2015年10月2日金曜日

puddingは食べてみなければわからない~♪

昔、高名な哲学者の本で出会ったが、欧米ではそれほど珍しくない諺らしい。

食べたことのないものは、落語の「ようなもの」であり、実際に食感もなにもわからない。
もちろん、食べたからすぐにわかるというわけでもない。
好きになってか、仕事でやむなくか、頻繁に食べていると、varietyやTPOもわかってくる。
逆に、その頃には初体験を忘れてしまったりする。
わかるというのも難しいものだ。

コンサルで、まだ食べたことのないpudding、辛子明太子、その他いろいろアドバイスする。
人間すべてを経験して他人様に関わるわけにはいかない。
死刑囚に人生を語る教誨師は、人をあやめたことがないのが普通だ。

今日は新しい月に移行して、食ったこともないこともない、アドバイス等ではさんざん関わってきた類いの当事者としての初体験をした。

こういう自分が当事者となってフィールドワークしてみないとわからない初体験を、人生を半分降りたと実感している季節にするとは思っていなかった。

もちろん、うれしいだけでなく、肩の荷を重く感じる部分もある。
VWのようにB勘定のエンジンを載せて走っているわけでもなく、そんなダブルトラックにtrickできるsoftを作る能力もないが、やはりコンプライアンスはうるさく、管理社会化が進む一方の現在だ。
養老先生は、一人称の死は本人には関係ないとおっしゃるが、できれば生きて迷惑という排気ガスをさんざん排出してきた我が身なら、できるだけ死後も増幅させたくはないと考えるのが、死者予備軍のノブレスオブリージだろう。

ということで、ネオンサイン、ミラーボールのキラキラするノイジーな秋に、月見団子ならぬ初pudding。
肉を詰めて膾を吹く。
puddingもそろそろと吹きながら味わいはじめ。

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