2016年12月31日土曜日

最後から、はじめの日へ

今年末のtelephone人生相談は、孫さんに日に二千円も三千円も手当するお祖母ちゃんの相談だ。
年金として六~七万、息子から同額もらう祖母ちゃんが、飲食店バイトの孫に飯が不味いと言われて、毎日そんな金を孫にやっているという。

回答者の弁護士は、そんな行為は尋常ならぬゆえ突き放せとアドバイスする。
正論であるが、父親である息子も、祖母ちゃんも、孫も皆がわかっている故の黙契ゆえ、多分突き放せぬだろうというのが、有り体のところと思う。

社会現象としてのオレオレ詐欺はもちろん、もっと普遍的に親の、あるいは祖父母の懐狙いの行動パターンは現在に普遍的である。
一種の共依存と云っていいだろう。

そんなこんなを思いつつ、現在の普遍をいろいろと考える。

今や事態の変化は、はやい。
すべてが、人抜きに進んでいる。
アマゾン、Googleその他サプライは、人なしの方向に進んでいる。

軍事も同じだ。
多くは人抜きの自動化に向かうので、人は多くはじかれる。
冗員はどうなるかは、読めない。

因が果となり、果が因となる円環構造で、のんびりこじんまりのつましい暮らし向きになるのか、それとも一部は詐欺集団的ありかたに特化するのか?
政治の動きも、そのときそのときbest effortのほかない。
基本は、失業者を最小限にするリフレ派的努力を続けるというものだろう。

そんなこんなを思い、ひとり終わりを思う。
そこがはじまりだという気持ちは、常にある。

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