2015年10月31日土曜日

月末断章

外回り、月締め、メール送受信等々をやり終え、落ち着く。

気の合う人々と交歓するのは快いが、気が合う人々とのやりとりだけでは、自家中毒、ファッショ的倒錯が危ない。

かといって、気の合わない、気が相互に違っているcrazy空間に身をやつすと、消耗したり、させたりで、美味くない。

そんな塩梅で、四囲を忖度していると、丁度いいtoneになる。

師匠連、クライアント連と、コンタクトとれるまで、ゆるりと英気を養う。

2015年10月30日金曜日

枯れ葉散る~♪

観楓会のシーズンに、紅葉も観ず、はや月末。
時の足は、はやい。

月末〆を完了したら、近くの公園ででも、プチ観楓会散歩をしようかな。

毎日毎日の風景を楽しむ。
ホンに日々是好日。

2015年10月28日水曜日

信賞必罰

スッキリしない天気のわりに、気温自体は高め。
外回りも大過なく巡回できた。

最近父になったらしい若き知己は、まずまず面構えが男らしくなった。
未だ委細プロファイリングできぬ仲だが、ことほいでいる。

ネットでは、omitしてきた生意気な若オヤジを迎撃的block。
米軍ではないが、看過できぬフーリガン的挙動には、きっちり対抗手段をとっておかないと、禍根を残す。
この辺りをズルズルにすると、己の性根も曲りよくない。
毅然が基本で必須。

ただ、別の化石オヤジにはコメントせず。
同年代で、基本左翼リベラルで来たろうとプロファイリングできるご仁で、現在の状況が国際的秩序へのハーモナイゼーションというか、常識的パラダイムへのシフトという点が解らず、岩波新書や朝日媒体程度のドメスティックコメントに留まっているのを観察するが、容喙しない。
ご本人が時代状況やグローバルな流れに気がつかないと何を言ってもダメだろう。

まあ、何はともあれ、face to faceの身近な世界でしっかりプロファイリングして、種まき収穫を繰返していかないと稔りは得られない。

被害妄想

これ系のBloggerから、閲覧困難にされた形跡あり。
まあ、自分のこれも、奥座敷に密やかに置いて、他人様のことは言えない。

ただ、知識社会学的なリテラシーというより、自己防衛 、事故防止、security確保のためには、十分状況分析できてないと危ない。
逆の立場になったら、被害妄想を持たれかねないと言うことだから。

bossのこともかなり分かってきたから、周辺のプロファイリングもかなり進める。
インテリジェンスというのは、最後は人で、紙一重。

2015年10月26日月曜日

新たな週日のはじまり

学生さんと、ちょい交流。
やる気のある子が残っていくので、その姿をみて、朝の数分の交流ができるのが楽しい。

ところで、こういうリアルでの交流でなく、十分長い間ネット知己でありながら、リアルでは初対面というタイミングの挨拶がむつかしい。
はじめましてというのも変だが、いつも云々も変。
今日は、K先生とそんな感じだったが、会えてよかった。

師匠とも、フランクな会話が進みgoo。
敬意を持ちつつ、ため口も交え、よき関係に腐心する。
そんな絵図を維持したい。

2015年10月25日日曜日

ノンビリと日曜日

初雪のおかげで、ほぼロックドイン。
駄菓子菓子、やることはいくらでもある。

次の一手に進めば、その次に指す手も浮かんでくる。
このところ無用な失着は意識的に控えているので、過不足感はない。

いままで生きてきて、丁度いい辺りに来ている実感。
まあ、このままマネッジしていこう。

スローライフが、一番スピーディーに行く道と気付く。
まずは、ありがたいこと。

雷鳴激し

雪の予報が、雷鳴ともなう雨模様。
ということで、おこもりmodeで晴耕雨読mood。

とは言っても、捗らず。
慌ててジャンク情報を集めるのはやめたから、じっくりゆっくり吟味し考え思い想い進む。
残り時間の短さ、時間切れを意識しての乾坤一擲に走ろうとも思わず。
やはり浅漬けも、じっくり漬けないと美味くない。

思えば、もう月末。
月末モードの番組も探さにゃあいかんか?

2015年10月23日金曜日

月がとっても蒼いから~♪

小学校で日出観察、高校で地学も勉強したが、ものにならず。

いまも月をみて、表題どおり口ずさんだが、凸型の姿がわからない。
地球の影なら、三日月のようになるはずで、なんで凹でないの?と思う。

その程度の見識なのに、宇宙論は嫌いでない。
困ったもんだ。
リテラシーは、知識の進化どおりでなく、困ったちゃん的パッチワークだ。
にわかラグビーファンの如く、ホーキングを口にする。

そんなことはどうでもいい。
歌どおりロマンチックな邂逅や逍遙があれば十分だ。
学理の究極化のために生きているわけではない。

まあ、人に望まれ、人に恋いて、篤きコミュニケーションが果たせれば、すなわち幸せであろう。

ワンコたちは、不明の月への咆哮。
さしあたり、この子らの世話で満ち足りている。

豊穣の頃

あれは作品を読んだのだろうか、それとも文芸評論で知ったのだろうか?
登場人物の女性が、鏡に映る自分の乳房をみて、「豊穣」と声を出すシーン。

今はもう秋~♪
スーパーの棚にも、新鮮な、あるいは熟れた果物などがわんさと並ぶ。

貧乏人の私には容易に手の出せないものが多いが、それでも値頃だと思えば、ひとつふたつ買って帰る。
こんな感じで豊穣をことほいでいる。

研究者ゆえ勉強好きは当然の師匠と、いまだ豊穣なるやいなやの不明なこと事を、語り合うのも、それ自体豊穣な時間。
いままで、師匠持ちになかなかなれずにきたが、なかなかうれしい時間。

そう感じれば、次はお裾分なのだが、教師はなかなか学生に弟子を持てない。
彼らも過剰にインボルブされるのを怖がったり、敬遠する。
できの悪い学生だった自分も、その機微はよくわかるので、お裾分けも無理強いせず。
あくまでバッファーとして置物となる。

とっくりタヌキ、あるいは招き猫がわがミッションと心得たり。

2015年10月21日水曜日

ほどよさの模索

このところ一日一日が、ほどよい濃さで推移していく。

ある程度ゆっくりと観察できるようになって、じっくりと見ていくと、現代の生き物は忙しい。
ワンコらでさえ、一日をあわただしく過ごしている様子がよくわかる。
わかれば細心の注意を以て、世話してやらねばならぬ。

もちろん人とならば、いまの時代、実に難しい。
過剰なコミットメントは悲劇を生むことも少くなく、薄情も情のうちを踏まえなければいけないし、かといってそれは非情酷薄の勧めではない。
濃からず薄からずつかずはなれずに腐心するが、オプティマルにいくはずはない。
上手に失敗して、学習を続ける必要がある。

自然もほどよくない。
エネルギー代謝が大きく激しい時代、エントロピーの拡大が急峻となれば、異常気象や天変地異が頻発し、常態化しかねない。

武士道は死ぬこととみつけたりといえども、自然の流れにドンキホーテして犬死にすることがチャーミングなわけはない。
ドッグイヤーならば、覚悟の上で生き往きを粋にこなしたい。
天上天下唯我独尊、人生は一度っきりで、初体験即最終体験。

ということで、日々のワンダーフォーゲルを続ける。

枯れ葉散る~♪

このところ忙しく、ゆっくりと散策もしていない。

この地には、観楓会なるイベントがあって、いま時期の紅葉を楽しむ。

別に、特に奥まった温泉地などに出かけなくとも、近所の公園でも、結構秋の深まりは堪能できる。

要は自然を楽しむ、自然に遊ぶ機会や余裕があるかどうかの問題。

そこそこ長く生きていると、いろいろと思い出はある。
あそこで、どうしたなあこうしたなあ。
いま行くと、こうなってるかなあ、どうなってるかなあ。

心のなかで反芻したり、いま行くならどうだこうだ。
そのような味わいは楽しむことができる。
外回りの道すがらに、ドングリを見つけ、水ならを仰いだり。

天はちゃんと恵みを施して下さるのがありがたい。

2015年10月19日月曜日

駿馬も

週のはじめに学生さんらへの叱咤激励に遭遇。

みんなスタートはさも似たりだが、しばらくして兎と亀、ありとキリギリス、天国と地獄のBGMに身をやつす。

いつも運動会の競走音楽に追いまくられては可哀想だが、みていてちょい意欲に欠ける子が少なくないようで残念。

自分もギリギリで生きてきて、いまもその渦中に居る自覚はあれど、それでももう少し大文字の世界を意識して、ミゼラブルな青春を通過した覚えはあり。

ただ、いまの若い人は相当の管理社会でマネッジされて生きてきているのがよくわかるから、コミットメントがむつかしい。

指導教官諸氏も熱血蘇生に情熱を燃やしておられるが、馬の耳に念仏のgapも見てとれる。

馬を川の傍までは連れていけても、自身が水を飲むかどうかは、本人に任せるほかない。

入学試験時の偏差値、地頭は悪くないから、うまく水を飲めればそこそこまで行けるのだろうが、教育はむつかしい。
自分も落ちこぼれだからよくわかるが、相当のマッチング、systems構築が要る。

ところで、防衛医大の医官が脱法ドラッグで逮捕されたよう。
防衛医療の恙無さに危惧を持つ。

冒頭から触れているように、一般医育はもちろん、今日的教育、学習、なりわい、すべてにいえることなのだが。

2015年10月18日日曜日

日曜日はお好き?

やっぱり休みは休まなきゃ。
貧乏性で、それでもいろいろと調べものをしたり、検索してしまうが、それでも休みは休みmodeにしないと、ダラダラになり、区切りや展望が築けない。

ということで、東屋のラッカー塗り塗りに精をだし、何とか冬支度をひとつやり終えた。

車の整備も済ませ、雪虫の督促に応えた。

世は観楓会で秋たけなわをenjoyしているようだが、うちはノンビリおうちSunday。
こんなmodeも大好き~♪

みんな違ってみんないい?

金子みすゞさんのおっしゃるとおりだが、むつかしい。
ホントにみんないいなら、旦那さんもいいのだろうが、そうは容易でない。

性病はうつすは、女房にモラハラを重ね、最後は自殺に追い込む。

追悼懐古番組などでは、鬼畜の扱い。

故人を慕う人たちからすれば、そうだろう。
赦しがたい旦那。

駄菓子菓子。
なんとかにも三分の理。
わが生業からすれば、いろいろとことあげ可能。
家業大変なおり、きれいな作品はいいが、憧憬の対象に追っかけを行い、そりゃあ文句のひとつもいいたい。
言えばあのように逝き、鬼畜のレッテルを残す。
実際に、末代まであのようなドラマが上映され、旦那も末裔も抗弁を許されない扱いが続く。

てな話は、個人の故人噺だけではない。
いま日々続く歴史問題など、こういうことの大規模集団現象。
いまを生きるは、過去と未来を今に抱えて突破の作業。
生きるとは、エントロピーを小さくしつつ、エントロピー拡大を余儀なくされる諸現象。
まあ、大変なことではある。

2015年10月17日土曜日

雪虫乱舞

外回りの夕に、雪虫の乱舞に遭遇。
北国の冬のmessenger。

東屋のラッカー塗り。
車の足回りチェック。
その他、冬支度のテーマが次々とわいてくる。

朝の冷気に上着を一枚増やしたが、まだダウンジャケットはちょいとはやい。
日内格差の大きい地ゆえ、汗をかいて冷えて風邪をひくパターンもあり。
それなりの智恵が要る。

雪虫のように舞踊りながら、軽やかに冬支度を実行するのが理想的である。

2015年10月16日金曜日

ちょいと落ち着いて

所作もちょいとmood換え、mode換え。
もちろん、三つ子の魂なんとやらで、基本の癖はそう容易に変わらない。

ネット知己の某教授のフレイミングをみる。
ワシがやったのとほぼ同じパターン。
こちらはもう一丁噛みも卒業。
ワシが火中の栗拾いをやる必要はなく、新手に任せばいいだけ。
他人様も三つ子の魂なんとやらで、今更変わらんし。
よいコミュニケーションにもならんと悟れば、人をみて法を説け。
己自身にもそうせにゃあならん部分多々。
養老師のおっしゃるように、自分が変わるのが希望かな。

それにしても冷えてきた。
近所の山も初冠雪。
コート着てくってもんかな?

2015年10月15日木曜日

寒い~♪

もう秋たけなわというより、冬の入り口。
冬支度もしなきゃいかん季節のようだが、生身の順化に精一杯で、まだまだ着手できていない。

ところで、よそ様のPCでわがHP覗くと、さっとこのblogにこれないのね。
まあいいかと放置。
養老先生の段差放置のバリアフリーならぬ、バリア満載のポータルに。
スパム、フーリガン、炎上満載のこの時代。
いいんでないかい~♪

話再転。
情報社会で忙しい学生さんみて、大変だなあとシンパシー感じていたら、なんのことはない、自分も〆切に追われたり。
まあ、当事者性を確保担保してはじめて発言権ありとされる時代。
上等じゃないかと、シンクロしてでもないが、しっかりアタフタの日々。
アタフタのおかげで熱産生増えて暖かい。

うまくできているもんである。

2015年10月13日火曜日

連休明け

休みが余分にあれば、翌日はバタバタする。
しかし、凡人のバタバタゆえ、大したことはない。
大事なことは、pathの選択とプレゼンテーション、リテラシー、インテリジェンス、要はコミュニケーション構築の上手下手。

上手には来れなかったが、下手は下手なりに精進すれば、わずかながらでも進捗はみられる。

ということで、明日は明日のミッションをこなす。
そういう一日、一日が大事。

連休末日

無事終る。

ほとんどが半泣きの天気。
それでもワンコらのラグも調達でき、ささやかな晴れ間に庭遊びもできた。
あとはYoutubeの歴史物対談等をBGMに、読書三昧。

至福の三連休〆と言ってよい。

今日はまたずいぶんと冷えて冬が隣の天気らしい。
防寒につとめて恙無く過ごすべし。

2015年10月11日日曜日

連休中日

嵐のごとき天気が続く。
おこもりパターンも続く。
まあ、それもなかなかいい。

雨の日には、雨の日でないとできないことがある。
神は細部に宿るゆえ、細部にこだわる。
鈍重な細部なれど、続けていけば少しずつはうまくなる。
うれしいものだ。

BGMはlectureとclassic。
Youtubeも使い方が落ち着いた。
Amazon、ヨドバシのような購買、Facebook、TwitterのようなSNSも、プロファイリングされるは覚悟の上で、ボチボチと利用。
小者ゆえ、ピリピリもしないし、敏感関係妄想にも被害妄想にも陥らない。
マイナンバーが熟れれば、より管理社会化が進むわけだが、特に隠すほどのこともなし。
淡々と進む。

明日も雨模様らしい。
楽しめれば悪くない。

お休みその1

お買い物外回り。

お安く目的を達する。
あとは実際に使ってみないとわからない。

人出は多すぎも少なすぎもなく丁度いい。
幸せな風景といえよう。
ちょいとフーリガンっぽいオネエチャン集団と、別途賑やかなオバチャン軍団に遭遇。
男は元気もなく配偶者の荷物運び。
女性は群れでも、個人でも、男より元気。

庭遊びで感じる秋の風。
もうすぐ冬、雪のseason。
少しずつ冬支度を意識しつつ動いている。

お休み大好きの第一弾。

2015年10月9日金曜日

typhoon続

まだ台風一過とはいかないが、かなり治まってきたので、ちょいと外回り。

雨風は残れど休み前。
やっとくべきことは済ませておきたいという自分のような人々も少なくないのか、それなりの人出。

居てくれたらいいなと念じていたスタッフとも会え、懸案事として頭にふやかしてグルグル回していた疑問も大半融けて、気持ちよく連休を迎えられそう。

土日月と、自由業という不自由生業ならいつもと同じじゃねえかと思ってきたが、やはり世の中の体制、風景が違ってくれば、こちらの姿勢、動きも違ってくる。

ということで、日付が変わるまで、どう使おうかな、、、、なんてお楽しみしてみよう。

typhoon

雨風が続いている。
連休も天気はよくないよう。

晴耕雨読modeで、運動不足は室内移動で手当の予定。
ちょいと腐心する懸案事が幾ばくかあり、寛いでのお休みではないが、それ含めて自己分析も続けている。
行というか、業だな。

工夫は嫌いでない。
ただ、下手の横好きだから 、上手の縦好きになかなか持ち込めない。
手入れでも、修行でも、技術革新でも、言葉は何でもいいのだが、自己満足のできる程度まで、横から縦に起こしていくのが大変。
まあ、爺の手習い、死に土産だから、あまりはりかけないのがいいだろう。

台風も居たくているのか、別のところに行きたいが諸般の事情でいる他ないのか、まあ事情が変わればさっさと他所にいったりもする。
いまのところ大きな被害も生じていないよう。

まずは今日一日じっくりお付き合いしよう。

2015年10月8日木曜日

あたふたアタフタ~♪

ネット、リアル、ともにポータルを縮めたら、ずいぶんとお忙しくなった。

広く浅くああでもないこうでもないと井戸端会議に興じ、情報もあまりその意味も考えずにオーバーフローさせていると漫然と終わり勝ちな一日が、狭く濃く深く考えつつ諸々に対処していると、忙しくも波乱万丈にときが過ぎる。

もちろん、他人様は関わり知らぬことだから、わが脳内で勝手に起こっていることにすぎないということになるが 、それでも地球は回っているか、天が回っているかは、実はいまだ判然としていないので、きっと今日かかわった他人様にもそれなりにバタバタさせたかもしれない。

というのは、わが言動はかつて恋人や妻に「はやく死ねばいいのに」と愛の罵倒をいただいたことのある位に面倒だ。
今日お付き合いした本官さんをはじめ「わが社」の皆さんも、このところcomputer管理が進んでいてすぐに対象者のプロファイリングが可能なので、慇懃にして無礼なんてパターンにもなり易い。
もちろん、権力を持っていれば、逮捕やところ払い、社会的purgeなどtrapも容易で、こちらもフーリガン的な無礼でなく、慇懃な反撃や反問が必要になる。

まあ、年相応な振る舞いができたと自分を誉めてやることにする。

あたふたアタフタして、やっとのんびりと刻を味わえるから、明日もまだアタフタのphaseが予想されるのは、ちょいとつらい。

あたふた半分、のんびり半分が目指すべきところか?

2015年10月7日水曜日

交際術

今日は交際術について考える。

賞罰たいしたものと付き合ったことなし。
沈香も焚かずボワアナールも密やかになもので、チンピラ風のまま。

組織ははぐれ者で、かつ怯懦なもので、結局はマージナルマン。
あんな変人には構うなと敬遠されつつ、鵺の気味悪さで一応知りひとぞ知る。
知らぬ人には面割れされていないから気は楽だが、情報化された大衆社会のスコール的な襲撃はそういうことには無頓着ゆえ、人並みに大変。

最近準お役所というか、実体はお役所そのものとお付き合いして、いろいろと思う。
まあ郷に入れば郷に従えという。
面白くもないが、フィールドワークとしては興味深い。

自然との交際は、ティミッドゆえbehind。
ただ、behindすぎると衰えダメになるから、ゆっくりとお付き合いする。
ペットも自然に近くswitchが入るととちくるい、切れると落ちる。
場合によると、そういう状況が点滅して交流波のようになったりする。
自然災害への対応ではないが、鍛練していくほかない。

時間との付き合いも難しい。
しかし、万人24時間。
平等ゆえ、これも自分で学んでいくほかない。

ということで、けさは交際術の自分を素材にした検討でした。

2015年10月6日火曜日

有縁無縁

ノーベル賞、聞こえていた下馬評外れ。
へそ曲がりゆえ、ノーベル賞もOlympicもワイのワイのいうタイプではないのだが、知識社会学的には興味をもって居る。

その所見はああでもないこうでもないとやらかす余裕はないが、一言いうと、下馬評より今回のような受賞は味があっていい。

さて、イントロも短くなった。
手短は自分でも好きだ。

別にイントロに戻る訳ではないが、ノーベル賞は死人は貰えない。
この賞に縁あろうとすれば、貰える程度に長命である必要がある。
授賞決定されて授賞式までに急逝されるようなケースはどうなるか?
知らず。

つまりこれは知識や時間との縁の問題。
トリビア、例外、蘊蓄に励めば、そういう知識は貯まるが、貴重な時間はどんどん消費されてしまう。
知識との有縁無縁もgateをしっかりしておかないとライフスタイルを誤る。

ところでプロファイリングから人にまなぶ、真贋鑑別心眼鍛練に移ることに方針転換した。
まず好き嫌いや批判は置いて、適度な傾聴に重点を置く。
適度な時間管理、ストレス調整、落語を聴いたり漫談を楽しむ程度のhumorの余裕があれば、自分の生理的嫌悪や思考バイアス、その他を越えてハンドリング可。
もちろん、SNSで図々しくもスパイするために「友達」申請してきたり、スパムが飛んでくることもあるので、そういうのは上手に身をかわす。

最近の自分の傾向は、自分より高齢の知己も、たまに構いにいこうかなと思うことあれど、難しい面あり、言ってこない限り、いじらなくなってきている。
若いひとも構ってみて、いま自分が年上に感じる面倒さを感じさせるのも、なんだかなあと思うので、距離を取ることにしている。
また、変に甘えられても、そういうのはあまり好きでないので、そういう意味でも距離とり気味だ。
年関係なく、企画振ってみてダメそうな方々、組織、それはマッチングよくないんだねということで、これも早々に見切る。

いろいろとあるが、有縁でよかったこと悪かったこと、無縁でよかったこと悪かったこと、紙一重で微妙。
鴎外の「雁」で示唆的な、下宿の料理にさばの味噌煮が出ることで、人生は大きく変わる。
忸怩たる人生をいきながらえてきた自覚はあれど、まだ棄てたもんじゃない。

ゲームセットまで有縁無縁をアプリシエイトする。
後のことも気にする方だから、それも気にしながら。

2015年10月5日月曜日

不思議な不思議

まあ生きていること自体が不思議。
みんな遅かれ早かれ死んじゃう不思議。

個体、集団みんな違うようで似てる。
似てるようで違う。

そんな根本的な成り立ちの不思議を思えば、あとはおまけのようなもの。

それでも、いつものようにあげつらってみる。

ブサヨとネトウヨから揶揄されるサイドの人々。
官邸のサイトその他に口汚い書き込みをいやほど書き込む。
まあ、思想信条の自由、表現の自由の範囲のうちならば、ヘイトスピーチ的な下品さは気持ちよくないが、勝手にしたらとしか思わない。
ただ、捨てアカならば、やり放題と思っているところがお目出度いというか、無知蒙昧。
ちゃんと身元までたどることが可能なことがほとんどだから、匿名なら大丈夫どころか、要注意活動家として公安の名簿作りに協力しているようなもの。
そういうところに頭のいかない不思議。

某医師のSNS書き込みに不思議。
妻が悪性疾患を得て、医学、医療、医療機関の狭間で苦しんで亡くなり、その矛盾を独白もしていたのに、根本的なところで直視しない。
車に、音楽に、何々にと誤魔化し、錯雑なお勉強成果の開陳、自己宣伝に怠りない。
あなたと同じ思いをする人々を拡大再生産するのではという自己省察、反省はないのか?
と問ったところで、肝のところは鉄仮面のようにペルソナに食い込んでいるから、無駄のよう。
しかし、ほんの少し前は、根本的な問題提起や自己批判の意義を少しは留保できる時代でもあったが、いまやそういうことも困難な時代になり果てたのか?
個人、社会の不思議。時代の不思議。

他方、虚飾や自己欺瞞では乗り切れぬ厳しい時代に突入しつつある。
その最先端をいかねばならぬネット知己の怒り、憤りを読む。
まあ様々な足枷に拘束されてきて、体制が追いついていないという現実がある。
他人事っぽい口調としかられるかもしれないが、しっかり怒って体制がためが一歩でも進むよう期待したい。
可愛いお子さんの写真を見ると、強くそう思う。

NYに飛んで戻った辛坊さんの話。
どこもかしこも戒厳令mood、mode。
テロリストの跳梁跋扈する中で世界大戦の予兆もなくはない。
 なにが起こってもおかしくない時節に、スマホや携帯をにらみながら歩く人々。
不思議な不思議な光景ではある。

2015年10月4日日曜日

便りのないのはよい便り?

プロファイリングについて延々と考え続けている。
プロファイリングに相対性原理、観測問題を意識すれば、相手のことだけでなく、プロファイリングをしようとする己のこともしっかりと腑分けして総合せねばならぬ、というところまではきた。

ところで、このところの情報社会、溢れんばかりの情報が押し寄せて来るが、その処理が難しい。

わが現phaseでは、情報の間口を狭め、玉石混淆真偽不明の交通整理に腐心している。
難しいのは、そこいら辺りが容易でないことだ。
定点観察して、やっとこわかるとことがほとんどだ。
最後の最後まで得心しがたいケースもある。

長時間をかけて、玉ねぎの皮剥きではないが、結局空っぽだったのかとわかることもある。

また、人生は一度で短い。
結婚だ、親子だ、自分の故事来歴だとなると、棺桶に片足を突っ込んでやっとあぶり出しのように関係性が見えてくることもある。

長いイントロになったが、あまり賑やかに構いに行かないで情報を吟味しているときに、便りのないのはよい便り?かと自問してみる。

死にかけてる、死んだなどと必ず伝わってくるだろう関係ならば、それは当たっているだろう。
究極のそれは亭主元気で留守がいいだ。

もちろん、そうでないこともある。
特に災害や、平時でも失踪などで、連絡も絶えて、実は無明の向こうでは、こんな悲劇、無惨ということもありうるので 、この諺言も必ずしもこう言い切れるわけでもない。

そういうことも踏まえながら、それでもしっかり生きているらしきことはわかっているが、連絡がない。
これはご縁がなくてそれでめでたいのだな。
こちらもその方が楽だ。
そういうところがいまのところ実に快い。

2015年10月3日土曜日

メタプロファイリング

確か昔読んだ丹羽文雄氏の「小説作法」に書いてあったことだと記憶しているが、小説を書こうと思うぐらいの人間ならば、相手が自分にどうしたこうしたときに、なぜそうするのだろうと根問いする資質が必要だという。

確かに、これは大事だ。
やなやつだ、おだててくれて有頂天だけなら、小説にはならない。

小説作法を読んで、己には小説を完成する能力のないことはよくわかったが、プロファイリングの重要性はいつも感じている。
このところ考えているのが、メタプロファイリングだ。
プロファイリングは、相手の言動をウオッチングして、丹羽文雄さんのやれとおっしゃる根問い、とことん検討をするわけだが、その手段は己という鏡に相手を映し、己のフィルターを通して相手をスケッチすることだ。

当然、こちらの能力、リテラシー、価値観、感情移入、感情転移その他もろもろ全てが出
る。
つまりは、見ることは見られることだし、ラベリングすることはされることだし、先般も書いた観測問題、つまり相手に影響を与えるインタビューなどならば、当然そのこと自体が相手に影響を与える。

つまり、このような相対性原理的な機微を踏まえながら、自己省察を加えながら作業しないと大きく間違える。

ということで、某先生、某先生、某先生、、、、その他みなさんごめんなさいね。

2015年10月2日金曜日

変化の中を生きる

SNSで医療者知己の「特養増設計画に問題あり」と銘打ったネット医療ニュースの紹介を読んでみた。
久しくその会社のサイトに入るIDやパスワードを忘れていたので、ああでもないこうでもないと探して、やっとこ入った。
特にどうしてというニュアンスが読み取れなかったので、どの点が問題とお考えか?と知己のコメント欄に書き込んだが、時差がありすぎたのか教示は受けていない。

ところで、さきほど嵐のような天気の中で立ち寄った喫茶店で、これからの特養に限らぬ介護や医療のresourceの難問について書かれている地元紙の記事を見つけた。
郡部の施設は、過疎化で施設に空きが出てきて維持が困難で、都会から利用者にきてもらって何とか維持を図りたいと動いているといった話。

むべなるかな。
いまはこうだけれど、これからの流れで必ずこうなりそうという、実際にこうなっているという急峻な流れは、いまの時点でみえみえ。
同時に、そうなれば、人々はどうするだろうこうするだろう、いやそんなことはせず、逆にこう動くだろう。
きっとこうならざるを得ないという動きと、不確定要素で逆になってもおかしくない可能性と。
国や地方公共団体も、財政的に余裕があってやっているわけではないから、無い袖は振れないと、潰えるものはしようがないと腹をくくっているかの本音が見え隠れするところもある。

特に、たとえば田舎が必死で都会から人を呼び込もうとしても、実際にどの程度都会の行政や当事者とマッチングがうまくいくか?
もちろん、やってみないとわからないところがてんこもり。

また、ときが過ぎ、田舎にせよ都会にせよ、箱ものもマンパワーも余るとなれば、手仕舞の準備というか、縮小の算段をしつつ動かなければならない。
そういう事業の難しさは医療や介護に限らないが、上手にやらないと大変だ。

そういうことを思いながら、新聞を読み、お茶をのみ終えた。
外の雨の風景も転々と変わるのが見える。
こういう時代に生きているのだという実感をより強くした、嵐の日。

puddingは食べてみなければわからない~♪

昔、高名な哲学者の本で出会ったが、欧米ではそれほど珍しくない諺らしい。

食べたことのないものは、落語の「ようなもの」であり、実際に食感もなにもわからない。
もちろん、食べたからすぐにわかるというわけでもない。
好きになってか、仕事でやむなくか、頻繁に食べていると、varietyやTPOもわかってくる。
逆に、その頃には初体験を忘れてしまったりする。
わかるというのも難しいものだ。

コンサルで、まだ食べたことのないpudding、辛子明太子、その他いろいろアドバイスする。
人間すべてを経験して他人様に関わるわけにはいかない。
死刑囚に人生を語る教誨師は、人をあやめたことがないのが普通だ。

今日は新しい月に移行して、食ったこともないこともない、アドバイス等ではさんざん関わってきた類いの当事者としての初体験をした。

こういう自分が当事者となってフィールドワークしてみないとわからない初体験を、人生を半分降りたと実感している季節にするとは思っていなかった。

もちろん、うれしいだけでなく、肩の荷を重く感じる部分もある。
VWのようにB勘定のエンジンを載せて走っているわけでもなく、そんなダブルトラックにtrickできるsoftを作る能力もないが、やはりコンプライアンスはうるさく、管理社会化が進む一方の現在だ。
養老先生は、一人称の死は本人には関係ないとおっしゃるが、できれば生きて迷惑という排気ガスをさんざん排出してきた我が身なら、できるだけ死後も増幅させたくはないと考えるのが、死者予備軍のノブレスオブリージだろう。

ということで、ネオンサイン、ミラーボールのキラキラするノイジーな秋に、月見団子ならぬ初pudding。
肉を詰めて膾を吹く。
puddingもそろそろと吹きながら味わいはじめ。

2015年10月1日木曜日

インタビューのコツ

壇上で、「武士の情け、最後ぐらいちゃんと聞け」という風な啖呵を切ったとニュースで知った。
しかし、大分前のテレビかなんかで反対意見の論者とディベート風をやっていたのをyoutubeで見ていて、そんな大上段に言えない風のうなずきもしていたのを知っていたので、ああこれは晴れの舞台での芝居だなとすぐにわかった。
新聞やテレビしかない時代ならこれでも通ったかもしれないが、いまはライヴ中継、アーカイブ、それを指摘するネット住民。
すぐにばれる。

それでも、人は演技することをなかなかやめられない。
その時その時の立場、打算、気分、作戦等々いろいろな要素を抱えながら言動する。
よってインタビューは難しい。

立花隆さんは取材の前に、入門書、専門書、論文等を相当数読み込んで、かなりのリテラシーを身に付けてインタビューに臨まないと効果を上げられないと書いておられた。
氏に限らず、誰でもそうだろう。
本当は、ビッグネームに当たる前には、相当人数の事情通に当たっておかないと、ビッグネームのマジックに引っ掛かってしまうかもしれない。

継続的に肝試し勉強会に参加しているが、これは前記のような下ごしらえまったくなしのぶっつけ本番。
やみなべ風だから、下駄も出れば、サンダルも出るが、そのときの顔で人格のかなりの部分が出る。
実に面白い。
自分の馬鹿さ加減を楽しむ。
復習でそれを味わうと、ちょっとだけバカにつける薬になる。

ところで、インタビューには、観測問題が入る。
問い詰めれば、逃げたり、開き直ったり。
こちらへの精神分析でいう転移現象も出る。
そういうところに配慮しないと、良質のインタビューはできない。
TPOは大事だ。
縁がなければ、それで終わり。
そういう意味では、ホンに一期一会ということになる。