけでなく、近隣の雪シフトを見ていると、大体が同じようなことを考えてアヒルの水掻きに忙しくしていることはわかる。

さて、身辺雑記を超えて、世界は、遂に本格的戦乱の季節に突入した。
別にオバマ氏がどう、トランプ氏がどうの話でない。
かなり前からの米軍の動きで、自分のような軍事素人でもすぐにわかる話だ。

しばらく前、在韓米軍の家族の日本への避難が始まった。
米軍の実務的必要が、韓国に米軍の家族は置いておけないという判断に至ったということである。

いずれ転けるは必定とは読まれてはきたが、中朝韓のburstが、もはや不可避の危険領域に入ったという軍事的マニフェステーションである。
米軍は、オバマもマチスも示したとおり、いまやこちらから積極的に討ちにいく態勢にない。
だから、これはえらいことではある。

まあ、ナショナリズムやインターナショナリズムを別として、いまや各国は集団安全保障の体制で、国際的妄動をピン止めするのが基本となっている。
中国も必死で現状維持で現実的劣勢を湖塗し、その点は朝韓もanalogだが、経済的にも軍事的にも、もう持たなくなっている。
それを衛星観察やネットチェックで観測しあげく諦観した米軍が、THAAD残して、家族は日本の基地に戻して、最終戦の態勢をすでに大統領や議会をこえて動かし始めたということだ。

こうなると、わが国も完全に臨戦態勢どころか、戦中態勢に入るということだ。
この点は、わが国は弱そうで強い。
強そうで弱い。
大昔から、内部対立やテロは日々経てきており、今もオウムやパヨク監視は日常業務だ。
しかし、常に大勢や体制はインナーで、Zや文科省だけでなく、組織も個人もセクショナリズムやおらが河岸のオンパレードだ。
だからといって、真贋はそのときそのとき見極めてやっていくほかない。

さて、わが寿命いかばかりで、どこまで見れるか?
大したプレイアーになれずとも、死に土産の物色の日々ではある。

2017年1月27日金曜日

朝からポタポタ

気象情報では、特に雨の説明はないが、実際には雨である。
結構しっかりした雨音で、若干は雪は融ける。
しかし、これが朝晩の極寒で凍る。
道はアイスリンク状のアイスバーンとなり、整形外科や脳外科のかきいれ時だ。

この時期は、雪よりも雨後の方が要警戒だ。
特に夜の盛り場などは、酔って開放的な歩き方で転倒し、頭部から落ちる危険が大である。
雪まつりを見に来て、滑り転けて帰れなくなる人も必ず発生する。
別に登山滑落なんぞが致命的とは限らず、身近にリスクが待っている。

そんなこんなを思うと、朝一でコンビニ買い出しに出ておいて良かった。
二、三日は、家ごもりできる食材はstockできた。
まあ、一年で一番の難路時期、毎年かなわんなと思って過ごす。
ここで生きるなら必須不可欠の修行期間である。

さて、外に目をやると、トランプ氏は着々とツイートを重ねている。
反対勢力も、総力で工作中である。
ほとんどのマスコミは、トランプ氏をホラと揶揄するも、自分達の写真も針小棒大の動員数発表や就任式前の閑散映像を使ったり、マスゴミ性を全開なので、トランプ氏にお前らは発言させんと会見でomitされて当然ではある。
わが国でも、議員から学者から有象無象まで与党政治家の原稿誤読をあげつらう狂態。
ある女性評論家が、あたしゃ彼らの立場を是とするものではないが、このディスりは子供じみて情けなく思うと書いていた。
大事な国策詮議の時に、さっさとpurgeすべき愚態があまりに多すぎる。

こういうことも、ここまで来てやっと気付いた。
転変が激しい総仕上げの時期に、無駄を重ねる余裕はない。
うまくポタポタを利用していくだけだ。

淡々と日は過ぎて

今月もカウントダウンに入るが、大きな変化はなし。
それでも、変化は自分が作らねば生じぬゆえ、ああでもないこうでもないと思いを重ねる。

常に囲碁将棋の如く、あの手が来たらこう、この局面ならああとシミュレーションは繰りかえす。
すべては考慮できないので、適宜なところでご破算にする。

国際情勢も面白い。
外交官もさまざま。
馬渕睦夫元モルドバ大使・防大教授などは、非常に犀利で複眼的な元外交官だが、一方で反日孫崎や天木などは守旧派で話にもならないが、そういう連中の議論が一定幅を効かすけったいな国の自覚は肝要だ
佐藤優などは、言いたい放題で一部卓見もあれど、内地ではこう、沖縄ではこうのオポチュニズムは目も当てられない。
本来は、先に人質になって首を飛ばされる職種ゆえ貴くは思えど、ひとつ間違うと第五列やダブルスパイのリスクもあり微妙な職種だ

トランプ氏も本来的アメリカを顕在化させ、よくもあしくも我が国もシミラリティを要請されるだろう。
わが国ファーストも不分明だが、かのごとくは必要だ。
近隣に反日国家を抱え、覚悟は要る。

さて、等身大に戻って、今日も等身大での環境整備だ。
ぼちぼちと雪をかく。

2017年1月26日木曜日

試される大地

細道除雪のスケジュールを調べるが市の公式サイトにも出てこない。
そろそろ臨戦態勢に持っていきたいが、すでに外にも雪の置き場がない。

それでも徐々にいじって少しでもtrimmingしていこうか。
南海の生まれが、回り回って寒冷の地にseedingして、ここで終わりにする積もりになっている。

さて、立って半畳寝て一畳なら、その環境保全の難しさは南北さほど変わらない。
こちらは冬は寒いが、夏は亜熱帯ほど暑い。

しかも日内変化は激しく、暖房も強く焚く地ゆえ、裸から着込みまで、一日の変化も激しい。
日々刻々試され続けるのが、生きている証拠だ。

そんな身辺雑記の日常で、世界を覗く。
今朝もDHCの「やらまいかー真相はこうだ!」#22迫るチャイナリスク安倍外交で日本はこうなる!
https://youtu.be/A-x-9eBBCA4
を聴く。
左の論者はいないが、右の西尾幹二のように頑是ない「国士」も居て困ったもんだ。

SNSなどでも顕著だが、右も左も、リアリズムのない雑マスコミの情報に踊ったり、急転直下右往左往する特性も昔から変わらず。
よくも悪くも島国根性で、長い歴史で涵養されてきた国民的心性ではある。

それでも、アメリカのアメリカファーストと態様は異なるが、ある意味のジャパンファーストに繋がる道は、十七条憲法の頃から脈々とあり。
生きているかぎり、ささやかでしたたかな一票を行使するつもりである。

2017年1月25日水曜日

孤独のグルメ

滅多に外食はしない。
しかし、「孤独のグルメ」はいい。

作られ方、供され方、流通、業態その他もろもろを極める眼で描かれている。
もちろん礼賛編のみならず、変わったやり方それは無理だろうのケースもディスる形でなく、無理なく描く。

家族経営でも、コンビネーションとその推移で、食は変わっていく。
「伊集院光とらじおと」でも、あの頃あそこにあったあの店コーナーが人気だが、転変の激しい現在、食のフォーカスは故事来歴をはらみつつ移転を繰り返したりする。

そして、最も大事なのは、食うご本尊の方だ。
シリーズ維持のため面白おかしく脚色はしているが、逆に長いシリーズゆえ一貫した物語性も維持される。
主人公のサラリーマン生活が紡がれていく。

内食、中食中心のウオッチャーとしては、レシピ集やTPO集として貴重だ。
「バス乗り継ぎの旅」のようなハプニング性は望むべくもないが、ちょいとずれると美食も何もあったもんでないの世界は描かれている。
しばらく堪能予定である。

2017年1月24日火曜日

走る走る俺達~♪

いろいろと凍っている。
コンビニに赴く道すがらも、手袋をはめても手がしびれる。
朝の六時過ぎでこれだから、夜中に下手に動くと、近所のコンビニ往来で遭難しそうだ。

先程見た気象情報で、近隣が-16度になっている。
ドアが凍りついて開きにくいのもわかる。
これで屋内に生活者がいないともっとひどいはずだ。

室内で火を焚き、ストーブやグリルをもやし、なんのかんのと暖気運転してこれだ。
ひと気なしになると、確かに家も傷む。
そういうことも二十数年暮らしてみてスッと実感するようになった

人間も室内で暖気運転しなければならない。
動かないと、心身が拘宿する。
意識的に立ったり座ったり、駆ける真似をして固まる身体を燃やす。

ワンコらも、これだけ凍れると、外には警戒的だ。
朝晩の寒いうちは外に出せと云わない。
この前は、足の裏が凍って跛行していた。

天気も、世界情勢も、敵味方なし。
さしあたり走って走って燃やして燃やしてしのぐ。
ここが基本だ。

カオスでウオッシュ

今日は除雪車の驀進音は聞こえない。
雪は大して降らないが、それでもすぐにコーティングされる程度は降り続いている。
まあ、除雪する方にも諸般の事情はあるのだろう。

トランプ氏のプリセットも出るものは出て、あとはこちらの問題だろう。
すべては鏡像関係である。
すべてがリフレクションではある。
長谷川幸洋氏のご指摘どおり、やばくなればご本尊purgeも射程距離の範囲であろう。

多くのことどもは読み込み済みといえど、動けば現実。
現実は、想定内と想定外の総和である。
想定内の言説に外れることままならば、常にカオスに身を委ねるほかなし。
実際はやってみないとわからぬことも多々ではある。

ウオッシュされ、ウオッシュされ、ウオッシュアウトされるまで、すべては無明。
この世のすべては、各自このプロセスを生きて、上書きされていく。
行くところまで、行けるところまで行く。
あとは成り行き任せ。

その後のことは多分われ知らずであろう。
三島由紀夫に聞くまでもなく、己が最期の人と思って生きるほかなし。
仏陀のごとく、あとは天上天下唯我独尊で寂滅するほかないのが生き物の宿命である。

2017年1月23日月曜日

再び轟音響く夜

除雪車の驀進音で目覚める。

業務は相変わらず降り積もる日々への対応と、道路の見通し強化だ。
main roadの雪山をtrimmingするだけで、ずいぶんと見渡し易くなる。
その効用を知るゆえ、叩き起こされたことに特に不満なし。

今日も事務と買い出しで、one Kurの一部を埋める。
この調子なら、もうしばらくで個別除雪も入るか?
スケジュールは淡々と進む。
2月は、この個別除雪をメドに動きが決まりそうだ。

海の向こうのトランプ氏の驀進も粛々と進む。
そこまで言って委員会では、堤未果が急転直下右転の自主防衛論を展開する。
元外交官の宮家氏や元同志社大学長の村田氏の「リアリズム」含みの意地悪査問にも、適宜に応答し、商売上手だ。
今までの彼女のデフォルメ筆法を重々承知しているゆえ眉唾物にしか受けとれないが、別に急転直下の転向は日本の得意技ゆえに、とりわけ驚かず。
蓮舫などの愚態よりは数等ご立派ではある。

どこが何と云おうと妥当かどうかは、事実そのものが語る。
ご都合主義は忽ちぼろが出て、下らぬ営為は下らなさを歴史に残す。
post factの時代であれ、それはもろに出る。

轟音も静夜も、ともに味わい深い。
味わうにしくはなし。

2017年1月22日日曜日

嗤わぬでもなし

勝手な言説の横行を眺めて日々を思う。

言ったら怒られるので、言わずに書く。

辛坊治郎氏のラジオを聴くが、彼もマスコミ大将だ。
トランプ批判も凡庸そのもの。
これは辛坊氏に限らず、デーブ・スペクターはじめ既製マスコミの通弊だ。
もうすぐこの手の言説もマイナーになるので、言ってりゃいいとだけ思う。

桜チャネルの天皇特集。
これも贔屓の引き倒しだ。
みんな見え見えの時代に天皇論議も容易でない。
秋篠の宮も紀子様と結婚議論の際には、皇室離脱の可能性に言及したり、ダイアナ氏のパパラッチ等々英国と同じくキリモミも必定。
時代に添っていくほかない、社会が変われば、制度も変わることを悟らないと猿の○○以下だ。

ネットで知己の「いいね」や書き込みを見る。
横から見てると、各位とも分裂病の世界だが、ご本尊方に自覚はない。
だから、わが国も異常の極致なのだが、それがいまの姿ならしようがない。
嗤いもせぬが、おかしな国だ。
政治はそういうことを見ながら運営されざるを得ない。

昨日のニュースだか、歯科医が患者に刺され死亡。
医師患者とも警察に相談していたらしく、警察も民事レベルでは介入できない。
自分もパラノイア人士に散々追い回された経験があるが、嗤っていられない状況ではある。
ネット知己の諸氏にもお大事にしかいえない。
まあ、各自でそれなりに持っているのだから、皮肉なしに偉い。

みんな状況は実に個別的であり、各位しっかり学んであれ。
嗤うのは各自の内心で、行動は各自の適正化で。

2017年1月21日土曜日

読み解きの時

半分夢の中で、就任式のライブを流した。
事前には暗殺情報がずいぶんと流れたが、これらは陰謀説を越えない。
protectする方は、電磁システムやドローン検知システムその他360度展開の2重3重の隙のない防御を張っているし、トランプ氏もあの態様で立起したときから、政敵ふんだんの覚悟と、実際的なprotectionで己の命を守っている。
この辺りの見極めもできないと、無駄な陰謀説にお付き合いする羽目に陥る。

さて、大文字の世界が粛々と変態していくなかで、わが小物語もじわじわと進んでいく。
一日一日のちょっとした発見で、世界が変わる。
「丸い卵も切りようで四角」、ちょっとした変型、spice、proportion等々で有り様はずいぶんと違ってくる。
今日も図書室とスーパーの行き来で、わが暮らしを大きく変えてみようと画策中。

ところで、情報機器等で世界が狭くなっても、nativeでない世界は、想像すらしにくい。
加えて、時代の変化も急峻になったゆえ、国内の世代の違う人々のあり様も想像しにくい。
こういう意味での無明性は、非常に強くなり、自閉性がデフォとなっている時代でもある。
読み解きが難しい時ともいえる。

何はともあれ、死ぬまで読み解きを続けるほかない。
情報化社会は、われらが処理能力を超えた情報量を提供し、なかなかしっかりとした吟味を許さない。
しかし、こんな世界に遭遇したのも、何かの縁だ。
故事来歴を訪ぬれば、カオスのなかでハムレットを生きたのが人類だ。
別にどうということもないと云えば、ない。

2017年1月19日木曜日

轟音の夜

除雪車が凄い勢いで走り回る。
例年もこの時期になれば、除雪作業も佳境に入る。
この冬は、ずいぶんと前倒しで豪雪に苦しんだが、例年雪まつり前の今ごろは、除雪車のフル稼働は定番の風物詩だ。

除雪が入っても、敷地内の雪は持っていってくれるわけでなく、いましばらくロックドインは続く。
雪まつりも済み、公道のクリーナップが終わり、冬の締準備の頃に、敷地内の雪も整理がつくようになる。
まだ2月中は厳冬が続く。

個人の生活の変化は遅々だが、それでも確定申告の通知が来たり、徐々に暮らしもターンノーバーしていく。
直接に天下国家に関係のなさそうなつましいセミリタイア生活でも、いまやトップのマターが直接に影響してくる時代で、さまざまに眺める。
まあ、通りのいい論調にも流されないところまで来たので、不自由はない。

明日の就任式の前に、北朝鮮のICBMの兆候や中国のデフォルト兆候も気になるが、米国自体も一種の内戦だ。
いまや世界は毎日の工作で曼陀羅の絵図が姿を変える万華鏡の時代だ。
わが国の法制変化もガチンコだ。

さて、轟音もおさまり、再びの静寂に今日明日を思う。
世は落ち着く所に落ち着く。
そこに自分の居場所があるかどうかは別として、フェイクはもはや潰すほかないのだろう。

民主主義国家ゆえ、己が潰されるかどうかもニュートラルに見つめていく。
それが肝要だろう。

2017年1月18日水曜日

葭の髄から天井を覗く

日々の暮らし向きから、世界を思う。
大抵は当たらない。
当たらないことで、どれだけ助かってきたか。
養老氏の言うとおり、起こることも大事だが、起こらないことの意味はより大きい。

ところで、今日はちょいと事務連絡が来たので、肝心のキーパーソンに回す。
個的なことも、ちょっとした揺らぎで、全体を推測する。
これも一種の葭の髄から天井を覗くだが、minimumに動き、責めをふさぐ。
このところ想像力は鋭敏になってきているゆえ、細かいことは特に実に自制的だ。

さて、トランプ氏も、触られただなんだかの女性が提訴したという。
トランプ氏の覚えなく訴えたいくらいのものだの言説への「許せぬ傷ついた」といった先制パンチのようだ。
就任式の警護は、命がかり当然なるも、こういう小文字こそクルーシャルでもある。
どういう流れになるか興味津々だ。

また、習近平も、国際会議でグローバリズムを強調する。
自国通貨破綻に徹底的な糊塗を重ね、既にソ連崩壊時以上の症候を示しつつ、かく突っ張る神経は、さすがにかの国の首領だ。
各国には、親族がすでにアンカリングしている。
トランプとこのお方の最終戦も興味津々だ。

そんなこんなも、自分は埒外のお気楽極楽ではない。
この国際性極大化の時代、カタストローフは甚大だ。
どうなるだろうでは済まず、もろ結果が出る。
豪傑諸氏は勝つの負けるのとかしがましいが、起こる混乱は容易でない。

そういった想像を含めて葭の髄から天井を覗く。
朝夜には月星がさやか。
狭くなっても、ほんに地球は小さな星だ。

2017年1月17日火曜日

寿司食いねえ~♪

図書受領の後、賀状の当たりをいただき、今日は寿司をいただく。

玩具のような空母の艦長が、「小学生のようなもんで」と思わず白旗掲揚のごとき言葉を洩らしたというので、よもやドンパチもなかろうが、カウントダウンが近付いてはいそうなので、落ち着いている内に寿司でも食っておこうという趣旨だ。

旨いが、だからどうだというと、旨いだけ。

やはり、家で愛犬に手作り、自分にも手作りが一番美味い。

ところで、APAのオヤジが南京事件の幻風の本を枕元に置いたと炎上中のよう。
これの大きいのがトランプゆえ、APAもそれなりにうまくハンドリングするのだろう。
本音を問えば、どちらがポリティカルにコレクトかは、両義的だ。
オバマなんぞも、オシャマしながら、裏ではしっかり軍拡路線を取っている。

トランプも荒唐無稽をいわれながら、米国憲法の分権主義や連邦主義の原点回帰への平仄となればトランプだし、彼突出のネット利用もいまや国際的普遍的だ。
我が国でも、橋下、小池しっかり使う。
ところで、オバマはいいふりこきだが、黒人差別などはより悪化した。
あえて云えば、鳩山由紀夫が8年間やったようなものともいえる。

さて、Youtubeもどいつの画策か、ディスターブが多く、いつも見聞きできる番組が抑圧されることもまま。
ポリティカル コレクトネスや著作権口実に、過剰な介入も顕著になりつつある。
こういった言説空間の魑魅魍魎のなかで、また食いたくなったら寿司でもつまみに行こう。

やってみりゃあわかる

やってみなきゃわからない。

現実は穴だらけ。
今日までは、そうだが、どうも次はそうはいかなさそう。
そんなことの繰り返しである。

もちろん、現在の現実にも、さまざまに伝統はあって、そうしてきた故事来歴も強い。
解釈は、現在進行形の現在解釈であるから、歴史学だって実は現代学である。
それがいまやdynamicだ。

加えて、いまやpost fact、post truthの時代だ。
過去にも謀略戦もあり、撹乱戦略が奏効した事例はままあれど、このIT時代その色合いは深く厳しい。
単に心理戦や謀略だけでなく、ハッキングや電子的マヌーバーで、原発がメルトダウンしたり、ミサイルの誤発射も懸念される。

そうなると、やるなら相当の覚悟も要れば、結果も際どい。
やってみりゃあわかるが、やってみなきゃわからない。
これも大昔から浮動的に流動的に時代はスパイラルに移行してきているので、今に始まった話でないが、いまや結果はドラスティックだ。

それにしても、SNSなどでは、人々も思い込みも激しく、とりわけロートルの適応者ほど化石化している。
このような時代の変極点では、矛盾も顕著になり、軋轢も厳しくなるだろう。
さて、どうなるか。
まずは、就任式までどうなるか?
かの国が一種の内戦だから、こちらも大変だ。

過緊張の隣国も国家反逆罪で逮捕者が激増中だとのレポートも出来中。
親亀転けたら緩衝地帯として右往左往している小亀らもバラバラになろうし、わが国だって草の諸君の草刈りを本格化させるほかあるまい。
ネットの自画自賛では済むまい。
まずは、試練ではある。

2017年1月16日月曜日

隙間だらけの隙間考

あと数日で、かの国の正式政権移行だが、その前になぜか慌ただしい。

米軍や自衛隊の動きも、ロシアの動きも激しい。
中国のデフォルトも結構煮詰まっている。
下手すると、この期間に第三次世界対戦まで行かなくとも、かなりのドタバタがあっていい動きだ。

そんなこんなを思いつつ、朝のコンビニ行。
要るものには感応し、不要なものは適宜に品定めして、頭のメモに入れる。
このところは、近隣のコンビニ、スーパーその他が品揃えや循環で一つながりになっている。

軍事や安全保障とは別に、お買い物、stock、turn overもろもろ隙間だらけで隙間なし。
ちょっとした油断で隙間は発散し、ちょっとした工夫で隙間は埋まる。
しかし、そんな波動も悠久の歴史からすれば、ほんの邯鄲の夢か?
まあ、我という物語が終わらねば、結論は出ないが、我が終われば認識は終わるので語るに値しない。

朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり。
もうちょっとだが、スリリングで面白い。

今日も生めやも。

2017年1月15日日曜日

言葉にならない~♪

センター試験のニュースいろいろ。
函館から滝川の受験場に向かう特急がトラブルで動かず。
該当受験生の四人がタクシーで搬送される。
初日から大変だ。

こういう話は、全国でずいぶんとあったろうが、万障繰り合わせて、ベストエフォートするのがよし。
もう受験など縁のない年回りになっても試験の夢を見たり、若いときにはそれもそれなりの生命線ではある。
いまだ夢中でチャレンジしている向きも、それはそれで人生戦略と思い、傾聴はしようと思っている。
自分の義務づけ講座なんぞは気にしてチェックしているので、現役のうちは他人事ではない。

今朝は、オードリーの深夜放送のあと、桜チャンネルの座談に耳を傾ける。
深夜放送は、二度寝の夢の中だが、座談はプロのプレゼンで聞き応えあり。
何処で何が違うほどの知見を得たかは簡単に言葉にできないが、有能な実務家たちの情報に、少しはリテラシーも上がる。
メンバーそれぞれ一定の偏奇を含むので、あまり諸手で賛同できない面はあるものの、座談で相互修正された部分は、それなりに首肯できるエキスは残る。
今日も出かける用も予定せず、こういった知見の上塗りの繰り返しとなろうか?

知のありように言語化は必須ではない。
堂々巡りやスパイラル、波動にフラクタル、あるいは曼陀羅図、その他もろもろの卓見育成パターンもあれば、己の劣化等でモノを見る目の解体や全体の教条化等々にも襲われる。

すべてを呑んで、今ここを生きるほかなし。
微分と積分、線形非線形は、数学だけの話ではなし。

2017年1月13日金曜日

清しこの夜~♪

明日明後日はセンター試験。
十年余り前、次男を乗せて会場まで車を飛ばした。
十年一昔前、ずいぶんと世界は変わった。
ちょっとした変化変動が、大きくわれらが環境を変える。

既に、そういう家族等の実需を免れたわが生活は、静かにこの地域にとどまる。
特に街中に出向く用もなく、近隣諸氏も皆な家守りに精励している。
車も車庫が雪に埋もれ、アイドリングもなかなか容易でない。
毎日が神様に祈りを捧げるクリスマスの如く。

わが国の統合性を思えば、この程度が丁度良しの感覚はある。
無茶ディスりの第5列勢力の言動も、国際性皆無のバカな政府活動の論難も、逆に国士風の贔屓の引き倒しも、昔もあれば、今も続いている。
今やわが思いも、それを踏まえて、世界を見ている。
しかし、それもほとんどは傍観者ゆえ、これもまさにクリスマスイブ。
ひたすら八百万で、日々を切り替えるばかり。

土日は、プログラム肉厚で期待度よし。
大文字小文字の不安は常にあり、安定と不安の均衡は保たれている。
明日も我を何処をめぐって揺らせるか、楽しみ。

寒波を待ちながら

またまた超弩級の凍れ来襲の予報だが、既に雪も満杯で近所はみんなハングアップで籠っている。
一月なかばゆえ、あと一ヶ月二ヶ月の我慢だが、そう緩くはない。

室内はいまのところ好環境が維持されているようだが、あくまで希望的観測ゆえ常に不安を包蔵している。
冬は外がロックドインされているだけでなく、内に支障が出ても修理等の動きが難しいので、不安も強いが思い過ぎてもしようがないので、うっちゃっている。

図書館本だけでなく、手持ちの本をゆっくりと読み込んでいる。
ネットや取り置き資料と同じく、ささっと目を通すものとじっくりと食い込むものの両建てである。

ところで、寒波と言えど、昼間は結構温暖に、夜はとても凍れる。
既に、雪捨てシステムは、当面ハングアップゆえ、こちらもみんな死んだふりだ。

それでも、ポイントポイントはある。
肝の部分で、動くべきところは動く。

相変わらずのモードで、特にあげつらうほどのことはないのだが、今ここでという勘所は刻々変化する。
一応面白いので、うれしくはないが、しっかり味わう。

今日も既に半日過ぎた。

2017年1月11日水曜日

見えないものを見る

SNS知己の書き込みで思う。
かのアップは、ハンコですべてが決まるわけでない。
確かにそうで、日本の民法は、基本が意思主義で、当事者の合意で契約が成立する諾成契約が根本だ。
しかし、ある形を取らねばならぬ要式契約やブツが登場せねばならぬ要物契約もある。
その前に、意思表示能力の欠如や詐欺脅迫錯誤、公序良俗違反等々で、不成立、取り消し可能、無効等々も生じる。
また具体的判断をする際には、農地法や宅建法など特別法を踏まえて、実務的にわかっていないと危うい。
しかし、面倒なので、あえて相手の書き込み場には闖入しない。

最近は、肩こらぬエンターテイン系の番組と、本気で考えないとわからぬ硬派番組を半々で、Youtube等でBGMにしているが、正直わからない時代にはなってきている。
トランプ氏のステップも、困った隣国らの動きもさることながら、国内はもっとあやうい。
(旧)新左翼や右翼、能天気の兄ちゃん姉ちゃんの動きは読めるが、デスペレートになる人の心は読めない。
新幹線で油を撒いて火をつけたおっさんや、 防衛庁のOBで人々を巻き込んで自爆テロを敢行したおっさんがいたが、こういうケースはパターンも読み難いので、最後は統計的読みのひとつの要素にする他ない。
それでも、少なくとも、まあいい国ではある。
二重国籍代表やガソリーヌが出張ったり、特亜の工作員的文化人らが尻っぺたを突出させているうちは、質の判定は楽だったり、まったくの錯綜が生む疑心暗鬼も一定は免れる。

あれこれ、大文字の議論を並べてみても、わが暮らしはつましくsilentだ。
トランプ当選ではないが、基本はsilent majorityが決める。
ポリティカル コレクトネスにさらされて、無駄な労力使う暇はない。
黙ってリテラシーをあげて、プライスレスな一票を投じる。
それが一番の世直しではある。

見えているように見えても、やってみなければわからぬところはいやほどある。
出る目、出た目でしかわからないが、それを知る要件は、まず本人が生きていることだ。
まずは生きていこうぜと、ワンコらにも声かけしている。

2017年1月10日火曜日

自分の居場所

連休も日を越えた。
いい休みだったが、特に開披する激変もなし。
ただし、周囲とのデタッチメント感覚は、実によろしき長足の進歩かもしれない。

SNSは危ない。
ブラウザ型のものでも、MLでも、何でも蛸壺効果はある。
見ているその世界が、参照枠になりかねない。
対象はあくまで己の鏡とスルーする必要はある。

そういう意味では、ネットがいい。
個別のまとわりなく、オープンに見ていけば、破竹の勢いだ。
一部のミスリードはあれど、最高のオリエンテーションはつく。
勝手に興味に惹かれ、勝手に外れていく。

もちろん、人の言説は、至高の見立てと、愚かな思い込みのミクスチャーゆえ、そういうものとの割りきりは重要だ。
しかし、そういう言説の腑分けも、backgroundを分析すれば可能ではある。
最後は、こちらの切りようでバサッといくほかない。
一番の危険は養老氏のいう「自分の壁」だが、自分も消えれば、この世界も終わる。

連休後は、厳しい天気が予報されている。
当面は、穴熊がわが主戦場だ。
葭の髄から天井を超えて星々に思いを致す。
せいぜい、宇宙ステーション辺りが関心だ。
それ以上は、哲学性に偏重する。

なにはともあれ、相変わらずの唯我境である。
さしあたり天上天下唯我独存ほかない。

2017年1月8日日曜日

いきものがかり

人気のグループのグループ名の来歴が、小一のときの「いきものがかり」から来ているという。
金魚にエサをあげる生き物係ゆえ「いきものがかり」だというが、彼らの歌とは特に関係なさそうだ。

わが子供時代は、生き物係と縁はなかった。
生き物のありさまは、ほとんど意識せず、ただただ食用の命をいただいてきただけだ。

そろそろ自分の命脈がつきる頃になって、命の不思議を感じるようになってきた。
家族と別れひとりになって、ペットを家族とするようになって、はじめて生命の不思議を感じるようになった。

例えば、ブリーディングされ、小さい頃に親から切り離された子でも、掘る動作は皆ながみんな、教えられもせず身に付けている。
寝るときに布団を蹴り、庭で排泄する際にも土を蹴りするなどの彼らのキック行為は、長年の生命の繋がりがこういう行為のパターンを植え付けていることを教えてくれる。

人は、遺伝子がどうこうで、それがこうなってと、賢しらな意見を口にするが、生命は多様だ。
オスメスさえもphase、phaseで動揺したり、個体も社会も多様である。

人間もある意味で同じだ。
論理を使って、賢しらに世界を解釈し、己の世界観を正しいとする。

しかし、論理の阿弥陀を繰っていくと、左右が円環構造をとったり、ネジけてトポロジカルに変な始末になったりする。
このところ、自他のありように、このような視点で見ていくようにしているが、実に面白い。

まあ、わかっていること、わかりそうなことには限りがある。
残り少ない余生なので、いきものがかりは自分とペットが精一杯で、自分なりに自分を総括するのがmissionとなるだろう。
ちょうどよい頃合いだ。

2017年1月7日土曜日

深夜食堂

何処をよすがにするかというと、実はない。
天下国家の論も、身辺雑記風のコンテンツも、確からしさはあるものの、確かではない。
養老御大のいう「自分の壁」もいれると、これも身贔屓なしとはいかないので、あてにならない。
自分など、当たったことより、外れたことの多いのに救われて生きているようなものだ。
それでも、何処かにしばしのアンカリングするとすれば、人情話だ。
このところ深夜食堂の第四部が面白くて、Youtubeで楽しんでいる。
これも「ローカル路線バスの旅」と同じく、世の流れに介入されて、物語のアップデイトは速い。
一昔前なら当たり前にいぢれた話の筋も、いまやそのままではまずいとなると、ポリティカルコレクトネスにそわせるのに、まえふりをひとつ二つ入れて、ありうべしの話に持っていく必要がある。
それでも、これが正鵠を射るのは、作者の腕である。
われわれが苛まれている状況そのものを、そのまま描いて、ホンに大変だよねと落とす。
わたしは、さほどアクティブでも、アグレッシブでもないので、○×死ねなどと簡単には吐けないが、それでもネットでは、ブーメラン現象はいやというほど目の当たりにして、なるほどとは思う。
逆に、保守派の無理目も目の当たりにして、自分なりの中庸に留まったりもする。
要は、深夜食堂のマスターの如く、淡々と作っていくほかないということらしい。

2017年1月6日金曜日

ローカル路線バス乗り継ぎの旅で考える

「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という番組がある。
この十年程で、24作あり、最後は台湾ロケで映画化したり、25作目というオマケというか、最終作を新年に流して、一応の〆となった。
今後は、別キャラの続編というアナウンスもあり、その試作も観たがどうなるかは未知数で、今は太川陽介と蛭子画伯の今までを総括してみる。

ひとまず番組を離れる。
この番組には総括編がある。
https://youtu.be/JB6M4PqTUHc
これを眺めると、時代の変遷がよく分かる。

年々、交通の統合が進む。
新幹線が、廃線が、その他諸々が地域を襲う。
同時に、コミュニティバスのようなpatchyな手当が進む。
急峻な統廃合が進んでいることが、ローカル路線バスというシステムのあり様でわかる。

これは大きい。
乗って行く方は別としても、制作サイドはそれを知らないと番組は作れない。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が、下手をするとすぐに「ローカルコミュニティバス乗り継ぎの旅」に改名の必要が出るかもしれない。
これは当の住民らさえ現在進行形の話ゆえ、見えない、見えにくい。

話をさらにグッと飛ばす。
政治や経済は、所詮上部構造で、baseは下部構造だ。
このように人の集住は、日々変化し、姿を変える。
そして、それは世界の裏側から宇宙までと繋がるが、さしあたりは今ここで生きる人のなりわいに集約される。

そんなこんなを思い、わがローカル生活の旅は、日々続いている。
こちらがさほど動いていなくとも、世界は日々大きく動いている。
面白いどころでなく、戦々恐々としつつ、それなりに楽しんでいる。

2017年1月5日木曜日

生きている証

今日で満63年を経て、64年目に向かう。

特別の感慨はないが、まだボケていないのか、小さい時から今までのスポッティな記憶はそれなりの脈絡を持ち、本人を励まし、あるいは謙抑的にし、全体的に己を支えている。

既に歴史の刻印はしっかりと押され、逃れるべくもないが、がんじがらめを意識することもなく、常に自由を希求はしている。

人の交錯や内心の転変も、最後は己の始末に飲み込んで終わりになるわけで、いまも大体の想像は可能だ。

自分に求心的になれば、気になることも限りなく広がるが、少し自分を離れて、広い目で見ればほとんどネグリジブルだ。

まあ正月なんぞと同じで、あえて置いた一里塚ゆえ、誕生日など意味ありとしても意味なしとしても、さほど変わるものではないのかもしれない。

それでも、それはそれ。
一日違いの幼なじみも、われと同じく明日は63となる。
はじめは近しく、似た風景を見ながら、ずいぶんと違う世界に居るようだ。

平日のはじまり

久しぶりに街に出る。
年末の雪害も、正月休みで小康を得ている。
さっさと用を済ませ、早々に帰還する。
気になっていた事案も無事解決して、再び冬籠りの生活に戻る。

日々の暮らしは、雑念にまとわれて、凡々だが、それでも様々に気付くことは少なくなく、面白くはある。
ただ、呵々と笑い飛ばすような面白さではなく、ホントはこうだよなあといったささやかな面白さだ。
極端な見方から自由になって、そこそこ有り体にフッティングできる喜びゆえ、そうでない方がおかしい。
切り捨てた考えは、自省や他山の石にすればよいだけのことである。

意識下はこれでいいが、このところ夢見を自覚できていない。
夢は、意識によるがんじがらめを外してくれるので、参考になるのだが、このところ縁がない。
初夢を詮議する余裕もない年なのかもしれない。
戦時中は行軍中にもうつらうつらとしたと聞くから、今年はそのモードもありか?

このところ、情報社会への適応として、ザッピングやスキッピングそのもので情報取得する方向にシフトしている。
冗長で、欺瞞的な情報は、これで無駄なく利用できる。
ただ、場の設定そのものは、Googleその他プロバイダーの手の内にあるから、そこはコツは要る。
いずれにせよ、こうして眺める風景は、ずいぶんと遠くに来ている。
人も我も。

2017年1月2日月曜日

迎春

正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし。

特にこの時代、人のライフスタイルは様々で、大晦日も元旦も人それぞれである。

そうは云っても、賀状も来て、気持ちは改まる。
ひとりにはメールで返信したが、もうひとりのアドレスが見つからない。
少し気持ちが残るが、しばらくその気持ちを残してみようの一期一会でひとまず置く。
残りの賀状のほとんどは、全くの社交辞令だが、数はしっかりと少なくなっている。
数通は、備忘にしておきたい類いのものだが、そういう類いの賀状も僅かになっている。
時代の変わり目と、変化の激しさを推測する。

そういうことで、情報の流れは、ネットにシフトしているが、これも大晦日も元旦も、スパムに休みなく、そういうタイムスタンプを見せつけられると、これも賀状と同じく、利用するのは1パーセント以下だ。
このところのスパムは、官を名乗ろうと、民であろうと、その他何でもありなので、不要なものには触れない。
年が明けて、この見極めのdetachmentがより進み、すっきりする。
加えて、SNSなども裏側まで透けて見えれば、冗語の必要はなく、黙って見ていればいい。
タイムラインなども管理者その他のマヌーバーも入っていて、結構恣意的なネオンサイン、ミラーボール、万華鏡ではある。

つまりは、こういう時代ゆえ、主観と客観の統合は難しい。
観測問題、統合問題を加味すれば、量子力学や確率論をもとに考えるほかないが、この歳になると、自分も他人様も見当識について、まともなパラダイムに乗っているかどうかも定かでない。
やはり、シンギュラリティを意識しつつ、バックトゥザフューチャーを目指すというものか?