2017年1月2日月曜日

迎春

正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし。

特にこの時代、人のライフスタイルは様々で、大晦日も元旦も人それぞれである。

そうは云っても、賀状も来て、気持ちは改まる。
ひとりにはメールで返信したが、もうひとりのアドレスが見つからない。
少し気持ちが残るが、しばらくその気持ちを残してみようの一期一会でひとまず置く。
残りの賀状のほとんどは、全くの社交辞令だが、数はしっかりと少なくなっている。
数通は、備忘にしておきたい類いのものだが、そういう類いの賀状も僅かになっている。
時代の変わり目と、変化の激しさを推測する。

そういうことで、情報の流れは、ネットにシフトしているが、これも大晦日も元旦も、スパムに休みなく、そういうタイムスタンプを見せつけられると、これも賀状と同じく、利用するのは1パーセント以下だ。
このところのスパムは、官を名乗ろうと、民であろうと、その他何でもありなので、不要なものには触れない。
年が明けて、この見極めのdetachmentがより進み、すっきりする。
加えて、SNSなども裏側まで透けて見えれば、冗語の必要はなく、黙って見ていればいい。
タイムラインなども管理者その他のマヌーバーも入っていて、結構恣意的なネオンサイン、ミラーボール、万華鏡ではある。

つまりは、こういう時代ゆえ、主観と客観の統合は難しい。
観測問題、統合問題を加味すれば、量子力学や確率論をもとに考えるほかないが、この歳になると、自分も他人様も見当識について、まともなパラダイムに乗っているかどうかも定かでない。
やはり、シンギュラリティを意識しつつ、バックトゥザフューチャーを目指すというものか?

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