2016年10月4日火曜日

船頭多くして船山に登る

SNSのネット知己の書き込みに出会って、いくつかの論点が頭をよぎる。

知己の書き込みのテーマは、主治医制云々と単身者の在宅看取りだったが、わが語り口はそれに拘泥せず、ささやかな体験談だ。

ある田舎の病院で、おばあちゃんが娘に連れられて外来にきた。
娘さんが、実際のお薬と関係の記録を示してくれた。
おばあちゃんの困りごとは、こんなにたくさんのお薬を飲めませんということだった。
見ると、お歳寄りなら一食分の食事に余るほどの山盛りだ。

わが病院の内科からは、大した量の薬は出ていなかったが、他院の整形外科をはじめ○○科、××科と複数の外来に通っていた。
これをまじめに飲めば、鎮痛剤などが重複し、過量になって副作用が出るかもしれない。
しかし、これを私が急に断薬することはできない。
それぞれの科で目指す病態対応が急に変わると、副作用の予防になるかわりに、本来の病態が進むかもしれない。
だから、私だけでなく、各科の担当医に相談して、減量や断薬が可能なものがあれば、そうしてもらう必要があるのです。
そうご本人と娘さんに話すと、困ったなあという顔で帰っていかれた。

これをいっときでも調整する仕事がある。
たとえば、どうしても要る急性期の手術医などの業務である。
慢性期のこのような緩いが困ったスクランブル状態の服薬など治療に対し、手術をめどに術前術後含めて大がかりに大ナタをふるう。
飲み続けたら、術中に出血が止まらない危険がある、血圧や血糖のコントロールがあやうい。
そういうものを中止して、逆に血液凝固で困りごとにならないように、他のバイタルコントロールがしやすいように薬剤やコントロール法を変えたり、命がけの手術を安全に遂行できるように配慮し、必要があれば他科の関係者に相談したりもする。

この辺りは、まあ外科医が主治医と云っていいだろう。
しかし、手術が終われば、既述のおばあちゃんの相談事のような事態に戻る。
船頭多くして、船責任者定まらずの状態だ。
直感で、これ全部いただければ身体に悪い、逆にいかれてしまうと悟る患者は、勝手に薬を間引く。
病院のゴミ箱には、ずいぶんとカプセルが捨てられていたりするという噂もよく耳にしたが、ホンネを聞くことができる立場になると嘘でないことがよくわかる。

にも拘わらず生きていられるのは、元気なのである。
現代人は、元気でないと患者も続けられない。

次は、孤独死の話に移る。

先日、図書館で借りて、なかなかの作品だったので、さっそくAmazonで購入した。

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%9F-%E9%9D%92%E6%9C%A8-%E7%94%B1%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4309021921

「みんなの死に方」青木由美子

本書の広告には、
「孤独死、おだやかな死、大往生。著名人の死にかたを紹介し、いかに死を迎えるか、心の準備をするために役立つ一冊。選択肢が多い今こそ「自分らしく」死ぬことを考えるための最上の教科書!」
とある。

自分自身、仕事がら人の死にもいくばくか関与してきた。
獣医ではないが、動物の死もいくばくかそばで見つめた。
自分の大病と事故で、死にかけること数度。

いまは、人だけでなく、動物は究極的に、孤独死する運命のもとにあると思っている。
いっそそうなら、本格的にlet me aloneという建前と本音を持っている。

ただ、夢見では、結構人寂しい性格かな?自省している。

これだけは死んでみないとわからない。
なんどニアミス、シミュレーションしようと、みんな究極のほんものは初体験だ。
ただ、これを免れた者はなし。
養老師は、自分の死は、自分でどうこうもできず、三人称の死は他人事、唯一有意味に訴えてくる二人称の死はつらいと説かれる。
自分では、なかなかそうクールに、教条的に思えず、量子力学ではないが、簡単にカテゴライズして割り切れるものでなく、ホワッと確率的で、相対的で、流れていくようなもののような気もしている。


これら二題、なんとはなく、ちょいと、備忘のためにも書いてみた。


 

 

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