2016年10月25日火曜日

変えて変わっていいじゃない

昼に湯豆腐と思っていたメニューが、急に豆腐ステーキに変わった。
命のはての薄明りのなかでも、わが思いに合わせて賞味したいものだ。
わんこらのために買い置いたスペアリブも一緒に焼く。
なんてことはない、主婦諸氏が日常茶飯にこなす事情変更の原則にすぎない。

図書の収受も明日に延ばす。
自分の気になったところのほかはピックアップして読むことをしないから、ちょいとペースダウンすることにした。
スパイスばかりしがむ必要はないだろう。
明日は買い物も想定していないので、運動がてら徒歩ゆくミニトリップの予定である。

近所を散歩させてやろうかと思ったわんこらも、いつものように庭でランニングすることになった。
立ち居振る舞いに容喙しながらの散歩より、わがドッグランでの疾走の方が気持ちよさそうだ。
TPOに合わせて、ベストエフォートするのがよい。
丁度良い塩梅を探すのが、このところのわが課題だ。

うちなかで、いろいろと思案していると、心の鼓動も不整に感じられてろくなことはない。
わんこと伴に、庭で気晴らししていると、そういう自己拘泥からも自由になる。
心筋症で逝く妻の姿を描く「愛を積むひと」を久しぶりに観ている。
自由にセルフシネエデュケーションを愉しむ。
既に、他人様に容喙する気持ちは毛頭なくなっている。

それでも悩み多き人々へのショートメッセージは続けている。
自爆テロにつながるようなデスペレートな雰囲気に、少しでも緩衝材を振りまくことができれば悪くはない。
もちろん、人の手に負える事どもはそうあるものではなく、ただ嘆声を発するほかないことの方が多いが、それはそれである。
この頃は、コンサルティングの醍醐味は、とりわけ看板やアドバルーンなど掲げぬ袖振り合うも多生の縁が肝と思うようになっている。
いずれにせよ、縁なき衆生は、お互いに別途に生きるほかない。

変えるのも、変わるのも、なんだかんだと目的合理性など意識しない方がいいように思う。
淡々と手当しているうちに、おのずから変わる。
近所のおじさんの藤棚風も、今日はツタのような主人公が消えている。
どこで越冬するのか聞いていないが、チャンスがあれば聞いてみたい。

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