2016年11月30日水曜日

フワんと不安~♪

月末の払いとちょいとした買い出し兼ねてコンビニ往来。
これで今月もほぼゲームセット。

月締めの収支は、まあ我が暮らしなんとやらで 、じっと手も足も眺めないものの、ささやかこの上なし。
日頃長命の期待なしと語りつつ、長らえるのもこの時代の大いなるリスク。

短命と長命のあわいもフワんとした不安だ。
これは自分に限らず、このところの世界の共通感覚ではあり、特にあげつらう要もないのだが。

まあ、不安は決してマイナス要因ではなく、状況認識のためのセンサーが稼働するための駆動力ではある。
能天気は気持ちがポカポカしていて逆の作用だろうが、どちらか一方だけでは、立ちゆかない。

こんなチェッカーを働かせて、今年も11回。
来月はラストで、一年が終わる。

ホンに冥土の旅の一里塚は、実にはやい。

2016年11月29日火曜日

人生万事バンジージャンプ

久しぶりに朝市に出向く。

ほとんど空っぽにした冷蔵庫の補充に向かって、そこそこの仕入れとなる。

天気予報は、大雪降りの可能性ありで、月〆の資料を得る作業を終えて、早々に帰還する。

道路は一部分にアイスバーンを認めるが、無事に踏破し帰宅する。
帰ってみると、実に暖かい小春日和風だ。

ありがたい予想外れだが、天気予報に限らず、予報にはこのように大した信頼性はない。
気象も日内変動も激しければ、ほとんど一くくりの予報など役には立たない。

もちろん、最悪考慮の慎重派だから、だからといって我が行動動態に著変はないのだが、小さな誤差が大きな違いにはなりうるというのが有り体のところだ。

予報を信じて焦った同士で衝突等のリスクの上がることもあれば、逆にのんびりして吹雪に襲われることもある。
災害警報と同じく、最後は自己責任で採否や乗り降りを決めるのが妥当ということになる。

バンジージャンプなんぞ、死んでもtryする人間ではないが、それと同じ程度の冒険的選択は、人生に不可避ではある。

愛しき君の~♪

月曜のテレフォン人生相談は、pet losがらみである。

十数年飼っていた愛犬が昇天した。
次男が、通学不能の四時間がかりの大学に在学し下宿しているが、pet losを契機にhomesickのようとの母親の相談だ。

personalityの加藤諦三、回答者のテラピィスト、ともにpet losの心理をあげつらい、お前さんの家はインテグレーションを欠き、petのお陰でなんとかdysfunctionをしのいできた家庭だみたいなラベリングに猛進する。

加藤氏は固有の意味での心理療法家でなく、回答者は心理療法士のようだが、自分からみれば、少々無理矢理の自己流への引き込みが顕著と映る。

相談者の母上は、感応して嗚咽するが、愛する家族相当のpetが亡くなって切ないは当然のこと。
それを過重な意味論的付与で、欠損家庭のごとき口吻は失礼極まりないと感じた。

わが先日の看取りも、いまなお辛い。
ドッグイヤーと言って、人間7年ほどを一年で生きる彼らは儚い。
覚悟はしつつ共生してきたが、言葉もないのは相談者の母親と同じだ。

自分もフレイミングや論争に至るので、今はしないが、相談するということ自体が、失当と思われる反応も甘受せざるを得ないということだ。
教えて!gooやヤフー!の相談に、傷に塩を塗り込むような輩が登場もする。

かの家族もしっかり儚さ辛さを吟味するのがrecoverの肝というのは、結論的にはMCや回答者と同じであるが、やり取りを聴きながら、先日の仔だけでなく、いままでに別れた仔たちを追想する。

人間はすぐにやれPTSDだ、何だとノイジーだ。

それに比べて、物言わず従容と逝った彼らは、存在そのものでわが存在に楔とタイトロープを遺してくれている。

2016年11月28日月曜日

足裏のマメだけでなく

伊集院光氏は、番組のmissionで長期間かけてのスリム化企画に挑戦中である。
このところ体重上昇気味で、昨日からウォーキングに励んだという。
足腰も上半身もダメージはないが、足裏にマメが多発して歩くのもやっとだという。

これを聞いて他人事でない。
己も、体重が半端ない上に、足裏が弱い。
加えて、高血糖気味で、神経や循環も上等でない。
マメができるほどのウォーキングはしないが、フットケアに励まないとメンテ上よろしくない。

弱点、抵抗減弱部があると、なにかハザードに見舞われると、見通しはよくない。
昔caのOpeを受けているので、下部消化管は弱い。
誤嚥で気切を受けているので、ともすると嚥下がスムースでない。
病臥すれば、体交などお願いするのも気のひける図体ゆえ、覚悟がいる。
口さのない憎まれっ子で被虐待当選確実候補だから、入院入所は可及的に避けようと思っている。
そのためには、上手に倒れうまく昇天する必要がある。

伊集院氏もあの体躯で、大好きな激務は嬉々としてこなしておられる。
わが人生は、楽しいことよりクソッタレのことの方が多いが、そういうことは関係なしの自己演出自己出演のひとり芝居を演じなければならない。
まあ誰もが同じと言えば同じだが、大変なものである。

人生の酸いも甘いも摘まみ食い

youtubeでfollowしているTBS「生活は踊る」のMCジェーンスーさんのcatch phraseだ。

全く正しい。

PTSDまでいかなくても、一定以上にダメージを受けた酸いや苦いにこだわると生きていけない。
甘いばかりじゃ虫歯や糖尿がひどくなってまた同じ。
よって人生は、スーさんに限らずつまりは摘まみ食いになる。

そもそもenergy一定の法則があり、時間も24時間、寿命もせいぜい百年である。
万巻の書を読みぬと豪語しても、一生で読める書物のバイト数は知れたものだ。

しかも、歴史学者訓古学者情報オタクになったところで、情報が過去の固定化したものなら、現在いまここで生きるバイオスフェアは、まさに立って半畳寝て一畳今日のことは今日で足れり、かつマサカの坂ありの複雑系ゆらぎの世界だ。

今朝も歴史channelで、レニ・リーフェンシュタールやマレーネ・ディートリッヒの史実に出逢い、原資料たるDVDなどを注文しようとしたが、密林のサーブの仕方と合わずに諦めた。

上記のように、オタク化がモノを知る、わかるに必ずしも繋がるわけでないと考えているので、別の方向に動きを変えた。
もちろん、さまざまに出来る限りの総合学習的情報解析が朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりへの最善の途だと思っているので、酔拳の極道への歩みは止めていない。

今日もふたたび薄く積もった庭でワンコらの疾走をみると、彼らの習性を、亀の歩みの飼い主は羨ましく眺めている。

寄合酒

料理は面白いが、この歳になってやっと基本のキの欠如に気がついた。

落語の寄合酒は若い頃から嫌になるほど聴いている。

鰹節を手に入れ煮立てる。
出汁はどうしたら?と聞かれて、あれ要るか?と答える。

字面や場面は知っているはずなのに、ほんの暫く前まで、あたしが八っつあん熊さんを実際に演じていた。

折角煮詰めたエキスが目の前にあるのに、流しに捨てていた。
出来上がった料理しか見ていなかった。

ちゃんと使えば、次の調味料は不要で、もっと肝は、容易に作れない出汁が既に目の前にあるということだ。
わかってないと、八っつあん熊さん以下だ。

まあ、気付くのに遅いということはない。
ありがたいと思うべしだ。

昨日のそこまで言って委員会も、これにさも似たり。
ちょっと出汁とりが足らんなあとか、こりゃあ出汁がらも使えないぞとかいう議論はあれど、日米その他ズケズケ言いのディベイトはそれなりに的を射る。

これからは出汁とりに精励し、味のわかる流れをしっかり享受することとする

2016年11月27日日曜日

ローカル路線バス乗り継ぎの旅

数センチの雪でおおわれた朝の庭。
ワンコらは喜び庭駆け回る。
新雪は走りやすいので、疾走を繰り返す。
飼い主は失踪しないように足踏みしながら側だちする。

暖かい部屋に戻りyoutubeをのぞくと、テレ東のバス乗り継ぎ旅の新バージョンがreleaseされている。
大川蛭子コンビはコメンテーターに転じて評論している。
彼らは、新春号を最後に卒業だそうだ。

新しいコンビは、俳優の田中要次&芥川賞作家の羽田圭介、新版初代マドンナは元AKB48の宮澤佐江で、旧メンバーと一味違って面白い。
熱海から金沢まで路線バスのみ四日間で踏破するという企画だが、人が代わればtasteも変わる。

途中わが人生の何分の一かを過ごしたareaが登場する。
懐かしの風景も登場するが、もちろんビターなepisodeも浮かんでくる。

現在個性派俳優の田中さんは、元国鉄の保線マンで、バスが途中で停まった塩尻の保線区で勤務していたという。
人生は、旅に似る。
まさか保線区で働いていた頃には、後に俳優になって番組収録で再訪するとは想像していなかっただろうが、まさかはどころで逢ってもおかしくない。
蛭子さんの惚けた味も面白いが、若手作家氏も元グループアイドルもその言動そのものが芸で面白い

番組自体は、少しout of fashionである。
一番は、帯同していいのは、マップ程度で、情弱型出たとこ勝負型の旅だけにしている。
すべて事前調査でわかったり、行程を仕込めば、面白味はhappening性の欠如で、ずいぶんと品落ちするだろうから、ある意味で当然の制約である。
しかし、似たような旅を素人の視聴者がtryするとすれば、スマホ、タブレット、モバイルPC等の情報端末を持たない方が稀だろう。
ネット検索すれば、乗り継ぎの具合などの精度はずいぶんとあがる。

もちろん、不慮の状況変化まで考慮すれば、ネット情報などあくまで参考で、まさかは常につきまとう。
番組でも活写されるのは、案内窓口の担当者の教示が必ずしも当たらなかったりで、うまくバスを乗り継げたり、逆に乗れるはずが徒歩を余儀なくされるシーンである。

与えられた情報を受けることと、自分で例外やまさかを絡めていくのは、各位各人の仕事である。
SNSでも、諸氏の珍論の開陳を自分の言葉で、リテラシーで料理して、modifyの上整理するのをtrainingにしている。
Zの走狗のようなエコノミストやデフレの意味を理解できない学者は、実行すれば失業者の溢れるような経済言説を垂れ流す。
徴兵制論議は、すでに世界のout of fashionで、この高度化してwell trainedの熟練スタッフ以外は、防諜や破壊工作に多大な労力を要するゆえに、選択肢から外れている現況を理解できず、アナクロに膾を吹いたり、侵略者のプロパガンダに奔走する勢力に利用されている。
安全保障論議も、旧来のバッジシステム時代から、アメリカの宇宙開発や水面下モニタリングと連動し、これらのシステムも宇宙ステーションの協同運用に見られるように米ロので出来レースで動いているのに、右も左もそういう冷厳な前提抜きで非常にファンタジー中心の議論を振り回っている。
年金国会に至っては、年金額決定にデフレや給与水準をlinkさせるという当たり前の法改正を、今すぐ年金三割カットのようなデマゴギーを振り回す詐術得意の代表の野党がクソのような演出で高い国費で運営されている議会をスラプスティックにかき回している。

まあ、常民のわれとしては、旅の終わりに、冠二郎とデュエットして、近場回りに徹することとする。

2016年11月26日土曜日

シンギュラリティ大笑い

要は、AIが進んで極致に至れば、人の知は淘汰され切るということか。
嘘つけ。

今も大統領選の予想が何故裏切られたかの議論を聴いているが、AかBかの議論はどちらにでも転ぶ。
明日死ぬという「正しい」予測があれば、人々の行動は影響を受けて、死ぬはずのない人が死んで、生きるはずの人が死ぬ。
アナウンス効果なんて、ハムレットの生きるべきか死すべきかのseriousな問題でなくとも、ちょいと考えればわかる話ではある。

AIに自由に語らせたらヒトラー礼賛の本音を語りだしたので実験を中止したというエピソードがある。
シンギュラリティーを超えたら占い師はみんな失業者になるのか?
少し思考力のある皆さんは各位でご検討あれ。

今日も、SNSで知己学者や知己医者のアレアレのご託宣を聞く。
すでに先史と歴史の境目から出ている議論だ。
捕らぬ狸の皮算用、わがえの売り声、こんなもので先史以来来ている世界が、シンギュラリティで全く異質な世界に変貌するとは思えない。

われわれは矛盾と悲喜劇を変わることなく運命付けられた生き物と思われる。

2016年11月25日金曜日

週末買い出し

案外暖かい。
歩くのが丁度よい距離なので、ブラブラと買い出しに出向く。

ササッと不足気味の日常品をピックアップして帰路につく。
帰りは重い。
ビンや缶がわんさと入ったレジ袋を4袋も持って歩くと、まず足が上がりにくくなる。
倒れたらビンは割れるし、袋も破れてしまうので、ゆっくりと足がもつれないように進む。

高齢者が危ない危ないと言われながら、クルマを手放せないのがよくわかる。
自分もまだフラフラと荷重に耐えながら行ってこいができているからいいが、もう少し加齢その他で体力が落ちれば、歩いての買い出しは困難になりそうだ。

いまでも宅配サービスで、少し品揃えが不自由になっても、今より安いぐらいの買い物の選択肢はある。
カタログから選ぶばかりでなく、スーパーなどの店舗で買ったものを、後で宅配してもらい、手ぶらで帰ることのできるサービスも増えてきている。
自分が敢えて重い荷物を抱えて帰るのは、野球の二本バットの素振りのようなものかもしれない。

まあ、後のことばかりを考えてとか、今一番よい途はなんぞと考えても、メリットデメリットはそう明確でもなく、最後は第六感のようなところで決める他ない。

こんな時代だからというわけでもなく、いつの時代も、実はこうだったのかもしれない。

2016年11月24日木曜日

ホントかしら?ウソよ大嫌い~♪

待ちに待ったVHSが来た。
イライラはしたが、怒らない。
配達員は、掛け値なしで、よく働いている。
日没後の雪のpatchyな危険な道を、よくいらして下さった。

現在file化中だが、山や谷の挙げ句の出会いに、作業も喜びが倍加する。
作品は、老いの最期のドラマツルギーで、わが暮らしがそのまま投影される。
この作業を完遂すれば、明日への移行もスムースに行きそうだ。

ところで、このところあまり詮索することはないが、いわゆる「識者」やマスコミその他のトランプ現象分析の陳腐なこと、この上なし。
ある内部者が、ハーバードにだって、トランプ支持者は腐るほどいるという。
信条を言えば、マスコミに、周囲にレイシストだレイピストだと、ラベリングや指弾をまぬがれない。
しかし、クリスマスぐらい自由に楽しませろよ、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いぐらい、フランクに言わせろよという向きは多い。
ヘイトスピーカーと言われるほどでなくとも、モダレートな好悪嗜好の表白まで、ポリティカリーコレクトネスで抑圧されたくない。
そういう人々が、意思表示できるのは、投票行動ということになる。

わが国もさも似たり。
SNSなどでも、奇矯な意見や頓珍漢なニュースの切り方が目を引くが、silent majorityは、正直こいつアホかと思いつつネグレクトしている。
ゆえに現政権は高支持率を得ている。
もちろん、ご利益宗教と同じく、霊験あらたかでなくなれば蜘蛛の子を散らすことになるだろうが、それが政治というものではある。

最後はひとりひとり利益状況を読んで動く他ない。
しかし、利益なんぞという概念は非常に儚い。
金銭などいまや国家の信用がなければ、ただの紙切れである。
生き甲斐死に甲斐も最後は各位で自己決定する他ない。

white coated

軽く砂糖をまぶしたような風景。
大して降らないが、間欠的にポソポソと降っているよう。
細雪という形容でよさそうだ。

庭も霜でサクサクという音が出る。
その上に薄く雪が覆っている。
冬のはじめの風景だが、この程度が好きだ。

東日本の余震津浪発生も大きな被害をまぬがれたようだが、これに限らず、これからもこのような心理的逼迫や実損に追いまくられそうな時代だ。
元々地震多発国に加えて、この高代謝社会で、地中から海中からエネルギー源をゴッソリ吸い上げて、それを蕩尽するかの如く大量消費しないと生きていけない現代なので、当然足元も地が揺らぎ風や波が騒ぐ。

世界も同様だ。
トランプ氏もTPP離脱だと公約履行に進む現況であるが、ここまで国際化しての多国間貿易協定の話なので、徹底的なモンロー主義は貫けない。
さっそく同じ口で、多国間FTA推進強化を示唆するなど、安全保障同様真性モンロー主義の換骨脱胎を図っている。
トランプ氏がTPPアイデアを壊滅宣言したとたんに、ASEANプラス6のRCEP(東アジア地域包括的経済連携)など中国が抱きつくFTA議論にシフトする流れが国際経済で注目されているが、単にTPP潰しだけでは、アメリカの国益も危うくなり、結局はオバマケアの承継と同様、TPPの再構築を余儀なくされる可能性も小さくない。

日本も、ロシアとの交渉中にミサイル基地強化などビンタ張られながらの外交活動を余儀なくされているが、対米対トランプだけでなく、半島の危機大変動、その他もろもろ政経大地震の危機対応も常在のこととなる。
それに加えてというより、もともとモンロー主義どころでない内向きの国で、国内産業の構築も官僚制の下で利権構築の網のなかで交錯的に育成され、その改革は黒船や維新でなくては図れない国柄である。

自己美化と自己唾棄の両極の間で、いま他国の行っているような犀利な現状認識や実践に弱い国民性。
いまやそれを承知で淡々と霜を踏んで歩いてゆくべき季節のようである。

2016年11月23日水曜日

寒い旗日

本格的な凍れではないが、結構冷え々々している。
粉雪もちらついている。

それなりの陽光も射しているが、もう暖かいという感じはない。
あと一ケ月少しで今年も終わりの季節だから、こんなものだ。

ちょいと外回りの予定があるが、メール到来で動き出す案件なのでひたすら待つ。
いらち、タンパラでこういうタイミングは好きでないし、弱い。

今日のテレフォン人生相談は、マンション上階の子供の跳びはね騒音だったが、恒常的に悩まされるというこういう事例に比べれば我が悩みは緩い。
まあ、年取ったせいか、近所のちょいと邪魔な路駐も、そうトラブルにもつなげずにしのいでいる。

昨日の養育費腹立ち話も、回答者の弁護士の示唆するとおり、履行するのが筋だろうし、論筋からみると、だから身から出た錆になっているんだろうなの印象のトラブルだ。
紛争は、家庭内紛争から国際紛争まで、なべて単純で複雑で対処困難だ。

まあ、一番難しいのは自分自身だろう。
二重人格であれ、多重人格であれ、どう遁走を図っても、自分には絶対自分がついてくる。
だからハムレットから漱石鴎外まで名文学が生まれるわけだが、、、。

さてさて、通販の受領の次も通販。
作品は、乙羽信子さんの遺作だが、これも人生最期の残照を描いている。
到着を心待にしている。

深夜食堂

ネット回遊でseason4の出来を知る。
さっそく十作を通覧する。

原作はビッグコミックオリジナルに連載されているが、記憶にあるものもないものもある。
番組用に特別に新作された話もあるのかもしれない。

内容は従前と同じく現代版繁華街深夜食堂交錯的人情話であるが、実に上手い。
短編一話完結ながらロンドの如く。

やはり一番キャラ立ちしているのは、ほとんどひとりで飯屋を切り盛りするマスターだ。
彼の調理の腕前だけでなく、つかず離れずの客あしらいが美味しい。

グルメ漫画やグルメドラマはたくさんあるが、深夜食堂には一口料理教室も登場して、自分で料理したい者にはなかなか嬉しい。
それも仕込みのノウハウなどにも触れて、単に料理として加工する技術説明でないのがよりよい。

ちょっとした人情小話ものというだけでなく、現代版教養小説風に続いて欲しいと思っている。

2016年11月22日火曜日

バタバタママバタバタパパ~♪

地震のニュースが駆け巡ったが、自分に限っては体感なし。
ここは揺れなかった地域らしい。
近くに海岸もないが、地震と避難の課題はある。
家屋にダメージが生じ、余震などを考慮してどうするかなんてハムレット状態が生じれば、判断は難しい。
とにかく逃げろは一見キャッチフレーズとしては悪くはないが、セキュリティ確保としては微妙だ。
下手に動いて客観的に厄災に飛び込んでしまうことは、地震に限らず結構ある。

SNSなんぞで遭遇するオピニオンにも危ないものは多々あり。
あげつらえば、ポリティカルコレクトネスやフレイミングだけでないミスリーディングを生みかねないのでコメントはしない方針にしているが、人の憶見は実に危なく、己の仮説含めしっかりと保留が必要だ。
危機管理だけでなく、クリティカル、クルーシャルな判断の必要なところでは、常にデトックスを心がけねばならない。

ところで、午前中の図書室詣を終えれば、午後はインナーに徹する。
ご近所の人々もお籠りモードのようで、人の動きをほとんど目にしない。
わんこらも、庭遊びは喜ぶが、寒さも厳しくなってくれば、ほんの少しで戻りたがる。
側で見守るこちらも、軽装備でながく居ると冷え冷えしてくるので、頃合いは同期する。

天気予報も気温に関しては当たる率は高い。
寒さの冬は、オロオロしてもせんないので、室内でこまめに動いて運動量と熱量を確保し、しのぐことにしている。
変な思い込みに囚われてバタバタするにも避けたいが、それはそれほど容易ではない。

欠食児童

早寝のために、若干空腹状態で入眠する。
さっそく夢は、居酒屋で飲食している類いのものとなる。
日常生活では、うち飲みがほとんどなので、かつての記憶もとに演出されているのだろう。

別にそれで十分なのだが、うち飲みでも、少量多様な品揃えがあらまほしとも思い返す。
やはり工夫力総合学習能力が肝になる。
COOKPADなんぞを検索する能力があれば、簡単にできることであるのだが、固定観念がディスターブするのをうまく外す必要がある。

基本方針としては、すべからく、この辺りを実践に繋げることが肝要と思っている。
飽食ばかりでは、身体が重くなり、関節はへたるは高血糖の弊害も出る。
過度にダイエットすれば、老年症候群でフラフラすることになる。

デフレで、少子高齢化、下り坂を転倒転落しないように降りるのは大変だ。
滑落事故は下山時に起こりやすい。
高度成長期に育っているから、そこでの身すぎよすぎの常識がインプリンティングしている。
頃合い調節が非常に微妙でそこが重要だ。

社会、国家、世界も同様だ。
ネットやAI、宇宙開発、環境問題等々で、斯くの如き現況で、個人のありさまとパラレルだ。
どう適応するかは、未曾有のことゆえ、正解は一義的でない、まさに量子力学の世界である。
右から見るか左から見るか、上から下から斜めから、観測問題も多様に噴出する。

幸か不幸かここまで生きながらえて、こういう風景にまみえるのも嫌ではない。
そうハッピーなこととも思わないが、まあ生かしていただいてありがとさんの気持ちは十分にあり。
今日も適宜に余生をいただくことにする。

2016年11月21日月曜日

月後半の月

本当に月や星はきれいだと思う。
それが気象条件その他をまぬがれれば、誰もが享有できるのがすごい。
今日も庭で眺めた。
デフレもへったくれもなく、真正ロハだ。
高じて風邪引いて云々は、もちろん自己負担だが、もちろんそれでよし。

朝からオーディオビジュアル三昧。
映画と音楽をザッピングしながら、ネット回遊で過ごす。
桜井誠の桜社長批判を聴いたり、左リテラ勢の曽野綾子ご自身介護事情批判を閲覧しながら、ホンに突出すると面倒な時代といつもの持論を再確認する。
まあリソースの有効利用や露出度の秤量は当人のなすべき負担ではある。

ところで、昨日はパトカーの不審な動きが、戸口調査とわかったが、そういうことさえ面倒だ。
公務に精励する本官諸氏には申し訳ないが、これだけの情報社会で警官の不祥事がわんさと押し寄せてくる時代は、デフォで警戒するのが実際に正攻法と思うので、昨日の本官氏には申し訳ないが、そう思ったのは撤回せずの次第である。
他国で偽物本官バッコのニュースもたえないが、わが国もこのとことさも似たりの事例は掃くほどで、そんなこととんでもないの公僕諸氏には申し訳ない現況だ。

警戒的であらねばならぬ時代だが、だからといって、他人様なんぞどうでもいいなんて思いはしない。
自分が他人様にとってどうでもいいなんぞとデフォにされるのは気持ちいいわけではない。
さはさりながら、現状がこうならば、容易にFRIENDLYにもいかない。
情報社会というだけでなく、現代社会の特性とneutralに捉えるほかないだろう。

今日も朝の一回りを画策しているが、それなりの旅ではある。
己として皮膜されている身ひとつを動かして、世界のニッチにシュンドウする。
日々の楽しみになっている。
人生は遠近、ハレやケにかかわらず、旅の連続ではある。

2016年11月20日日曜日

唄う日曜日

早寝早起きで、オードリーのオールナイトニッポンを生で堪能できたが、安楽椅子で半寝状態。
彼らに限らず、中年になって受験生の聞く深夜に生本番は大変だろうと思う。
聴取者は泥寝でも半寝でも自由自在だが、エンターテインする方はliveで息は抜けない。
ただ、伊集院光氏でも、おぎやはぎでも、このオードリーでも、そうするのが大好きでやっているというtasteはしっかり伝わってくる。
好きこそものの上手なれとはよくいったものだ。

深夜放送を聞き終えても、わんこらの鼾をBGMに暫し半寝を続ける。
睡眠時間は十分にとっていても、自律神経その他のリズムや活性は、ゆっくり、しっとりの起動を要求する。
若い人々も、そこを充足できないと、過労死や突然死に陥る。
やはりこれも芸道とは別の意味で、好きでこそやれる。
無理なら、無理難題なら、遁走するに如かず。
若い者に特攻隊を強いる戦に勝ち目はない。

目覚めてしばらく、ゆっくりといれた珈琲でシャキッとしたので、西部氏の日本歌謡教室をseriesで聞く。
声楽家の青山女史の通る声が快い。
西部氏の左右に揺れてきた政治的偏奇も歌謡教室では影をひそめ、穏当な解説で聞きやすい。
ときにハミングするもよく、歌詞を染み入るような聞き方をするもよく、エレクトーンのプロの伴奏も手練れで最高だ。

そうしながらネット回遊していると、知己の名前がSNSでご推奨として登場する。
写真を見ると間違いなく、お孫さんを抱いて幸せそうだ。
こちらからrequestするとrejectしにくいだろう知己なので、そのまま置いている。
師匠も連絡なしが久しいが、同様にas you likeが一番の気遣いだろうとlet it beとなっている。

特に外回りの予定もなく、歌い、庭に遊び、英気を養う日曜日になるだろうか?

2016年11月19日土曜日

土曜の午後は~♪

図書室で予約本収受後、スーパーのテナント100均でwindow shopping。
特に食指の動くものなし。
なんで百均回遊を志向したかも忘れて次に向かう。

スーパー本体も回遊するが、同じ。
贔屓の回転寿司も、わんこらと食事する方が楽しいので直帰する。
このところプライオリティはぶれない。

行きも帰りもウオーキングでいい運動を楽しむ。
デフレ解消にささやかな寄与もできなかったが、貧者の一灯も別の総活躍の場もあろうて、これでよし。
貨幣も所詮紙や期待権、計算単位にすぎない。

オーディオビジュアルの手入れも同時平行に行っているが、まずまずうまく動いてくれている。
機器によって得手不得手もあるが、個性を知るのも悪くない。
全部でひとつがこのところの認識だ。

結構運動したので、いいアペリティフになり、これからわんこらとの宴席を再開する。
今日はもう土曜日、オードリーの深夜放送もすぐにやってくる。
回転のはやいことはやいこと。

暇人でもお忙しでも、一日一週間一季節一年はきっちり平等である。
ドッグイヤーの仔らと意識的に濃密な時間を過ごす。
かれらとも、handyやadvantageなしのflatな関係を志向している。
人とも、命、モノや時空とも同じにが基本だが、ありがたい指標ではある。

不思議の味わい

自分の棚卸しに合ってしまうと、あまり不思議の味わいは乏しくなる。

不思議の味わいは、必ずしも楽しいとは限らず、五里霧中や被害妄想を生んだりもするが、じっくりと味わうことができるのは余裕の証左ではある。

わんこの食い付きの悪いとき、さりげなく餌皿をシフトしたり、餌皿から中身を出してやるとササッとかっさらえることあり。
ここがpetテロなどでやられる怖いところでもあり、気にはしている。

人間の自分もさも似たり。
このところ食環境だけでなく、securityを意識した立ち居振舞いは実にむつかしい。

youtubeでfollowしている定番番組の中でのアップデート滞りが気になる。
かなりの間ご無沙汰のものが、どっとアーカイブでアップされる。
放送局のサイトにダイレクトにアクセスすると、なにか事件でもあったかと心配させるような記事途絶がある。
多分、著作権やデファクトレベルでのアーカイブreleaseの事情はあるのだろう。
いまはそんなもんなんだろうと事象をそのまま認知している。

不思議は知的、実存的好奇心の肝である。
シンギュラリティがどうであれ、生き物の生息し、蠢動する限り、そう容易にお話ジエンドにはならない。
一度しかない一生かけて蠢く。
また楽しからずや。

2016年11月18日金曜日

週末miscellany

今月も時の過ぎ去る足がはやい。
もう月半ばをすぎた。

朝は近隣スーパーで必需品を揃えた。

ふるさとのミカンを購入したと思ったら熊本産だった。
室生犀星のように拒絶の気持ちも、とりわけの望郷の気持ちも持ち合わせないが、被災地の産物に会えてよかった。

youtubeは番組に乏しいが、いくつか面白い番組を観た。

月はいつも決まった面をこちらに見せるという。
中学入試などに説明せよと出るとか。
受験指導プロの解説を聞いたが、特に面白くもない。

もうひとつは、大統領選後の座談番組。
デーブスペクターがトランプ嫌いの人士であるのがよくわかった。
内閣府参与の飯島氏も、週刊文春のコラムで都知事をディスっていたが、好き嫌いは色に出にけりどころか露骨この上なし。

午後は、自由に諸作品に触れる。
良質の作品に洗われてリフレッシュした感覚で世界を見直す。
至福のときのひとつである。

ノスタルジア

近所に駄菓子屋があった。

戦後はもうずいぶんと昔といわれた時代に生まれたが、幼少期は戦後を引きずり高度成長はこれからの時代だった。
お好み焼きというには貧相だった。
粉にキャベツと紅生姜が少量の焼き物をよく買った。
新聞紙に包まれ、表面には薄くソースが塗られていたと覚えている。

飴湯も美味しく飲んだ。
飴を融かした糖水に生姜を少し加えただけのシンプルな飲み物だ。
一杯いくらだったかは覚えていない。

先行世代に、すいとんでも旨かったという経験譚はよく聞いた。
しかし、芋やカボチャばかりは辟易したという話もずいぶんと聞いた。

こういう因果話は、格別戦争がらみにかぎらない。
わが近親者は、飼っている鶏を食卓に供するために料理したが、鶏だけは喰いたくないと言っていた。
元嫁の親もそのような述懐をしていたと聞いた。

食い物の恨みはなんとやらというが、人に皿をさらわれなくとも、ノスタルジーと生理的嫌悪や拒否は、紙一重である。

このところ、ノスタルジーの再現企画を考えている。
うまく再現できるかどうかも疑問だが、仮に出来てもどう己が反応するかはわからない。

また、バック・ツー・ザ・フューチャーかも?とも思っている。

2016年11月17日木曜日

健啖ハムレット

ずいぶんと少食になった。
若い頃は、健啖家と皮肉を言われる大食漢だった。

歳をとって、基礎代謝も小さくなり、活動性もさがり、ずいぶんと食生活もダウンサイジングした。
少し食べ過ぎると、あるいは運動しないと、空腹を感じなくなる。

その流れに沿って、腹が空かなければ飲み食いはしないが、だからといってダイエット志向はしない。
歳をとって、ひたすら雀の餌で済ませると、これまた危ない。

体力が落ちる。
ザルコペニアだ、ロコモだと、体の貧弱化にともなう身体機能の脆弱化がすぐに顕れる。
ちゃんとお陀仏するには、体力を維持していかないと、うまくいかない。

自分より一回り若いタレントの伊集院光氏も、百キロを超す巨漢だが、健啖家でありつつ、運動その他で長期的な体重低下を目指しておられる。
番組の企画という安全配慮もあって、急峻な体重低下は危険と、年余にわたる緩徐なプログラムになっている。
若くても、太るばかりも危険だが、急に体重を落とすのも危険である。

ところで、食生活だけでなく、外部とのやりとりなども、このようなハムレット状態が難しい。
停年で仕事と急に切れて、やることもなく引きこもり、生きる屍化するのも困りものである。
かといって、いつまでもワーカホリックなのも、仮に体はもっても、老害で傍迷惑なものとなる。
歳がいった分、うまく人間関係をトリミングしつつ、自閉的になりすぎぬ開放性も維持することがあらまほし。

そういう目分量も才覚なのだが、歳をとってもそのこと自体は初体験である。
昇天するという初体験まで、「青春時代」~♪同様、道に迷っているばかり~♪である。

夢分析あるいは夢十夜

今夜の夢は、一番手はなんだかイリーガルな組織の活動を側見するような夢だった。
北野武監督の「ソナチネ」「アウトレイジ」「アウトレイジビヨンド」などを観たせいかもしれない。

二番手は、学生のような独り暮らしをしていて孤独な心象風景を味わう呈のものだった。
現在進行形の暮らしぶりが影響しているのかもしれない。

漱石の「夢十夜」は青空文庫を朗読ファイルにしたものをよく聞いたが、いま調べると夢百夜と誤って覚えていた。
漱石の夢十夜は、フロイト的に考えても、ユング的に考えても面白い。

いずれにしても、覚醒時に考えるコンテンツは、意識や覚醒時の狭い目的合理性に縛られて、狭苦しい。
それに比べて、夢は悪夢含めて意識を逃れて奔放である。

自分が意識のタガが外れると、こんな風な世界を展開するのかと興味深い。
人生が二倍とまではいかなくとも、1・5倍くらいに膨らんだ感じで、得した気分になる。

多分日頃意識で抑圧している部分が解放されたり、効用もありそうである。
そら恐ろしい部分も垣間見て、少し自己理解も拡がる。

効用ばかりではないが、いまのところ夢見を楽しんでいる。

2016年11月16日水曜日

月がとっても蒼いから~♪

スーパームーンちょい遅れの朝空に月と星が綺麗だ。
ちょいとゴミだし庭遊びでも風流が一番だ。

朝市に出向く頃は、すっかり青空だ。
これもいい。

肌寒いがカーエアコンで暖気をいただければ、緊張がほぐれる。
このところ野菜や果物にも興味がいって、一段と面白い。

やはりひと気の少ない朝一が物色しやすい。
今日も空気が旨い。

しかしまあ、高齢者の運転の危ないこと。
一通を素知らぬ顔で入ってくる。
確信犯かボケか知らぬが、自分も遠からず。
舌打ちされるだけで済まぬ危険、要注意なり。

wiiいじり

ひさしぶりにwiiを引っ張り出して動かす。

あまりゲーム機のdirectionが好きでないのだが、このところは不良ユーザーで通すことをいとわなくなっているので、適当にいじっている。

ボードから降りてほかのことをやっていると、サボってますねなんてcautionが出る。
適当に合わせるということができないので面倒だ。
どうfaintをかけてスルーするかを考えながら付き合っている。

無理に合わせると体に悪い。
あくまでゲーム考案側のよい動きだから、生身のこちらの諸般の事情なんて考慮なし。
本気で従おうとすると筋を違えかねないやら、無理に合わせるストレスがたまるやらロクなことがない。

それでも適当に利用する方法を見つけ続けると、そこそこ楽しむことができる。
成績なんぞ気にせず、運動神経ダメねの評価も無視してやっていると、我流のおもちゃにはなる。

自分に合わぬとお蔵入りさせてきたモノが、また違った顔つきで出会うことができるのは結構なことだ。
あまり思い込まずに、上手く使うのが大事である。

2016年11月15日火曜日

スーパームーン、フルムーン

予定していた折衝案件の処理を終える。
掃除その他の準備も待ち時間にこなせたので、この整理整頓を今後に生かせて吉なり。

天候がもうひとつと、翌日の準備に関心を奪われ、スーパームーンとは縁なし。
画像で見ても、大した違いはわからず。

前日から待ちの体制で、いろいろとBGMで気分をまぎらわす。

ひとつは、路線バスの旅のアーカイブ。
いまは半径数キロに限った生活に明け暮れているが、セミリタイア前には、いろいろと動き回りもした。
仮に、いま自由に動けても、singleなので、フルムーンとは縁なし。

もうひとつは、羽入教授の雄渾な論争本の読了。
アマゾンで、高価なサラピンを購入した。
ハブとマングースの如きdebateは実にexcitingであった。

図書館本の受領と買い物は明日に先送りし、今日は解放的に午後を過ごすことに決めた。
tensionを適宜にナンピンするのが、精神衛生によい。
このところ、こんな感じで動いているようだ。

2016年11月14日月曜日

コンビニ人間~♪

予定どおりに密林の荷が届いた。
今朝は朝市で歩き回るような労作もなく、運動のために徒歩で往復した。

バーコードでうまく読み込めないので、番号入力すればいいのだと伝えても、うまくできない。
こういうときは、店員さんのプライドを傷つけないように、アホに物言うようにどうすればいいかを伝える。

ゴテてこちらにmeritのあることは皆無なので、人が替わればその都度インストラクターを演じる。
芥川賞の「コンビニ人間」の主人公のような練達の士はまず居らず、大概は通過儀礼のようなので、しっかり受益者負担を実行しなければならない。

まだ店員はいい。
いつでも辞められる。
うちの息子もコンビニバイトで稼いで進路の足しにしたが、絶対にコンビニ経営者にだけはなりたくないと漏らしていた。
人の手配、内外の万引き防止、新商品新システムの研究伝達、フランチャイズの無理難題の甘受、人手不足時の寝る間もない稼働、その他もろもろ、わが愚息でなくとも近くで観続ければ、やはりやるもんじゃないということになる。

無事荷受けとついでの買い物を済まし、ひと休みすれば、もう昼もずいぶんと過ぎた。
明日は、ちょいとした交渉事があり、それへのシフトもしなければならない。
のんびりなようで、時間は飛んでいく。

月光仮面は誰でしょう?~♪

朝一はゴミだし以外デューティーfreeで、月光仮面を楽しむ。

最近の映画化作品ゆえ、単純な勧善懲悪ではない。
二捻り三捻りはないが、一捻りはある。

今日もネットを一巡したが、ポジショントーク、既得利権業界利権たっぷりの正義論が溢れウンザリで、エンターテインメント物を楽しむ。
まあ、やくざの抗争じゃないが、必ずcounterとのぶつかり合いがあって潰しあいになるから、無駄に構うことはしない。
もちろん、剣ヶ峯の一撃必須と思えば、もちろん手は出すつもりは大いにあり。
無駄なもったいない兵糧は使わない。

バスの旅のアーカイブ面白し。
これなんぞプライベートならとてもやってられないだろうが、ちゃんと仕事としてつとめて味が出せて、最後は楽しめるプロが演じているからシャダツで面白い。
このところわが暮らし半径数キロで済めど、日々が旅の如くで、これまた楽し。

漱石の留学周辺の病みを描いた作品を観たが、英国まで行かなくとも、立って半畳寝て一畳で十分に神経衰弱にもなれば、無頓着なご仁は地の果てまで行っても、逆に元気一杯になるだろう。

カスバの女を藤圭子とデュエットするが、外人部隊のつけが今に炸裂しているフランスやカサブランカを思い出したり。
トランプ当選のように、フランスも国士の娘ルペンが大統領になるかしらん?
何はともあれ、正義はあまりガンロウブツにしない方が上品だ。

どこの誰だか知らないけれど~♪

月曜朝、既にゴミだし完了。

このところ月光仮面やハリマオとふれて楽し。
戦後すぐちゃんと醒めた表現者はあらわしている。
この辺り自称保守の西尾某はご存じか?

朝からジンギスカンの宴。
わんこらも舌鼓を打つ。
朝昼晩、はまれば特に支障なし。

昨日の収穫は、安住アナウンサーの日曜天国。
guestは素潜りプロの女性だった。

蘊蓄は別として、素潜り稼業との出会いが興味深い。
三十で卵巣嚢腫に病む。
ひとつ間違えば、腫瘍破裂でショック死のエピソード。
これはしたいことを今するのが大事と悟ったという。
旨いものを食うとき、すぐに食うか、最後に残すか人それぞれではある。
彼女はそこから素潜り人生を選んだという。
沈没死、潜カン病、その他もろもろリスクは限りなくあれど、これで生きる。
オリンピック風もあれば、インストラクター商売も限りなし、なりあうに支障のない時代だ。
死は常に隣にあれば、納得の上でまずはいただくというのは、わが見解でもあり。

月光仮面と同時に月光 ノ仮面なる映画も楽しむ。
ハチャメチャながらハチャメチャに面白い。
紹介にとどめる。

2016年11月13日日曜日

ビューッ、ビューッ、beautiful~♪

久しぶりに朝市を覗いてみた。
スマホに備忘していった必需品以外にも自由度をもたせてroundしたが、特に食指の動くことはなし。

細かい連動性を計算するわけではないが、当然ショッピングは家事の具体的展開、ロジスティックス、損切り、長期展望等々につながり、まさに人生の総合学習である。
だから、このところはお買い物ではあるものの、単純にモノの調達作業にとどまらない面白みを感じている。

昼には昼で、予約図書の収受かねて、お買い物第二弾に赴く。
朝に広い売場を回遊してそれなりの運動量はこなしたので、車でササッと行き来する。

午後は雨が降り始め、雪はさらに消える流れで、根雪は予想どおりにまぬがれた。
必ずしもホワイトクリスマスにならぬ年もあり、先は読めない。

大統領選の如く、国際情勢も先行き不透明。
実は、今までもそう透明であったことはない。
巨大流星に衝突されて地球が吹っ飛ぶリスクもなくはないだろうがちゃんとそういうことは起こらずに数えられないほどの時間を経ても存在している。
透明不透明も所詮形容詞に過ぎず、われわれが感じて定めるほかない、それこそ不透明な概念である。

明日は密林の通販を受領し、その翌は、、、、ロシア民謡の「一週間」~♪のような日々が続く。
それなりに忙しく充実していくのはありがたい話である。

深夜のお楽しみ

radikoでオードリーの深夜放送待ち。

地場のミュージシャンのローカル局番組を聞きながら待っているが、これもよし。
グローカルの時代、よけりゃあ何でもいいのだ。

このところということでもないが、手慰むのは環境設定、カスタマイゼーション。
自由な時代だけに難しい。
最後は自分を参照基準にするほかないので、天上天下唯我独尊に落とし込むのだが、熟慮でないと浅くてうまく漬からず面白くない。

SNS、ML、メルマガ、スパム、その他もろもろ何でもありの時代、どうせ整序するほかなけりゃ、適宜にクールに仕分けするほかないか、というのが現時点の暫定結論。
脱フォローで隅にやってしまっていたご仁らの復旧に向かおうか。
己の言動も闇鍋前提でreleaseしているわけで、思えばそれがデフォと考えるべきだろう。

ツールの使用法で、引っ掛かってくるコンテンツも違ってくる。
己の使用態様全体で、これが実際となるわけで、あまりナーバスになっても意味はない。
生きていくことでディテクトしていく、それが正攻法だ。

情報も一定以上に膨れれば一期一会以上の関わりは困難だ。
別に情報社会でなくとも、人生のまさかの坂を考慮に入れれば、二度なし、これが最期やもしれず。
急逝された親とご子息も、その後視ず。

いま聴いているradikoは、ロシア語講座をやっている。
使わなければ余剰にすぎないが面白い。
ロシア語だけでなく、すべてがこうである。

2016年11月12日土曜日

怨歌

スーパーの開店時間待ちに、youtubeで藤圭子とデュエットする。
実によし。
彼女の歌を怨歌と評したのは五木寛之だが、亡くなったリリィも質感はずいぶんと違うが一種の怨歌歌手と云っていいだろう。

重い荷物をぶら下げて帰り、疲労回復に聞き続けている。
云っても詮ないことではあるが、藤圭子も成功して怨歌を歌わなくなってからどうも歯車が狂ったように思える。
歌に情念を投入し続けられていたらあのような結末をまぬがれることもできたのではないかなんぞと思ってしまう。

今日も日差しは明るく快い。
天気がよいと、かえって演歌も陰にこもらず気持ちよく歌える。

午前で今日の用はほとんど完了する。
週末の午後を堪能するセッティングができてめでたい。

流れ流れて~♪

土曜の朝は、ゴミだしもなく、のんびりする。

youtubeで、バスの旅のアーカイブを楽しむ。
いま楽しんでいるのは、ご当地編である。

思い出懐かしい風景に出会う。
移住前に家族連れで訪れた牧場、先代のワンコを連れて往復した三百キロも離れた辺地の病院所在地、わが人生で見慣れた風景が、心のなかでrefrainされる。
いまはもうこんな動きは、わが出没範囲からすっかり外れてしまったが、何度も何度も反芻してほろ苦くかつ甘露なtasteだ。

冠二郎の唄ではないが、流れ流れて落ち行く先が、こんな北の大地だと知らずに味わった日々は、only yesterdayである。

さて、過去が現在に血肉化されることを自覚するに至ったいま、この現在がまた明日のボーデンとなることを少し楽しみ、少し畏れ、結局は極楽とんぼに暮らしている。

まだまだ楽しからずやである。

言葉のサラダ

昔の精神科の教科書には、「言葉のサラダ」なる述語が出ていた。

シッチャカメッチャカな患者の叙述を指して、言葉のサラダと呼ぶ。
いまは言葉のサラダが常態で、死語と承知している。
以下に、そのわけを述べる。

マニュアル、取説がわからない。
こちらのリテラシーの低い場合、ジャーゴンの噴出の場合、その他もろもろ理由は問わない。
そんな能書き集は、まさに言葉のサラダだ。

マスゴミもさも似たり。
今回の選挙じゃないが、底流、実質が見えていない、見たくないから、記事が言葉のサラダだ。
変な野党や与党の一部の言葉も同様で、支離滅裂を自覚なく無知無恥の露呈とたれながし。
ということで、これを前提とする。

しかし、これは己の言動含めやむを得ないのだ。
学問で云えば、量子力学、相対性理論的状況だ。
真善美すべからく状況の関数、確率の問題、その他理解のためには、これら学問を参照されたし。

ところで、兼好法師の喝破するとおり、だからとcrazyに振る舞えば、さもcrazyらし、果てはcrazyそのものとなるぞかし。
したがって、鴎外云うところの世は「かのごとく」いくほかなし。
この世界は、decentのごとく、場合によってはcrazyの如く、立ち居振る舞う舞台となる。

さて、以上の言葉のサラダの意はお分かりか?
ネット時代の与太噺とご容赦あれ。

2016年11月11日金曜日

わたしは泣いています~♪

凡庸で幸せな週末の日を過ごしている。
天気も夕までしっかりもった。
ジンギスカンを仔らとシェアし、最終の庭遊びも終えた。

なにもとりわけのことがないのが幸せなのだが、少々寂しい訃報に接する。
リリィさんが亡くなったという。
まだ若い。

肺がんだったらしい。
ソウルフルなsingerであるとともに、味のある女優さんだった。
最近では、深夜食堂の元踊り子の粋な婆さん役が光っていた。

また違った味のソウルフルsingerの藤圭子が宇多田ヒカルを生んだように、彼女のご子息はドリカム女史のpartnerだという。
惜しい人が、段々といなくなる。
自分だって、もうすぐなのだろうが、やはり素敵な人がいなくなるのは寂しい話だ。

今、ベルイマン作のイングリッドバーグマン最後の作品「秋のソナタ」で、彼女の生き方に興味をより強くしたせいか、youtubeの推奨に、彼女の評伝モノが登場、見入っているが、人はそれぞれ、その人らしく生きて、その人らしく往く。
いまは、そういうことに興味を持ちながら、惹かれる人のこういった評伝なんぞに出会うと、より深く知りたいと、その作業を楽しむ。

もちろん、人の人生のディーテイルなど知るよしもなく、また実際のpartnerでさえ同床異夢のことの多い現実、こちらの勝手な思い入れ先行の質感探索に過ぎない。
それでも、実に楽しいことではある。

晴れた空~♪


久しぶりの秋日和風。
庭の雪もずいぶんと融けた。
サンダルでワンコの世話ができる。
拘束に弱い足のフットケアも可能で嬉し。

買い物の必要もなく、のんびり。
ガスの点検やアマゾンで若干高価本を注文するが、受忍限度内の負担で推移してありがたし。

国際的政変の評論は、反省と理解力の足りない愚論siteばかりで、ちょうどよい機会とすべからくオミットする。
変化はうまく使わぬといかん。

庭の野バラの枝をたおる。
できたら野生のままにlet it beが好きなのだが、諸般の事情で若干剪定作業的介入を行う。
まあ、ワンコらにも必須と思われる介入はするが、植物も同じ。
ケアと虐待は紙一重だが、熟慮の上おこなう。

近所の住民も、陽光に誘われて、 庭の世話にいそしんでいる。
隣百姓という死語もあるが、とりわけ過剰同調でなくとも、まあ似たようにはなる。
暫く雪と雨のサイクリックな日々だったから、このポカポカ陽気が一段と快い。

苦労を通しての歓喜、二本バットの素振り後のバッターボックスと、いつもの定番の形容となる。

2016年11月10日木曜日

ちゃんちゃん焼き

朝のショッピングで、ちょうどいいホッケを見つけた。
数日前から、ちゃんちゃん焼きをやりたいなと思っていた。
浜料理で、シャケでも、ホッケでも、ほかの魚でもいいのだが、やはりご当地メニューとなるとホッケだ。

ホットプレートをセットして、味噌と野菜でコートして蒸し焼く。
ワンコに小骨をとってやり、執事をしながら、己も味わう。
こんな冬の季節にぴったりだ。

そんなこんなでまったりしていると、郵便受けにハガキや封書が届く。
逝った仔らの予防接種勧奨も届く。
生きていたら 、ご馳走の一欠片でも味合わせてやりたい。
しかし、今は健やかな仔らに振る舞うほかなし。

BGMに流している日本の歌にシンクロして口ずさんだり、聞き惚れたり。
スタンプもプーチンも習近平もいいが、足下をまず確かめて出処進退するのが、庶民の作法というものだろう。
曲がりなりにも、民主社会。
よくも悪くも選択を繰り返していくほかない。

さて、明日は早くも週末に入る。
夜目覚めれば、おぎやはぎのめがねびいきの日か?

業界噺

あるSNSで、ネット知己のDrが、医師増員があらまほしを書き込んでいた。

過重労働や医療過疎その他さまざまを理由に、増員論も賑やかに論じられることしばしばである。

今日は、その問題点について触れてみる。

わがもう一つマージナルマンとして関わる世界、法曹界とりわけ弁護士界隈が参考になる。
ロースクールができて、員数が急増した。
しかし、合格できず滞留する学生も多く、合格実績の悪いロースクールは淘汰され廃校となり、運よくか悪くか新規参入できた新人たちも、ロースクールや司法研修所でのローンや負担を負って青息吐息の実務生活に入る。
パイが大して増えるわけでもないところに過当競争が生まれ、ベテラン層にも不採算で倒れる人々も多くなる。
横領、詐偽などで縄付きになる弁護士があとをたたない。
いまや、弁護士の信用喪失の深化の進む哀しい状況が露わになってきている

これは弁護士の話で、医師はそうならないだろうとおっしゃる向きもあろう。
しかし、この財政の厳しい時代に、弁護士と同じく一定のパイを分け合わねば計算があわないのは、数学ほどでもない、簡単な算数の話である。
これは、医療界でも、コメディカルのたとえば看護師諸氏に起こっている。
需要よりも多くの資格者は生まれているが、とてもこれじゃ乗れない、ほかのことをやるという忌避者がたくさん居る。

医者は、養成期間もより長く、医育機関の負担やコストも大きければ、養成される予備軍医学生の負担も大きい。
アメリカでのメディカルスクールで背負うローンを返す姿は、日本のロースクール出の新人弁護士によく似るといわれる。
洋の東西を問わず、こういうトレンドは、容易な増員を許さない現実となっている。

原資を欠いた業界では、ベテラン医もロートル弁護士同様没落や逃散を余儀なくされるだろう。
ワークシェアリングや教育のノーブレゥオブリージの言葉はきれいだが、給料が半減して貴兄は可能か?

このようにペシミズムを生む土壌は厳しい。
もちろん、中国の歴史三千年ではないが、西洋でも大昔から他人様の人生お世話業の二大プロフェッションとして脈々と続いてきた業であるから、潰えきるということはないだろう。
ただし、このネットだけでなく慌ただしい時代、ひと昔のような名望家的存在では居られないことだけは明らかである。

唇に歌をもて

昨日かなわなかった図書室回りを、朝から徒歩ゆく。

もうスーパーも開き時間を過ぎ、回って適宜に食材補充を果す。

足元は若干のアイスバーンがまだら状に配置されているので、慎重なソロソロ歩きとなる。
ドライな道よりは疲れる。

そこで出てくるのが、歌の数々。
民謡や労働歌、軍歌等々が存在する理由がわかる。
単なる精神主義で鼓舞されるからというのは、ちと違う。

実際に、疲れたり、倦んだりしてビハインド気味になっている動きが、それなりに癒され、作業効率もあがる。
別に歩行や労作を負荷されていない状態でも、快い音楽がしみ込んで来ると、身心の状態がずいぶんとよくなる。

いま、映画鑑賞にはまっているが、映画も素敵な音楽の有無が大きな要素だ。
今何度も観ている「ひまわり」は、音楽だけでも美味である。
「鉄道員」や「禁じられた遊び」も、音楽の方がなじみがある位だ。
「生きる」に登場する音楽もメドレーで歌うと、味がある。

ということで、映画だけでなく、歌謡も楽しもうと思っている。
軍歌も革命家もよく似ており、近隣の国が、日本の軍歌を換骨脱胎し、革命歌にしているのも興味深い。

苦悩を通しての歓喜、タンタンタタタータタ~♪

やっとこ届いたツールで、ビデオテープをファイルに。

これまた、いつものように、なかなか動かない。
またカスつかみかと予期不安を持ちつつ、ああでもないこうでもないとやっているうちに無事おとしどころを見つける。

ソフトのモード選択が適切でなかっただけで、わかってみると単純かつ簡単な操作であった。
コロンブスの卵というのは、だいたいそういうものである。

しかし、ごててごてての涙のあとのうれしくさ、楽しさは倍増だ。
空腹は最高のアペリティフ、ベートーベンいうところの苦悩を通しての歓喜、その他この謂は数知れず。

この機微がわかると実におもろい。

山本夏彦翁は「死ぬの大好き」とおっしゃり、その題名のエッセイも上梓されているが、若い頃は人生に絶望して自殺を図った師も、老境にはホンに人生の最期の味もグルメ気分になられていたのがよくわかる。

いまバックアップしている「ひまわり」も、そのあとにバックアップする予定の「秋のソナタ」も、このようなほろ苦く甘露の人生を描いたものだ。

淀川さんじゃないが、映画って、人生って、ほんにいいもんですね。

2016年11月9日水曜日

終わりよければ、まずは中締め

トランプの勝利報を聞いていたら、やっとこ配達が来た。

なんだ、いつもの定時配達で来る気しかないんじゃん。
コンビニへの別便は、昼過ぎに到着してるのに。
JRと同様、上も下もブラック引きずってやってるもんなあ。

家での縛りから解放され、コンビニに出向き荷受けする。
バスも往復ともピッタシの幸運。
神様のご加護は、後頂き結構毛だらけだ。
無事に懸案が済めば、さしあたりそれでよし。

今日は検品だけで、明日は明日で試運転の苦労はあるだろうが、それはそれだ。

トランプさんだって、ヒラリーさんだって、習近平、プーチン、うちの大将、われらが民草、明日から大変か、とにもかくにも手当、対策するほかなし。

コンビニのついでに買った自称逸品。
レンジでチンして喰ったが、自慢するような旨さはない。
まあ、それはそれ。

今も少し雪が散らついてきた。
明日の足場も知らず。
いずれにしても、動きたいから、ポイントポイントで選んでいく。

これが生きてる醍醐味、証拠だ。

ゴドーを待ちながら

配達中のブツを待ちながら、ブツブツ言っている。

米大統領選のリアルタイム報を観ていると、トランプの勝勢が強い。
いまの時点でこれならば、ほぼトランプの圧勝ではないか?

アメリカついでに「風とともに去りぬ」を流している。
まあ、ダイナミックな国ではある。

われわれも様々な奔流に漂っているのだろうが、能天気で現在進行形ではなかなか見えない時代だ。
なまじ見えてしまうと、下手に足掻いてよけい溺れてしまうかもしれない。

そういうことで、淡々としているのがいいと思っているが、修行が足りないのと、もともと忍耐力が弱いので、泰然とはならない。

実際に、八の頃が近いてくると、もう十分に夕方の風景だ。
気持ちを、できれば今日のうちに済まそうと考えていたいくつかを、明日に送る方にシフトさせた。

まだ、不合理なら合理的に算段してやろうと思えるコンチクショーだから、いい方だ。
本当の不条理なら、手も足も出ない。

ただ、釈尊の生老病死ではないが、大昔から従容としてなさい、みんな時間が解決するのよ~♪ということになっている。
よって、ブツブツと文句の言っていられるだけで大儲けと自分に言い聞かせている。

またまた、、、、雪が降ってきた~♪



    夜が明けて、ワンコとともに庭に出ると、また雪だ。
    三センチくらいは積もっている。

    雪質は、さわると水になる淡雪だ。
    スコップでいじってみると、簡単にどいて消えてくれる。

    今年の雪ならしは歩くスキーでやってみようと、車庫から引っ張り出す。
    スコップ片手に動くから、ストックはそのままにする。

    うちなかも、遊んでいるテレビモニターとwiiを引っ張り出して、室内セルフエンターテインメントの準備を進める。

    これまで手持ちのリソースをどれだけ十分に使っていなかったということを思い知る。
    時節の花で、やっと今頃お遊びが出来るようになったとも解釈できる。

    先日注文の品も、単にイライラ待たされる感覚はつまらぬと思うようになったので、到着を楽しみながら、いろいろといじり倒す。

    こんな単純なことになぜ今まで気付かなかったのか、不思議だが、とかくそういうものである。

    楽しいアリャラ~♪

    朝から三昧である。

    昨日バックアップしたyoutubeの番組群。

    西部翁と声楽家のコラボで、様々なアリアが流れる。
    政治的言辞には抵抗の少なくない翁の秀逸な解説と妙なる歌声の進行が絶妙だ。
    これに合わせて、ひとり合唱カラオケが快い。

    音楽療法、作業療法、認知療法、その他さまざまに多様な癒しを得る。
    西部翁も歌に興味を深くしたのは、やっと老いの時期に入ってからだと述懐されているが、歌詞や抑揚、リズム、トータルの質感に同期できるようになるには、それなりの人生の月日が必要だ。

    興味をもった歌詞ひとつへの興味やふとした違和感までもが、総合学習の入り口となる。

    こんな時代、カラオケ屋も実態的には飯屋になったり、貸し室業になっている。
    それはそれで結構ではあるが、やはりひとりうちカラオケは、それを凌駕する。
    稀代のトップ歌姫とデュエットしながら、歌って踊って自由自在だ。

    ホンにありがたい次第だ。
    不思議に、ワンコらは子守唄にしている。

    mxテレビの西部ゼミナールのアーカイブで拾うことができる。
    ご参考までに。

    2016年11月8日火曜日

    ペースメイキング

    雨っぽい天気で推移している。

    そんなに冷えないが、日差しがなく、足元はジュクジュクで表に出る気にならない。

    窓から手を出して降り具合モニターして、間欠的な雨やみインターバルに、ワンコを庭に出してやる。

    周囲を眺めると、近隣に人影は見えない。
    出かけている雰囲気がないので、みんなビバーク日にしているようだ。

    庭から見える表の道も交通量は少ない。
    少ないながら、冬に入る前の工事車、スーパーやコンビニ、宅配に配品する輸送車、バスやタクシー等々、みんなミッションで宜なるかな組は、繁忙期である。
    雪や雨ゆえ、ケタリングやタクシーは、よけいにニーズが上がり盛る。

    という事で、われも近隣や世間に合わせて、ペースを落とす。
    いつもの癖で、どうしても雪の進軍風に、元気はつらつ鍛え鍛えに頑張るぞと反応したが、動きにくいときはペースを落とすのも大事なことだ。

    ひたすらヒッソクして、シュリンクするばかりだと、廃用萎縮の弊にやられるが、そこの匙加減も能力だ。

    歳を重ねると、基礎代謝も落ちて、必要な栄養も大して要らなくなるが、あまり鳥のエサ的になるのも危ない。
    身心も一種の内燃機関だから、しっかり燃やせないと、熱も作れないし、老人には低温の肺炎なども多い。
    だからといって、過食になると、糖尿病に陥ったり、身体が重くなって動きが落ちたりする。
    まさに若い頃よりグッとジレンマ性の強い生活をマネッジしていかねばならない。

    そんなことを思いつつ、通販に注文したあれが来たらどうしようこうしよう、本の予約はああしようなんぞと、それでも気持ちは必要あらば、隙あらば、外に向かおうともしている。
    こんなことも生きている証拠である。

    世界で一つだけの花~♪

    雪が雨に変わって降っている。
    予想どおり根雪にならずに融けそうだ。
    今朝は雪かきしようかとも思っていたが、サボることにした。

    朝一庭遊びで、少し雨に濡れたので、ストーブで暖まりながら、音楽や対談の整理を楽しんでいる。
    自分のライフスタイルを想い返しながら、単身あるいは孤族の時代性を痛感する。

    好きな時間に寝て起きて、好きに身辺整理ができる。
    これが、partnerなんぞいれば、やはり気を使わなければならない。
    自分の好きな歌も物語も、やれトラウマだ、ハラスメントだと、隠れ家でエディターしなければならない。

    ワンコらには、舐めるような愛情を注ぐが、人間のようにこういう点では頓着が要らない。
    もちろん、動物だって、トラウマもあり、怯えて鳴くときは、抱きしめてやるが、ストレートに向き合えるので、人間より愛しやすい。

    人間だって、心が通じ、殺されようと惚れ込みうる機序は、我が身に仄かに温存されているが、一丁噛みさえ躊躇した方がよいと思うことが殆どだ。

    いまや一億総活躍が標榜されるなか、みんな世界で一つだけの花の如く咲けよかしが建前だが、肝心の歌い手だって四分五裂する現実や本音が立ちはだかる。

    また、お調子者は、俺あたしは大事な花だから、まわりは平伏しろと来る。
    バカいうんじゃない、介護する人間だって、身上の事務を司る人間だって、みんなそれぞれ一つだけの花だ。
    しまいに、そんなうつけは消してしまえとなったり、実際にそこまでしなくとも死んじゃえなんて吠えるうつけも出てくる。

    そこで、デフレと希薄な人間関係が許される現代とて、賢しいのは老若男女とわず、静かにひとり天国を楽しむ。
    自由と依存は完全なトレードオフでもないが、まあこのままじゃ孤独死だなと感じても、下手な施設やスタッフに世話になると獄死も覚悟せねばと気付けば、そのままを続ける。
    慌てて宗旨がえなんぞすれば、後妻業の怖いエージェントが腐るほどトロール操業している。

    ということで、楽しいような寂しいような現代社会。
    なにかいいことないか子猫ちゃん?

    2016年11月7日月曜日

    ホジョウ整備中

    雪もやんだが、気象情報も痛々し。
    いまのところ晴れているが、明日以降荒れるところも出てくる可能性もあり。
    それでも小康は続く地域やフェーズもあり、TPOで様々。
    予断は許さない今後。
    なんやそれ、言うても聴いても屁みたいな予報やないか。

    まあそうは思いつつ、できることをやるばかり。
    庭の雪をならす。
    ホジョウ整備と同じで、環境整備に力を尽くす。
    農業改善事業とちがうのは、今日あしたのアドホックひとり人海戦術。
    flatなドッグランができて、ワンコは大喜びで疾走する。

    サイの河原のごとく、シジフォスの神話っぽいが、この地このときの北の大地では大事なオツトメではある。
    うちだけではなく、前も、横隣も、それぞれの課題は異なれど、手入れに一生懸命である。
    一所懸命も、ときどきに揺るがせてきたが、やっと一回りを過ごす人生にたどり着いて、ささやかに覚悟ありそな風景にたどり着いた。

    映画視聴の環境整備にも怠りなく、小さく安価で利便性の高い小物を注文した。
    養老翁の説かれるとおり、うまずたゆまずの手入れは非常に大切である。

    太郎を眠らせ、太郎の屋根に

    crazyな降りがおさまり、昼のムスケルベルケの効果で爆睡す。

    夜半に除雪車が入り、ワンコが吠えたが、その後再び寝入り、ひたすら眠る。

    これからの天候で根雪になるかどうか?
    微妙なところだが、例年なら一度は消える。

    アジサイも雪に押し潰されて、斜位に倒れきる練習、野バラもすっかり落葉しそうな趣きだ。

    こちらも冬の運動の効用に目覚めた上に、外歩きのscheduleもないので、庭で雪かきの練習に励むつもりになっている。

    別にお祭り気分になるeventではないが、季節の変わり目の風景の激変は嫌いではない。
    凡庸な日常性にささやかな刺激は、生活療法的だ。

    通信端末や日常品とのインナーでのお付き合いは、さほど変わらないが、ライフスタイルの変化で微妙にはシフトする。

    雪かきや庭掃除に時間を喰われる分、無駄を合理的に削ったり、使い分けたりする技法はrefineする。

    厳しい季節の効用のひとつでもある。

    ワンコらも、よく眠って大人しく、作為なしの自然の恩恵もありがたい。

    2016年11月6日日曜日

    白い街歩き

    予約図書がやってきたので受領に回る。

    バスの影がない。
    休日運行に加えて雪の影響だろうが、こちらへも向こうへも一台も走らない。
    半分歩いてこれなら、もう歩くほかない。

    路地は殆ど道のない状態で、日頃のスピードの半分どころか、三分の一、四分の一もいかない。
    車も殆ど通らず、そのぶん立ち止まる必要がなく、相殺すれば、いつもの倍少々かかって到着する。

    帰途のスーパーへは、広い車道の横の歩道だから、行きよりもスムースに進む。
    車道も中途半端な交通量と、突然の大雪で除雪もなく轍だらけだ。
    行きに見かけなかったバスも見かけ、曲がりなりにも動いていることを知る。
    しかし、もうバスやタクシーに乗る距離でもない。

    雪の中を重い買い物袋をぶら下げて歩くのは大変だということもあるが、このところもうストックを買いためるライフスタイルに別れを告げたので、ささっと不足品を補充する分を買ってそそくさと帰路についた。
    大雪だけでなく、他人様の購買行動を見ていても、面倒で派手な動きをミニマムにして身軽にと指向しているようで、わが地の購買行動もよりデフレ親和傾向を強めていそうだ。
    みんな近所のご夫婦のように自家菜園漬けなんぞ作っているわけでもないだろうが、スーパーの漬物用の大量単位の食材なんぞも、あまりはけていない。

    転倒回避のためのソロソロ歩きで、クタクタになって戻ったら、雪やこんこで庭駆け回りたくてウズウズしているワンコらに伴走をねだられる。
    脱走できないように結界を除雪し、一緒に駆ける。
    段差やマンホール等のtrapのない勝手知ったる狭いわが家の庭で、ドッグランに付き合って、人間様の硬くなった筋肉も少しはほぐれる。

    このように、少しずつ冬の暮らしを思い出す。
    今日も、シャーベット雪で、アスピリンスノーと一味違った滑り方を思い出した。
    新雪でも、場所によってはアイスバーン状態になっていて、単に尻餅ついて苦笑い程度では済まないところも伏在する。

    こんなことを繰り返して、馬齢を重ねてゆく。
    楽しいのか、つまらないのか、自分でもよくわかっていないが、これが生きていくということなんだろうと思っている。

    どこまで続く大雪ぞ~♪

    凄い降りだ。
    十センチ二十センチどころでなく、朝のうちにすでに三十センチは優に越えている。
    うちの仔らも一緒に斥候に出たものの、雪に全身が埋もれそうになって、早々に撤退す。

    前も隣も雪かきに精励。
    ここまで降ったら、機動的な雪かき要員のいない家は、陸の孤島、玄関の開かないスイートホームに暗転することになる。
    風雲たけし城もサスケも要らない。
    豪雪気象下では、毎日が本番撮影の日々となる。
    渡鬼の幸楽のおかみは、亭主に毎日ジムに通っていると嘘をついて、改修工事の間も他所のラーメン屋にバイトに行くが、われらもたけし城やサスケほどでなくとも、毎日ジム通い程度のムスケルベルケの負荷を頂く。

    これで家の出入りはまずまず確保したから、少し外回りをしたくなってきている。
    図書室とスーパーでの買い物をこなせれば、今日のミニマムはほぼ充足だ。
    日差しからすると、雪も一休みだろう。
    道があれば、バスでなく徒歩も可能かもしれない。
    メインロードの除雪や人の往来の具合で違ってくる。

    北国では、このような日々が、ほぼ半年足らず続くことになる。
    それにうんざりしたり、適応できなくなると、住めなくなる。

    冬来り冬々

    前の冬も、こんな感じで疾ばしてやって来たと覚えている。
    みえにくい窓から覗くと雪が斜めに降り続いている。

    近所の車もしっかり雪に埋もれている。
    let it beご随意にのほかない。

    これじゃ歩けたもんじゃない。
    外回りするにしてもバスだが、時間は当てにならないかもしれない。
    雪害の体験実習の日である。

    玄関の除雪が肝だ。
    玄関が雪にロックされないよう雪の清掃に精励しないと、閉じ込められてしまう。
    ゲートキーパーがいなくなると命がけだ。
    出入できる環境の維持自体が生活反応なのだ。

    それでも、一応は都市の末梢なので、これでもましな方だ。
    レスキューのシステムもあり、稼働状態も悪くないので、生きていて、外とのコンタクトが維持できれば、のたれ死ぬ確率はそれほど大きくない。
    これが野中の一軒家になれば、行政管轄の名辞がなんであれ、相当の覚悟が要る。
    本格的な被災となれば、すべてが当てにならなくなる。

    冬の大変さは、ワンコらを観ていてわかる。
    雪のない季節のように、簡単に庭に出せといわなくなる。
    ストーブやパネルヒーターの傍に暖を求めて、部屋の中でもスキップはしなくなる。
    ここいら辺りは、人も犬も同じだ。

    当地に転じて一、二年は、雪が楽しかった。
    遠足に来た感覚だったのだろう。
    冬を重ねるうちに、冬の生活をrefrainする大変さを身体で覚えてきた。
    こまめにしないと、雪に押し潰されてしまう。

    それでも、やっと雪がないと寂しいなとも思うようになった。
    除雪その他の冬のデューティーもコツがあって、要所々々を押さえれば、無茶苦茶な体力や労力が必要なわけでもない。
    そうでなければ、70、80の独居がざらという風にはならない。
    子供に口説かれて内地に行って戻ってきたジジババが、やはり雪がないと寂しいという。
    住めば都、人間はそういうものらしい。

    さて、日曜はメニューは豊富だが、このところ無用と思うものは、ササッとスキップするようになった。
    いろいろ観て、たまってくると、観えるところも分厚になり、先も見えてくる。
    屋上屋ではないが、重ねるのもいかがなものかとなれば、自然と無駄省きに進む。
    いまの時代、省き省かれゆえ、自分も得心して動かないと不平不満ばかりが鬱積することになる。

    雪にコーティングされると、一見きれいに見えるが、下に隠れた諸々が露見すると、ずいぶんとワヤワヤにもなる。
    北の生活者の共通理解でもある。

    2016年11月5日土曜日

    灯台もと暗し

    大雪になってきた。
    庭塀を一瞥するとすでに十センチは積もっていそうだ。

    ウキウキしているワンコらと庭遊びに興じる。
    飼い主は、帽子かぶってリードをholdしているのに、楽しそうに走りまわる。
    根雪になって固い足台になると、脱走のリスクが大きくなる。
    脱走すれば、車に轢かれ、交通事故を招き、被害者兼加害者となる確率が大である。
    いまやペットを飼うのも、そう緩くはない。

    朝からVHSをデジタル化しようと腐心しているが、キャプチャーディバイスだなんだと面倒だ。
    キャプチャーディバイスが不調ゆえ、直にとれないかと格闘中なので、もう屋上屋の気はない。
    なんだかんだとデジタルビデオカメラの取説を眺めていると、ビデオテープデッキとの連動で記録が出来るかの記載があるではないか。
    灯台もと暗し。
    まあ、なににつけ取説はわかる人間なら読まなくてもわかることを、わからない人間にはいくら読んでもわかりにくいように書いている上に、丁寧な取説ほど分厚く網羅的には読みきれない。
    それでも、肝心なところでは格闘するのが大事だ。

    まあ、マニュアルの有無に関わらず、大事なポイントは、試行錯誤して、失敗も重ね、あげくやっとこ会得するというところがある。
    それだけにより達成感を得られるということもあるのだが、、、、。
    倦まず弛まず継続することとする。

    雪が降ってきた~♪

    本格的な雪降りだ。
    さすが歌でも庭駆け回り~♪の仔らだ。
    気持ちよさそうに疾走している。
    まだまだ根雪にはならないだろうが、本格的な冬がはじまった。

    「ひまわり」の旦那が、ロシア戦線に送られて、凍死寸前に地場の娘に助けられるシーンを観て、「八甲田山」を思い出す。
    戦争や演習などなくとも、わが近隣でも、よく凍死は起こる。
    飲み屋で呑んで、暢気に雪山の傍でうつらうつらして寝入る。
    朝には、冷凍マグロやルイベが出来上がっている。

    さすがに、われらが家のみ派は、室内凍死のリスクは大きくないが、風邪から肺炎に陥って、緩慢な凍死に襲われる危険は少なくない。
    燃料費は痛いが、夏の熱中症防止のクーラーと同じく、必要経費で惜しんだら命がけだ。

    北で暮らせば、北の大変さ、南で暮らせば、南の大変さ。
    どこで生きても地獄のごとき修羅場と、それをしのいでの至福の時間がある。

    季節的には、まだまだ序ノ口だ。

    どうしたのかなあ~♪

    いろいろなところから退却気味にすると、俄然忙しくなる。

    人間に限らず、生き物やモノは、他人様に気遣うよりは、己のあり様を中心にひたすら進む。
    それはそれで大変なことだが、実に面白い。
    その総合的均衡が、いまここではある。

    昨日やってきた「ひまわり」。
    男と女と戦争と、、、、。
    その辺りは評論家に任そう。
    音楽がいい。
    聴いているだけで、涙が誘われる。

    イングリッドバーグマンの最後の作品「秋のソナタ」も、もうすぐ届く予定だ。
    若かりし日の彼女の足跡を追ううちに、ベルイマン作品にまでつながった。
    これも音楽が軸でもある壮絶な物語であるが、のめり込んでみよう。

    税金の還付類似の資金で、これらの作品も調達でき、気分はおありがとうございますの極致だ。

    SNSも、小さくシュリンクさせたところから、反転自由型に変態す。
    あまりにコマイところに拘泥すると、敏感関係妄想に陥るか、自家中毒にやられてしまうのが関の山だ。
    自由に泳いで、自分の浮くところ沈むべきところを自覚知悉するのが宜し。

    某巨大サイトも、自分が撮った画像を何ならシャアしませんかときた。
    要はエシュロンじゃないが、全部こちらの手の内だよの脅迫と等価である。
    別に暴かれてフレイムアップされて困ることは己の端末の前ですることもないが、それでも大変な時代だとも思う。

    その自覚のもと、今日もいまを生きて足る。

    2016年11月4日金曜日

    春夏秋冬

    夜のストーブ稼働のリリーフに、電気ストーブを動かしてみた。
    一年間ご無沙汰だったが支障なく動く。
    冬の始動準備また一つ進む。

    ところで春夏秋冬~♪は、確か泉谷しげるの歌だったっけ。
    ボブ・ディランほどではないが、叙事を通してリリックに叙情を顕した秀作だ。
    ネット検索して久しぶりに聴いてみる。

    未だ冬の始まりなんていっても知れたもの。
    極寒の日々の身の縮め方に比べれば大したことはない。

    それはそうとして、この時代、一日々々が厳しい。

    寒さも寒さだが、暑い日なんぞは、この夏も大変だった。
    エアコンを稼働させ、水分摂取に気を付けないと、すぐに熱中症にやられてしまいそうな日が、飽きもせず続いたのを覚えている。
    エアコンの活躍がまたヒートアイランドの熱暑をさらに加速し、現代社会の苛酷さや無惨さを痛感させる。

    まさに、一億総活躍社会ならぬ、一億総サバイバルゲーム社会を実感する。
    うまく待避疎開しないと、すぐにpurgeされる。

    下手な病院や施設にご縁ができると、毒を盛られたり、勝手なマーシーキリングの対象にされかねない。
    desperateになった年寄りや被害妄想たっぷりの若者のtargetになると、自爆テロや通り魔的加害の標的になってしまう。

    夢や希望でなく、ミニマムリクワイアーメントがこれだから、少なからぬ人々がもうこの世からドロップアウトしたいってなるのもわからなくもない。

    そんな時代なれど、ディランや泉谷の吟詠に接すると、それはそれで小さなカタルシスを得ることができる。
    どんな時代も、哀惜感たっぷりに抒情にひたることは可能だ。

    2016年11月3日木曜日

    雪が降る~♪

    雨が雪に転じる。

    外の風景はホワイトコーティングになっているが、軒からポタリポタリの音も聞こえる。
    ストーブもサーモスタットが効いて、ついたり消えたりで、寒い気温ではない。

    ワンコらは庭駆け回る元気もなく、ストーブ前で鎮座ましている。
    飼い主も、特に外に出たい衝動はなく、傍観している。

    雪を見つつ、冬を思えど、気持ちはもっと先の春を思ったりもしている。
    シンゴジラのDVD化が楽しみとか、あのおっさんは、今度の正月は何をどう言うかなんぞ、過去現在未来を往来しながら楽しんでいる。

    大文字の風景でもなく、小文字の風景でもなく、ただの現象学的観察だが、SNS等の知己やそのご一統さんは、ピンぼけどころか、真逆のブーイングを展開している。
    あんたさんらがヒフンコウガイしている現況は、既得権所有者の貴兄らが退場することで克服されるんだがなあ、、、、と思えど言えない。
    まあ、没落貴族じゃあないが、歴史はそういうことをいやほどrefrainしてきているから、let it beのほかなし。

    具体論としては、インフレからデフレ、高度成長から低成長、少子高齢化その他もろもろの歴史のリバース傾向に、トポロジカルな大局観が必要だが、わかる人はわかり、わからぬ人はわからぬ。
    これもlet it beのほかなし。

    さて、雪舞いへのご挨拶は、ゆっくりと午後の課題。
    小さな変化が、にぎやかなmessageでもあり。
    受けてたつべし。

    雨々降れふれ~♪

    ポタポタと雨音が聞こえる ので、窓から手を出してみると結構な降りだ。
    気温は高いので雪にはならない。
    昨日買い出しにいったおかげで、籠城でなんの問題もなし。

    おこもり生活は運動不足解消のため部屋の中でこまめに動く。
    愛玩動物にした熊に引っ掛かれて飼い主が死んだ。
    親に置いてゆかれた小熊を藁の上から育てても、ストレスがたまれば攻撃性は押さえられない。
    人間は、ある意味で熊以上に危険だから、できるだけ自賄いでストレス対策しておかねばいけない。

    手入れでいま済ませたのは、調理道具だ。
    男の料理だから、包丁一本でいいやとうっちゃってきていた小細工道具が動かせる体制になった。
    せいぜい細切りみじん切りですませてきたが、やはりおろしたり濾したりした方が旨いものは、そうした方がいいなと思うようになった。
    文房具や裁縫道具などの手入れも済んで、必要に応じて動いている。

    ワンコらは、雨の降り始める前に庭で遊んでいたので、雨上がりを期待してダッグアウトで休んでいる。
    このところ、とみに構ってくれと寄ってくる。
    こちらも、愛情の濃くなったのは、自覚している。
    逝った仔のことを追憶するたび、無常を感じるので、どうしても可愛いがり方が濃くなる。
    外回りで留守番をさせないと、四六時中そばにいるので、よけいにこうなる。

    プリペイドSIMのチャージを済ませ、有効期間が4ヶ月向こうに伸びたので、年内はできる限り家庭内無線LANを使おうという方針で、どうしても無線LANと相性のよい端末を頻用する。
    通信環境も落ち着いたので、ベストミックスが常時アトハンド。
    ありがたいことこの上なし。

    通販ではノスタルジーを刺激されて、「ひまわり」のVHSを注文する。
    ソフィアローレン、イングリッドバーグマン、オードリーヘップバーン、往年の大女優が、作品の中ではいまなお若々しく演技を続けてくれる。
    現在過去未来、縦横無尽に引き回してくれるのも、情報社会の恩恵である。

    ライブに近い最近の世界の映像に触れると、これまた歴史という引き比べの総合学習となって、また実に楽し。

    そこに、短くても、あと一尺の近未来も加味して妄想できれば、人生の至福である。

    このごろやっとここまで生きてこれてよかったと天に感謝する日々だ。

    雨でも、晴れでも、雪でも、味わい深し。

    文化の日

    座右の銘ディスプレイを「色即是空」から「文化の日」に変えた。

    図書室は祭日休みで、ハンチントンの「文明の衝突」は未だ来ない。

    文化は技術化されて文明となり、文明のコアには文化がある。

    色即是空は文化であり、われらがご一統の世界認識である。
    こうある世界も一瞬でついえる。
    空からすべてが生まれる。
    ビッグバンしかり、生殖しかり。
    ノーベル化学賞の散逸構造論も、エントロピー即構造、構造も拡散の色即是空である。
    やりたいご仁は、死ぬまで玉葱の皮剥きに徹せば宜し。
    人生は君の為にある。

    朝からサンマを焼き、言説や音楽に身を委ねる。
    これも文化ではある。

    人生一巡の末、やっと文化文明の匂いをかぐ。
    うれしき文化の日ではある。

    2016年11月2日水曜日

    午後の曳航

    何と明日は旗日らしいぞ。

    不自由な自由業の暢気者は、先程まで知らず。
    図書室も休日モード故、午後も買い物にいっとかないと塩梅わるそう。

    朝市で必要運動量はこなしたから、車でスピーディに回る。
    晩飯と明日の糧食をイメージして、まずまずの買い出しとなる。
    非繁忙タイムのスーパーは空き々々で動き易い。

    これだけ寒くなると、ご近所だけでなく、街角を行き交う人口密度も薄くなる。
    冬構えに忙しい庭師諸氏や冬合わせの公共工事のスタッフや車は繁忙を極めている。

    セレモニーホールは、少し弔いが増えている。

    秋から冬への景色は、紅葉だけでなく季節を映している。

    ストーブを焚いて、日差しの退却を補う。
    灯油は少し高めに推移し、値上げご挨拶の葉書も昨日受けた。

    TPP法案や年金、外交、年末に向かって実はタイトな政情だが、下々はハロウィーンに興じることができており、まずは平和ではある。

    明日の文化は何をどう味わおうか。

    買い物秘訣

    朝一朝市に出向く。

    もう某党元代表の係累が経営する大手チェーンの枝であるこのスーパー店と縁切りするぞと思い定めたものの、それなりに使い勝手がよかったり、良品を見つけて通っていた面もある。
    よって再訪となった。

    良品ならば躊躇せず。
    故郷の農協が出荷した単なる郷愁だけでない逸品を、結局買い置く。
    さらに、この地場の他所に置いていない良品。
    これも、ここに来たときのほか入手できない。

    どんなモノだって、サービスだって、こんな気持ちのミクスチャーだ。

    スーパーならぬ、通信の業界話だが、ナショナルキャリアの新機軸スマホ。
    末梢の枝企業群に負けぬため、数百円でリリースとか。
    負けていられないと思えば、状況に合わせて、みんな豹変する。

    いまはこのメジャーキャリア企業と縁切りして不自由ないが、必要が出来て、手を出した方が賢明と思えば、再び顧客となるかもしれない。

    法人であるから、ある名前で呼ばれるだけで、実際は商品やサービスの集合体であり、食えるところあれば、敬して遠ざけておきたいところもある。

    システムとしてうまくトータルで運用されたしと思うところはあれど、時代のトレンドの関数というところもあって、こちらは総合評価で乗り降りするほかない。

    ということで、今日もうまく一巡を終えることができた。
    従前との違いは、プリペイドカードへのチャージを余分にしなくなったことである。
    いつでも一期一会をスタンスで貫きたいと思うからである。

    朝のシネマ三昧

    youtubeでfollowしている番組が途切れたので、DVDを引っ張り出してシネマ三昧にひたる。

    三題噺風に進めると、まず「暗殺者のメロディー」は、トロツキー暗殺を史実に忠実に描いた力作。
    アランドロン演じるスターリンの刺客が、似合うこと似合うこと。
    何度観ても、スケコマシを演じさせるとピッタリな男だと感心する。
    トロツキーの女秘書をロウラクし、トロツキーに私淑してきたが直接に教えを乞いたいとして書き物の添削などを懇請し、しばらくして気を許したトロツキーの頭上にピッケルを降り下ろす
    従来からのスターリンの様々な工作を目の当たりにしてきたトロツキーの妻は、ついに殺られてしまったと哀しみつつ夫を看取る。

    二作目もアランドロン主役の「太陽がいっぱい」。
    著名映画評論家のホモセクシャルものという解釈を念頭に置いてもやはり金持ちのボンボンにいじめの極みを押し付けられた青年のルサンチマン物語という色彩が色濃いと思う。
    金持ちのボンボンの彼女をトロツキーの女秘書に置き換えると、アランドロンの演じるキャラクターのさも似たりが実に面白い。

    三作目は「カサブランカ」だ。
    この主人公もアランドロンとはずいぶんと質感の違った男前だが、三作の〆にはなかなかよい。
    ジュリーが歌ったように「ボギー、お前の時代はよかった~♪」といったある種の勧善懲悪、エンタテインメント的政治性が素朴で清々しい。
    少しニヒルでロマンチックなハンフリーボガード演じるリックが、愛した女と恋敵のレジスタンス闘士を安全な地に逃がす。
    映画では、レジスタンス=素朴正義と描くが、トロツキーを惨殺したスターリンやコミンテルンの息のかかった権謀術策手練れの工作員もいれば、ビシー政府の警察署長やゲシュタポ官僚らの描写も紋切り型で、笑わぬでもなしの面も強い。
    それでも、悲恋を政治的お伽噺に絡めてテキパキとテンポよく描いてくれているので、十分に楽しめる。
    しかし、スターリンを源流に持つズルシャモのニックネームを持つプーチンに翻弄されつつ漂流しているわが国を思えば、単純にロマンチックを楽しめるわけでもない。

    さて、今日も結構寒い朝だ。
    朝一で動いて、あとは穴熊作戦でつなごうと思っている。

    2016年11月1日火曜日

    無用の用

    朝の徒歩ゆき外回りで、ダイソーに到着す。
    欲しかった「今日の座右の銘」書き込み用のボードが見つからない。
    無理して気に入らない商品を買って帰っても意味がないので、諦めて帰途につく。

    図書室に寄ると待望の予約本が届いており、上昇運がスタートする。
    さらに、近所の小スーパーの二階のミニ百均で、ラッキーな邂逅あり。
    子供グッズのコーナーに、落書きし放題っぽいボードを見つける。
    必死になって大百均で文房具コーナーを探しても見いだせなかった的を射た商品が、小百均の子供グッズのコーナーにあったりする。

    これでこなしておきたいと思っていた用事が、午前中に済んでしまった。
    実にうれしい。

    帰って聞いた気象情報では、気温一桁代の秋というよりは、もろ冬の様子が聞こえてきたが、こちらは身軽なジージャン姿で特に寒いとは感じなかった。
    逆に、ダウンジャケットなんぞを羽織って歩いていたら、少々汗っぽくなっただろうような気がする。

    メリハリをうまくつけると、いろいろがスムースに動く。
    また、無用の用を意識した日頃のスキャニングが大事である。

    午後になって、日当たりもよくなってきた。
    わんこらに庭遊びを堪能させてやろう。

    趣味の問題

    プリペイドSIMのリチャージに気が急いて、最近店舗端末で番号の買えるようになったコンビニ店に赴く。
    無事追い焚きの薪を放り込むことが出来てスッキリとする。
    ただ、メインPCの混線で、二社の使用実績通知サイト表示が混乱してしまう。
    最近とみにパフォーマンスが向上したリリーフ機で繋ぐと、ちゃんと出る。
    監督として、出番を備忘して終える。

    このようにマッチングというのは微妙だ。

    わが亡き親友は、クラシックの大ファンだった。
    よく曲や指揮者の蘊蓄を聞かされた。
    高価なチケットに財布が持たんとぼやきながらコンサートに行くのが生き甲斐のようだった。
    そんな嗜好の全くない自分は、ひたすら聞くばかりだったが蘊蓄話を聞くのは嫌いではなかった。
    この歳になって、蘊蓄がたまることはないものの、クラシック音楽を聞くのは大好きで、BGMにしているyoutubeでも半分は音楽になっている。
    しかし、それでも自分の中でも、TPOで快適な音楽とすぐに番組を変えたくなる音楽もある。

    他人様を観ていても、同じジャズが好きと云っても、賑やかなのがお好きな方もいれば、ブルースっぽいのがお好きな方もいる。
    ミュージカルは好きだが、オペラは好まぬという人もいる。

    趣味嗜好なら、お互いにくさし合う程度で済むが、これがイデオロギーや宗教なら、ただですまなくなる。
    内ゲバが殺戮の修羅場をまねくように、似て少々違うところが近親憎悪的感情対立を生むことが多い。
    八百万の民の我々も、酒席でも政治と宗教と野球の贔屓チームの話は控えた方が無難というノウハウがあった。
    いまやネット時代に、人の口に戸が立たないどころか、火付けに精励して炎上する、させるが、珍しくなくなってきている。

    そういう時代的変化もあれば、ささやかな人生経験も加わって、プレゼントも控えるようになった。
    こんな本を知らないかと問われれば、アマゾンで検索してプレゼントすることもあるが、頼まれもせずに、本やDVDなどを贈れば、趣味に合わなければ迷惑である。
    実際に、献本など始末に困る経験もすれば、基本自制的であるのがよい。

    そんなことを考えつつ、今日は自分の趣味のために、大型百均店に出向く予定である。
    天上天下唯我独尊をデフレの世で楽しむ。
    ミクロではありがたい話である。