2016年10月31日月曜日

甘露甘露

月末外回り、無事〆る。
ルチーンのクライアントへの謝礼挨拶メールや出納計算を終えて、今月の総括を終える。
貧乏なりにバランスシートは気持ちよく、天啓に感謝す。

目的合理的作業を離れ、手持ちの食材で保存食を紡ぐ。
近所のスーパーで、特売で得た栗を使って、栗きんとんを作る。
栗の皮剥きの単純作業が楽しい。
人生という面倒な行程に、こういう作業がよい作業療法になる。

渋皮を剥くこともせず煮詰めたので、茶色のトーンが強く、クックパッド風に黄色く輝かない。
しかし、味見すると、甘露甘露。
さつまいもと栗のプロポーションもよし。
冷蔵庫に仕舞って、これからしばらくの保存食として楽しむつもりだ。
他人様にサーブするわけでなく、この程度の自己満足で終わることが出来れば、上出来上出来である。

明日からは11月だが、10月末日にしっかり仕舞湯気分を味わいたいと思う午後のひととき。
小雨も続いているが、合間をみて、わんこらと野性も楽しむ。
まだ来月の懸案事には、手を触れず。
いまのところ、プリペイドSIMの追い焚きが気になっているが、急く話でもなし。

このところめっきり寒さが強くなっているので、必須なミニマムでは動くが、手抜きできることは、しっかり手も足も抜く方針で諸般を進めている。
情報渉猟は、硬派でも、軟派でもなく、どちらかというと、クラシック音楽やジャズを楽しみつつ、己が自由連想を転がすことがメインになっている。
はんかくさいと思う主張は、無駄に思えるし、よいところだけは喰えないので、適宜にトリミングして摂取している。
まあ、過去の思想の及ばない現在は、そうたくさんあるものでない。
すでに喝破されていることばかり。
その辺りを子守歌に、上手にフェイドアウトするのがいいように思っている。

ということで、これから甘口でも辛口でもないザッピングに入る。

夜明けのコーヒー~♪

庭遊びをしようと出ると、軽い雨。
まだ雪降りになるだけの冷気に欠ける。
わんこらも雨はお好みでなく、早々に撤退す。

食材の在庫一掃もほぼ完了形に近付き、ささやかに残ったいろいろを保存食に加工する。
月末〆の外回りを控えて、補充のスマホメモに精励する。
基本的にはその日その日の買い物で賄い、余剰は持たない決心を進める。
いい均衡状態にたどり着いたといい気分にいる。

朝のコーヒーは、すっかり夜の開けたいまだが、美味しい。
入れたコーヒーが旨いというのもあるが、旨く感じるコンディションが楽しい。
素材主義から、総合環境主義に移行できているのかとささやかな自己満足にひたる。
コーヒーでも、紅茶でも、ココアでも、日本茶でも、白湯でも、時宜にあえば旨いことこの上なし。

明日からは、11月だが、プリペイドSIMの追加チャージに励むタイムゾーンに入る。
如何に上手にチャージ手段を入手するかも課題。
使い残しもあるが、今日思いっきり使って、あとは保険料兼授業料だ。
まあ外に出ることが少ないと、思いっきり使っても余る。

食べ物も、サービスも、少し食べ残す程度がいい。
無理くり貪ると、いまの時代、無理が変な形で副作用化する。
食べ物なら肥満やバランス失調、サービスなら時間やリソースの逼迫や浪費。
全体を俯瞰し、しかも虫瞰図的な妥当性を担保する必要がある。

さて、〆るには、時間待ちの必要がある。
雨もしばらくは、しのつきそうだから、のんびりと湯あみでもしようか。

雪の進軍~♪

もう小雪は散らついていない。
朝の空気も、冷たくもない。

昨夜は昼寝のおかげで寝入れず、わんぱくワンコらの傍の安楽椅子で横になる。
うまくできたもので、しばらくすると、寝込んでいた。

夢は試験のいろいろ。
やはり、ノスタルジーとルサンチマンのミクスチャーが巣くっているのだろう。

本格的な雪の季節はまだまだだが、雪中行軍のことはいろいろと想う。
八甲田山ではないが、命がけになることが少なくない。

転倒して、肩や肘を骨折しかけたこともある。
地面に頭突きして寝たきりになる人や死に至る人も毎年出る。

頭でシミュレーションするだけでなく、倒れる練習も要る。
柔道の受け身ではないが、それが基本、基礎になる。
上手に倒れて、うまく身を守れば、よほどのことがなければ重大な結果にはならない。
そういう基本基礎の維持は、高齢者には容易でもない。

車もできるだけ使わないようにするが、バッテリーがあがっても困るし、メンテ兼ねて動かす必要がある。
歩いてリスクが大きくなるなら躊躇せず使う。
タクシーやバスも動きにくい状況では、自家用車も使いにくい。
スケジュールを上手に後ろ送りする能力も問われたりする。

スーパー系の宅配を必要が頻繁に利用していた頃、担当者の捌きのうまさに感心したことがある。
雪で狭くなった家前で、どけろムードでやってくる車にも、しっかり別路まで退却して、戻る。
喧嘩ご法度で、現場整序の巧みさは、店舗スーパーで客など知ったこっちゃねえわと作業するタイプの店員などと比べれば、天地の差がある。

自家用車の使い手である我々も、冬の運転は、そういう見通しの巧みさが必須である。

今日の月〆外回りも、いろいろと夢の中で算段はしたものの、予定やコースは決めていない。
春夏秋冬let it beが好きである。

2016年10月30日日曜日

雪午睡

何の不具合か、軽い頭痛で午睡の力を借りる。
早寝早起きの老人パターンのつけが出たのか。
ドメスティックアニマルのわが生活には時差ぼけ調節の負担はないが、どんな暮らしにもちょいとした警告現象は出る。
そういう対処も死命がかかる。

身体の教えで、吉本ばななの「身体はなんでも知っている」を思い出した。
わが認識では、なんでも知っているわけではないが、身体の訴えは十分に耳を傾けるべき天の声と思っている。

眠りから覚めて、雪の庭に出る。
チャンチャンコだけではたらず、さらにダウンジャケットを羽織る。
小雪がちらつくだけでなく、小さな北風もふきはじめている。

明日は、月末だ。
宅配のチラシが2通。
ひとつはピザの宅配。
美味しそうなレシピに目を奪われ、捨てずに保存。

もう1通は、宅配業者の食材その他のケタリングサービス。
こんな時代になれば、大きなニーズ、サービス合戦の場だ。
通販の配達タイムキーピングがいい加減だとたしなめても直らぬので使ってない業者だが、ほれみろ俺の云った通りだろう。

チラシではないが、近くの空き地に大きなセレモニーホールがまたひとつ生まれる。
年金詐偽の維持や、引きこもりで親の葬儀も出さずに死体遺棄で立件される人々も珍しくないが、大半の人間はそんなことでお紐にかかりたくないので、形だけでも弔う。
考えてみれば、カラオケだって空地空室利用であるように、セレモニーホールだって、仮に直葬だってタダでなければそれなりの商売にはなる。
近所は、こんな終活産業の施設が乱立しており、この時代の一面を知る。

月末最後の日曜日も夕暮れに向かっている。
黄昏のアカネ色はとってもきれいだ。

ときどき観る「ソイレントグリーン」の中で、大型スクリーンとハイファイ音楽のもとでの安楽死を依頼して老人が逝くシーンが出てくるが、そんな業者にたよらなくとも、自然の黄昏はもっと素敵だ。

冬景色

近所のおじさんに、干し大根の用途を聞く。
漬け物か?と聞くと、松前漬にするらしい。
大根の世話でなく、何か庭の造作の整備に忙しそうだった。

わんこらの庭遊びを見ながら、枯れ草の剪定をしてみた。
ここまであるものをわざわざとも思うが、気持ちが誘われるのでしょうがない。
医療者が現場でなせば犯罪で、頻発している様子がしばしば報じられる。

フキやアジサイがまだ青い。
昨日買いきた腐葉土に、野バラとアジサイと名も知らぬ野草を差してみた。
どうなるかわからないが、試行である。

間欠的な食生活で、一回に少量しか食さないので、のべつまくない。
すぐには摂食せず、飲み食いしたい気持ちがまとまるまで動かないので、妄想大喰らいもできてハッピーである。
すでに飲食経験のあるもの以外に食そうとは思わないので、頭に食べる風景や味わいまでは浮かべても、いまの状況ではパスがほとんどで、あげくに食するB級C級グルメは、実に旨い。
近所のおじさんのようにマメなら、こういうdishも多様で豊潤だろうが、自分は面倒臭がりの三年寝太郎人間ゆえ、多様さには欠ける。
ただ、食えること自体が至福という人々が相当の割合でいる世界で、B級でもC級でもグルメなんてくそくらえだ。
最高のアペリティフは、お天道様に恥じない態様での空腹だ。
このところ有難いことに、食事が旨い。


さて、少しは遠めでも出向こうかとも考えていた用事が、全てはやくに片ついてしまった。
万一予約本でも届けば、きっと駆け出すのだろうが、多分明後日だろう。
冬にはゆったりした時間が似合う。
堪能するにしくはない。

雪が降る~♪

細雪で冬モードだ。
犬は喜び庭駆け回り、こちらも操体で体を温める。
頃合いで撤退す。

わんこを留守番に、事務書類の投函と、公共料金等の支払いにプチ外回りに出向く。
郵便ボックスの近くで、散歩のわんこと出会う。
うちと同じ短鼻短足フリークの飼い主おばさんとささやかに立ち話に興じる。
よその仔でも、かわいい。
北斗さんちの御同類も、毎日ウオッチするのが楽しみ。
犬バカで生きることを久々に決意する。

コンビニで支払いを済まし、ついでに棚を一回りす。
特に買い置くものも見つからず。
コンビニ店とのつかず離れずの最適の距離取りに成功する。
やっとコンビニエンスを得る。

雪は、まだまだささやかで、根雪には遠いが、生活のプライミングには丁度よい。
今朝もずいぶんと情報をいただき、ずいぶんと唾棄させていただいた。
ちょうどよい塩梅だ。

休日というわけでもないが、特に予定はなし。
一日は一日でおわる。
わくわくチャレンジの一区切り。
ハッピーサンディのはじまりである。

月末週末miscellany

冷蔵庫と食料庫がずいぶんとスッキリとした。
このところのミッションは、在庫をできる限り少なくして、買い物も本当に必要なものに限ることだ。
本当に不要なものは、うまく断捨離するのも使命である。

動きも同じだ。
寝室に端末なんぞを持ち込んでいたが、いまはひたすら惰眠をむさぼることに徹している。

いろいろとトリミングするが、特に冗長性を排除しているわけではない。
ああでもないこうでもないの錯綜の末に、結晶化するのが断捨離だ。
強迫的に自己洗脳する必要は全くない。

自分で工夫できる冗長性の確保と排除はいいが、愚劣な情報との付き合いはロクでもない。
突然飛び込む愚劣な切り方のニュースやCMは、実に耳汚しだ。
そういう時は、さんざん汚言症で切り返して厄払いをすることにしているが、それも悪くはない訓練なので、根から怒りもしない。

結局は、総合自己プロデュースが肝心だろう。
そのためには、他山の石も様々な空気も必須である。

今日も次の一手、今の呼吸、過去との遭遇を吟味する。

2016年10月29日土曜日

歩け、あるけ、歩け、あるけ~♪

本を背中にかついで、腐葉土とビールを両手にぶら下げて、帰還する。
たいした遠距離でないものの、ジムでちょっとした運動をしたような感じ。

ショーウィンドウの映るは、しょぼくれた初老の男。
たまに、このようにわが姿を現認すると、まるで筑波のガマ気分で、脂汗が流れる。

思えば、高齢社会のまっただなか。
卒中の後遺症を持ちながら杖を使って歩く人、運動器に支障があって身体を左右や上下に揺らし揺らして歩く人、自分の姿など洟垂れ小僧だ。

大変でも、歩く。
歩き続けないと、すぐに能力は落ちる。
少し前は、隠居で安楽になんて幻想もなくもなかったが、このところ、生きている、生きていくというのは、絶壁の不動心で艱難辛苦を引き受けていくことだと気が付いた。

ただ、不合理な動きは、摩耗をはやめる。
次回の本の予約は、うまい年寄道、ライフスタイルだ。
がむしゃらや無用なあがきを断捨離して、淡々と老いるを学ぶ。
頭でっかちにわかることでなく、試行錯誤を続けていくほかない。

月末のあれやこれやを、ぼちりぼちりと片つけながら、冬のはじめの月へと向かう。
思えば、今年もあと2ヶ月だ。

万事塞翁が馬

Wifi不調だけかと思ったら、Googleまでエンストする。

もともと、メインIDですべて同期できる建前が、この機だけ不如意だった。

別にブラウザは、クロムだけじゃあない。

ならばと、firefoxをダウンロードした。

捨てられたら困ると悋気したか、急にクロムが立ち上がった。
面白いものだ。

Firefoxが、Google等の情報をインポートするかと聞いてきたので、応諾すると、クロムよりも使い勝手がよくなった。

何が幸いするかわかったもんじゃない。
不具合や不如意も、万事塞翁が馬精神で、適度な熱意でカバーする気で試行錯誤していると、こういうラッキーに出会うこともある。

単にパフォーマンスが上がるだけでなく、多様なブラウザやシステムに再会し、ひとつのハブにからめとられる弊をまぬがれることも利点だ。

艱難辛苦汝を珠にするなんてお気楽極楽が実にリスキーな時代ゆえ、変なマゾヒズムに浸かろうなんて、毛頭思わないが、転んでも只では起きぬ精神は必要ではある。

2016年10月28日金曜日

冬支度

ご近所のご夫婦が、大根や白菜を干している。

藤棚風の蔓の巻きついた風景も、消えた。
葡萄の棚なのだが、きれいに裸になっている。
春夏には元の姿に戻すのだろうが、どうするのかと聞いてみると、また芽が出て蔓が巻き始めるのだという。
棚の骨格だと見間違えていたが、太い枝だったのだ。

人々は、淡々と冬支度に精を出して、越冬に向かっていく。
特に冬構えに精を出す対象を持たぬ自分のような人間でも、大層なものではないが、ああしてこうしてなんぞとシミュレーションに余念がない。

大きな時代変化や天変地異などを脳裡に浮かべはしても、できることはこのようにいつものごとく季節に合わせて順化していくことだ。

ささやかでさりげないものの、一番の基本である。

枯れ葉散る夕暮れは~♪

紅葉が素敵だ。
徒歩ゆく外回りで堪能できる。
窓や庭からも見える。

ずいぶんとトリミングが進んだ。
ロクでもない大手スーパー、客を喰いものにして生き残りを図るゾンビ金融機関、あまりコンビニエントでないコンビニ店、その他もろもろを、ミニマムな関与にすると、自由時間が広がった。

情報の発受信も、さも似たり。
無用な関与はできる限り避けるのがよい。

昨日もわけあり風のメールが到来したが、実はウィルスそのものの悪質メールだった。
フィルターからのコーションの前に気がついたが、実際に公機関や大企業名からのものでも、無用なものは出来るだけ触らない方がよい。

ネット番組なども、結構まともなコンテンツのものでも、前後に流される広告などに、フィッシング、スパムなものが付いてくる。

昨日のテレビ局のニュースでは、通販広告に欺罔的モードのものが何パーセントと高い占有率でみられると報じていたが、なんのなんの他人事でなく、お前さんの局でも常套手段になってるじゃないの?と思わず笑ってしまった。

言うまでもないが、あえて言うと始めたこのブログも、贅言は無用だ。

もっともらしい言説に、たちの悪い時限爆弾が埋め込まれているのが、一番あぶない。

こちらがまともなつもりで論を展開しているつもりでも、その真偽や質については保証できるものではない。

ということで、今後はより抑えて、ポロポロと吐いていく場とする。

2016年10月26日水曜日

さようならさよなら~♪

PCの無線LAN拾いが、惨憺である。
よって、無線LAN発信機のそばに設置してデスクトップ様の稼働を果たしているノートパソコン一機以外、無線LAN関連ネットワークでの戦力外通告をノートPC二機に申し渡す。

思うに、PCを使っても、通信のほとんどはクラウド経由だ。
どのブラウザもクラウドに繋がっての使用以外はなく、メーラーだって今や同様の広がりだ。
そうなれば、PCに多くのインフォメーションを包蔵しようと、タブレットやスマホとさほど変わりはない。
出来る限り身軽にすればいいという結論に達した。

仮に情報を溜めるにしても、外付けHDDその他に依存するなら、PCもタブレットもかなめの機能にさほどの期待機能の異同はない。
そう思い定めて、フットワークのよい仕事は、もっぱらタブレットその他の端末にお願いすることにした。
どの端末にせよ、必要な機能をしっかりと果たすことのできるように使い分けるのが、利用者の甲斐性だ。
無駄な労力を注入することはないと悟った今朝のゴテゴテではある。

人間、故事来歴にこだわれば、古い使い方を引きずりがちで、なかなか新たなモードに移行することが困難になる。
自分のなかには、PCにも、タブレットにも、スマホにも、それぞれの故事来歴はある。
それ以上に進もうと思わない人間だから、ウェアラブルな先端装置には進まない。
注意力一定の法則に沿って、利便性の強いツールは利用しても、立ち居振る舞いと一体化する機器は無理筋、贔屓の引き倒しになりかねないと判断して敬して遠ざける主義にしている。

それでも、PCから、タブレットやスマホに重心移転しているごとく、ウェアラブルな装置も支障のないと思える機器が生まれれば一丁噛みするかもしれない。
生きているというのは、さようならさよなら~♪と、こんにちはこんにちは~♪のスパイラルを経験していくことのようである。

一粒で、二度も三度も美味しい?

八時間ほど寝て起きるが、まだまだ眠い。

ゆっくりと起きがけのルチーンワークをこなして、安楽椅子で二度寝を楽しむ。

BGMに流したDVDのトップとラストだけ覚えている。
何度も観た音楽劇を、夢の中でも楽しんだのだろうか?

二度寝起きで出かけたゴミ出しでは、道の上にきれいな月が浮かんでいる。

戻って三度寝を味わう。
二度寝も快いが、三度寝も快い。

合間に、ゴミ出しだけでなく、エサ作り、その他もろもろの家事を夢遊病者風に仕上げてしまっている。

ところで、朝一のネット回遊を試みると、メイン機のWiFi2が不調で、リリーフ機に先発の座を譲ってベンチに入る。
SIMカードでは、しっかりと速球を投げることができるので、ちゃんとローテーションさせれば問題はない。

天気は、どんどんとよくなりつつあるので、お散歩外回りには最適だ。

今日も少しの波乱のスパイスもあって、楽しいスタートだ。

2016年10月25日火曜日

変えて変わっていいじゃない

昼に湯豆腐と思っていたメニューが、急に豆腐ステーキに変わった。
命のはての薄明りのなかでも、わが思いに合わせて賞味したいものだ。
わんこらのために買い置いたスペアリブも一緒に焼く。
なんてことはない、主婦諸氏が日常茶飯にこなす事情変更の原則にすぎない。

図書の収受も明日に延ばす。
自分の気になったところのほかはピックアップして読むことをしないから、ちょいとペースダウンすることにした。
スパイスばかりしがむ必要はないだろう。
明日は買い物も想定していないので、運動がてら徒歩ゆくミニトリップの予定である。

近所を散歩させてやろうかと思ったわんこらも、いつものように庭でランニングすることになった。
立ち居振る舞いに容喙しながらの散歩より、わがドッグランでの疾走の方が気持ちよさそうだ。
TPOに合わせて、ベストエフォートするのがよい。
丁度良い塩梅を探すのが、このところのわが課題だ。

うちなかで、いろいろと思案していると、心の鼓動も不整に感じられてろくなことはない。
わんこと伴に、庭で気晴らししていると、そういう自己拘泥からも自由になる。
心筋症で逝く妻の姿を描く「愛を積むひと」を久しぶりに観ている。
自由にセルフシネエデュケーションを愉しむ。
既に、他人様に容喙する気持ちは毛頭なくなっている。

それでも悩み多き人々へのショートメッセージは続けている。
自爆テロにつながるようなデスペレートな雰囲気に、少しでも緩衝材を振りまくことができれば悪くはない。
もちろん、人の手に負える事どもはそうあるものではなく、ただ嘆声を発するほかないことの方が多いが、それはそれである。
この頃は、コンサルティングの醍醐味は、とりわけ看板やアドバルーンなど掲げぬ袖振り合うも多生の縁が肝と思うようになっている。
いずれにせよ、縁なき衆生は、お互いに別途に生きるほかない。

変えるのも、変わるのも、なんだかんだと目的合理性など意識しない方がいいように思う。
淡々と手当しているうちに、おのずから変わる。
近所のおじさんの藤棚風も、今日はツタのような主人公が消えている。
どこで越冬するのか聞いていないが、チャンスがあれば聞いてみたい。

バザールでござーる~♪

食材などは食品庫に満杯なるも、朝市の魅力に惹かれて、今朝も一番乗りした。
ぽつりぽつりの買い物客に交じってのプロムナードは最高の味わいだ。

目当ての物品はスマホにレジュメているので、最近は大した買い物はない。
ちょっとした補充で、それ自体はすぐに済む。
このところの楽しみは、一見関係のない棚のウォッチングと人のウォッチングだ。
従業員の動きも、客の動きも、実に参考になる。

ところで、この大手チェーンスーパーは、あまり好きではない。
仕切っているO一族の言説を吟味すれば、とても信頼できたものでないので、Tブランドのついた商品には手を出さない。
しかし、地場もの特集もあれば、従業員の頑張りも観ることができるので、是々非々で利用している。
これはスーパーに限らず、国・地方公共団体から、個人に至るまで、いまの時代には当然の前提である。
こちらがよく観察するのが肝要だ。

今朝の運動量は、車での移動ゆえ、微々たるものだ。
午後は、バスなしで、全部歩いて所用をやっつけようか。
冬の気配が出てきたといえ、まだ足元は滑らず。
まずは、日和見主義で、情報待ち。
ランダムウォーク、カプリシャスは最高の贅沢だ。

今日も情報のバザールに身を置くが、究極のデフレ時代で、金も出捐しないが、受けることもなし。
いまも、フィランソロピー的作業で処理を終える。
特にうっとうしがるわけでもなく、ありがたくもなし。
何はともあれ、わがありようとしては、この程度のぼちぼち、一丁噛みが大好きだ。

月がとっても青いから~♪

早朝の空に、あざやかな三日月が浮かんでいる。
直径がどれくらいで、地球からの距離がどれくらい、光がどれくらいで届いて、それに比べて太陽の属性はこれこれでと、ネットで確認した途端、自分で発見して、かつまた得心しているわけでもないので、瞬時に忘れる。

朝刊のバイクの兄さんと、オッスの挨拶で行きかう。
ゴミ出し時間には、朝一ガッテン系のおにいさんおねえさん、あるいは爺さん婆さんが、スクランブル状態だ。
いまはまだいいが、真冬は大変だ。

月が空高く光っている時間に、秋刀魚を焼く。
少し火力をしぼりすぎて、ウェルダンに至らず。
自分とペットの食い扶持故に、自由自在。
それなりに旨し。

このところ寒に向かい、夜はひたすら眠りをむさぼるばかりだが、それでも朝一に幾許かの作業に気力を使うと、二度寝の誘惑が訪れる。
なんの支障もなく、快い眠りに落ちる。

こんな幸せがこわいくらいにハッピーな時間が過ぎてゆく。
月が青くても、黄色くても、ゆるす。
月の満ち干に守られて、ゆるされて味わう瞬間々々。
瞬間よ、永遠なれ。

朝の語り

伊集院光氏の深夜放送を聴取後のいまである。
氏の語りのうまさを堪能し、いままではもっぱら直後アーカイブだったが、出来れば生で聴きたいと思う次第だ。

マスメディアの語り部と、極私的語りの位相はもちろん異なる。
このところできる限りの縮みの志向で、自分は声高に語ることはないが、語る以上はその効果、意味論は常に自問自答する。

よほど放埓ない発声者でない限り、ひとつ声をあげるにせよ、反射的行為でない限り、それなりの瞬発的自己省察は試みる。
もうひとつは、逆にそうであるがゆえに、秘するものはとことん秘する。

昨日は、某番組で伊集院光氏と荒俣氏の対話を聞いた。
荒俣氏の結婚話も聞いたが、元相方の江戸語り部の翳はない。
もちろん、破たんした前婚話など無用ではあるものの、楽しく語る現婚話はそれなりに嘘とはなる。
伊集院氏にせよ、荒俣氏にせよ、現婚のあれこれは、相手も現存しフォローも可であるゆえに出来る部分もある。
過去の人には、係累その他いろいろと絡む故、容易に云々はできない。

ところで、己の語りの話に進む。

いろいろと思いを巡らせ、ポリティカリーコレクトネスその他もろもろに配慮して語るにせよ、他人様に語る以上、聞くに及ばずとなれば、聞く方が絶無となればナンセンスとなる。
もちろん、こちらは、エンタテインメントや注目狙いで語っているわけでないから、媚びる必要も、他人様に賛同を求める必要もない。
いずれにせよ、言説の発信者動機と、受信者共鳴や傾聴の非作為的共鳴があらまほし。

そんなおりに、手書きの書き置き綴りを作成した。
他人様に供覧する書き物と、いずれ人の目に触れるかもしれぬが当面秘する書き物のコンテンツは、おのずと異なることにはなる。
量子力学的認識からすれば、思い浮かぶすべては決して書き物には固定できぬ。
最新科学的ツールにしてもが、刻印は不能である。
最後は俺がデータべースで、消えるところはサッサと消えるもんだとなる。

さて、総論、能書きは、とりわけ力む必要はない。
書き手を志向するなら、淡々と描き続けて、己の志向通りの自己実現的果実を産生することだろう。
まとまるところでまとめるが作法である・

ところで、今朝の行動予定は、おおむねの動きをイメージできているが、決め手はない。

結果よければすべてよし。
己のプロデューサー以外に、己の画策するすべなし。

2016年10月24日月曜日

人生の自由度

今日のテレフォン人生相談も、前回に続いて難問である。

前回は、整理が容易でない相続問題であったが、
http://tel-soudan.com/inheritance-katou-nakagawa-161022/
このような事例は、弁護士に依頼するにしても、問題状況そのものが容易でないので、そう簡単に解決つかないだろうことは、回答者の中川潤弁護士の示唆するとおりである。

今日の相談も、法律相談と云えば、そのような面も強いが、どういう生き方をしたらよいかという人生戦略論風の部分も大きい。
パーソナリティも加藤諦三氏、回答者中川潤弁護士と、前回と同じコンビである。
http://tel-soudan.com/brain-tumor-katou-nakagawa-161024/

仮に、母親が店じまいを覚悟して、いますぐ借金を清算しようとするにしても、オーバーローンになっているからには、すぐに裸一貫で出ていく形でハングアップしなければならないことになろう。
母と姉妹で、父親の元気なときのように店をやり続けて借金を何とか返しながら、父親の療養を支えられるかどうかは未知数だろうが、それが無理なら別途うまい足抜け方法を考え出さないと、途中で下手な形のハングアップになっては、無理筋がよけいひどくなる。

中川潤氏と加藤諦三氏の直言するとおり母子三人で腹を割って話し合って道を探るのが一番だろう。

人生のまさかの坂は、結婚式の祝辞にだけ出てくるものではない。
事業であれ、その他の人生のイベントであれ、算段の少なからぬ部分が、突発事の発生で、ご破算に持ち込むのさえ困難な苦境に陥ることがある。
回想録には、その苦境を、自分はこうして七転八倒しながら、何とか七転八起して克服したなんぞというものがみられるが、そうできなかった人は書くどころでない人生に突入したりしているので、その声は聞こえてこない。

この事例でも、何とか店を続ける見込みがたつのなら、三人で店を続け、病人は病院や施設にお世話になって、仕事の合間にしっかりと面会などでエンカレッジして、しのいでゆくということにトライしてもいいかもしれない。

しかし、するもしないも、また他の道をとるなら、それをどういう形に選ぶかも、みな当事者たちの考えと選択が必要である。
まさかの坂を登るのも、降りるのも、立ち止まるのも、飛び降りるのも、まさかであるだけに容易でない。
運がよければ、そんな時代もあったねと~♪歌うことができる。

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

近くのスーパーに開店早々乗り込んで、湯豆腐用の豆腐を買う。
久保田万太郎の句は、「新センセイの鞄」の沢田研二のセリフで知った。
原作に出てくるかどうかは、覚えていない。

一緒に買って帰ったサンマも、塩焼きが楽しみだ。
ほとんどをワンコらがたいらげるのだが、少し肴に飼い主もいただく。
やはり一日に2~30分は歩くのが身体にいいなを口実に、買い物フリークの日々を送っている。

カントのように毎日定時定番の散歩道を歩くようなことはしないが、できるだけ一日一度歩くのは頭にもよい。
少なくとも人間は頭だけで考えるのでなく、歩いて考える。
雨や雪で家に閉じ込められて運動量確保のために動いても、どうも考えのめぐりがわるいが、外の景色を見ながら歩くと頭のめぐりもテンポがよくなる。

今朝のスーパーは小ぶりの店舗で、併設のテナント百均も小ぶりだ。
しかし、じっくり回って、商品を全部スキャンしてみると、大型のダイソーなんかにも負けないコンパクトで大概のモノを品揃えしているのがわかる。
アマゾンであんな高い商品を引かなくても、百均で揃えりゃ手軽に安価に購入できたものを。
今朝も、いい勉強になった。

さて、今日いただくか、明日いただくか、うすあかりをおぼろに見つめて湯豆腐の予定だが、いまダシをどうしようか、ああでもないこうでもないとネタ繰りをしている。
これが楽しい。
うすあかりであるだけ、私事は貧者のセルフ一灯で、しっかり暖まることができる。
いまもニュースで高齢者の無慙な最期の事件が話題になっているが、もう他人様はいじりようもない。
わが知己の先行世代も、犯罪レベルほどではないが、結構むつかしい。
プライドが強く、それに拘泥して無我夢中となれば、時限爆弾、触らぬ神に祟りなしの状態になる。
そういうことを知れば、その予備軍、あるいは現在進行形の自分も、他人様が出来る限り我に関わらないで済むように、こちらも対外的にapatheticなスタンスを維持しようと思うばかりである。

まあ、このような時代なだけに、逆に、先行世代に限らず、透徹した眼で犀利な語りに出会うことができると、この上ない幸せを感じることができる。
人生そういう眼で見れば、イーブン、五分五分だ。
万事塞翁が馬と心得れば、無理にどこにはる必要もなければ、一喜一憂する必要もまったくない。

お天気を占うように、淡々と処していくにしくはない。

日月はお好き?

まだ暗い空に、あざやかな三日月を仰ぐ。
少し濡れた路面なのに、空は鮮やかだ。

大きなニュースはないが、気になるニュースはいくつか。

元自衛官の高齢者が自殺。
足裏の遺書には、死んでお詫びの文言があったとのことだが、自爆テロと見まがう現場だけでなく、実際に巻き添えの重傷者が発生し、行為者死亡なるも殺人未遂で書類送検の由。
武人は、自裁で引責を果たすという悪しき日本の伝統があれど、いまや斯くの如き終わりは、新たな加害でもある。
旧軍の切腹主義より、硫黄島「散るぞかなしき」中将や「沖縄にご高配を」の司令官の如く、散り際も配慮に満ちた立ち居振る舞いが必須である。

沖縄で思い出すは、昨今の工事がらみの諸々。
旧反体制派や第五列工作員の違法活動と、日米各々と協力対抗活動のコントラストを現況に観る。
日米中露沖縄現地と様々なファクターのフラスコ実験炉が今である。
ここも新パラダイムへの移行や旧弊からの様変わりが進行中だ。
目が離せない。

わが日常性は、さほどの変化はなけれども、過去を参照、現在を脚下照顧、未来を展望、さまざまにドリフトするばかりである。
天上天下唯我独尊を唱えれば、他人様の有象無象は意識の外に消えねどもネグリジブルなものとなる。
ゴーマニズムでなく、リーゾナブルなトリミングならば、あらまほし対処法である。
好もしき方角には、偽善なしでお達者でのエールを送る。
ふと、全共闘の「連帯を求めて、孤立を恐れず」のキャッチコピーを思い出したり。

このところ、彷徨フリーク、お買い物フリークになっているので、今日も事足れりと思ってはいるものの、蟲の動きでは、どうなることやら。
明日は明日どころか、今日は今日の風が吹く。
しっかり風まかせの気分である。

2016年10月23日日曜日

冬構え

近所のおやじさんが、庭の冬構えに余念がない。
うちは枝折れを心配する植木もないし、己やペットの耐寒ライフスタイル以外に腐心することなし。

庭遊びでも、長く立っていると、ずいぶん冷えてくる。
サッサと遊ばせて、そうそうに撤退する。

ストーブを焚く時間もずいぶんと長くなった。
衣類は、しっかりと冬モードに衣替え。
外回りの格好も、そのときそのときでしっかり検討しないといけない。

夜具も、電気アンカを引っ張り出し、毛布類も総動員体制をとる。
重いものが嫌いなので、足を温めて、カイマキやマフラーで凍れに対する。
例年とは、さほど変わらないものの、昔よりは微積分を意識するようになっている。

室内は、常に温め、水も湯も頻繁に使うので、水落しはしないが、外の散水栓は水落しをしておかないと凍結の危険がある。
夜が明けたら、さっそくしておこう。
思ったときにしておかないと、根雪まで失念して、結果で慌てる可能性がある。

平尾氏や田部井氏の訃報に、この時代にしては少し早すぎる印象はあるも、長いだけがよいわけでもなし、自分も十分に生きた自覚あり、特に人生の冬構えはなし。
今日は、衆院補選の日だが、投票締め切りですぐ結果は出る。
政経の冬の季節を予感し、かつ冬構えの必要性も感じつつ、自分で読める範囲で、もうどうでもいいやの感じも強い。
三島由紀夫が、核が炸裂しようと、この星の造形がどうなるかのほか興味なしと云ったほどの耽美主義者ではないものの、瑠璃ばあさんほどの「リアリスト」でもなく、いわゆるリアリズムなど、クソだ。
わが敬愛する亡T教授も、天下国家でリアリズムで、嫁には御用聞きと出奔された。
専門知なんぞ、その程度のもの。

冬の空気のピリリ感は、夏のクソ暑い熱気よりも好きな部分もあり。
四季の味わい深い風土に生きることができて、実に幸せである。

2016年10月21日金曜日

冬色のはじまり

初雪はまず根雪にはならないから、街も、庭も、ほとんど雪は残っていないが、遠景に見える山は若干白く光っている。
野草は、雪をいただかなくとも、さっと倒れて、ずいぶんと冬景色は進んだ。
庭を駆けるわんこは、倒れた草の茎をしがんでいる。

ちょいと覗いてみたかった百均に出かけて、小さなボトルを買う。
スーパーの広いフロアも回るが、特に食指の動くものなし。
近所まで戻って寄ったコンビニでは、なじみの店員がおでんの仕込みに精励中。
雪も降ったし、さっそく売れ筋だ。

冬の滑りやすい道や停めにくい駐車場を考えれば、バス&ウォークが無難だ。
今年の冬は、緩くないかもしれない。
ロシアが、某海底の光ケーブルをいじっているという情報も流れているし、きな臭さも一段とレベルがあがっている雰囲気だ。
庶民には出来ることの乏しい危機ゆえ、ひたすら念仏を唱える寒空となろうか。

興味は、だいぶ万年筆から離れ、いまは漬物造りにシフトしている。
ジップロックやビニール袋の消費が進行している。
シンプルな作法が好きなので、ネット検索もそういう眼での比較でレシピを合成する。
量、手間、その他、自分の条件に即フィットすることは少なく、味付けも己の好みがあれば、創作料理的な発想は必須となる。

このところ、うちなか探検をするのも好きで、あまり使わない箱に入ったものの再検品や死角になっているスペースのチェックなどで、いろいろな退蔵品やデッドスペースを発見する。
様々なツールを調達したがるくせに、上手でもないのに、包丁一本が好きなので、ほぼ新品で鎮座ましている。
便利なものはリスクも大きく、使った後の手入れも大変だが、自分の手でぼちぼちやれば、大抵のことはできるようになる。
失敗しながら、ゆっくりカスタマイゼーションするのが、おもしろい。

この冬は、そういう自己流を進めることになりそうだ。

初雪あざやか

雪虫の御託宣は見事的中せり。
窓の外は、しっかりと銀世界だ。

庭の木枠のニス塗りも、この予感があったからか。
さっさと仕上げておいてよかった。

ストーブは相当前から使っているが、今夜はサーモスタットの働いている気配がない。
本格的に冷えているらしい。

冬が始まるとライフスタイルも変わる。

いつも飼い主が起きると、うろうろしだすワンコも毛布にくるまったままだ。
こちらも寝て起きるまで寒さのなかでしっかり眠りをむさぼる。
みんなうろうろする余裕がなくなる。

身体が冷えれば、早朝から湯船で温熱療法に身をゆだねる。
飲み物も、身体の芯を温めるメニューにシフトする。
自然と心身が要求する。

庭の風景も、寒さのトリミングでずいぶんと変わる。
昨日も枯れ葉が急に増えたなと思ったら、野草も冬の到来を身をもって感じていたわけだ。
引き締まった風景も悪くない。

足下も雪や凍結で滑りやすくなる。
履物の使い方も変わってくれば、身体の動きも変わってくる。
出かける際のチェックも、ちょいと厳しくしないとあぶない。

毎年、この季節に感じているはずの変化や事柄のはずだが、今年はなぜかビビッドに感じる。
ライブ感が強いのは、決して悪い事ではないだろう。
わくわく感はなにもないが、変わり目は特別の味わいではある。

2016年10月20日木曜日

小雨を日差しが温める日和

雷雨は朝だけで終わったが、その後はキツネの嫁入りのような天気が続いている。

今朝も買いそろえたいものがあったので、朝早くからバザールに向かった。
仕入れておいた方がいいと備忘したものは、まがりなりにみんな揃った。

もう今月は、停電でも起こって冷蔵庫の中のモノを腐らせない限り、買い物なしでも暮らせそうなストック状態になった。
別に、買い物フェチでもないし、何が大好きでということもない人間だから、このまま出不精で月を越してもいいかもしれない。
図書室も、このところちょいとペースを落としてもいいなとも思いだしているので、うちなかインキュベーションがいいかもしれない。

朝の買い物前にカーラジオで聴いた話。
北海道の五十代半ばで定年退官した自衛官が、道の駅に興味を持ちスタッフ募集に応募。
客からの問いかけにしっかり応えたくて、休日を道内の道の駅をすべて踏破したという。
噂が噂を呼んで、問いかけも急増したという。
第二の人生を、何か惹かれる物事に惹きつけられて生きるのも、なかなか楽しいだろう。
いまは、温泉地の踏破もスタートしているという。

自分は何が興味かというと、特になし。
突っ込みや、意味ありと承知する突っ込まれは嫌いではないが、自己目的的なディベイトや込み入った話は、もはや卒業と心得ている。
まあ、いまのところ切羽詰まった感じでなく、淡々と日々に身辺整理するのは大好きだが、拘泥がない。
だから、いつまで、どこまでどうしようということがない。
日々あらたに、こっちの方がいいなと、少しレイアウト変更や断捨離を進める程度だ。

どこまでどう伸長するだろうと自己確認するのは楽しみにしているが、お気楽極楽となれば、どっちゃでもいい話だ。
それでも面白いのは、ささやかな発見が一日にひとつくらいはあって、また視点をちょいとずらすと展望も少しよくなることだ。
細胞や組織では、実にせわしないピッチでミクロの物質循環が行われているのに、その総体である意識や全体運動は、実にのんびりしたものだ。
あまりせわしなくせずに、淡々滔々と動いた方が、実があっていいように思う。

この辺りのあわいも、生きているうちに、もう少し意味が見えてくるのだろうか。
今日は午睡なしで、いろいろとやっているうちに、ぼちぼちとおやつの時間。
少し血糖を上げてドロージーに向かおうか、それともスパイシーなものでもいただいてシャキッとするか。

ゆっくりと考えながら過ごしてみよう。

何でだろう~♪なんでだろう~♪

ゴミ捨てに出た早朝は、晴れていたのに、いまや雷鳴が響き豪雨がすごい。
気象に理由は要らず。
こうだからこう、そうだからそう。

わからぬことゴロゴロあり。
以下羅列す。

早朝のPCの通信状況は、やっとこ無線LANにつながるも、もどかしくてPCを閉じるほどの低調。
ひとまず風呂に入り、出てタブレットでつなぐと、同じ位置でスイスイとつながる。
電波発信機のとなりに居るPCは、このような状況に関係なく、はなから淡々とyoutubeを映している。
複数機を動かしてはじめてわかる不思議。
それなりに原因理由はあるのだろうが、気象と同じで、現象がわかればそれ以上突っ込まない。

ネット回遊で、ふと思う。
なぜ、内ゲバは友敵関係より熾烈になりやすいのか?
近親憎悪、工作員スパイの暗躍、その他いろいろと、これも原因や理由は挙げることはできようが、そういうもの。
自然界にも、クーロン力なんてのがあって、距離が近いと強く働く。
なんにせよ、この世に存在する現象学的風景か。

わが性癖にも、思いが及ぶ。
他人様からいただいたコンフォミズム的ミッションには、なかなか順応できないくせに、己が抱く手順等には非常に拘泥する。
いまも腐心しているのが、万年筆インクの補充問題だが、各色同時に同じように進行完遂しようとする。
これもおかしい。
24色のクレパス買っても、好みの色はどんどん減り、使わない色は残る。
要は、実践論的に弱いところに、ちょこっと、パッと考えの画一統一主義が先行してしまうのだろう。
そのとき、そのときうまく使いこなしていけば、うまく回るのだ。
つまりは、まだ実践、修行が足りないだけのこと。

こういう風に、根問いすれば、わかること、わからぬこと。
この世は、なぞとアドホックな回答のミクスチャー。
根は、ああでもないこうでもないが好きな妄想派である。
うまく、答えを探して、言うまでもないところは、上手に滑らせたり、あえて引っ掛けたり、戦略的にやっていくというものだろう。




 

2016年10月19日水曜日

つまんないなあ~♪

暖かい日差しで、午睡も爆睡パターン。

寝入っているうちに、BGМにしていた番組が終わっていた。
子守歌で聴く程度で十分なコンテンツだったので、そのまま次に移る。

音楽や演劇のお好みは、何度視聴してもいいものだが、それ以外は飽きがくる。
あの論者なら、こういう話題なら、きっとこういうだろうと読めてしまうと、新奇さがなくなり、もういいかとなってしまう。
これだけ情報に溢れると、よほど宗教的レベルのファンでもいない限り、言説や評論も、飽食の時代の定番末路、残飯処理で打ち捨てられるという運命を避けられない。

これは、もちろん他人様のことだけでなく、自分に当てはまる。
何か検討する際に、自分ならきっとこう考えて、こう感じて、こんな風にしようとするんだろうなあ、となる。
いま、老若男女に瀰漫する倦怠感は、こういうところから生じる日常性を基に湧いてくるものかもしれない。

だからどうしなければと思うわけでもないが、対症療法としてはいくつかはある。

まず、身体的刺激がある。
千日業ではないが、自分にとって少しきつい負荷をかければ、感じとる世界は大きく変わる。
理屈より、身体の動かし方ひとつで、マンネリズムはいくばくか壊れる。

次は、少しでも新奇に思うことのできる河岸をテイスティングして、飽きたものを次々と捨て移ることである。
情報はオーバーフローしているのだから、お付き合いしてチンケと感じたら、次に移ればいい。
放恣さでトラブルの生じない領域では、現代社会では移り気の自由度は高い。

更には、居直りもありだ。
すでに、仕事も一生モノもレアになり、相手様もスクエアな執着を喜んでくれるわけでない。
上手にアドホックさを確保しつつ、しっかりカプリシャスに、誠実に労作するということも、真善美に適合的になってきてはいる。
ならば、時代変化を自家薬篭中の秘薬として、自由闊達にやればいい。

映画「The Bucket List(邦題:最高の人生の見つけ方)」ではないが、実際の臨終でも「やはり、やりたいと思ったことをやっておけばよかった」というのが、大方の悔恨の言葉らしいから、まずは四の五の逡巡せずにlet it beが一番なんだろう。
ボブディランも、しっかり放置プレイを楽しんでいるのだろうか。

街路樹観楓会

近場のスーパーへ徒歩ゆく。
街路樹は見事に紅葉している。
春は桜が満開の街路が、秋には真紅の姿で迎えてくれる。

ポカポカと春並みの日差しに、ゆっくりと歩んでも、少し汗ばむ。
スーパーの二階にある百均で、化粧品コーナーにあるインジェクターを購入する。
これでプリンターのインクを吸い取って、万年筆のインクに転用する予定である。
各色ボトルを入れる小物入れも仕入れて、全部で千円いかない。

どこが腹もたれだ。
空腹となれば、総菜をしっかりと調達し、決してハンガー期間は長くならない。
いいわけでもないが、恒常的に丁度いい塩梅を保つのが一番いいように思う。

帰り道の方が、欲しいものを得た充実感があり、ひとり観楓会も行きよりも楽し。
近所のおじさんのペンキ塗りをチラ見して、マークトウェインの小説を思い出す。
このところ塗り物に興味を持っていないので、自分も塗ってみたいとは思わない。
雪の降り出すまでに、ドッグランの造作に、ニス塗りはしなくてはならない。

午後に特に予定はなく、陽気に合わせて自然観察やひとり観楓会を続ける。
自由連想という妄想は、ミクロからマクロまで、足元から宇宙まで広げることができ、実にありがたい。

いいことに気がついたね



夜は腹部膨満感が強く不調だった。
イレウスとかだったら嫌だな、なんて思っていたら、朝には空腹がやってきて、結局食いすぎと結論した。

早朝も、いっとき月と星を仰いだのちに、不調をなだめるために二度寝する。
BGMが上品だったもので、腹部以外は快かった。

外が明るくなると、目も覚めて、自由連想を始める。
ペリカンのインクに執着があって、密林に注文を出そうとするが、手はずがうるさい。
気のない商売人に構う気もなく、近場の文房具店に行こうかと考えを進める。

歩いて行ける本屋兼文房具屋が、あったのにない。
全国展開一と銘打ったチェーンの枝が消えている。
調べると正式に「廃業」と出た。

この辺りで、ふと頭の電球印がぽっと光った。
ダイソーには、インク壺入りのインクは売ってなかったが、プリンターの安物インクは腐るほど売っている。
流用できないのか?
あらあら、ちゃんと先人はいる。
やってみて、できて、重宝しているという。
われは、まだやっていないが、この方のプロトコール通りにやれば、できそうだ。

こういう風な「いいことに気がついたね」ってことは溢れている。
自分で必死こいて考案しなくても、ちょいと頭の電球を一瞬点滅させることができれば、同じような発想で敢行している人が多々あり。
ネットの時代、一瞬で先人に邂逅できる。

残ったポテトサラダも、次のコースにコロッケにでもと悩んでいたら、ちゃんとおやきにしている人々がいる。
これなら、パン粉も何もいらずに手軽だ。

何も考えずに検索ばかりもつまらぬが、上手にスパイラルにしていけば、非常にヘルシーにワンダーフォーゲルできる。

思い込まなければ、柔軟思考は育つ。
今朝も、とある医療系МLで、リーマンショックだかで貧困層の死亡率が減ったというプレゼンあり。
貧困層に多い飽食生活病死が減ったのだろう。
もちろん、貧困化が病や死を招くという根強い説もある。
量子力学的時代だから、ある意味でどちらも正しく、どちらも当たらぬ面あり。
所詮は確率論的世界だ。

今朝も、斯くして、極く々々凡庸なシミュレーションでスタートする。

2016年10月18日火曜日

失われたボトルを求めて

目指すは、インクボトル。
近隣を回ってみたが、ない。
どこにあるかは知っている。

中心街に出かければ間違いなくある。
曲がりなりにも200万都市ゆえ、別につけペンのインクが全然ないということはない。
それにしてもが、みかけない。

万年筆のコンバーターで吸い上げる、ただただペン先につけて書く。
そのための、ひと昔前には文房具コーナーのどこにでもあったインクボトルが、もはや見つけにくい存在となってしまっている。
もちろん、コアなファンはいくらでもいるが、並べておいて買ってもらえる、採算がとれるほどの利用は見込めない。

また、通販で引けば、いくらでも入手できる。
そんな時代に、手近に欲しがるこちらの方が、わがままかもしれない。
特に急ぎの状況でないので、ついでにあわせて探索することにした。

もうひとつ欲しい水耕栽培のネタも、DIYの店にいくらでもあるはあるのだが、バカ高い。
商売にしようとなれば、当然にそうなる。
インクボトルとさも似たり。
庭の野草たちを花瓶に生けて、どう生きていくのか観察しようと思って、今日も庭で瀬踏みしてみた。
野草でも切って別環境に置くのだから、ちゃんと育ててやりたいと思う。

わんこらは、人間様のああでもないこうでもないなんぞはものかわ、ごろごろと転げまわってごきげんだ。
人間はナチュラリスト的作業にあたっても、やはり主知主義的に行ってしまう。
そうして生きてきた、そうして歴史を作ってきたんだからしょうあるめえ。

それはそれとして、いろいろと試してみる。
それがわれらの面白さであろう。

月はどちらに出ている

方向音痴なので正確な方角はわからないが、北かつ西の空だと思うが、月が出ている。
朝一番のバスが、傍らを走っていった。
朝の月もなかなか風流だ。

近所のコンビニで、ちょっと食料を補充して戻る。
これだけ調達しておけば、冷蔵庫も食糧庫も一杯で、追加の余地はない。
買い物もしばらくお休み。
あとは予約本の収受をかねて、散歩に出向くくらいか。

さて、10月もなかばを過ぎた。
凡庸に日々を経ていけるのは幸せなことではあるが、少しマンネリズムに倦んでいる気味もある。
今年もあと二か月少々でカウントダウンだが、ちょいと目先を変えてもみたいものの、特に内なる衝動のうごめきはない。
退屈しているところで、そういうときに限って、ロクでもないことで忙殺されることもあり、淡々といくのがいいのだろう。

まあ、世の中も、世界中でわいやわいやの情勢だから、一喜一憂してもきりがない。
高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」ではないが、古人からして、無聊をかこつことは日常的だったのだろう。
特別のことのない無事これ名馬と、退屈を上手にハンドリングするお楽しみ力涵養のバランスをとることが大事なんだろう。

ということで、Google+でフォローしているJaxaのホームページを月を中心に散策してみよう。
情報が溢れる時代、うまく拾わないと、宝のもちぐされとなる。

星はなんでも知っている~♪

明けの明星か否かは知らず。
天文学のリテラシーは、ないに等しい。
それにしても、夜明け前の空に輝く星はきれいだ。

先般読んだ宇宙論の泰斗佐藤教授の最終講義本にも、何億光年向こうの星の実在については語られていない。
もともと、すでにあるかないか不明の像をみながら、いまを論ずる学問ゆえ、それを云っちゃおしまいよって話だ。
愛を語る恋人たちの言葉の時差や実在も疑わしければ、光年の実在を語る必要もないかもしれぬ。

三日前に発した台風が、ここにきている。
もうかの地には台風はない。
こちらにはある。
台風の目のなかでは、五感では知らず。
恋人たちだけでなく、地上の実在論もそこここに素材あり。

月をみるために買ったオペラグラスもほとんど使っていない。
目で見る月が好きだ。
星もなんとか天文台で研究するも尊いが、ただ上記のような妄想に身をゆだね、ただ光のスコラ論議もクラシックで楽し。
NASAなどのサイトも、rssしているが、宇宙に行きたいとも思わず。
地上でうまく生きかねているのに、宇宙にとんぼがえりする自信はない。

ところで、昨日受領した密林のミニチャーCCDカメラ。
防犯その他記録によいという惹句に、インタフォンの画像&録音のために購入したが、充電とソフトのインストールが不明だ。
そんな作業中に気がつく。
なんだインタフォンの備忘程度は、スマホ、タブレットで十分じゃんか。
ほんにそんなことにも気の付かぬあほんたれ。
さっそくお蔵入りになったが、2000円足らずのもの。
またなにかのおもちゃ程度にはなろう。

かくのごとく、イリュージョンも必要のない程度の地頭。
それでも、人間のネイティブなんぞそんなもの。
「高等教育」で、教条的に立派になり、さかしらに、何とかはね、かんとかはね、と能書きを垂れても、すでにお釈迦様の時代に、ソクラテスの時代に、見抜く泰斗は見抜いている。
あとは、ノイズといえばノイズの集積かもしれない。

そんな俗塵に、ふたたび空に戻れば、満天のプラネタリウム。
ホント、いいときに生きているもんだ。

2016年10月17日月曜日

コンビニ人間

特に何を買おうと思ったわけではないが、コンビニに出向く。

遠くにあるコンビニで、連続に、レシートはよこさぬは、入力できないと、このレジでなくあっちの端末で自分で入力してくれなどと言われて、こちらも文句を云わざるを得なかったりとか、コンビニは、こちらのリテラシーで出来る限り店員に作業を任さず、セルフの機械いじりで利用するにしかずと思い定め、近所のコンビニもそういう方針で使おうかと勉強に出向いた次第だ。

芥川賞の「コンビニ人間」は、コンビニを徹底的に血肉化した女性が主人公だが、実際の店員は、上記のように適当で、自分の負担やミスは客におっかぶせて恥なき人々が担当していることが少なくない。

ただ、自分のコンピューターやタブレットでは出来ぬ上出来の技を、コンビニ端末はこなす。
こちらのリテラシーを鍛えれば、どうしようもない店員でもちゃんと選別すれば、相手の能力に合わせてそれなりに働いてはもらえる。

コンビニには、コンビニに置いてあるはずのモノやサービスのみが置かれている。
今朝外回りで寄り道したホテルには、国際的に評価の高いシェーバーが置いてあった。
昨日みた通販宣伝誌でその存在を知った。
なかなかインテリジェントなマシンなので、通販で買ってもいいなと思った商品だ。
少し高価だが、外国客の多い庶民的ホテルにも、しっかり置いてある。
こういうものは、コンビニの射程内ではない。

コンビニだって、ホテルだって、通販だって、現代の「私の大学」だ。
そして、暖かい、余裕をもって対すれば、スタッフだって、システムだって、十分に呼応してくれる。
できること、できないこと、こっちのありようもしっかり相対化し、ソフィストケートすれば、各々が実に秀逸なスポットになり得る。

そんなこんなを思っているうちに、今日も、はや八だ。
一日にこなしたい作業も終え、これからお気楽極楽のバスタイム。

ああ、実にコンビニな、いまようの至宝のときだ。

あさぼらけ

微妙な気温に、結局ストーブをつける。
サーモスタットの設定温よりわずかに低いのか、燃え続けている。
ゴミ出しも終えれば、しばらく暖をとるばかり。

ニュースでは、新潟県知事選も、鹿児島に次いで反原発派が当選する。
原発だけでなく、日本の政治風土からすれば、権勢は生かさぬよう殺さぬようがデフォゆえ、かくのごときスパイラルが続くであろう。
原発は、知事選の結果に関係なく、テイパリングの宿命ゆえ、適正なプロセスでランディングさせることが肝要である。

今日のスケジュールは、月曜日は資料室お休みゆえ、のんびり徒ちゆく買い出しになるか。
IC交通カードも、しっかりチャージしたので、ちょいとバックパッカーが楽しめそうだ。
身体の重さと硬さを自覚するので、その修正に資するショッピングにする必要あり。
ダイエット発想でなく、丁度良く軽量化できるプロセスを創出できる調達が大事である。

ところで、秋が深まり、冬が近付き、夜も肌寒ければ、早寝しても、しっかり良い子モードで、八時間ほどしっかり眠る。
気持ちよく眠るには、一年で最適な季節だ。
今朝も、いろいろと夢をみたが、クリアには思い出せない。
ボーっと、あんな感じというおぼろげな質感だけが残っている。

寝ているうちは、無意識の体動だが、このところ覚醒時の動きはかなり意識的に行うようにしている。
動禅的、操体的運動は面白い。
筋骨格的な動きだけでなく、歯や分泌の動きを意識して動くと、漫然と動くのとはずいぶんと違ってくる。
主観的没入だけでは、単なる恣意に陥りかねないが、出来る限り客観的な結果でフィードバックをかけていくと、心身の偏倚が修正される。
このところ、こんなことを意識しての諸作業が面白い。

これは受信についても同じ。
いまもyoutubeで国際問題の座談を連件聴きしているが、日々の極私的茶飯事とのリンケージを吟味して楽しむ。
佐藤髭隊長と田中均氏、武貞氏の北朝鮮情勢、次いで防相と、ロシア研究家のおちゃめな中村教授や武貞氏らの国際情勢分析、インテリジェンスやポジショントークの必要から、言えること、言えないことだけでなく、言自体の持つ意味論、戦略、ボディーランゲージ等々、人間学的総体を見て取る作業が面白い。
現在、日常生活でも、同じような視点から、無意識まで含めて読むような習慣を作りつつあるが、シンクロニシティなどまで含めると、闇鍋を食らうがごときスリルとサスペンスで、静やかでもエキサイティングである。

さて、いずれにせよ、己が生きるという観点からは、一息一鼓動こそがエッセンシャル、クルーシャルだ。
味わいあじわい推移す。

2016年10月16日日曜日

夜明けの停車場に~♪

夜半ゆえ、停留所にはバスはこない。
しかし、諦めていた密林からの到着通知はやってきた。
欲しいものに我慢のない性格ゆえ、車で出かけた。

無事代引き手続きを終え、ついでのコンビニ買い物に一巡する。
通常のおにぎりの二倍超えの豪華なおにぎり風、ライスバーガー風の叙々苑ブランドの逸品。
買い来て食すが、実に味わいよし。

アルコールの不足品も補充して、日曜日は完全なるデューティーフリー。
もしかしたら、今日とおなじく通販の万年筆コンバーターが着するかもしれぬゆえ、土曜日と同じ行動パターンに似るやもしれぬ。
急ぐ話ではないが、次はインクボトルだ。

コンビニの食品購入では、店員の兄ちゃんが、レシートを不交付。
気にせず帰るが、やはり収受が必須。
金銭明細、ポイント、万一の事故時の購入証明等々、レシートがないと弱い。
言わないと、感受性なしで、ポイする店員も少なからず。
きっちり見極めて帰らねばいけないと痛感す。

今回の桜チャンネルの恒例ディスカッションは、共産党特集。
パージされた筆坂氏等、事情通のネタは、知識社会学的に、政治学的に、歴史学的に等々に、実に面白い。
ただいま、聴取中。

ライブのあれやこれや。
実に面白く堪能中。
わんこらは、豚足のコラーゲンと骨を堪能中。


 

 

2016年10月15日土曜日

雪虫飛ぶ

某巨大外資系通販と元お役所運送のカップリングが不調で、明日以降の受領になりそうだ。

陽も翳ったので、今日ラストの庭遊び。

わんこらの遊ぶのを眺めていると、どうもわが顔の周辺に違和感を感じる。
目を凝らすと、小さな白い虫が多数乱舞している。
朝見た蚊でもなく、うちなかのショウジョウバエとも異なる。

当地では、雪虫と呼ぶ。
あぶらむしの仲間だが、この虫を目撃して、一週間~10日で初雪がみられる。
思えば、もう10月なかばである。
本格的に冬支度を告げに飛来するのが、この雪虫である。

すでに、朝夕は適宜ストーブを焚き、室内でも重ね着もしている。
立ち居振る舞いでは、既に冬のスタートを切っているのだが、雪虫でのんびりしていられないな、そこまで本格的な冬が来ていると教えられる。

ところで、虫たちは冬はどうしているのだろう。
セミが地中にもぐるのは子供のころから教えられるが、蠅蚊雪虫は想像もできず、学習意欲もない。
野菜に端境期があるように、虫にも、もぐっている時期と生態はあるはずだが、知らず。
知っていることは知っているが、知らぬことは知らない。
さきほど、物故された著名な物理学者の遺稿闘病記を読んだが、ご自身の学問ですべて医学医療に投影されて、これではきついわなと感じた。
生き物は、種も個体も、生きてきたように死んでいく。

さて、この冬は無事越せるだろうか。
実にこころもとないが、こころもとなく暮らすほかなし。


 

 

風に吹かれて~♪

夕方外回りを思案しながら、タイミング合わせに庭遊び。
ポカポカ日向だが、日陰に入ると暑くもなく寒くもなく丁度良い。

やぶ蚊風の飛行を現認。
うちなかのショウジョウバエたちは、生ごみ出自ゆえうちなかが大好きで、窓を大きく開けても出て行かない。
飛ぶ姿も蚊と蠅は大いに違う。
みんな、これまでの長い故事来歴に合わせて生きている。

昨日みつけたタンポポの花も、今日はもう見えない。
まあ、なじかわ知らねど、咲いてみようと思った時節の花だったのだろう。
動植物、人間のわかったような「理解」を超えて、ひたすら自己表現に励んでいる。
花には、次世代を遠距離に飛ばすミッションがあるから、咲いただけで大仕事だ。

わんこらも、遠くに連れて行くことは、ずいぶんと減ったが、狭いドッグランで好きに遊んでいる。
こちらも、できるだけ不介入で、その風景鑑賞を楽しんでいる。
人間も、ペットも、高度の管理社会に生きるをデフォにされているので、ささやかな自然を楽しんで暮らしている。
逝った仔のように、朝走って夕に斃れることもあり、それは管理社会でも変わらない。

ところで、今朝は、月尾名誉教授の変わり種科学者キャベンディッシュの一代記講義を聴く。
ノーベル賞のない時代の人物だが、あれば五つほど受賞しただろう天才だ。
しかし、人嫌いで業績も、気ままに自分だけの研究ノートに書きためただけ。
現代社会は、公費で研究し、インセンティブなければ人はなかなか動かないから、この方のようにあるのが理想とも思わない。
ただ、より現代に近いダーウィンやファーブルも科学のエスプリの塊のような人だが、キャベンディッシュほどではないが、やはり超俗の人である。
何億年という歴史をサバイブしてきた生き物が、そう簡単に自家薬篭中のモノと思い込むのは、阿呆っぽいことこの上ない。
科学生業も管理社会にうまく対峙できないと淘汰されるだけ。

さて、今日もちょいと運動不足だから、少し歩いてみようか。
ランダムウォークが大好きだ。


 

秋のうららの~♪

春のように暖かい。
気持ちのよい週末の朝だ。

いろいろと雑念を愉しみながら、自由連想法風に浮かんだto doを処理する。

以下、昨日から今朝のいろいろ。

「風に吹かれて~♪」は、やはりPPМよりご本尊がいい。
わざわざ探さなくとも、ニュースの話題ついでに流れてくる。
歌詞だけでなく、たぶん歌いぶり含めての受賞であろう。

帝都の停電事故。
老朽化しているインフラ、進歩する送電技術とどうカップリングさせるか、インテリジェントな公共投資が必要だが、、、。
山谷参院議員の指摘通り、究極のセキュリティゆえ、守秘の必要や今後の防衛・インテリジェンス問題も大きい。
美容室から薬局まで、ほとんど電気にディペンド。
これらのエピソードを耳にすると、大いなる防災シミュレーション的エピソードである。
近隣国も災害苦吟の姿が恒常化されているが、他人事でない。
現代化されているほど停電でハングアップである。

大きな鍋&フライパンを購入したが、食事はダウンサイジング中で、もっぱらミニの在来パンやナベで済んでいる。
人生のパラドクスだが、おかげでモノのレイアウトや作業動線の再点検に至り、ずいぶんとスマート化できた。
このところ懸案事が生じる毎に、新たなレイアウトや収納を考えるのが楽しい。
断捨離、つまりはいま流行りのオートファジーである。

万年筆のメンテで、ノートにちょっとした落書きを、毎日少しずつものす。
通信端末のメンテに、ひとアプリに的をしぼって動かしてみる。
いままでの人生に、手入れという言葉は理屈では加味されていたが、やっと本格的に作動するようになった。
言葉も、言葉だけのうちは宙に舞う。
他人様の言葉でも、しばらく耳にすると、すぐにレベルやプロファイリングがわかる。
語るよりは、傾聴が大事という実践論にも、このところ気が付いてきた。
聴く値打ちのない言葉は、洟も引っ掛けられない。
恐ろしい人生を、世間を、よく生きてこれたものだと感心、安堵する次第だ。

2016年10月14日金曜日

料理の鉄人

近所のスーパーにも、もうひとつのスーパーにも、鉄鍋、鉄フライパンはない。

みんなテフロン加工だの、マーベル加工だの、こちらの望まぬ加工品ばかり。

一縷の望みで向かったDIY店。
ちゃんとあった。

テフロン加工だの、何加工だのの数倍の値段だが、長期使用しようとするツール、それでも安いものだ。

空焼き指示を履行し、上薬を除去し、油炒めでプライミング。
無事望み通りの態勢を整えた。

ちょいとこだわりの作業を終えると、すでにもう夕方だ。
いつものようにロシア民謡の「一週間」~♪を思い出す。

並行して、パーカーとプラチナの万年筆を多色に彩り、お絵かきも楽しむ。
プラチナのシリーズは、一本たったの200円だ。
もちろん、コピーなどと同じく、本体をただ同然、それをポータルに消耗品市場を目指す、いまは当たり前になっているデフレビジネスモデルだが、それでもありがたい。

アンテナと自己工夫をうまくつなげれば、昔ならば一桁二桁大きいコストのかかった愉悦にひたることができる。
なべを買ったDIY店でも、地場の南蛮を売っていたので、買い来て冷凍庫に保存する。
たった百円あまりで、新鮮な辛みを得られた。
いつもの朝市では、隣国産の自称オーガニック薬味を売っているが、某元野党(O)党首の如く、能書きが全く信用のできないごたくと認識しているので、こういうはっきり自分の目で確かめられる良品との邂逅は実にうれしい。

料理だけでなく、鉄人を目指したいと思う週末である。

傘がない~♪

晴朗なる朝に傘は不要。
問題は、フライパンがない。
昨日壊れたフライパンは燃えないゴミに出せばいい。

困っては、いない。
実はちょいとうれしい。
そろそろ新しいのが欲しかったのだ。

朝一朝市には、カナモノは見当たらず、食料品の調達のみで帰還した。
あとで徒歩圏内のスーパーで物色する予定だ。
いろいろと並んでいたと記憶している。

テフロンのついていないテッパンだけの作りを望んでいる。
料理人は道具だなんて常套句は好きでない。
他人様に提供する料理を作る生業でなし、自由に使いたい。

焦がすこともあれば、前の料理の匂いが残ることもあろうが、そういうこと含めての教材に欲しいのだ。
道具の劣化や使い込みの効用副作用、いろいろ観察してみたい。
鉄と取っ手がしっかりしていれば、それで十分だ。
料理の同時進行もしたければ、複数購入してもいいかもしれない。

朝一朝市に仮にあったとしても、品薄の中からむりくり選ぶより、選択対象が一定潤沢な方がうれしい。
なかってよかったかもしれない。
別に近所のスーパー併設の百均でも、中国製でもかまわないので、多分この近隣スーパーで事足りるだろう。

今朝の朝市は、地場産デーで、なかなか雄渾な食材もゲットできた。
フライパンでも、中の具でも、己の気に入った質感の骨太なものが好きである。

風に吹かれて~♪

ボブディランの熱狂的なファンでもないが、穏当な受賞だとご同慶の至り。
日本的無常観を聴き取るわがセンサーは、この時代も変わらず。

春樹のファン風景は、ご本尊がお気の毒と思うばかり。
サリンジャーやフィッツジェラルドのテイストを引いて今なら、首肯もできるが、かのファンタジーには共感できず。
前記ファン騒動やサリン事件はじめのノンフィクション的言説、イスラエル等他国でのご高説、すでに万延元年の喜劇役者の二番煎じと見れば、なんなのそれの一言で終わる。

世界は、ノーベル賞も、オリンピックも、単なる消費される風景化が顕著である。
すでに、至高のものたる幻想は、オワコンではある。
ただ、たとえばスポーツでの、愛ちゃんの、イチローの、家庭愛憎劇含めてみれば、見どころばかりの人間ドラマとはいえる。
ただ、それは学問だとか、スポーツだとかに限らず、多分今後は世の話題の素材のひとつに溶けていくだけだろう。

現実は、気象もなにもかも、激変の時代の真っただ中ゆえ、風に吹かれるのも容易でない。
風は、吹かれて時代を吟味するどころでなく、タイフーン、ハリケーン、即竜巻に変じる。
風船おじさんの如く、命がけで跳びたい人にとって、飛翔び易い好適環境かもしれないが、そういう御仁は多くはない。

いつの時代であれ、風をみて、風見鶏に徹して、飛ぶほかない。
好きの嫌いのに関係なく、そういう時代である。
いずれにせよ、今回の受賞はともに寿ぎたい。

2016年10月13日木曜日

若き旅人よ~♪

図書室で予約本を収受して、帰る。
行きも、帰りも、バスに恵まれ、ラッキーな外回り。

帰還して、ルチーンにしている伊集院光氏の「らじおと」の放送直後のアーカイブを聴く。
今日のゲストは、数学のインディペンダント研究家・森田真生氏だ。

氏のプロフィールは、氏のブログや著作に譲る。
最近上梓された「数学する身体」は、小林秀雄賞を受賞した。
伊集院氏とのかけあいを聴いても、それに値する力作であろうことはすぐにわかる。

別に、数学に限らない。
東大闘争の闘士山本義隆氏は、いずれはノーベル賞候補になるのではないかと噂された俊英だが、闘争後代ゼミの講師を勤めながら、重力と磁力の歴史的認識について力作をものし、東大闘争であいまみえた養老翁の選抜で、著名な出版賞を受賞した。

こういう流れをみながら、オートファジーのノーベル賞受賞を思う。
受賞者の大先生をディするつもりは毛頭ない。
しかし、腹蔵ない所見を開陳したい。

基礎研究、長い目を大事にしてほしいという大先生のアピールはわかる。
しかし、ノーベル賞は、決して故事来歴に与えられるわけでなく、いまに与えられる。

何をいいたいかというと、すでにオートファジーがらみのパテントは腐るほど出来。
健康食品にも、オートファジー促進などという惹句が踊る。

つまり、古い時代の牧歌的サーカムスタンスなど蹴散らすように、現在が疾走する。
これはご本尊がどうこうということでなく、その時代の力学、相がなせる業である。
ヘタにノンビリ科研費をいただくと、何か不正やネポティズムを疑われる「今」ではある。

そこで、若き旅人たちへのアジテーションである。

数学のインディペンダント研究者や物理研究者だけでない。
生物学だって、なんだって、センチメンタルジャーニーはできる。
ドライ系なら、数学や理論物理同様、十分インディペンダントにモノが言える、勝負ができる。
実際の実験系を必要とする研究だって、大所高所から俯瞰することも可能である。

自分が実験もしないで、タカビーを勧めるわけではない。
ただ、ノーベル賞受賞者が、望まぬという、ニンジンと鞭、近視眼的叱咤を免れる直言は、淡々と語ることはできる。

若きインディペンダント数学研究者のアンソロジー風のメジャーデビュー作のアマゾン書評を垣間見ながら、そう思う。
素人書評で、バカな御仁が、レトリカルすぎて俺にはわからぬ、もっと噛んで含んでとスプーンフィーディングを求める者もいたが、この時代に甘ちゃんに右顧左眄せず自由に走ればいい。
わかる人にはわかり、わからぬ者にはわからぬ。

さきほど、わが庭の隅に、蒲公英の咲くを発見す。
野草まで、みな自由に咲き乱れる。
みんな、ひとりひとり、世界にひとつの花を咲かせるのである。

朝一朝市

食料補充のほかは、ビニール袋などの調達。
ビニール袋をしっかり使うと、家事の進捗回転がいい。
その効用に比べて、一枚の単価は安い。

加えて、買い物時に購入するレジ袋やサービスで食品等が包まれたビニール袋をゴミ処理等に利用すると、それで事足りることもある。
いままで、そういうコストパフォーマンスを上手に考慮せずに来たのが残念だが、自分の気付きどきに気付いたのはラッキーだ。
ほとんどのことは死ぬまでに気付けばいいし、死ねばすべて無用になる。

道交法違反モードで猛スピードで追い抜いていく軽。
どついてやろうかと思うぐらいムッともしたが、構っている暇はない。
はたまた、信号もなにするものぞ、平気で命がけの無謀横断する年寄り。
一々立腹していたら、身がもたない。

カーラジオで気象情報を聞くと、当面晴天が続きそう。
帰って窓際に座るとホカホカ。
ところが朝一スーパーは、生鮮食品等を扱うゆえ、しっかり冷え冷えの空気だ。
薄着で働くに辛い従業員諸氏もいようが、ユニフォームを着用する加減もあって、もしかしたら、この時期からディスポのカイロを常用している方々もいるかもしれない。

このところ、己の好き嫌いを超えて、うまく情報にお付き合いする癖を、意識的につけようとしているが、上記縷々述べたとおり、修行が足りず、いらち、たんぱら現象も腹に納めつつ修行の毎日である。

まずは、気持ちのよいスタートなり。

きりり

肌寒いが、寒すぎない。
いい具合の刺激だ。

今朝は、カラスの鳴き声は彼方に聞こえ、身の回りは小鳥のさえずりばかり。
近所は庭にエサ箱を構えているは、ちょいとこんもりとした枝ぶりの家が並んでいるので、相当数の小鳥たちの定宿になっている。

庭からなかに入って、昨日挿し木したバラと紫陽花をみると、しおれ気味だ。
水とトリミングが肝のよう。
ひとつひとつ自然と対話を続ける。

セルフリフォーム本は、自分で出来そうな作業とこれは業者に頼んだ方がいいと思われる作業に分別されたが、面倒がりの自分には特に手をつけようと思う作業はない。
レイアウトを変えたり、リフォームと呼ぶほどでない秋葉さんのお札を貼って済むことばかり。

今日も楽しみは、ショッピングと図書受領。
行路とタイミングは、風まかせ。
ともに極楽だ。
安価に揃うベターライフ、無料で楽しめるワンダーワールド。
いままで知らずに来たのも惜しくはなく、いままで知らなかったことをアペリティフにB級C級グルメの全開模様。

朝きりりの空気が、昼にどう向かうのかも楽しみ。
天気予報はまだふれていない。

2016年10月12日水曜日

let it be

日も落ちた。
ずいぶんと落陽もはやくなった。

わんこも外遊びを終えて、犬息子はグーグーいびきをかき、犬娘はコロコロ転がって遊んでいる。
幸せは凡庸な風景にあり。

楽天を名乗るメールが、請求書を送りつけてくる。
クラウドでチェック済で、フィッシング&ウィルスメールはすぐに判明す。
国、大企業、その他もろもろ名義は何であれ、容易に開いては危ない。

相変わらず、Skypeにも、「アラブの富豪」からリクエストが到来する。
即ブロック&通報で処理する。
ここも油断も隙も無い。

Amazonでタイムセールのオファーあり。
プライム会員の処理に腰を引いたが、向こうもちと学習したか、普通のスケジュールで送って来るというので、これは買いだの商品を購入する。
いまの時代、法人格や担当者というよりは、コンピューターシステムがこちらをプロファイリングして適宜にオファーを選ぶ。
しっかり、学習していただけばよし。
モダレートならいくらでも乗るにやぶさかでなし。

近所の教師稼業の子弟のフーリガン行為、しっかり自衛隊的スクランブルで迎撃する。
「教育者」の教育能力が最低、決して他人事でなく、他山の石とする。

当面の課題は、大工の知恵の吸収とソニーのビデオ機の習熟である。
後者は、今日注文したアマゾンの商品を使えば掌どころか、指の上に乗る。

時代の変遷を肌で感じつつ、われもlet it be。
どこまでいくかは、神仏天のみぞ知る。

ラーメン一筋300年 うまいの早いの安いの~♪

インスタントラーメンの元祖某社の有名店モノのひとつだ。
当地のそう遠くないお店のコピーと銘打つ逸品を、よく近所のコンビニで買ってくる。

何度作っても、どうも麺が硬くできる。
これではうまくない。

やっと、ならば熱湯をかけるモードの指示に従わず、煮ればいいではないかと気が付いた。

序破急という言葉がある。
起承転結という言葉もある。
そろそろ破や転にトライするタイミングだろう。

メーカーの都合はわかる。
商品が袋物ならば、煮ろとも書けようが、発泡スチロールのどんぶりなら熱湯注入ということにはなろう。
こちらも出先なら熱湯注入はやむないが、うちで食うなら煮すぎないように適宜に加熱調理すればよいだけだ。

このところ、やっとこ、なぜかなぜならばと、まともに考えられるようになってきた。

まあ、教条主義からの脱却に遅すぎることはない。

気が付けば、やってみればいいだけだ。

わたしの大学

電子レンジ焼き物は、面白そうだが、現存の器その他が余るほどあるなか、あまり芸術的指向のない身ゆえ、脳裡に収納しておくことにした。

窓際に何か植物を育てたいと考えていたが、庭に植わっている紫陽花と野ばらの特性をウィキで読んでいるうちに、挿し木で移植えようと思いつく。

ネット回遊も、Google、Facebook、Twitter、mixi、アメブロ、その他もろもろ交錯するが、各端末や諸通信手段で利用すれば、うまく整備活動と、ネットのカスタマイズやメンテになると悟る。

斯くの如く、いまの時代、ネット検索等を縦横に利用すれば、無駄な動きを省いて、ずいぶんと利口になることができる。
ゴーゴリの時代は、この世でラッセルする人生を「私の大学」と称することができたが、いまはネットその他の情報利用で、大学などにお世話にならず「私の大学」を享受することができる。

もちろん、ホリエモンのように、だからあれもこれも要らないとは思わない。
いまだって、大学をハブにご縁のある方々もずいぶんといる。
最後は、フェイス・ツー・フェイスでわかることも少なくない。

しかし、このようなパーソナルな機会も、しっかりネット等でプライミングした上でないと質の低いものになる。
だから「私の大学」も、メディアミックスの時代だ。

外は、日が雲に隠れると、少し肌寒く、日差しが入ると暖かい。
窓辺に移植した紫陽花と野ばらのお世話が、「私の大学」の一部に加わった。


カラス通信

カーカーカーと鳴く。

道ひとつ離れたところで、カーカーカーカーカーと二声多い反応が返る。

元のカラスは、隣の屋根上から少し遠目で視線を伸ばしている。

二声多いカラスの次には、もう少し遠い位置で、呼応した鳴き声が聞こえる。

聴いていると、三角通信だが、単に三匹だけでなく、ほかに別途の通信グループの鳴き声も聞こえる。

わんこらは、至近の声主を見上げるが、あいつら何か仲間内で交信しているなという顔つきである。

犬もカラスも、群れの生き物だが、生業はずいぶん違う。
犬は愛玩動物として飼い主につき、カラスはカラス軍団で黒い集団で移動する。

かつてのネット知己に、街場カラス研究家がいるが、カラスも生きる必要のあるときは、人間や獣の至近距離にまで近付き、モノを奪ったり、仔を守ったりする。
個と集団の問題は、どの種も使いわけ、かつ統合する。

うちの庭でも、カラスがモノを漁った形跡が残っていることがある。
われわれは、適宜に空間を結界しつつ、細胞の細胞膜を生体必須物質が出入るするが如く、相互に出入りする。
われらが国境をスクランブルでドッグファイトするのもさも似たり。
そして、それらのGPSは、宇宙施設から発されていたりする。
世界は階層性を循環しつつ動いている。

さて、今日もわんこの如く、カラスの如く、おのが背負っている人という五感第六感で生きるか。

飛び太君との邂逅

ときにハエが飛ぶ。
どこから来るかは、だいたい想像がついている。
空き缶入れのボックスから出てくる。
わが愛好の発泡酒の残滓を栄養に、この世に生を受けて飛来するのだ。

今日も、わがテーブルに飛来した。
このところ、優しく応対するのを旨としている。
一茶ではないが、手を擦る足を擦るを観察するのが楽しい。
歌心はないので、句ができることはないが、かわいい。

今日の仔には、名前を「飛び太」と名付けた。
飛び太と呼び、邪慳にしないと、あらあら面白い、寄って来る。
寄ってくると、更にかわいいので、おいでおいでと声をかけると、一生懸命足と手を擦っている。
そのうち飛んで行ったが、しばらくすると、再び飛来して、わが腕にとまった。
テンダーな対応は、まちがいなくみとっている。

今まで、これほどなついたショウジョウバエ風はいないが、いつの間にか発生し、いつの間にかいなくなる。
寿命を全うし、掃除機に吸い取られるのか、ワンコらのおやつになるのか、まあリーゾナブルなうちの生態系の一部にはなっている。

特に仏教的な生命道学者にもならず、某教授のように研究材料にして大量に虐待虐殺するわけでもなく、斯くして一期一会を楽しんでいる。
福岡伸一教授や養老孟司教授の言うがごとく、わがおじいちゃんの生まれ変わりかもしれぬ小飛行体。
実に精巧にできていて、生物はみなすごい。

そういうことを再確認した、ささやか体験である。

徒歩巡回

午前中はドライブ外回りで用をたしたので、午後はテクテク歩くことにする。
半時間余りで往復できる距離なのに、パトカーによる検問を二か所、パトカーの巡回風景を一度も見かける。
交通事故の様子もなく、何かちょっとした事件で捜査か警戒中の様子だ。
こういうときは、さっさと用事を済ませ、帰るに限る。
無事帰還でき、今日もやっておかねばならない作業はほぼ終えた。
文章を書こうとポメラを手に取ったが、様子がおかしい。
開閉式のキーボードだが、真ん中で見事にポキンと泣き別れ。
頻回の開閉に耐えることのできない程度のマシンのよう。
キングジムの評価を下げた。
某国生産のゆえかもしれない。
もう買うこともないだろうから、授業料だ。
適宜に燃えないゴミとしてアデューとなる予定なり。
小雨がこぼれたり、晴れ間が明るくなったり、このところよく遭遇する天気だ。
晴れ間に、ちょいと庭に出て、日向ぼっこと快い秋風に吹かれるのを楽しむ。
新しい関心事は、ひとつはミニチュア料理。
半人前よりもっと小さいひと齧り程度の料理をうまく作ること。
もうひとつは、オーブンだかグリルだかで作る焼き物。
通販でキットなんぞを売っているらしいが、百均だとか、DIY店に売ってないだろうか。
このところ慌てず、頭の隅に置いて、ゆっくり、ぼちぼちネタくりして、その気になったらチャレンジするモードが好きだ。
マイペースが一番楽しい。

冬構え

夜の冷えにストーブを焚くだけでなく、いろいろと対応を始める。

冬用の靴下を出す。
長袖に衣替え。
冬用のスゥエットを引っ張り出す。
冬靴は覗いただけで、まだ要らない。

一番は気持ちの切り替え。
夏なら夕立に濡れても大したことはないが、これからは凍れる。
傘やタオルを常備し、それらを入れたショルダーなどを携帯することが望ましい。

これからは結露などにも注意する必要あり。
内外温度差に気をつけないと、いろいろのメンテができない。
黴や水分もこまめに手を出さないと、モノの劣化が激しくなる。

昔だって、シベリアから赤道直下まで人は生息し、適応できれば長期生存も果たした。
長生きを望むことはなくとも、しばらくをうまく生きるにも知恵が要る。

ない知恵をしぼらなくとも、季節にそっていけば自然と風情は遷移する。
寒い季節も悪くない。

2016年10月10日月曜日

ユニバーサルデザイン

スーパーで買いきた「おばあちゃんのぽたぽた焼」と「白雪せんべい」、ともに子供やお年寄りの好物だ。
これがいい。
味がいいのは、オッサンが好んで購買するくらいで、もちろんだが、気配りがいい。
開封のため、この○印を持って両方に引けばスムースに開きますの表記である。
従来から気になっていた食品の重装備。
買ったはいいが、力の弱い人間には、開けられない。
イソップの鶴と狼のディナー状態になる。
簡単に開いても、毒の入れられない、中身が漏れない知恵や技術は、技術立国のわが国にはあふれるほどある。

今日のテレフォン人生相談は、就活負け型の娘の話。
回答者のプロは、現代的な獅子の子落としを示す。
これも現代のユニバーサルデザインだ。
上手に甘ったれ娘に引導を渡す。
せっかく良回答を得た母親のわかっていない過保護を、パーソナリティの女医が重ねていさめる。
わが国の過保護風景がうかびあがる。

ネット知己医療者の書き込み。
お上の政策や方針の転変を歯がゆそうに語るが、転変の激しいこの時代、政策当局も国民各位も転々する、君子豹変するはデフォ。
国を過介入と非難する一方で、依存心も異常に大である。
このセンセイに限らず、どの業界でも少なくない矛盾の姿。
この時代、ユニバーサルデザインを目指して、御託を並べて論じるご本尊もしっかり進むべし。

自立自律は、この時代の国際基準。
そこでグローカルにユニバーサルデザインをいかに設計するかが、現代的課題だ。

結んで開いて~♪

お散歩かねてお買い物行。
ちょうど近所のスーパーの開店時間になる。

このところのノンビリお散歩は、独り路上観察学会だ。
路上は、上草も、暮らし向きをも含む。
防犯や中の人のプロファイリングに及ぶ。

大人しいはずのレトリバーが獰猛に吠える。
もともと盲導犬や介護犬に登用されることで有名な犬種だ。
飼い主の飼い方がしのばれる。
防犯にはいいだろうが、飛び出しかねないテラスから子供に襲いかかれば、この家も売らなくてはならぬかもしれない。

途中に飲み屋も数軒あるが、こんなモノ扱いなら入っちゃいけないなとか、端正なメンテだな、きっと料理も丁寧に違いないとか様々に評価が浮かぶ。
近所ゆえ、一度は入った記憶もあり、そういえばと思い返せば、記憶に間違いない。

こんなことを思いつつ、スーパーにたどりついて、歩いて行けるこういう店も大事だなと感じる。
近くの地場コンビニはトイレが汚かったり、運営がいいんでないかいの悪い地場気風なので、もうよっぽどのことがなければ利用しないが、近場にコンパクトで端正なスーパーがあるのはありがたい。

いまだから、このように他人様や組織を根問いできるが、己のことを追想すれば、すべからくブーメラン。
恥多き無惨な人生航路をさまよってきた。

まあ、気付くのに、バージョンアップに遅すぎるということはない。
淡々と結んで開いて、手を打って・・・・・~♪と進んでいこう。

平和考

旗日の朝も好天続行中。

ちょいと歩きたい気分で、タイミングをみはかり中だ。

恒例の右傾サイトで、一言居士の某教授のご高説を拝聴するも、いつものアホさが鼻につき、即ザッピングする。
隣国がミサイル発射準備中ゆえ、さっさと国民にどこどこが危ないとなぜ警戒警報出さぬかと力んでいる。
そんなもん出せば、隣国は東京と出れば、大阪に照準を定め、大阪と出れば、博多に打ち込むだろう。
小学生でもわかることを滔々とまくしたてる。
教授もアホが多いので、学生も気をつけたし。

教授といえば、過労死自殺した新入社員をディする元モーレツ上司のキャリアがあるらしき教授。
こういうのが、いまも昔も後輩を殺す。
あげく世間から、こういう奴こそ社会的にアポーンすべきと炎上して謝罪する。

ところで、戦争論は、いま冒頭の情勢ゆえデリケート、したがってあえて語らず。

医者のSNS知己が、地場で円満にやるには、大人しくうまく円満にと語っていた。
それをネタにひとくさり。

まあ、知己も知っているだろうとおり、現実の世界は七人の敵の魑魅魍魎。
わが知る医局や病院でも、スタッフが露骨な喧嘩闘争の顕著なところがずいぶんある。
それで病院がつぶれるところも少なくない。
下手に知り合いに送ると、そこと角逐する個人やグループに冷遇されて、患者が困る。
そんな係争事例も結構扱い、いまやあなおそろしやの時代だ。

紛争ではないが、あるブログ主のところに、見知らぬ医師から紹介状を持った患者が送られてきたという。
どう思い返しても、送ってきた主治医に心当たりはない。
ネットで調べたら怪しげな生業のお方だ。
ブログでも、すぐに特定できる時代。
どんなシチュエ―ションかも五里霧中でこわいと述懐されていた。
良好に送り送られすることも、それほど容易な時代でない。

わがもう一方のフィールド、弁護士界。
ここもいまや場が荒れて、友好モードも容易でない。
友好と思っていて、何かを任せ紹介などして、即パンクや不祥事が露見ということも多発している。
過当競争時代は、ベテランも底割れしやすい。
食い詰めて横領の末パンク刑務所入りも絶えない。

そうなれば、送った依頼した同業者も同時にハングアップ。

怖い時代ではある。

虹の地平を~♪

丑三つ時の空は晴れていた。
旗日もゴミは出る。

深更にポテトサラダを作る。
味見すると十分に旨い。

ストーブをつけて、うちなかホームレスで二度寝する。
かいまきは、二人用だが、人のパートナーはおらず、寄ってくるわんこらとくるまる。
ベッドで眠るのも快いが、うちなかでホームレスモードで眠りをむさぼるのも大好きだ。
セキュリティの問題で、いまは車中泊もしないので、一応安全なワイルドモードは楽しい。

冬季オリンピック開催地の当地にもホームレスがいる。
近所の河川敷横の公園にも真冬にホームレスが暮らしていたのをウオッチしたことがある。
うちなかも、被災すれば即ホームレス生活を余儀なくされる。
別に防災訓練のつもりはないが、そういう文脈はいつも意識している。

今年も、もうすぐ雪のバラードの季節に入る。
凍れて大変なライフスタイルに入るわけだが、これがここの醍醐味でもある。
広大な地であるから、僻地に比べて都会は緩い。
それでも、ちょいと中心街からはずれれば、凍死リスク大のスポットだらけだ。

斯くして、凍れながらハミングしながらうちなかホームレス寝を楽しむ。

2016年10月9日日曜日

夜と朝の間で~♪

昼寝をすれば夜中に眠れないのは~♪当たり前。
かと云って、夜は微睡むのが常道で、drowsy。

BGMに、オードリーの深夜放送やCherry blossom系の座談会を流す。
前者では、昔なら中年と呼ばわれた年周りの人々が、われら若い世代がと自称するのを聴いて、高齢社会のスパン感覚を思い、後者では、ライトウィングも三粋人問答の和風豪傑君と和風洋学君のキメラ哉、南海先生の不在を思う。

気温はぐっと下がり、ストーブはつけるは、かいまき家庭内ホームレス用ファッションを引っ張り出すやら、冬の予行演習に怠りなし。

朝方に軽くカロリーを入れると、やはり血糖があがり二度寝モードに入る。
かいまきにくるまってフロアに横になると、自分たちと目線の高さが同じになったのを喜ぶ二匹が舐めちゃうぞ攻撃で欣喜雀躍する。

庭のアラインメントも秋模様。
今年は、let it beを貫いたので、蕗がいまなお残り、よもぎも穂先を変色させながらもすっくりと立っている。
相隣関係で許容されるギリギリまで手を入れずに、野草を自由にしていると、自分の気持ちのよいパノラマに育つ。
植物も、それらしく生きており、みんなうちの子である。
羊歯も日陰でしっかり生きている。

勤め人でないのであまりどうということのない三連休も、世の中の空気が少し変わるゆえ、特異日モードを楽しむことができる。
日曜日は、見聴きしたいコンテンツも特別なので、のんびりと時間の流れを楽しむことになりそうだ。

2016年10月8日土曜日

ながらえて

山田太一の笠智衆を主人公にした老いのドラマに、「ながらえて」と「冬構え」がある。
最期の生を自分らしくまっとうする至難の業がテーマだ。

今日のスーパーでは、幾組かの夫婦の姿を垣間見て、いろいろと思う。
まずは、ある団塊の世代か、はたまた、まだ高齢者予備軍かの夫婦の買い物姿。
奥さんが猪突猛進で、旦那が後をカートを押しながらついていく。
女房殿は、いじったパックを散らかしたまま、次へと向かう。
旦那は直しもせず、しずしずと追うのみだ。
パッパラパーで荒くたい大変な配偶者殿によくかしずいておられることよ。

次のご夫婦は、仲良い平等夫婦っぽい歩み方だ。
ダンナが「買い物かごは?」と聞く。
奥さんは「それが忘れちゃったのよ」と微笑む。
旦那さんが淡々とカゴをとりにいく。
あっけらかんの妻とフットワークのよい夫。
微笑ましいカップルだ。

帰って、テレフォン人生相談を聴く。
相談者は70歳台なかばの未亡人だ。
最近三つほど年上のご主人をなくしたそうで空虚さをうったえる。
素封家の旦那が残した600坪の家にひとりで住むと寂しい。
子供もいるが、他所で生活しており、未亡人は独居である。
回答者の弁護士は、資産運用などを勧めるが乗らない。
信託制度や成年後見制度もあれば、資産の運用は弁護士のいうとおりだろうが、相談者のうったえるのは、心の寂しさだ。
聴いていると、ボランティアや習い事も精勤にやっており、心身に困ったところも未だなく、要は愚痴の類である。
スーパーで垣間見た夫婦だけでなく、夫婦や独居に関係なく、最後は徹底的な孤独のもとで去っていくのが生き物の定めである。

やんんちゃなわんこらに、朋輩の命儚さを説教すると、首をかしげながらもおとなしくなる。
ながらえた後の〆がなかなかむつかしい高齢社会である。

マルチメディアの時代

別にITだけの話でない。

実は、病院や施設のライバルは、コンビニやバス・地下鉄である。
マンションから下に降りたら、コンビニがあり、停留所があるようなところが人気だ。

後者には、またライバルあり。
ネット通販や宅配サービスである。
そもそも出向く必要がない。

現代社会は、こういう競合、利便性の切磋琢磨で動いている。
まさにこれらの曼陀羅絵図が現実だ。
読めないと供給側も受給側もすたる。

SNSでネット知己らが、シャッター街と大型郊外店の話をしていた。
シャッター街も食えなくてシャッターを下ろしているわけではない。
時代が要求しなくなったので従来の生業は手じまいして、年金や他の収入で優雅に暮らしている人々がほとんどだ。
大型店も、古い何でも屋の百貨店やスーパーは潰れている。
サバイブするところは、専門店をテナントに入れて、時流に敏感である。
また、シャッター街から少し離れたところに、超専門的でニッチなお店がしっかり稼働していたりする。
ここも曼陀羅絵図である。

仕事と趣味もしかり。
すでに、貧困層が肥満で困る時代であり、食える食えないで仕事を選ばない。
若い人に限らず、速い時流に三年程度で転職する向きが多い。
好きなことは、趣味にした方が好きにできる。
老いの手慰みだけでなく、若者もその傾向が顕著だ。
趣味もネットワークができたり、自分なりの極め方をしたくなると、仕事に転化することもよくあるようになってきている。

人生の黄昏に、マルチメディア的時代を生きる幸か不幸か。
とりあえず、時代は無視できないというだけのことである。

光る海、光る大空、光る大地~♪

ひたすら爆睡。
寒いと身体もちぢこまって、ダイナミックな夢も見ず。
わんこらも寒そうなので、夜半はストーブの微小燃焼をサーブしてやる。

最近は、もっぱら自宅周辺からあまり外れず、誰もいない海~♪にもご無沙汰だ。
あの仔の思い出が一杯のスポットだから、いつも気にしているが、肝心の本人がいないのに行く気になっていない。
まだまだフレッシュな喪の作業中だ。

朝の空は、まだまだ暗く、気温だけでなく冬がもうすぐそこに来ているのを感じる。
路面はドライで、わんこを歩かせ易い。

ふとカレンダーをながめると、三連休らしい。
祝祭日は、あまり興味がないので、直前あるいは最中にやっと気付く。
体育の日らしいが、耳なじみはあっても、これまで10月にそんな旗日があったことを意識もしていない。

人の行く裏に道あり花の山で、わざわざ混雑のさなかに揉まれたいとは毛頭思わないので、買い物すらスルーするかもしれない。
斯くして年よりは出不精になるというパターンには嵌らないように、こまめな画策で小さく動き続けることには腐心しなければならない。

ところで、エイトマンの克己しげる氏が亡くなってもう三年余り。
エイトマンも、いまはどうしていることやら。

佐藤愛子氏の怒りの説教書が売れているという。
「九十歳。何がめでたい」
https://www.amazon.co.jp/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E6%AD%B3%E3%80%82%E4%BD%95%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%84-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E6%84%9B%E5%AD%90/dp/4093965374
矍鑠としておられるが、やはり時代の相を一刀両断に斬ってしまう、唾棄してしまわざるを得ないところには、やはり一種のボケと云うほかない切なさや哀しさがある。

ノーベル賞受賞者の第三者によるスケッチをみても、時代の位相差を感じる。
いまは、このような人材がなかなか生まれない社会構造になっている。
なぜかつては許され今はこうかは、思うところはあれど、ここには書かない。
http://www.nibb.ac.jp/pressroom/news/2016/10/07.html

なにはともあれ、快い光あれ。
ピカドン不要。
バンカーバスターとピンポイント要開発と思う今日この頃。

2016年10月7日金曜日

傘がない~♪

雨は降っていない。
いまいくべきところもない。

問題はシェラフだ。
探せどない。

あったのは間違いないが、捨てたのかもしれない。
わんこらが小さかったころで、嚙みちぎられてボロボロになったような、おぼろげな記憶もなくはない。

人間こういったミステリーはよくある。
行為時は、それなりの判断で、果断に取捨選択した結果が、ある程度の時間が経って、おぼろの世界に入る。

特に支障がなければ、一種の幽玄の世界で、それはそれでいいのだが。
まあ、己のいいかげんなことよとは思い知る。

代替のツールもずいぶんとあり、なんの支障もないのだが、さまざまなこと事に備忘、見える化の必要は感じる。
重大事なら大穴があく。

面白い事に、幼少時、青年期のことでも、よく覚えている一瞬は腐るほどある。
年をとると、そういう思い出を経て、どうでもよいことばかりに至ることが多いゆえ、残らないということもある。

ボケのせいもあろうが、それとこれとの限界はおぼろである。
まあ、困らなければ、さしあたりはいいだろうと進む。

テキスト作文機めんどう哉

初代ポメラもいろいろいぢってみたが、USBコードでのPCへのファイル移送がうまくいかず、不自由さを思い知る。
SDカードでの移送は支障はないが、抜き差しは結構面倒である。

そうなると、PCやタブレット、スマホに直に入力する方向になりそうだ。
やはり通信と切り離して文章作成したいという動機が、どうなるか、しばらく様子をみていくことにする。

ちょいとまどろんだ隙に聞き漏らしたテレフォン人生相談、追っかけアーカイブで聞くと、まじめな青年のプチ挫折の話だ。
母親の話によると、20歳前半の青年公務員、配置転換で夜中12時1時まで業務常態の部署で、ミニバーンアウト。
回答者の精神科医は、三ヶ月ほどの休職と、認知行動療法の受療を勧める。
想像するに、キャリア組の嘱望され組だが、あほたれ野党の深夜足止めや天下りのための部署益構築の労作は緩くはないだろう。
これからの時代は、もはや容易に天下りなど保障される時代でもなく、ブラック性につぶされるとおそれるならば、転職するのもよいかもしれない。

ちょいと機械いじりとネット追尾で、はや、やつ過ぎ。
今日も駆け足で時間は過ぎていく。

ポメラのお掃除

ちょいと何か書きたいときに、いちいちPCを立ち上げるのは面倒だ。
同時に検索したり、ブログにアップしようというときは、単なるワープロ、エディターの類に書き込むのは、逆に二度手間になる。

おくら入りしていたポメラを引っ張りだした。
これに書きためておけば、楽だ。
このポメラ、握ってみると、ベタベタしている。
なにか粘着力のあるものにふれたまま引き出しに入れていた可能性が高い。
機械内の物質が溶融して皮膜化した様子はない。
メイド・イン・チャイナと書かれているが、まあ万一そうでも、食品でなければ大丈夫だろう。
変な強酸強アルカリっぽい臭いもしない。

アルコール、酢(クエン酸)、重曹と拭いてみた。
液がマシン内に流入しては、故障の原因になるから、ティッシュに吹き付けて清掃作業を繰り返した。
まずまずの手触りに戻り、あとは使用しながらのケアでメンテできそうな見込みがついた。

最近のポメラはかなりの進化がニュースになっているが、これは初代モノである。
ブルートゥースもない時代で、SDカードかUSBコードでPCとつなぐ必要がある。
また面倒だの気持ちが勝って、寝たままになるかもしれない。

まあ、モノ、サービス、人間関係その他もろもろ、TPOや自分の変態に合わせて断捨離の必要はある。
今日もそんなことを意識して、総合学習のお勉強中である。

2016年10月6日木曜日

そこそこ藪の中~♪

今日もバタバタあれこれいじっていたら、もうやつも過ぎ、夕暮れどきだ。

遅いお昼だったので、おやつも夕食もなしで早寝になりそうである。

借りてきた図書は、北朝鮮情勢を中心としたインテリジェンスものだが、読んでもよくわからない。
ホントウのことは、決して書籍化なんぞされない。
機密文書にさえ記載されないディープスロート情報、言語化されない深層、その他もろもろ、さかしらに本にしたものに依拠しても、見えない真相は山ほどあるだろう。

政治や諜報の話だけではない。
今日の伊集院光の「らじおと」のゲストは福岡伸一氏で、ノーベル賞をもらったオートファジーの解説をしていたが、同じような生物学的機構の説明だってさまざまだ。
福岡氏のように文学的香りの高い解説に傾く作風もあれば、理屈っぽい説明に終始するものもある。
定性的な表現もあれば、そうでなくふくらみや確率的な表現に富んだ説明もある。
パテントの書類を読んでみると、オートファジーがらみでも、iPSがらみでも、収率向上手段だとか、ごくごく実務的で、定性的な話でなく、統計力学的発想に近いような発想で動いているようなありさまも見えてくる。
「ほんとうのところ」は、どこにあるのか?、実はかなり藪の中で、わかっているのはここまでということだらけである。

まあ、まちがいのないところは、まちがいなく起こるところという、どっかの哲学者が一生考えて言い続けたトートロジーのようなものだろうが、それだけでは神経症の犬のようになってしまう。
加えて、下手な信念も危ない。
所詮一般的な知見に過ぎない医学的言説を、EBМ的意匠で飾って、わかった風な物差しで差配しても、個々の事例はそう簡単なものではない。
実際のところは、「にもかかわらず」といった感じで、サバイブ出来るものがサバイブして、下手な当たり方をすると、崖から突き落とされたような結果になるのだろう。

もはや、そういうデリケートな場面に関与することもほとんどない年回りになったので、自分のことは、自分についてはこうだろうと思うところを、自分に当てはめることで済ませられるようになっている。
若干の事故ニアミスや少々精神病的なクライアントに振り回される程度に留まって、よくもまあ大きなこともなくここまで来れたものだとほっとしている。

藪の中を突きすぎて蛇を怒らせないことも重要なポイントだと思っている。

寿司ざんまい(再)

朝の外回りから帰ると、数枚のチラシが入っている。

その中に、宅配寿司の新規開店の広告を発見する。
地元発の新参で、回転寿司と宅配寿司を展開中らしい。

このエリアには、一軒半独占の店があるが、あまり好感が持てず、久しく頼んでいない。
ちょいとクレームを入れた際も、実におざなりだった。

今回の新規参入店は、新規ゆえ未だ注文経験もないが、好感が持てる。
ひとつは、容器がディスポであること。
これが縁のなくなった店が嫌だった。
扱いが汚い、回収も適当、いろいろと想像すると次に注文する気が萎えた。

もうひとつは、発信力。
ホームページをみると、仕入れの姿その他をスタッフのblog形式で、しっかり見える化をはかっている。
できること、できないことの方針宣明もクリアだ。

今度頼むとすれば、もちろんこちらだ。
まあ食べ物に限らず、モノやサービスは、頼んでみないと、思い入れだけでは、まっとうな評価はできない。

そんな触発もあって、今日も昼の買い物に出かけたスーパーのテナントの回転寿司に裏を返した。
相変わらず美味い。
仕上げに頼んだ三平汁も、にんじんも、じゃがいもも、硬くなく、かといって煮すぎて煮崩れすることもなく、味も濃くなく薄くなく、自分ではとても作れないほどよさだ。
それで百円台の廉価だから、味の満足感だけでなく、調理の想像力を刺激されるところ大である。
飲食費に授業料と認識すれば、実に安い。

自分のはんかくさいところとは妥協しながら、ニッチのすご旨に魅了される幸福。
このざんまいは、上手に味わっていきたい。

雨は降るふる、人馬は濡れる~♪

少し雨の勢いがおちたので、庭に出てみた。

わんこらも、田原坂を越せないとみたか、ささっと家に戻る。

youtubeをBGMに、ルチーンのネット回遊を終える。
特に新味のあるニュースはないが、さまざま思うことを自由連想で綴る。

西南戦争では、官軍と西郷軍の含めて3万6千人が倒れた。
いまは派手なワールドワイドの報道のもとで、圧倒的に少ない被害者である。
すべてが宇宙からの監視とコンピューター分析で、ある意味で出来レースでもある。
いいか悪いかは、これらのリアリティは、各位が勝手に分析するほかなく、情報や手間が多すぎて、バカの世話を喜んでしてくれる高リテラシーの人々は僅少だ。

ところで、今日はやっとこ予約本が入りそうだから、雨はあがってくれるとうれしい。
すでに外回りついでの買い物予定もしっかり備忘している。
カロリー過剰云々を気にしながら、調達対象はやはりもっぱら食品だ。

なんの戦いでも役でも、ロジが大事。
日本は、固有の戦役のロジの前に、平時の近代化を進めるに足りるロジからして不足して敗戦に至った。
明治維新から日清日露、なんだかんだの帳尻合わせで、ビギナーズフロックに至ることができたが、続く大東亜戦争、太平洋戦争で頓挫した。
確率的には、そう易々と神風は吹き続けない。
泥水すすり草を食むを余儀なくされる前からのロジ不足、戦争前の油断宣言のABCD包囲網のあげく、戦争突入し、戦時下のインフラ不足も精神主義ではリカバーできなかった。

デフレ基調のおかげで、わがささやかな消費生活は、過不足なく設計できて幸せ至極。
個でも組織でも、戦いはしばしば敗戦で終わるが、負けるには負ける理由があることは覚えないと事態は進まない。

先生、センセイ、それはせんせい~♪

いま森昌子さんの対談番組をみている。
この回に限らず、阿川佐和子さんのインタビュー番組とさんまのまんまは、このところお気に入りだ。

世相として知っていて、親愛の情をある程度持っていて、ナラティブを聞いてみたいなっていう人々を知るには、こういう番組は悪くない。
徹子の部屋のように、大長寿番組だと、ゲストの経時的変化も知ることができる。

もちろん、誰に限らず、人は嘘をつく動物だが、ウソのつき方含めてプロファイリングの資料だから、貴重だ。
クレムリノロジストの仕事は、プラウダやイズべスチアのベタ記事のささやかな記載、写真から党の動向、国家の動向、その他もろもろを読みこんだ。
だから徹子の部屋に、頻回登場のゲストを連件アーカイブでみることのできる今では、ウイキぺディアよりも、作家による書き物評伝よりも、有力なプロファイル提供の手段になり得る。

先生は、年に限らず。
先に生まれたから先生でなく、先達ゆえ先生である。
いまの時代、教師に限らず、政治家、専門職ライセンス保持者、その他もろもろ、センセイと呼ばれるほどのバカじゃなしの該当者は溢れている。
反面教師というのもあって、自分も、息子らや学生からずいぶんとそういう先達と認知認識されてきた。
恥ずかしい先行者軌跡を示すのが、先生の仕事でもある。
森昌子氏のセンセイ~♪の歌に乗って沈没する先生方も少なくない。
センセイになるには、ホンとは命がけなんだが、わが恩師の中にも、教え子のうちに手をつけて結婚離婚を繰り返す猛者が複数人いた。
いまは情報伝播や破綻が急峻だから変質者異端者ペドフィリア等々のラベリングを早々に受けて速攻パージされる。

わが近隣にも先生と呼ぶべき対象は、ずいぶんといるが、いまや先生との交流はむつかしい。
ヘタに構うとディスったとお叱りを受け、持ち上げるとほめ殺しになりかねない。
だから、SNSやリアルでも、出来る限り忌憚に触れぬよう、ささやかに琴線に触れるように、反応をみながらいじってみる。
このセンセイはダメだと思えば、let it beのご縁ボックスにお入りいただく。

今の時代は、センセイになるのも、センセイを慕うのも至難である。

夜明けのコーヒー~♪

夜半の雨音で覚醒する。
昼間の糖質非ダイエット食で十分昼寝したので、昼寝をすれば~♪の陽水の歌通り、夜はこれぐらいで丁度いい。

夜半の手慰みは、二台目のxpへの内視鏡拡大鏡ドライバーインストール。
面倒な作業も繰り返すと段々と手早くなる。
インフラに予備力が付くと、遊びやすい。

合間のニュースでは、ノーベル賞化学部門、最初ミクシーの解説を読んで、もしかしてこれってナノテクのことか?と思うと、ずばりその通り。

太田光が、日本のノーベル賞受賞をディスり、ネットでフルボッコさる。
もう彼らも、アウト・オブ・ファッションで去りゆくのみ。

長谷川某らと共に放送業界と共に消えさればいい。

野党の頓珍漢質疑だけでなく、ノブテルのZ御意向そのもののアホたれ消費税発言。
首相の一億総活躍意向を汲んで、ご自身でご修行いただこう。
それにしても石原家の没落はなはだし。

ミスターのご実家廃屋で近隣大困惑らしい。
皇室のお家騒動と同じく、超有名人は、まさに時代の象徴だ。


雨音も止んで、今日も秋晴れに推移するか。
今日もちょいとお買い物に食指が動いているので、晴れればいいな。
雨なら雨でやることも限りなし。

味わうにしかず。

2016年10月5日水曜日

戦い済んで日が暮れて~♪

内視鏡と拡大鏡(顕微鏡)のソフトをDL&インストールする作業に挑戦したが、通信用済みXPには入るが、最新の10には入らない。

アップグレードであれ、ダウングレードであれ、ソフトは各々であるから適合性はやってみないとわからない。
МSの10でのUP押し売りは、公取だか消費者庁だか、役所の乗り出し迄が要請されるほど無体なものだったが、今日のインストールでも、単に喰わないだけでなく、トラブルが誘起された。
待ってましたというように、МSの関連会社風のところから助けてやるロハだの対応後、もっとスムースにやりたかったら、有料のこれこれを買え、90日以内なら返金してやるときた。
あまりにブラック臭がひどかったので、さっさとソフトを削除して窮地を脱した。

このところ、この企業といい、密林社といい、実に悪徳性を痛感する。
今日のニュースでは、米ヤフーが顧客のメール情報を米当局に大量提供の報が流れたが、米の有力情報関係企業群がエシュロンに協力しているのは公知の事実でも、あからさまに聞くのは気持ちいいものでない。
中国は露骨な検閲や他国への圧力・進出を顕わにするが、米国も少し勉強すれば大同小異であることがわかる。
特に露骨な日の丸民族派は、左右を問わず好きでないので、だから外圧を蹴散らしてなんてオダやシュプレヒコールはやるつもりは毛頭ないが、今日ごてたのは特にほしい商品やシステムでないので、国内産の適宜なコスパのものがあれば、また調達してもいい。
いまのところ使えている。
ちなみに、いまや中国系台湾企業に吸収されたシャープのウブンツ仕立てのPDAも使えている。

機械やソフトなら、また買いなおせばいい。
ソフトもハードも、しばらくで代替わりになる。
技術革新等によるデフレ庄で、われらが貧乏人でも適価でそこそこのスペックのモノを手に入れることができる。
徒然草でないが、牛が死んでも飼い主のお前さんが生きていれば、まだまし。
PC、タブレット、スマホは買いなおせても、大腿骨頸部骨折で寝たきりになれば、自由を失い、それは買いなおせない。
大腿骨の頸部でなく、ホンに頸椎亜脱臼をきわどく逃れ俳優復帰した西田敏行氏はラッキーだったが、谷垣前幹事長は自転車転倒事故で個人として不幸な状況に陥ってしまったし、タイミングによっては、国益まで大きく危くなったかもしれない。
なにはともあれ、ご自愛をである。

糖質多の昼食も、おやつもお茶でしのげば、しっかり夜には空腹アペリティフが働きはじめる。
そこそこいに戦い、戦況交錯すればそこそこに撤退し、再び戦略や遊びを考える。
また楽しからずやのサイクルである。

お疲れシャンメン

夢中に工作などをやっていると、単に疲れるだけでなく、糖質制限ダイエットの逆、十分糖質を含み味の濃い食品を求めてしまう。

コンビニで買ったおにぎりを中心に昼食を済ませると、血糖があがりしっかり昼寝コースに誘われる。

十分に寝入って起きると、喉が渇いている。
血糖上昇と味の濃い食事のおかげである。
こういうパターンは可及的に避けるべきであるが、わかっちゃいるけどやめられないところも大いにあり。

作業は一応完成した。
防犯やセキュリティに関係するので、結末には触れないが、まずまずの出来となった。
健康のために、飲み物は久しぶりの緑茶にする。
やはり、身体の欲するものは美味い。

このように疲れるほど夢中になる作業は、実は楽しい。
リカバーすると、類縁の作業をしたくなる。
これから夜の部に向けて、再びとある手作業に入れ込んでみることにする。

晴れた空~♪

今朝は、長距離ワイヤー付CCDモニターと古い通信機能不利用XP機を利用して防犯カメラ構築にまっしぐら。
モニターソフトのDL、解凍に、新たに解凍ソフトをDLするなど、久しぶりのITツールに関わる武者修行に励む。
久しくやってなかった作業で、やっとこ外部観察のインフラ構築に成功する。
出窓から横の視線でウオッチしようと思ったら、窓の反射で不出来に終わる。
結局、玄関正面からのモニター法に回帰するも、ちょいと疲れたので、まだワイヤーやPCの設置には至っていない。
まあ、ここまでくれば、ゆっくりでいい。

気分転換に、馬鹿オーナーめがと思ったコンビニに、機嫌を直して、いそいそと向かう。
旧軍ではないが、一般的にトップは頓珍漢が多く、利用者は、下士官、新兵がそこそこのスキルとモラールが保たれていれば結構毛だらけである。
あとは、夕方にでも、予約本が来れば、外回りするだけだ。
コンビニも、本部や棚卸の関係で、ないはずはないと思われる汎用品の欠品があったりする。
バカたれ、よそで調達するわいで、平時はそれで十分だ。

わんこらも、飼い主が朝から夢中でなにかやっていると思うと、勝手に自分たちで楽しんでいる。
このところは、危ない事、後顧の憂いのありそうなこと以外は、自由にさせている。
逆に、覗きに来てもいいよとドアを開け放っても、いつも居る部屋から遠目に覗いているだけで、作業している玄関にまでは出てこない。
すでにかなり家畜化される時間を過ごしてしまっているようだ。

夢中に作業に集中していると、もうお昼すぎ。
晴れてまだ少し暑目の昼に、クーラーと扇風機を稼働させているが、わんこらのクーリングボードはお蔵入りとなった。
朝は少し寒くて、ストーブを付ける。
両にらみの季節を楽しんでいる。

寒い朝も~♪

春眠暁を覚えずというが、秋眠は心地よく眠れはしたものの、寒さで覚醒した。

老人の見習い課程に入っても、エディプスの呪いはしっかりと無意識の世界に沈殿しているようで、ずいぶんとスプラッターな夢をみてしまった。

丑三つ時は肌寒く、サーモスタット付きながらの稼働だが、ストーブのお世話になっている。
BGMのクラシック音楽も気持ちいい。

昨日は、伊集院光氏の深夜放送の日で、生番組も、その後のアーカイブもずいぶんと聞き入った。
彼は非常なお忙氏だが、それ自体ご自身がずいぶんと楽しんでおられる。
日曜日の安住紳一郎氏の日曜天国は、先週の番組のお休みに続いて、今週は安住氏の遅い夏休みで局アナらが代役だった。
それがまったく面白くなかったので、早々に聞くのをやめた。

何がいいたいかというと、放送の世界だって、異才による不均等発展が当たり前だということだ。
他の有象無象では果たせない固有のワールドがあって、ファンもそれに耳を傾ける。
もちろんデフォでそうなっているわけでなく、類まれなる才能と、それを陳腐化させない日々の精進、高度なインテリジェンスとリテラシーが必須である。
透析患者をディスって番組を干された自称フリーアナは、その点ですべてにおいて失格だ。
結局、昔勤務先だった局が今や死に体と揶揄されるレベルに陥っているのと同じレベルで己を構築してしまったので、まったく同じように没落している姿だ。
伊集院氏や安住氏だけでなく、おぎやはぎ氏らや若林・春日コンビも、この辺りの能力は非常に高い。
現代のお笑いは、この辺りの能力が高くなければ、笑ってる場合じゃないですよってことになる。

さて、わが身辺雑記に戻ると、CCDカメラ利用の監視カメラ風システムの構築に、しばらく前にAmazonで購入した内視鏡や顕微鏡、その他のツールが使えそうだと目の子がついた。
用途を少し転用すれば出来るのは当たり前なのだが、そのようなコロンブスの卵は、自分がああでもないこうでもないをやらないと出来ない。
ノーベル賞受賞のオートファジーも大隅(名誉)教授が細胞内の空胞を見つけたから一気呵成に研究が広まったが、細胞内でなくとも全身で、また各組織で、消化と再構築が起こっていることを考慮すれば、細胞内、オルガネラでも起こっていてしかるべきというシンプルスペキュレーションだけでは実務的進展はなかった。
見る前に跳べという哲学者や思想家の大好きな言葉があるが、実用にはちゃんと見てちゃんと跳ぶことが必須である。

当面懸案と思っていたわが解決課題が解けそうだとなると、あとはルチーンだ。
食材は溢れるほど冷蔵庫や食品だなに鎮座ましており、このところわんこらの消費量の方が、飼い主より多い。
もともと寿命の短い生物ゆえ、過食は命のネックになるかもと危惧はすれど、度を越さぬ程度に潤沢に与えるスタンスにしている。
豚足や手羽を楽しそうにしがんでいる姿を見ると、ほんに獣出自だと感じる。
他人様の命を、うれしそうにいただくが、仔らの死の姿を思い出せば、獣は己の死についても従容と向き合っているのがわかる。
人間のような過剰脳化による幻想や執着を免れるので、自然であり、イーブンである。
人間である自分が学びたい枢要点である。

寒い朝が、暑い昼になるのか、はたまた台風が来るのか、特に考えることもない。
ひたすら、斯くして暮らすばかり。

2016年10月4日火曜日

まっぴらごめんなすって

某巨大通信販売サイトのお話だ。

先日、特待生扱いが不要と感じてキャンセルした。
売りは、商品がスピーディに届く、ビデオ作品群が見放題、その他諸々非常にお得だというものである。
しかし、東京のように即日商品到着などの利便性はなく、最短で注文日の明後日、しかも提携の大運送会社の動きも信頼性を欠いている。
ビデオも見放題を謳えど、一品も気持ちよく見せず、ビデオ商品を買うサイトに誘導する。
これなら、ギャオやyoutubeで十分だ。
そんなこんなで、内心の悪評サクサクでの解約であった。

まあ年会費の返金はスピーディで、バーチャルクレジットカードには600円ほどがちゃんと戻ってきた。
ここまではいい。
図書館で借りて、これは良書だと思った本を注文したら、いままでなら注文日の翌々日には到着するようにアレンジされるデリバリーが、月半ば以降の配送予定と通知があった。
本社扱い等、とりわけ従前の在庫や配送事情は変化がなく、要は特待生扱いのキャンセルへの報復以外に考えられない。
これは被害妄想とは思っていない。
ある出版社群の出品が、この会社のこういうゴーマニズムで強権的に排除されて抗議中だという。
便利だと思って使っていて、自分が利便性やコスパを判断して自主独立のスタンスをとるとこのあしらいである。

自分は一消費者で、注文した本も、そんな扱いでしか購買できないなら、また図書館で借りればいいとキャンセルしたが、出版社なら死活問題かもしれない。
もう老い先短い身で、核が飛んで来ようと、通販会社通してエシュロンに目をつけられようと、結構毛だらけとケツをまくっているが、まあひどいもんではある。

先ほども、某コンビニに買い物に行ってきたが、気に入らない扱いなら、媚びてまで購買するつもりはない。
これはどこが資本であれ、フランチャイジーのオッサンがどうでも関係ない。
消費者主権は、われわれのやせがまんやカラスの勝手で貫徹しなければ、守ることはできない。

船頭多くして船山に登る

SNSのネット知己の書き込みに出会って、いくつかの論点が頭をよぎる。

知己の書き込みのテーマは、主治医制云々と単身者の在宅看取りだったが、わが語り口はそれに拘泥せず、ささやかな体験談だ。

ある田舎の病院で、おばあちゃんが娘に連れられて外来にきた。
娘さんが、実際のお薬と関係の記録を示してくれた。
おばあちゃんの困りごとは、こんなにたくさんのお薬を飲めませんということだった。
見ると、お歳寄りなら一食分の食事に余るほどの山盛りだ。

わが病院の内科からは、大した量の薬は出ていなかったが、他院の整形外科をはじめ○○科、××科と複数の外来に通っていた。
これをまじめに飲めば、鎮痛剤などが重複し、過量になって副作用が出るかもしれない。
しかし、これを私が急に断薬することはできない。
それぞれの科で目指す病態対応が急に変わると、副作用の予防になるかわりに、本来の病態が進むかもしれない。
だから、私だけでなく、各科の担当医に相談して、減量や断薬が可能なものがあれば、そうしてもらう必要があるのです。
そうご本人と娘さんに話すと、困ったなあという顔で帰っていかれた。

これをいっときでも調整する仕事がある。
たとえば、どうしても要る急性期の手術医などの業務である。
慢性期のこのような緩いが困ったスクランブル状態の服薬など治療に対し、手術をめどに術前術後含めて大がかりに大ナタをふるう。
飲み続けたら、術中に出血が止まらない危険がある、血圧や血糖のコントロールがあやうい。
そういうものを中止して、逆に血液凝固で困りごとにならないように、他のバイタルコントロールがしやすいように薬剤やコントロール法を変えたり、命がけの手術を安全に遂行できるように配慮し、必要があれば他科の関係者に相談したりもする。

この辺りは、まあ外科医が主治医と云っていいだろう。
しかし、手術が終われば、既述のおばあちゃんの相談事のような事態に戻る。
船頭多くして、船責任者定まらずの状態だ。
直感で、これ全部いただければ身体に悪い、逆にいかれてしまうと悟る患者は、勝手に薬を間引く。
病院のゴミ箱には、ずいぶんとカプセルが捨てられていたりするという噂もよく耳にしたが、ホンネを聞くことができる立場になると嘘でないことがよくわかる。

にも拘わらず生きていられるのは、元気なのである。
現代人は、元気でないと患者も続けられない。

次は、孤独死の話に移る。

先日、図書館で借りて、なかなかの作品だったので、さっそくAmazonで購入した。

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%9F-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E7%94%B1%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4309021921

「みんなの死に方」青木由美子

本書の広告には、
「孤独死、おだやかな死、大往生。著名人の死にかたを紹介し、いかに死を迎えるか、心の準備をするために役立つ一冊。選択肢が多い今こそ「自分らしく」死ぬことを考えるための最上の教科書!」
とある。

自分自身、仕事がら人の死にもいくばくか関与してきた。
獣医ではないが、動物の死もいくばくかそばで見つめた。
自分の大病と事故で、死にかけること数度。

いまは、人だけでなく、動物は究極的に、孤独死する運命のもとにあると思っている。
いっそそうなら、本格的にlet me aloneという建前と本音を持っている。

ただ、夢見では、結構人寂しい性格かな?自省している。

これだけは死んでみないとわからない。
なんどニアミス、シミュレーションしようと、みんな究極のほんものは初体験だ。
ただ、これを免れた者はなし。
養老師は、自分の死は、自分でどうこうもできず、三人称の死は他人事、唯一有意味に訴えてくる二人称の死はつらいと説かれる。
自分では、なかなかそうクールに、教条的に思えず、量子力学ではないが、簡単にカテゴライズして割り切れるものでなく、ホワッと確率的で、相対的で、流れていくようなもののような気もしている。


これら二題、なんとはなく、ちょいと、備忘のためにも書いてみた。


 

 

寿司ざんまい

頼りない朝の天気が、昼には晴れあがった。

予約本が来たので、バスに乗って受け取りにいく。
停留所の前は、道路工事の真っ最中だ。
ユンボでトラックに積んだピッチを工事穴に放り込む。
餅つきではないが、それを電動ペースト用ドリル様器具でベタッと広げていく。
最近の工事は、大した筋力は必要のないようになっている。
その横を通った生協の宅配車も、女性ガッテン職員が荷物昇降機を使ってスピーディに配っていく。
もう、昔でいう力仕事は、ほとんど機械が動かしていくので、あまり職種適性として男女差はない。

本を受け取って、久しぶりに近くのスーパーのテナント寿司店に入る。
愛犬の世話で、久しく利用していなかったが、ちょうど昼時を少し外れた時間で、楽しむには丁度良いタイミングだ。
案の定、ほどよい程度に空いていて、少し遅い昼食を楽しむ。
基礎代謝も小さくなり、話題のオートファジーも利用して、少々余り気味の細胞内蓄積物を分解排泄するのがよい年頃なので、大した皿の数にはいかずに満足する。
一杯の汁ものとビール、お茶をいただけば、もうフルストマックだ。

店を出ると、ハンディキャップのあるご高齢者を介護者がタクシーから車いすに移動している現場に出会う。
おかげでタクシーを探すことなく、スムースに帰還できた。
遠い昔、寿司屋でバイトしていた同級生が、毎日毎日賄い飯に寿司を喰わせてくれるのだが、しばらくしてうんざりしてきたとぼやいていたのを覚えている。
いくら美味いとされる食事も、特別のフリークでない限り、毎日は飽きる。

今日の飽食を終えて、しばらくはカロリー不足にして細胞も、組織も、全身もハングリーに持って行こう。
ダイエットやオートファジーと直接の関係はないにしても、空腹が最高のアペリティフであることに間違いはない。

火曜は、火曜は、火曜市~♪

朝市に向かい、一番乗りショッピングを楽しむ。

まだ登校ピーク前なので、スムースに移動できる。

ふと思いついた防犯カメラシステムの構築を色々と思いながらドライブする。
CCDカメラはくさるほどある。
発受信機器もいまは安価だ。
ペット見守りや定点観察用のフリーソフトなんぞも、いやほど流布している。
ドライブレコーダーなんぞも、一日チェックして、事故時のちょい前の出来事を切り出すも得意なんてのが安価にある。
これらをつなげれば、昔のヤアさんが、モノモノしく設置していた監視カメラが、さりげなくセットできるはずだ。
急いた話でないので、ゆっくり検討することとする。

さて、朝市の買い物も、列挙していた欲しいものリストをスムースに充足させることができた。
デフレ気味で、かつ粗悪でなく、どちらかといえば秀逸品揃えgoodをゲットできれば、もう言うことなし。
探せば、ここにいるよってかくれんぼ状態だ。
揃えることができた自己満足は、この上なし。

天気予報を聞いていると、秋雨前線と台風の影響が、この辺りでも、すでに結構出ているようだ。
今朝の頼りない空模様も、その影響下にありそうで、頼りない。
それでも嵐にはなりそうにない。
すでに車でドライブ、歩いて市場回りはやり終えた。
基本運動量はこなしたので、午後はバスや雨傘行脚でいい。
まあ、間違いなく予約本は来るだろうから、あとはタイミングだ。
今回は、飯島さんの政治家サポートのインテリジェンス物語であるが、先ほどネットで読んだ金正恩調理人藤本氏の週刊現代編集部幹部との対談のごとく、なるほど各々のお国事情はそういうところなのねと、眼から鱗を期待している。

今日も朝からエキサイティング。
日々是好日。

敷居を跨がずとも七人の敵 

ニュースで、知らぬわけでもない業界の人間が、内地で逮捕されたと聞く。

夜の繁華街でのいざこざでさほど大きな事件ではないが、普通の社会人にとっては出処進退に多大な影響を与える大事ではある。
なになにともあろう者が、の事件で、結果があるまじき事となれば、少なからぬ事例で、一応辞職して責任をとらせるということになる。

今の時代、昔ならちょっとした武勇伝ですんだ行動が、まずはお目こぼしされない。
ネットで事件が一瀉千里にあからさまになるからだけではない。
街中に防犯カメラが林立し、否認事件が多いゆえ捜査機関も、防犯カメラの分析など否認デフォでの客観的証拠の解析に力を入れる。
テクノロジーの進化で、街中の証拠だけでなく、被疑者のカメラやスマホなどの画像や音声、その他の情報が即座に解析される。
被害者や目撃者も、このような記録ツールを常備しているから、被疑者が不実の否認や抗弁に固執しても、すぐに砂の器と化し粉砕される。

こういう事情で、フーリガン行為に及ぶ蛮勇を持たぬ者は、慎重にならざるを得ない。
先日も、若い俳優が、ハニトラを噂された事件で、何とか相当の金員で示談を成立させ、やっと起訴をまぬがれることとなったが、外国などでこういうことになれば、この程度で済まない。
こういう事件で、自殺した外交官や失脚した政治家が珍しくない。
ハニトラが金員喝取にとどまらず、外交機密の取得や政治操作のポータルになったりする。

ところで、男子、敷居を跨げば七人の敵がいるという言葉があるが、いまやこれも男女平等だ。
ヒラリー女史も、メールだ、金脈だと、命がけでご苦労中である。
国際的に、政治家のトップ、経済人、その他有象無象まで、このようなインテリジェンス問題、セキュリティ問題にとことん腐心する必要が出てきている。

わが下々でも、しっかり警戒的である必要がある。
いまや疑惑の人となった人々も、ネット応援団に冤罪だ等々の声で励まされる風景も生まれるが、そのような場合ばかりではない。
自分などは、「あいつならやりそうだ」、「きっといつかやると思っていた」という声があがるに間違いないと予測しているから、まずは予防的・抑制的思考をとる。
そういう事件を仕事にしてきた故事来歴もあるが、わが係累や知己の中でも、そのように呟いて、やばい事態を起こさぬようにと謙抑的に立ち居ふるまう人を、相当数知っている。

実は自分もそうだが、このところ玄関のピンポン~♪に簡単に出ない人が少なくないという。
悪徳商法、押し売り、押し込み強盗予備軍、その他もろもろをスルーするためである。
また、固定電話でも、このごろ人は誰々ですと名乗らないし、ちょいと新しい電話やファックスには、ナンバーディスプレイとともに、危なそうなアクセスには、リジェクトしたり、防衛的メッセージを流す機構が付加されている。
更に、携帯電話やスマホは、基本出ない、せいぜい留守電待ち受け、通話するにはまずはメールでアポをとってというのが一般的になりつつある。

このように、世にはびこるジャンクなリスクを忌避撃退すべしの常識は、まさに敷居を跨がずとも七人の敵という現況を踏まえたものであるが、その中でどう心の満たされる信頼や芳醇な時間を醸成していくかが課題である。
一応、ベートーベンの苦悩を通しての歓喜ではないが、猜疑を通しての信頼や愛を信じようとする積極説あるいは性善説ではあるが、心もとないは心もとない次第だ。



2016年10月3日月曜日

スィッチング

早寝早起きで、まだ今日のうちだ。

昼寝のしすぎで睡眠はこと足りてしまっている。
手作りジャム等血糖の上がる食材を摂りすぎたので、昼寝が長くなる。
よくないと判断し、余りは生ごみにした。
先進国は、ジャンクフードで貧困層が肥満に陥ることが大きな問題となっているが、わが食生活もそういう罠が一杯だ。

食生活の見切り千両、切り替えも大事だが、このところ挑戦しているのは、通信手段の切り替えだ。
家中では無線LAN中心、それがサクサクいかないときは、SIMに切り替え、それも複数あるので上手に使いわけなければならない。
上手に使いわけるためには、上手に切り替えなければならない。
慣れれば大してむつかしくはないが、上手に切り替えることができないとスムースな通信が頓挫する。

通信のパスウェイが多様化すると、こういうスィッチングのスキルを身に着ける必要がある。
電波は相互に干渉したり、セキュリティの問題もあって単に無手勝にやって繋げることができるだけで安穏としていられない。
セキュリティについて脇甘でなく、使い放題の手段と従量制の手段を上手に使い分ける、要は電波飽食の時代にダイエット意識や体力維持する食べ方をどう身に着けるかの問題である。

昼間に買ってきたはしご用のロープと鍵補助の強力磁石も、現在の危機管理状態では、決して無駄な買い物ではなかったが、急いで加工や施行する必要もなく、しまい込んでいる。
非常食と同じで、食べずに賞味期限が過ぎて更新できれば幸甚、保険と同じで、使わずにすめばそれにこしたことはないが、リスクヘッジは常に念頭におかねばならない。

いまのデフレ経済も、このようにモノやサービスが、必須というレベルでは過飽和になっており、しかもより安価でスペックの高い技術革新が日々進む。
利用する人間も、それに適応する技術、たとえば縷々述べてきたスィッチングの技術などを身につけなけれならないし、提供する人間も、商売は努力すれば努力するほど、改良すれば改良するほど、デフレ圧や技術革新に翻弄される。
これらをストレスに思えば、無間地獄との認知認識になってしまう。
まあまあ安価で豊かな時代とも評価できる、そう思えれば面白い時代でもある。

この辺りの感覚もうまくスィッチングして擦り切れないようにしなければならない。

雨降り外回り

台風の影響か?単なる秋雨か?
特に急ぎの用はなにもないが、雨で庭にも出にくく、外に出たくなった。

懸案に、縄ばしご作りと、マグネットで作る簡易フックがある。
どちらも、防災グッズ手作りがモチーフなので、スーパー内の百均と、歩いて行ける程度離れたDIY店を回る。

百均に品揃えを見いだせず、DIY店に行くと、有り余る材料から適材を選ぶ。
面白いのは、百均ともコラボしていて、ダイソーブランドの商品も購買する。

DIYでも、調理でも、アイデアを自分向きにカスタマイズして、簡略に、あるいは凝った形にするのが楽しい。

作業も一気呵成も悪くないが、少しずつ進めて楽しむのもいい。
得るところは後者の方が多いように思う。

購入する前にいろいろと調べて、ブックマークなど備忘もしてあったので、PCやスマホをバッグに入れて持ち歩いたが、全く参照せず。
やはり、素っぴんで勝負するのが好きだ。

ところで、帰ってPCで通信しようとすると、APN情報が消えている。
メイン機はタフネスが売りだが、レッツノートもバイオも、システムは特に屈強に思えない。

生物も、マシンも、組織も、結局はトータルでなんぼだ。

雨に濡れながらの人生勉強。
そう楽しくもないが、悪くもない。

神隠し

室内履きのビニールのスリッパが消えた。

部屋の中を探し回ったが、神隠しにあったように見当たらない。
わんこらが小さい頃に、よく咥えて回ったので、彼らが隠しそうなところもくまなく探すが、ない。

こんなもの百均でいくらでもみかけるものだから、補充するのは簡単だが、気味が悪い。
そんなこんなの半日だったが、やっとわかった。

昨夕洗濯機に敷物等を入れて回した。
今朝蓋を開けて敷物にくるまれて鎮座ましていて、一緒に放り込んだとわかった。
洗おうと思ったのか、まったくの勘違いかすらわからない。

おかげで、きれいなスリッパになったので、結果的には悪くはない。
ただ、心理的な起承転結が腑に落ちていないので、この点ではスッキリしない。

まあ己の認知能力が落ちてきていると承知するのが無難だろう。
きっと、どんどんこうなっていくのであろう。

最近、曽野綾子さんが、ご主人の三浦朱門氏の認知症の介護で大変にされているというニュースを耳にしたが、自分に関して対策はない。
ああして、こうしてなどと思っても、それがどんどん現実を離れ、おしまいにはまったく的を射なくなるわけで、そういうこと自体は対策のしようがない。

スリッパでなく、自分自身が神隠しのごとく消えてしまえばいいのだろうが、活動的、外交的でない性格から、きっと籠城型の末路になりそうだ。
これだけは、どうしようもなさそうなので、まだ素面のうちに記録しておこう。



2016年10月2日日曜日

人間万事塞翁が馬

いままで使えなかったフリーSIMをPCで使うすべを覚えたと思ったら、PCのデスクトップ等のレイアウトが変わってしまった。

どこか変なキーを押してしまったのか、システムをいじったおかげでドミノ倒しで勝手に他も変わってしまったのか。
見当識を欠くので、理由は不明だ。
それだけなら適当に使えばいいが、いつしかどうしても無線LANがつなげなくなって一勝一敗状態に陥った。
家庭内で無線LANが縦横無尽に使えてこそのSIM使用である。

いろいろといじって、結局マシンからオファーのあったシステムの過去時点への回帰操作に乗る。
幾度かこの操作で助かったことがあるので、想定外のハザードにもなるまい。
やってみたら、無事SIMも、無線LANも享受できる状態に戻った。

まさに人間万事塞翁が馬だ。
この辺りが丁度いいペースなんだと思う。

福岡ハカセと養老翁の竜谷大でのシンポ風景を、久しぶりに眺める。
生命現象は、理屈優先でなく、まさにこのように推移していることがすべてだと思う。
マシンとも、このように行ったり来たりでやっていくのだろう。
アニミズム信奉者のつもりはないが、マシンも生きている。

最後の一葉

端末をとっかえひっかえ塩梅をみる。

SIMは快調だが、光から飛ぶ無線LANがインポテンツ顕著。
一機のみが無線LANで快調ゆえ、ちゃんと光は仕事をしている。

家庭内の無線LANは、端末の位置でも大いに通信能力が違ってくるので、別に不可思議に思ってはないが、気分はOヘンリーの「最後の一葉」の気分だ。
安価に使い放題のシステムは、確実性やパワーが劣る。

こんなことも経験してみないとわからない。
まあ経験すると、トラブルの質感はわかる。
しかし、こういう状況もTPОで変わるから、教条化はできない。

今日はインタビューに興味をもって、阿川さん、さんまなど手練れのやりとりを聞いている。
人気があって変わっている人々の供述は、やはり聞くに値する。
最後の一葉と思った後で、こういうところに興味を持てるのは、まだ大丈夫のサイン。
逆に絶壁の不動心でない証左のごとく。

朝の窓辺に~♪

桜の「シンゴジラ」座談会を聴き流しながら、いろいろと算段する。

どうも旧式タブレットでしかプリペイドSIMが使えず不自由だ。
あれをこっちに回して、これをどうして、ああでもないこうでもないと、ひとりブレーンストーミング。

ままよ、やってみないとわからない。
いままでうまく稼働させられなかったPCに旧式タブレットから引き抜いたSIMをはめる。
ここからがうまくいかなかった。
今回は粘り腰で設定を諦めない。
半分ダメかも、半分あわよくば繋がるかもの花占いで進むと、なんと無事通信可能な状態に到達できた。
またSIMと無線LANとの使いわけにも成功した。

これでメイン機に、ドングル(某プロバイダーの月3Gのベイシックコース)、プリペイドSIM(4か月で2G)、wifiルーター(4か月で1G)、光からの無線LANと4種の通信手段が確保された。
外で3種類の通信手段が利用でき、使い放題の無線LANを家で利用することがもっぱらなので、非常に低廉で済むことになる。

ほんに大企業によるボッタクリに近いなと常に立腹しながら使っていた年に40万余の高コストが、4分の1程度に圧縮された。
しかも、実際に使っている電波は、子会社に売らせている親会社のものとほとんど変わらない質のもので、上手に使えば、親会社が偉そうに押し付けてきていた通信(容量)制限もまぬがれる。
移行によるセッティングにはずいぶんと苦労もしたが、ささやかにリテラシーが向上したのと、わからぬ事柄にトライする方法論も切磋琢磨できたことで、ずいぶんと報われたともいえる。

もちろん、通信環境を整えても、特に使わなければならない機会は僅少である。
これも、現今の経済デフレと同じく情報デフレが原因でもある。
情報社会で、スパム等が猖獗をきわめ、情報の悪意性や冗長性に取り込まれないために、実に限られた情報にタッチするという自制が利用者に強まる。
無料のyoutubeでさえ、ヒット数を稼ぐ商売に身をやつす連中が、針小棒大な表現や荒唐無稽な表題で惹句を競う。
逆に、無料でも、良質な視聴者を正攻法で惹きつけて、そこをポータルに事を進めようとする流れもある。
このようにポータルサイトも、デフレで安くなっているが、提供者も利用者も相手の質や真贋を見極める必要な時代になってきている。

そんなこんなを思いつつ、今日も次に進む。
生きているだけでも丸儲けだが、上手に生きれば二重丸儲けである。

2016年10月1日土曜日

土曜の夜は~♪

早寝早起きで、まだ今日のうちである。

辛坊治郎氏の「そこまで言うか」は、後続番組との関係で一時間の短縮バージョン。
ヨット行で一緒に遭難した盲目のバディ氏の登場で、そのバイタリティに驚嘆する。
人間力について、実際の諸行為の機微について、いろいろと思いを馳せる。

某右派グループリーダーの酒飲み話、少し遅れ目なれどUPさる。
日曜の座談会はシンゴジラ論らしい。
まだシンゴジラは観ていないが、聞き及んでいるところに対する評論も右翼っぽいバイアス濃厚だ。

ハブのひとつにしているココログやっと復旧する。
早々にUP不能だった分をUPする。
某社の壁紙カレンダーは10月分提供しようとした形跡あれど、システムエラーでDL不能。
所詮、少数の担当者のやること、 To Err is Human。

そろそろ土曜から日曜に移行する。
日曜座談の視聴準備に移行するか。
まずまずの土曜日だった。

月始めの午後いろいろ

落ち着いた午後。
朝はメール等の処理で、月始めの週末ということに違和感があったが、午後には慣れる。

以下、今日午後に起こったこと思うことを列挙する。

月が替わって、いつもPC等の表紙にするカレンダーサイトの処理が月はじめに追いついていない。
タダのサービスであれば、文句を云う筋でもないと思えど不満はあり。
昔、МLを主催して、揉めごとで解散したおり、「おまえに頼まれたから入ったのに」のクレームに、もう二度とサービスはしないし、お前さんともお付き合い謝絶と黙して決め、そのとおりにしているが、いまの時代、己含めて無料サービスでも憤ったりする。
押さえておくべき今風である。

いつもブログをUPしているサイトがサスペンド。
ここも無料サービスゆえ、大きくブーイングする筋でもなかろうが、有料無料関係なく、ときどきこの体たらくで、いくつかのサイトをリスクヘッジにフィールドにしておく必要を痛感する。
別に、こちらも何かのデューティー、営業で書き連ねているわけでなく、特に困ることもないものの、いまの時代、無料のポータルでも甲斐性のないところは、ホンに困る。

わんこらのノンビリ具合をみてホッとする。
旭山動物園の元園長の動物記を読んで、愛犬を看取った記述に、しばらく前に逝った仔を思い出し涙する。
獣医で、看取りに慣れたプロでも、私事での思いは同じである。
別の人間の往生ルポも読了す。
獣とは異なり、支配観念その他さまざまを抱える特異な動物の往生は、それなりに大変である。
このところのわが暮らしは、人間外のペット等に学ぶところ大である。

これから辛坊治郎氏の定番土曜番組の直近アーカイブを聴取の予定である。
このようなyoutubeメニューは、ゴーゴリ風の「わが大学」となっている。

回るまわるよ時代はまわる~♪

政治学者の三浦瑠璃氏のプロファイリングのため、動画ザッピングを続けていたら、「正義のミカタ」のライブ放送にたどりついた。

新聞しか、テレビしか、その他の既存メディアしかアクセスできない人々が終わりつつある時代に入った。
ライブで、忌憚ないホンネが発受信される時代は、すでに出来上がってしまっている。
その中での競争も激しい。

cherry blossom系のボスの恒例の放言番組が、説明もなくお休みのよう。
それをみて、やはりやばいことで編集してリリースもできない体たらくかと毎週ウォッチャーは思う。
自由に競争できる時代になれば、上下左右関係なく、すべて隠すれどあらわるとなる。
姑息だな、もう一つだなと思えば、急峻に洟も引っ掛けられなくなる自己誘発陳腐化の罠だらけだ。

受信者のこちらも、まっとうな感性、インテリジェンス、リテラシー等々を欠けば、何を見聞きしようと、発信者と一緒に愚昧奈落に墜ちなければならない。
非常にいい時代で、非常にあやうい時代ではある。

月初めの週末は、始まったような、ひと終わりする感じ。
このミスマッチを味わいながら、上手にひと回りできれば、お上手お上手。

月はじめmiscellany

特にどうということはない朝ではある。

しかし、月初めとは、しっかり気付く。

まず、月初めメールが来る。
ほぼ死滅かと思われるМLから確認メールが来たりする。
まあ、スパムにさも似たりだが、怒るには及ばない。

プリペイドSIMの利用勘定が、月替わりで利用容量などのリセットになっている。
ああ、システムからも月替わり扱いが完了か・・・・などの感慨で、月初めをアプリシエイトする。
上手に使うためのスマートメーターのごときものだ。

利用者のこちらも、いろいろ思う。
過去にドコモにプッシュされて利用したサムソンのダメさを再確認して再びお蔵入りさせる。
いまニュースになっている実炎上は、当時からあって、日本販社に電話して安全性をチェックしたことを思い出したりする。
ほんに危ないなも、使ってみてはじめてわかる。

現在稼働しているタブレットやスマホをいじって、カスタマイズを続ける。
もちろん、プリペイドSIMの利用可能容量とも密接関係している。
複数の端末からみるわが周辺の電波状況、利用可能状況、スクランブル状態が、これら作業で解析できる。

yutube等の参照先の利用法もちょっとカスタマイズできてきている。
興味ある、プロファイリングしたい人物を、属人的にチェイスしてFollowするモードに徹している。
導きの糸の選択が、導かれる到達点を絞ってくる。

陽は明るく、ちょうどよさげなお天気。
アーカイブで聴く朝生は、はんかくさいが、わが身には快いスタートだ。

バカ~♪バカ~♪あたしホントにおバカさん~♪

ただいま10月に移行中。

早寝早起きで、日付移行時に覚醒する。

昨夕は、建具屋氏への応接に疲れ、帰られてすぐに爆睡した。
ホントは、次の手のDIYで調整修理する方法の研究をしたかったのだが、その元気はなかった。
何とか業者氏に応急処置を受けるところで、精魂つきる。

早寝早起きで、夜中の覚醒時に、ネット検索してみた。
うまく検索ワードを入れることができて、出てくる出てくる、DIYマニュアル。
今度トラブルが生じたときは、まずはDIYをトライしてみることを決意する。

これら文面や写真をみる限りでは、素人でもできなくはなさそう。
もしダメで、ハングアップすれば、業者氏を呼んで問題部位を新品交換するダブルセットアップ方針もたてる。
業者氏は、こちらがいろいろと迫るので腰引きパターンだが、無理難題を云ってクレーマー化しなければ、割に鷹揚に仕事をしてくれる御仁だ。

いまは職人に限らず、仕事の請け方に細心の注意を払わないと、仕事を潰されかねない。
面白いのは、DIYサイトの注意書きだ。
ここの所見は、あくまで自分の体験談で、誰にでも汎用性があるわけでなく、成功は保証しない。すべからく自己責任でトライされたし。

実際に、こういうサイトにでも、やったけどうまくいかなかった、どうしてくれるんだ、とクレーミングする奴がいる。
だから、こういう免責文言のようなものが掲記される。

わがDIY能は高くないので、簡単に成功するとは思っていない。
しかし、やってみなければ、リテラシーは上がらない。
ボランティアサイトの主に文句を云っていくようなバカでもない。

バカはバカなりに賢いバカにならないとおえりゃあせん。
バカは死ぬまで治らないかもしれぬが、対症療法はいくらでもありうべし。