2016年10月24日月曜日

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

近くのスーパーに開店早々乗り込んで、湯豆腐用の豆腐を買う。
久保田万太郎の句は、「新センセイの鞄」の沢田研二のセリフで知った。
原作に出てくるかどうかは、覚えていない。

一緒に買って帰ったサンマも、塩焼きが楽しみだ。
ほとんどをワンコらがたいらげるのだが、少し肴に飼い主もいただく。
やはり一日に2~30分は歩くのが身体にいいなを口実に、買い物フリークの日々を送っている。

カントのように毎日定時定番の散歩道を歩くようなことはしないが、できるだけ一日一度歩くのは頭にもよい。
少なくとも人間は頭だけで考えるのでなく、歩いて考える。
雨や雪で家に閉じ込められて運動量確保のために動いても、どうも考えのめぐりがわるいが、外の景色を見ながら歩くと頭のめぐりもテンポがよくなる。

今朝のスーパーは小ぶりの店舗で、併設のテナント百均も小ぶりだ。
しかし、じっくり回って、商品を全部スキャンしてみると、大型のダイソーなんかにも負けないコンパクトで大概のモノを品揃えしているのがわかる。
アマゾンであんな高い商品を引かなくても、百均で揃えりゃ手軽に安価に購入できたものを。
今朝も、いい勉強になった。

さて、今日いただくか、明日いただくか、うすあかりをおぼろに見つめて湯豆腐の予定だが、いまダシをどうしようか、ああでもないこうでもないとネタ繰りをしている。
これが楽しい。
うすあかりであるだけ、私事は貧者のセルフ一灯で、しっかり暖まることができる。
いまもニュースで高齢者の無慙な最期の事件が話題になっているが、もう他人様はいじりようもない。
わが知己の先行世代も、犯罪レベルほどではないが、結構むつかしい。
プライドが強く、それに拘泥して無我夢中となれば、時限爆弾、触らぬ神に祟りなしの状態になる。
そういうことを知れば、その予備軍、あるいは現在進行形の自分も、他人様が出来る限り我に関わらないで済むように、こちらも対外的にapatheticなスタンスを維持しようと思うばかりである。

まあ、このような時代なだけに、逆に、先行世代に限らず、透徹した眼で犀利な語りに出会うことができると、この上ない幸せを感じることができる。
人生そういう眼で見れば、イーブン、五分五分だ。
万事塞翁が馬と心得れば、無理にどこにはる必要もなければ、一喜一憂する必要もまったくない。

お天気を占うように、淡々と処していくにしくはない。

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