今日で満63年を経て、64年目に向かう。
特別の感慨はないが、まだボケていないのか、小さい時から今までのスポッティな記憶はそれなりの脈絡を持ち、本人を励まし、あるいは謙抑的にし、全体的に己を支えている。
既に歴史の刻印はしっかりと押され、逃れるべくもないが、がんじがらめを意識することもなく、常に自由を希求はしている。
人の交錯や内心の転変も、最後は己の始末に飲み込んで終わりになるわけで、いまも大体の想像は可能だ。
自分に求心的になれば、気になることも限りなく広がるが、少し自分を離れて、広い目で見ればほとんどネグリジブルだ。
まあ正月なんぞと同じで、あえて置いた一里塚ゆえ、誕生日など意味ありとしても意味なしとしても、さほど変わるものではないのかもしれない。
それでも、それはそれ。
一日違いの幼なじみも、われと同じく明日は63となる。
はじめは近しく、似た風景を見ながら、ずいぶんと違う世界に居るようだ。
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