2015年7月31日金曜日

この月は

実に暑かった。
まだ過去形で済まない。
あと一と月ほど、熱中症で往かずに推移できるかは国民的課題。

このひとつき寺子屋で学ぶことができたのはこの上ない幸福。
とりわけ、孫までいかとも、子ら未満の少壮気鋭たちと同じ言の葉に集中できたのは、この上ない僥幸。
行けるところまで行ってみよう。

今月の収支決算。
赤字なるも、まずまずよしとす。
人生の授業料は惜しんではならない。
また利権への投資でなく、淡々と要るものには要るで、卑しい投資はしておらず、気持ちはよい。
これらも続けるにしくはない。

2015年7月30日木曜日

レスパイト~♪

介護の世界でレスパイト期間などとよく使われる。
煮詰まらないための空気抜きの時間だ。

何々の為、何々の為では、息が詰まる。
無用の用という言葉があるが、あえて目的合理性を外す。
あえてエッジを鋭くしない。
これが大事。

そう能書きを前振って寿司を食ってきた。
身内にも、ときに子供を置いて、用事の振りをして、たまの美食に及ぶ夫婦がいた。
大事である。
身も心も捧げるは聞こえはいいが無理、いずれ擦りきれる。

ということで、レスパイト~♪
うしろめたく食らっていると、置いてきた連中のことも気になり丁度いい。
だからというわけではないが、ときに挿入する作法とする。

どっちでもいいけど~♪

師匠の常套句は、「どっちでもいいんやけど」。

ホンマはどっちでもいいことない。
せやから一応真剣に考えたり行動するわけやが、、、、。

セミナーでは、学生諸氏には、どっちでもいいどころか、これがわし、師匠の世界や、どうや君ら?って感じだが、ベースに自己猜疑、非決定論のどっちでもいいを置くは、わが惹かれどころのひとつである。

小生も出処には意見開陳を求められ、まあ師匠のソクラテスメソッドのかけら程度のアシストはできていそう。
学生さんのアハ顔を見ると、ちょいとハッピーである。

ところで、話はセミナーから外れ、行き来のエピソード記。
ある駅で、奇矯な声を発する人士の登場をみた。
格好は中年のサラリーマン風だが、一見すると尋常でない。
奇声とともに電車に乗り込み、ジャンクションに立つ。
耳に指を入れ、あたかも幻聴や妄想と戦っているかの様子を示すが、全身はチックっぽいハイピッチなペースの不随意運動を示す。
ときどき何かと葛藤しつつあるようなショートフレイズを間欠的に吐く。

周囲は尋常でないことを感知しているだろうが、都会ではよくあることの図か。
表現型としてはしかと。
数駅をこのような態を示し、メインターミナルで降りて行った。
このような道程をルチーンにしてるらしい雰囲気は読み取れた。

このような発達障害を抱えて日々の葛藤にギリギリを生きておられる方は少なくないだろうが、これはまだ症状を露呈しているからわかる。
世には、先般の新幹線自爆テロや、当地の高齢者放火事件など、簡単に外からは見えない閾値越え事象があふれている。
これらは、今回遭遇した電車内の事象と違って、見えない。
これらを単に治安対策などというレベルでなくケアしていくのが、この時代の課題と思う。

話は二転。
帰宅後、わんこらと炎天下散歩。
限度超えると、死ぬ。
ボクシングのラウンド形式で、ギリギリのエネルギー放出にトライする。
ギリギリ無事帰還。
ぽにょこ姫の成長にわが相好は崩れんばかり。
自己規定は、やはりわんこの調教師。
あとは、寺子屋門弟、経営コンサルタント、評論家、有象無象でまとめて曖昧屋でよし。

月末週末もそこそこハッピーこそ至福というべし。

2015年7月29日水曜日

此処はどこ~♪わたしは誰~♪

台風の余波なのか、ただの夏の暑さなのか?
朝の電車も非常にムシムシ。
自分だけ免れようとも思わぬが、一生懸命扇子を動かしている。

哀しいかな方向音痴。
地上に出て、ちょいと動いているうちに、東西南北逆の方向に移動していることに気付く。
よほどのことないとGPSなど使わぬ主義なので、自分の錯覚との格闘は日常茶飯事なのだが、やはり己に何かあるは間違いない。

先程安倍政治についての英文論評を読んだが、このところ読んでいる医学論文より読みにくい。
やはりリテラシーの有無は大きい。
寺子屋は素読プラス短い論評交換だが、集う若い人々の熱意に感動する。
国公立の医科大学の医学科に入り込む位だから地頭が悪くないのはわかるが、毎日まだ習ってない事柄の素読を懲りずにこなせるやる気はいまの若者に稀有なところ。
ホンに敬服する。

そういう子らの対極にドロップアウター、ギリギリの子たちもいる。
両面に目配りする教育者というのも、ホンモノを目指せば緩くない。

さて、このわれも、どう関わっていけば、より良きアウトカムの創出できるか?
そうでなければ一丁噛みの意味はない。
人生の最後はやはり正攻法があらまほし。


帰りの電車は隙々だったが、車中に蒼井優に似たcute girl。
自分がプロダクションの担当者なら使ってみたい逸材に見えるが、途中で出会った級友とはしゃいでいる姿をみていると、その志向が本人になければ、素晴らしいオーラもハンディかもしれぬと思ったり、、、。
同性には羨望嫉妬され、バカな異性には迷惑な懸想でストーキングされたり、命を狙われたりでは割りに合わない。

そんな少し回春傾向を帯びた妄想と共にご帰還。
爆睡したら、はや今。
人生は短い。

幸せってなんだっけ何だっけ~♪

くそ暑い夏にはやってないだろうが、明石家さんまが唄うには、ポン酢醤油があるくらし~♪だそうな。

幸せって何だっけ~♪と自問自答すると、、、。
このところのわが暮らしなら、学友と一からに戻って寺子屋参加すること。
わんこら家族の生きる姿を、日々新たにしつつ、限られた生を共有すること。
爆睡と小原庄助風ライフスタイルを享受し、短い余生を生ききり往くというメインテーマをアプリシエートすること。

これらに気づかせてくれたのは、人民解放軍空軍の超限戦スローガンをアップした理論幹部らである。
彼らのお題目を検討してみたが、超限戦発想は掲示したところで負け。
戦いは、己らを一定相対化し、突き放すところが必須。
しかし、超限戦announceは、それを棄て、がむしゃらな利益獲得への猪突猛進のほかなにもあらわさない。
猪突も猛進も、ひたすらの盲信をベースにすることを明らかにするところで勝ち目は失われる。
いまはまだ誤魔化しのさなかだが、習近平の集金が頓挫すれば、内部崩壊、内戦化はたぶん免れがたく、それをtopも相当に読み込んでいるのは、習近平の娘がアメリカにフッティングして、習近平家のリスクヘッジしているのをみてもわかる。

我らが超限戦は、この夏の炎熱地獄しのぎである。
エアコン使用や水分補給がうまく維持できないと、かなりの確率で熱中症を余儀なくされる環境だ。
ホルムズ海峡の機雷除去も想定することは重要だが、その前に熱中症対策をしっかり取れず倒れてしまうリスクの方が大きいような気がする。
このところ街場を流すと、車をアイドリングして熱波を避けるべくビバークしている姿をよく見かける。
暑い工事現場では、従業員らはケチらず水分補給や、水かぶりで炎熱地獄に倒れぬ工夫をしているように見える。

ポン酢醤油で鍋がしたくなるまで、いやせめて秋風が涼しく感じられるまで、TPOは各人ことなれど、熱中症、その他高温環境に起因するだろう急峻多大なダメージを回避すべく、充分なprotectionを図らねばならない。
そのつけを、子供や高齢者、petなど自己防衛の困難な者どもが倒れるにまかせるなどすれば、はたしてこの国は防衛のできる国なのだろうかという根本命題に即直面せざるを得ないということになろう。

2015年7月28日火曜日

平凡な幸せ~♪

朝の勉強会で、若き魂ふたつと邂逅。
リフレッシュどころか、無明の確認の己に、素晴らしき出会いを提供してくださる師匠と、天に感謝限りなし。

行き来の経験も悪くなし。
若いのも慎みもないのは蹴っ飛ばしてやろうかとも思うがやらず、今日は帰りにタクシーを奢った。
コースの心覚えもでき悪くなし。

帰ってラジオのニュースに耳を傾けると、近隣の町で老人がアクティングアウトしたそうな。
火付けで捕まるも、刃物も常携帯とか。
動機は、かくなる老後を余儀なくさせた世間へのリベンジ。
それで火付け、人ごろししてどうなる。
先般の新幹線内での自爆テロとよく似た高齢者のフーリガン行為。

駄菓子菓子。
弁護士根性出せば、10万分の一、百万分の一の言訳け、弁護ポイントは見つけられなくもない。
世は、そこそこの余裕なければ、熱中症で死を余儀なくされる現状。
そこで救いもなく公園だ、徘徊だを余儀なくされる。
そうなりゃ主要敵の見えない社会そのものにリベンジしたくなる。

わんこらに餌をやり、エアコンをつけ、パソコンをチェックする。
みな煮詰まった時代を実感しているごとく。
SNSでリクエスト応諾した某氏、自分の姿は出さず、他人様をモニターするだけの含意をディテクト。
さっさと「友達」を外す。
そういう性根を友と呼ばぬ己の生き方ゆえ。

無明の時代を、人々の真摯さに学ぶことをできるのは至福。
修行を続けることを、続くまで行うことを自己確認。
ハッピーな夏ではある。

2015年7月27日月曜日

チュラチュラちゅらちゅらら~♪

朝に師匠との勉強会に出たと思ったら、もう日付のかわりかけ。
本当にロシア民謡の「一週間」の世界に近くなってきた。
そんなこんな今をスケッチ。

とにかく暑い。
時間が押して、涼しいタクシーを奮発して駆けつけたはずが、クーラーにあたらないとめまいがしそう。
あたると何とかホッとするから、あたらずに無理すると熱中症は必定。

帰ってからもエアコンにへばりついて盛夏というよりは温熱地獄を退避する日々。
これをスルーできずに熱中症に倒れる人もずいぶん出ているよう。

師匠との勉強会の最後に、教育者の大変さを垣間見る。
人を育てる、人の一生を大きく左右する仕事の大変さ、高貴さを見て、やはり師匠になるのはなまやはしたでは無理とみた。
非常勤や非常勤もどきの特任なんちゃらの責めをふさぐのが精一杯だった己の人生のスケールの小ささを納得。

民謡の一週間なら、月曜日は暑さに負けて 、エアコンを抱いて眠る。
哀しいかな、火曜日もそのrefrainが予想される。
まあ今月中は、この路線で終わろうと思っているが、8月の予想も半端ない猛暑。
結局この夏は、ひたすら熱中症よけのエアコン塹壕にこもったとなりそうなのが怖い。

2015年7月26日日曜日

夏休み~♪

自営業は毎日が営業日かつ日曜日。
今日はこのところの疲れが溜まったのか、台風影響下の低気圧のせいか、だるかったり、ピリピリ感があったり、だからというわけではないが、安楽椅子で半微睡み状態を味わっている。

かと言って、不調感は全くなし。
逆にダルさや、ピリピリ感に多幸感が湧いてきたり。
これが鬱々とした情緒がからみ、医療依存などが爆すれば、慢性疲労なんたら、なんたら筋痛症などと立派な病名をいただく身となるのであろう。

話は変わって、ネット知己のHT先生。
石ができて痛みに転げ入院、石取り手術を受ける。
小生のようなキャンサーでないから良いかというと、そう甘いものでもない。
石が体液の通りを阻閉してただならぬことになることもあれば、石のできる身体や生活をなんとかしないと、悪循環の人生をたどる危険もある。

わが人生も二度の命懸け入院を経ているので、決して上から目線でない、このような岡目八目が出てくる。

話は再転。
入院しなくても、熱中症で亡くなる人々、少なからず。
老若男女問わず、ちょいとケアを怠ると往きかねない厳しい時代。
うちのワンコらは、貴重な水を暑いとまずかぶる。
まずはクーリングしないとヤバイと知っているのだ。
勿論、飼い主が飲み水を次に補充してやる。

夏休みもそれなりの休みかたを知らないとヤバイ時代なのである。

2015年7月25日土曜日

ポニョ子の夏~♪t

卑弥呼候補で家に来たというのは、父さんの勝手な目論見。

まだまださかなの子~♪

魚眼をしばたかせながら、うちのなかを疾走する。

可愛い。

大学で階段落ちしながら、平気のへいざ。

運の強い子ではあるが、ブリーディングされた故事来歴としては弱い種。

溺愛はしているものの、犀利にサポートしてやらねば弱い仔ら。

三者三つ巴の社会をすでに形成しつつあり、われを加えて四角形。

これからトポロジーも勉強する積もり。

ひとつひとつできることから着実に。

きよっさんも嫌いじゃないが、やっさんのやんちゃと哀しさも好き。

ということで、みなさん4649~♪

2015年7月23日木曜日

お好み焼き談義

ここのところ忙しい日々が続いている。
外食は、この2日、お好み焼きが続いた。
同名のチェーンの各店舗なのだが、ずいぶんと運営のmodeも、味も異なる。

一方は水準以上と評価できたが、今日の店は最悪。

フランチャイズ方式ではないようだが、てんでばらばらのチェーンのよう。
可愛いうちわがあって、ねだってみようかとも思ったが、こんな不味い店のファンかと思われるのが嫌でそそくさと店を出た。

こういう風に他人様の批評批判は容易だが、これがひとつ自分でやるとなると質の維持なんて一口で言っても実現は至難の業である。

T先生とも出版の話もよくするのではあるが、うまく仕上げる、メンテするなどは、ブレインストーミングするうちに大変さがわかってくる。

まあ焦らずやっているうちにおとしどころも見えてくるだろう。

2015年7月21日火曜日

やっと平日~♪

月曜日も祝祭日だったんだ。
毎日が日曜日でもいいセミリタイアおぢだったので、ここいらのセンスは鈍い。

でも、やっと平日mode平日moodということで、動いた。
動いたといったって、車のパンクなる実にパンキーなことが起こったので、結局車屋さんのお世話になりに行った一日。
駄菓子菓子、久しぶりに本場風のお好み焼きを食べたり、目の前作りのfresh juiceをいただいたり、ワンダーランド部分も享受できた。

今日も明日も次への動きは続く。
やはり、絵図は描いていくものだ。
「友達」との見解の懸隔も小さくない、というより真逆のようでもあるが、それゆえ面白さも感じられる。
ずいぶんとしぶとい己の性根に驚いたり、、、。

2015年7月20日月曜日

爆睡~♪

今日は連休らしい。

それを心身が気が付いたらしい。
爆睡modeに突入した。

BGMを流したり、ちょいと起きどきに身の回りのことをしたり、SNSを手入れしたりはするが、基本爆睡mode、爆睡mood。

睡眠は、脳と末梢のあれやこれや無理無駄ムラを整序し、リフレッシュでまき直しを提供担保する。

特に何をしようとはない。

今日も師から美酒が来た。
以前に来た畏友画伯の美酒とともに、うちの酒蔵に鎮座ましている。

あとはTPOである。
むうたんもなかなか釣れないし、お啓ちゃんもそう軽々に見つけてはいけない。

ということで、しっかり覚めた頭で、ゆっくりと画策を続ける。

2015年7月19日日曜日

puddingは食べてみないとわからない~♪

新しいメモ帳を入れたので、試し書き。
前のメモ帳は、editor機能が弱く、精々備忘程度にしか使えない。
まあ、メモ帳でもeditorでもいいのだが、機能や使用感はやはり使い込んでみないとわからない。
また、知るということは比較において質感把握する部分が大きいので、量をそこそここなして質的レベルを維持しないといけない。
ネット知己のその知己のおかしな書き込みに、かくすればかくなるものと承知の上でコメントしてみると、案の定ハハン~♪といった反応。
ボーダーラインcaseと総括したが、己もマージナルマンと承知しているところでの突合は、そこそこ難しい。
自分の回路がパラダイムシフトすると、相手様との位相もずいぶんとブレかねない。
生きものは、己にアドバンテージを与える癖は持ってしまうので、まあそこそこプロファイリングできれば、自分の用意したジャンクboxなりと入っていただかざるを得ない。
ということで、明日はどこまで行こうか。
トンボ釣り。
ミイラ取りがミイラになるように、釣られてしまうかもしれないが。

2015年7月18日土曜日

ボクは呼びかけはしない~♪

小椋佳さんは、恬淡とをポリシーにしているかに口ずさむが、実際はその事自体を強くappealしている。

呼び掛けるかのごとく、かつ呼び掛けもしないで伴奏、伴走するのは至難の業だ。
くだんの師匠の下に馳せ参じた自覚はあるが、プロファイリングはいまだしである。
養老さんのご一統のように見えれども、ずいぶんと違う。
なぜこうあられるのだろうと、それほどいぶかしくは思うところはないが、どうしたいのだろう?などと思ったりもしている。

話を敢えてずらせば、純粋理性批判や道徳感情論よりも、実践理性肯定、陽明学的選択を課題としているので、岡目八目を感じたら、敢えてインパーシャルなスタンスを選ぶようになってきている。

まあ、異質なものの相互浸透は重要。
漱石鴎外の周辺には多くの人々が蝟集したが、これは必然。
また啄木にも、無視できぬ金田一が居た。

堕落論の安吾は、小林秀雄の直言の友であった。
電車を降り間違える、のり間違える親友を、直催に笑った。
そんな体たらくで、何が高等高踏な批評だと。

さて、日々是好日、口実。
ポライトな距離を保ちつつ、直言も辞さない。
今回のケースに限らない話ではある。

曜日とりちがえ~♪

土曜日なのに、平日と思い込んでいた。

朝の勉強会でもやっていたら一度参列してなんて思っていたら、そこいらは完全に土曜mode。

知らなかった土日のmode、moodに接することができたこと、またその結果いろいろと検索を余儀なくされ、結果的にいろいろなことを知ったり、分析することに。

実にありがたいことだ。

やはりフットワークよくフィールドワーク的試行錯誤を続けていくのが大切だと思う。

持参の資料もケチる訳ではないが、自分の手元に温存する積もり。



_

2015年7月17日金曜日

ラマンチャの男~♪

昨日も新師匠のところに赴く。

公共交通機関の利用が施設には向くと、タクシー、地下鉄、バスなど利用。

昼に昨日の感想開陳。

自分のありようから、師匠にでも辛口コメント。
というより、昔人の真の交わりはそうでないと嘘。

師匠はわれを心配してくれ、われは師匠を心配す。

ラマンチャの男たちの、男同士の付き合いはじまり中~♪

2015年7月16日木曜日

あした浜辺を~♪

特別講義を拝聴。

夕の行きかえりは大儀なのでタクシーを奮発。
セミナーまでまだ3~4時間ある。
施設の周辺をさまよった。

以前懇意にしていた社労士さんと行ったイタ飯屋を発見したが、一時間ほどはやい。
もうしばらくして予約なし夕食が可能か聞いてみよう。
そう思ってそこいら辺をクルーズしていたら、見失った。

これが豪雪の中なら、八甲田山死の彷徨のように命を失っていたかもしれないが、うろうろしながらもセミナー会場には戻れている。
ただ、夕食もとらずに、ひたすら歩くばかりで、アレルギーのごとき症状が出た。

全身にヒスタミンがまわったようで、かゆくほこほこした感じ。
膨疹が方々に出現し、席にすわっていても、かゆく眠い。
ドロージーなまま師匠の講義を聞く。
いつも言っておられる方法論、心構え。

半分寝ながらも、そうそうと相槌を打っている。
数人いる院生にどれだけ通じているか?
わたしにとって、はじめての師匠講演なので、またひとつ質感も違う。

さきほどの彷徨も同じ。
既知の場所に戻っても、見える風景は、未知→既知だと、ずいぶんと日頃と違ったものに感じられる。
こういう体験は実に面白い。

聴講後は、大した会話もせず、軽いあいさつで帰還。
この帰りのタクシーの運ちゃんとの対話が、大阪がテーマでなかなか面白かった。
軽くカロリーを入れると、即に寝落ち。

朝の浜辺ツアーで、カント純粋理性批判について考える。
中嶋義道氏のカントの人生素描2冊と、純粋理性批判の解説書1冊。
ぱらぱらと読んで、師の求めるところと、自分からなすべき示唆もわかってきたが、もう少し時間をかけてまとめたい。

そんなこんなで、あまり余裕もないはずなのに、献本撒きと、東京の師匠へのメールでのリプライも無事終えた。
少しは時間術が身につたろうか?
師匠への返事もかなりの部分、時間論になるかもしれない。

2015年7月15日水曜日

うがい手水に身を清め~♪

というほどに居住まいを正しての作業ではない。

ちょっと変わったコーヒー味、新ボスから慫慂された純粋理性批判論の準備、心覚えである。

まともな人なら、自己懐疑は常である。
こんなものは人様から教わらなくとも、まともなセンスを持っていれば、徐々に身に付くのが当たり前のことである。

なぜなら、間違うのが人の常。
別にホモサピエンスでなくとも、動植物でも学習はする。
失敗成功で、この世界の環境、そんな大げさでなくとも、身の回りに持つべきセンスの改変を迫られること、日々のごとくである。

今朝の勤行は、ちと有名になった人々の、これらのエピソードを羅列してみたい。
もちろん、その失敗を含めてだ。

ソクラテス。
汝自身を知れ、無知の知。
しかし、クサンチッペの意味論は死ぬまで悟ることを得ず、毒盃を飲み干したのも、哲学よりも、このにょしょうと別れるためではなかったか。

プラトンのイデア論。
これも外の祖型は見事だが、自己像自画像については見えない。
自分もイデアに羈束されるワンノブゼムと見抜ければ、すごいことではあるものの、そうした形跡はみえないように思う。

哲学に科学者を挟み込んでニュートン。
ニュートン力学は、整然とした体系とされるが、ご本尊は山師、錬金術師、税務署役人で、別にニュートン力学で描かれるような人ではない。

フランス人のデカルトは、「われ思うゆえにわれあり」とし、パスカルは人間を「考える葦」と見抜いた。
駄菓子菓子、このように中心を己に持ってきたことこそ、ある意味で自信のなさであるようにも思える。
思えばしっかり自分があるのなら、そう力んであげつらわなくともそれは自明、考える葦というのも風に吹き飛ばされそうに頼りなく翻弄されつつ、最後に根を下ろしているのだという表現であり、ある意味、己の頼りなさを必死であからさまにしているようにも見える。

ドイツのカント。
毎日時計のようにきっちりと散歩しながら「純粋理性」について大部の著書をものした。
しかし、毎日時計のような正確さで散歩したとして、その時計が狂わずに動いているというのは、どうして腑に落ちたのだろうか。
純粋理性などというのは、時計と同じで正確な時を刻んでいるのかどうか眉唾のように思える。

私は弁証法的なになにというのを好きではないが、ヘーゲルのワルツのような、ぶんちゃっちゃ、ぶんちゃっちゃ、正反合のワルツはわかりやすいと思うし、存在するものは合理的と喝破する剛力にさすがとは思う。

しかし、史的唯物論のマルクスは、初期の「経哲手稿」で、愛が愛を呼ばねば不幸というような非常にロマンチックなことを述べ、その割にエンゲルスに愛の不始末の尻拭いをしてもらうなど、やはり己、芯のところは、ただのズブズブおやじだ。

マックスウエーバーの講壇禁欲も、ヴィトゲンシュタインの語りうることだけが語りうるといった一見陳腐なトートロジー風にもみえる分析哲学も、知的謙抑には適すれど、やはり己は頼りないというパラダイムのごとく感じもできる。

斯くして、人は皆、あたかもテン狂院の住人のごとく、養老翁が指摘されるように、郊外に10万冊もの在庫をもつ巨大書店は、あたかもテン狂院に飛び交う妄言の留め置き所のようなものではある。

それでは人は、理性や悟性やインテリジェンスは持てないのか?
そんなことはない。
逆に、人々は、彼我の心の異同に十分に関心を持ち、政治経済だけでなく、文化、文明の大きなところにインテリジェンス、つまり調査、比較、忖度、攻撃、収奪と、光と影をコントラストさせながら、わかってきてはいるのだ。

そうとならば、それを続けるにしくはない。
結局は養老師のいわれるように、他人の心に思いをはせるインテリジェンス。
そこに、ノンリケット(真偽不明)のときに暫定的な正義を建てる司法という作業を加味していけば、漸進的に悲劇をそぎ落として行ける。
そういう考え方が、一応進歩主義的保守思想としてあり得たのではないか?

それが、国際化の波で、ブルータルな先祖返りを示しているようにもみえる。
超近代、つまり現代軍事は、オーバーキルどころか、かえってそれら能力によって、動きのとれない膠着状態を作っているかのごとくである。
その中で、デスペレートなアクティングアウトが、もう堪えられないという人々のアジテーションや破壊活動を盛り上げてもいる。

ここで件名に戻り、うがい手水に身を清め、さて頼りない各人の己を抱えつつ、フラフラとどうインテリジェンスを活用させていくか。
昨今の情勢をみると、実にむつかしいと感じざるを得ないが、哲学者たちが言ってきたように「ここがロードスだ。ここで跳べ」ということで、ゆでガエルにならぬよう、逆につまらぬ鉄砲玉にならぬよう、しっかりとインテリジェンスを涵養したい。

つまりは、阿呆なる自分に半分気付きつつ、他人様に映るつくばのガマのごときおのが姿で、自分のプロファイリングをしっかり行い、自ら善用する修行を続けるというものだろうか?

2015年7月14日火曜日

日々是好日、日々是口実~♪

朝から、わらじの脱ぎ先のTセンセイの教室に向かう。

ターゲットが絞られてきたので、恒例のツーリングも海や浜や丘というよりは、通常の業務時間に町場に向かい、実務的な方向性を持った動きとなる。

先日、画伯に預かった手形のような書き物を、まずセンセイの教室に持参した。
画伯も、Tセンセイも、この地のICTの草分け。
面識もあろうかと思われる。

小生の感想も添え、預かった書物を献本。
帰りに救急の教授に逢いたかったが逢えず。
駄菓子菓子、民間医局のスタッフと連絡がつき、医賠責の付保から、フィールドのマイニングに一歩進む。

モチーフは、ご縁のできたセンセイの枝葉として協力、何かの結実に向かえば、特に希望野望の類なし。
まさに純粋理性の自己検証など、知そのものの喜び。
インテリジェンスの涵養の喜びということになろうか。

カロリー摂取から、血糖上昇、即寝落ち。
気持ちのよいダイナミズムに身をゆだね、ニュートラルハイを楽しむ。
またたのしからずや。

告知

よしなし草blog改め、六無斎blogに移行します。

よしなし草: 面倒面倒

よしなし草: 面倒面倒: 本よしなし草blogを、六無斎blogに移行します。

2015年7月13日月曜日

人生が二度あれば~♪

T享受の下にわらじを脱ぐことに決意した。

灯台守の碑のもとで、鎮魂慰霊を行い、T御大の下に馳せ参じる。
今まで私淑することはあっても、草や枝になることに積極的でない人生だったが、その意味に初めて気付き、これにてスタート。

この行為にて、われに師の多きことに気付き、生きているだけでも丸儲けなのに、ずいぶんと資産家となったわれに気付く。

また楽しからずや。

あとはハードボイルドの勉強に邁進するか。
お遅咲きのジャングルでわんこらと疾走。
楽し~♪

2015年7月12日日曜日

嗚呼ああ~♪

galleryへのaccessで、土曜日、日曜日と久しぶりに都心に出る。

烏天狗の風体に、スマホにらめっこの当世人とスレ違いながら、、、。

世界中こういう風景なのかしら?と思ったり、いや違うだろうと思ったり。
量子力学的認識論だと半々でいいかも?と思いながら、交錯し工作の時。

インテリジェンスは面白い。

むかしみた007のスラッシュの女幹部。
靴から刃が飛び出る体で蹴りを入れるのだが、この頃の若いお姉ちゃんらの逞しい足の方が数段アグレッシブに見えて、萎える。

ギャラリーでミスマッチを楽しむ。
到着前にいただいた二条市場の結構立派な寿司屋の不味かったこと。
以前に某女に少々入れ込んでいたというだけで、これほどテイスティングが異なるか?
まあ、一期一会、素粒子論的見方をすれば、それでよしということだろう。

結構ザルコペニアや心肺機能の低下を自覚しつつの行軍で、これくらいいければ御の字。
ただ、熱中症等のリスクは半端なくきてる。
公共財へのaccessと、超限戦の認識は、等閑視していられない。

降りた、関係ないという言説は、他人様のことであり、当事者意識に目覚めれば、ベストエフォートは必須と考えている。

ということで、最低限のつもりのrssピックアップ、ずいぶんと。

まあ、好事家の目覚め。
己が一番大変~♪

2015年7月11日土曜日

君は心の妻だかあら~♪

むかし、曽野綾子さんの「誰のために愛するか」という本がベストセラーになった。

愛するというのは、何かの為なのか?
マルクスの「経済哲学手稿」に、君の愛が愛として相手の心に愛を呼ばなければそれはひとつの不幸であるといった感じのサビが出てくる。

まだういういしい頃のロマンチックな論考だが、実際のマルクスはお手伝いさんに手をつけ、不始末をエンゲルスに尻拭いしてもらって、大思想家として名をはせていく。

とかく愛はむつかしい。
人は幸せを求めて愛する。
幸せと幸せを求める人間がはちあわせする。

僕の愛はいま、種を超え、同伴動物に向かっているので、実は人間の臨床にも、獣医学にも、ストレートには向かわない。
ただ、人として生まれ、生き往く運命を自覚すれば、いまここで一番良いと思う手段を選んでいくほかない。

さしあたり、インテリジェンスとしての愛だろう。
私淑から面識を得てコラボに転じたT学兄は、情報薬という。
私も全く同意する。

ということで、愛を求めて、ひとりで~♪みんなで~♪ゆくわあ~♪

初投降、もとい初投稿

   思えば遠くに来たもんだ~♪

行けるところまで行きましょう~♪
センセイの鞄で、キョンキョン月子さんの言葉~♪

東へ西へ~♪

ずいぶんと動いた。


SNSは最初Facebook。
次はここ。
往生はうたいつつ何とか恒常へ。

大学やお役所も走り周り。
やるべきことをやれるようにやるしかない。

ということで、着々と犬の訓練士の日々を最大限進めていくことに。