2016年10月5日水曜日

寒い朝も~♪

春眠暁を覚えずというが、秋眠は心地よく眠れはしたものの、寒さで覚醒した。

老人の見習い課程に入っても、エディプスの呪いはしっかりと無意識の世界に沈殿しているようで、ずいぶんとスプラッターな夢をみてしまった。

丑三つ時は肌寒く、サーモスタット付きながらの稼働だが、ストーブのお世話になっている。
BGMのクラシック音楽も気持ちいい。

昨日は、伊集院光氏の深夜放送の日で、生番組も、その後のアーカイブもずいぶんと聞き入った。
彼は非常なお忙氏だが、それ自体ご自身がずいぶんと楽しんでおられる。
日曜日の安住紳一郎氏の日曜天国は、先週の番組のお休みに続いて、今週は安住氏の遅い夏休みで局アナらが代役だった。
それがまったく面白くなかったので、早々に聞くのをやめた。

何がいいたいかというと、放送の世界だって、異才による不均等発展が当たり前だということだ。
他の有象無象では果たせない固有のワールドがあって、ファンもそれに耳を傾ける。
もちろんデフォでそうなっているわけでなく、類まれなる才能と、それを陳腐化させない日々の精進、高度なインテリジェンスとリテラシーが必須である。
透析患者をディスって番組を干された自称フリーアナは、その点ですべてにおいて失格だ。
結局、昔勤務先だった局が今や死に体と揶揄されるレベルに陥っているのと同じレベルで己を構築してしまったので、まったく同じように没落している姿だ。
伊集院氏や安住氏だけでなく、おぎやはぎ氏らや若林・春日コンビも、この辺りの能力は非常に高い。
現代のお笑いは、この辺りの能力が高くなければ、笑ってる場合じゃないですよってことになる。

さて、わが身辺雑記に戻ると、CCDカメラ利用の監視カメラ風システムの構築に、しばらく前にAmazonで購入した内視鏡や顕微鏡、その他のツールが使えそうだと目の子がついた。
用途を少し転用すれば出来るのは当たり前なのだが、そのようなコロンブスの卵は、自分がああでもないこうでもないをやらないと出来ない。
ノーベル賞受賞のオートファジーも大隅(名誉)教授が細胞内の空胞を見つけたから一気呵成に研究が広まったが、細胞内でなくとも全身で、また各組織で、消化と再構築が起こっていることを考慮すれば、細胞内、オルガネラでも起こっていてしかるべきというシンプルスペキュレーションだけでは実務的進展はなかった。
見る前に跳べという哲学者や思想家の大好きな言葉があるが、実用にはちゃんと見てちゃんと跳ぶことが必須である。

当面懸案と思っていたわが解決課題が解けそうだとなると、あとはルチーンだ。
食材は溢れるほど冷蔵庫や食品だなに鎮座ましており、このところわんこらの消費量の方が、飼い主より多い。
もともと寿命の短い生物ゆえ、過食は命のネックになるかもと危惧はすれど、度を越さぬ程度に潤沢に与えるスタンスにしている。
豚足や手羽を楽しそうにしがんでいる姿を見ると、ほんに獣出自だと感じる。
他人様の命を、うれしそうにいただくが、仔らの死の姿を思い出せば、獣は己の死についても従容と向き合っているのがわかる。
人間のような過剰脳化による幻想や執着を免れるので、自然であり、イーブンである。
人間である自分が学びたい枢要点である。

寒い朝が、暑い昼になるのか、はたまた台風が来るのか、特に考えることもない。
ひたすら、斯くして暮らすばかり。

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