2016年11月6日日曜日

冬来り冬々

前の冬も、こんな感じで疾ばしてやって来たと覚えている。
みえにくい窓から覗くと雪が斜めに降り続いている。

近所の車もしっかり雪に埋もれている。
let it beご随意にのほかない。

これじゃ歩けたもんじゃない。
外回りするにしてもバスだが、時間は当てにならないかもしれない。
雪害の体験実習の日である。

玄関の除雪が肝だ。
玄関が雪にロックされないよう雪の清掃に精励しないと、閉じ込められてしまう。
ゲートキーパーがいなくなると命がけだ。
出入できる環境の維持自体が生活反応なのだ。

それでも、一応は都市の末梢なので、これでもましな方だ。
レスキューのシステムもあり、稼働状態も悪くないので、生きていて、外とのコンタクトが維持できれば、のたれ死ぬ確率はそれほど大きくない。
これが野中の一軒家になれば、行政管轄の名辞がなんであれ、相当の覚悟が要る。
本格的な被災となれば、すべてが当てにならなくなる。

冬の大変さは、ワンコらを観ていてわかる。
雪のない季節のように、簡単に庭に出せといわなくなる。
ストーブやパネルヒーターの傍に暖を求めて、部屋の中でもスキップはしなくなる。
ここいら辺りは、人も犬も同じだ。

当地に転じて一、二年は、雪が楽しかった。
遠足に来た感覚だったのだろう。
冬を重ねるうちに、冬の生活をrefrainする大変さを身体で覚えてきた。
こまめにしないと、雪に押し潰されてしまう。

それでも、やっと雪がないと寂しいなとも思うようになった。
除雪その他の冬のデューティーもコツがあって、要所々々を押さえれば、無茶苦茶な体力や労力が必要なわけでもない。
そうでなければ、70、80の独居がざらという風にはならない。
子供に口説かれて内地に行って戻ってきたジジババが、やはり雪がないと寂しいという。
住めば都、人間はそういうものらしい。

さて、日曜はメニューは豊富だが、このところ無用と思うものは、ササッとスキップするようになった。
いろいろ観て、たまってくると、観えるところも分厚になり、先も見えてくる。
屋上屋ではないが、重ねるのもいかがなものかとなれば、自然と無駄省きに進む。
いまの時代、省き省かれゆえ、自分も得心して動かないと不平不満ばかりが鬱積することになる。

雪にコーティングされると、一見きれいに見えるが、下に隠れた諸々が露見すると、ずいぶんとワヤワヤにもなる。
北の生活者の共通理解でもある。

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