2016年12月14日水曜日

時節の花

世阿弥はじっくり読んだことはない。
武智歌舞伎の武智鉄二さんの本で少し教わった。

時節の花という考え方があったように覚えていたので、検索してみた。

世阿弥は時節感当という造語で表現している。
タイミングの重要性をいう。
幕が上がって、観客にピッタリの訴求性、演技でないといけない。

このところ考えているのは、相手のいる演劇論や実践論でなく、自分の立ち居振舞いの適切性である。

わが体内の細胞や組織は、適切性を沈思黙考するいとまなどないハイスピードで合成解体を繰り返している。
それがなくなることを死という。

意識無意識を別として、われが我として立ち居振る舞えるのは、マクロで何をして何をしないかである。
もちろん、その選択が超高速の細胞内オートファジーにまでフィードバックはされる。

このところの暮らしも、時節の花占いに忙しい。

凍れる日が続くので、バスタブで全身を暖めることに精励する生活に戻った。
雪かきに靴下などが濡れるので、それを機会に洗濯も頻回になる。
水は貴重な資源だが、水道凍結の防止になるので、タイミングとみれば惜しまない。
雪かきも、手順や全体イメージが大事だ。

ピントを外すと、自招危難的な思わぬreverse effectが発生する。

こういうことは、失敗してみないとわからない。
また、世阿弥は、時々の初心忘れるべからずとも云っている。
人は日々歳をとり、とどまることはない。
日々初心は更新の必要がある。

とりわけ、老後の初心忘れるべからずとことあげしている。
老齢期にはじめて遭遇するTPOがある。
本人も体力気力の初体験は、若年期より厳しくなって、初心の必要性はより高くなるといっていいだろう。

今日もない知恵をしぼって、ヘボ将棋ざる碁のような立ち居振舞い選択に興じる。

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