2015年12月7日月曜日

王様の耳はロバの耳

ネットのフレイミングは、他人様間のものでも見ぐさい。
かと言って、物言わぬは腹ふくるるおもいに至る。
徒然草や方丈記が、この時代までよみつがれるのは、良質の吐露あってのこと。

密やかに、Twitする。
まさに、王様の耳はロバの耳であるとか、王様は裸だとか、目噛んで死にゃいいのにとか、プチ汚言、罵倒、本音、冷徹な言及等々である。
対象には、己も含まれ、そうなると自己批判、自己嫌悪、自己韜晦の解除などのカタルシスに至る。

こういう外化、言語化をやっておくと、筑波のガマではないが、己の発語の醜い、気高い、蛮勇の、姑息の、その他もろもろのありようが、赤裸々に自己把握できてよい。

ということで、マイスタイルとして維持することとする。

師走が特に

一日がはやいわけではないが、、、、。

暗くなるのがはやい分だけ、せわしなくはある。

夕方の庭遊びの時間なのに、もう真っ暗。
寒いのでストーブを入れると、夕方でもしっかり夜のmode、moodになる。

それにしても、この調子で、クリスマス、大晦日、年越し、新年とまたバタバタ。
来年のことを言うと鬼が笑うので、まあペンディングにしてあるが、恙無く年を越すことができれば、すぐにひとつ歳が増える。

うれしくもあり、切なくもあり。

まだ腰は弱い

晴れて降りやんだ。

いぢってみると腰は弱い。

日射し柔らかく簡単に水に戻る。

根雪確実と思ったけれど、ホワイトクリスマスもどうかな?

気候は一進一退スパイラルに進んでいく。
こちらの見識リズム感はあまり育っていない。
まあ、その程度だからしようがない。

豪雪根雪当確

一度融けるかの甘い期待は、ものの見事に粉砕され、立派な根雪風な風景。
まあ、覚悟の問題で、今冬はこうとスタンスすればいいだけなのだが。

玄関の開け閉めトラブル回避、車庫前雪処理のコツ。
やっとこ掴んだ最近の自家薬籠中ノウハウ。
使えば何とか生きてはいける。

しかし、もっぱら公共交通網、徒歩といったところが常態となろう。

まあ、毎年のことだから、特にどうということもない。

能動態受動態と協働

振ったつもりが、実は振られてた。
自惚れ屋さんの恋愛事情によくある。

このところネット依存が強く、多くのことはネット検索に頼っている。
まあ、調べれば大抵のことは分かるし、検索なしではすまないことの方が多い。
レシピなども、これなしで、あるいはあれで代替してなどと思って調べると、ちゃんと出てくる。
そういう希望必要な人、そのソリューションは、あっておかしくない、というか、あって当然。

では、それで事足りるかというと、全然ダメ。
自分がそのようなソリューションを理解するリテラシーを持っていないとダメ。
誤導され、下手をすると自爆する。
料理で手をはつり、本当に爆発させて大ケガの危険もある。

そこでキーワードは協働。
能動と受動、歴史と未来展望、ミクロとマクロ、己の、他人様のbias。
その他もろもろを上手に和えて、逸品に、せめて一品に仕上げる。

そこが肝。
しっかりと自覚してやり続けることが大事。

2015年12月6日日曜日

生きられる刻

あれからさほど降らなかった。
ちょうどよいくらいの風景にとどまっている。

北国に限らず、生きるためには、立って半畳寝て一畳の生存可能空間と、サムマネーの確保が必須だ。
こちらの雪がなければ、台風がある。
都心には、暴漢や匿名性の罠も濃密だ。

どこも住めば都。
工夫や精進で進む他ない。

生かされているという宗教的感性は悪くないが、某芸能人の国際関係の能天気なコメントを耳にして、あの程度のリテラシーで奥さん子供大変でないの?と思えど、他人様ゆえ、そういうご仁なんだと思う他なし。

生かされているというべき部分と、能動的に生物的potentialをアヒルの水掻きの如く続けている中間に、いまここで生きられつつある刻がある。

安易な刹那主義とは違った、いまここの貴重さがある。

しばらく師匠の遠征が続くので、こちらもスタンバイが続く。
熟成させるべき刻のseriesに胸ワクの休日の宵闇。

愛燦々と~♪

特に凍れているわけではないが、朝方は雪降りが続いていたので、ご近所もみな雪かき姿。

わんこも感応して吠えたり、覗いたり。

「もう雪のないところに行きたいと思うっしょ?」

「いやあ、 慣れちゃうと 、ないと淋しいね。」とわし。

外回りから帰ると、陽光も燦々。
わんこらに調達してきた豚骨を提供するも、十分くちくなっているのか、見向かない。
まあ、置いておけば、腹が空けばいつか消えている。

BGMに流すYoutubeの番組も、硬派の政治モノから、深夜放送のアーカイブで軽妙なtalk。
所詮、人は大文字部分より、中文字小文字で生きる。

ということで、あと半日はのんびりと休日modeを楽しむ。

歴史の総括

毎週定番で視聴している桜チャンネルの討論。

今日は大東亜戦争太平洋戦争の総括。
https://youtu.be/wNey3EQlUio
(1時間目、2、3時間目リンク省略)

話を前提論に転じる。
養老先生は、情報は不変とおっしゃる。
変わるのは、人間の方だと。

それはそれで見識と思う。

別の意見を紹介する。
故山本夏彦翁は、情報は変わる、変えられる。
真偽論は水掛け論に終わるという。
現実はこちら。
共産国の権力者序列や失脚は、写真の加工でわかる。
写真や文書を加工改竄して自陣正当化相手論難に励む。

まあ媒体劣化の不可避性を含めてみれば、養老翁は山本翁よりも幼稚リテラシー低位とみる。

保守陣営の戦争論を聴きつつ思う。
歴史の総括は、過去の話でなく、今の我らが実存、意味論を問う、まさに血の出るアクチュアルな行為である。
この辺りの自覚の弱いように思われる政治学者の瑠璃さんは結構おバカで、加藤某女史などの結論的物言いなんぞ論外、out of baseとしか思えない。

ということで、歴史学者でない我ながら、今を総括して行こうと思っている。
いわゆる歴史学だけでなく、自然科学や人間学、哲学、その他もろもろの知見を統合させながら。

セルフケアと他人様の治療、商品には手をつけるな

究極のカスタマイゼーションとしてセルフケアは、一般的に推奨される。
自傷他害の危険ありとされたり、公序良俗に反してよほどの反社会的振る舞いとされない限り、反医療主義であろうと、ホメオパチーであろうと、ご随意にというのが、自由の国のルールである。

しかし、これがひとたび他人様の治療となるとそうはいかない。
医療者がこれでいいだろうと思っても、受ける方の十分な納得がいる。
インフォームドコンセントを形成せず、専断的治療とされれば、傷害罪とされる可能性もある。
患者本人や家族がいいと言っても、社会的に問題をはらむ治療は慎む必要がある。
生命倫理に反する、虐待となる、その他もろもろ社会的に施行を自重しなければ、法律や規制的制度で、どえらいサンクションが課せられる医療行為もくさるほどある。

この時代の医療には、この大変さが重圧になっている。
最近、医師たちで脱ヒポクラテス宣言を唱導している人々がいる。
一休さんの問答のように、「蓋を開けずに、味噌汁を飲め」といった無理難題が降り注ぐ時代に、医者は医聖ヒポクラテスのごとく振る舞えないということだろう。
確かに、交通事故が起これば、どんな患者管理をしてたのだとくる。
風邪薬には眠気を誘うものがたくさんある。
てんかんなどに比べても、どの医者でもあたる。
実は、薬など使わずとも、ちょいと休ませただけで、どどっと疲れが出て、動きが鈍くなることもある。
先日、あるdoctorが、Twitterで「そんな大げさな」という反論者に、「健康を害して、運転に不適格な状況で運転すること自体が道交法違反」、「車置いてタクシーで帰れと指示する」と応えていた。
確かにそんな時代だ。
そういう意味では、古きよき時代のヒポクラテス、赤髭を演じることは、もはやできない。

このような厳しい、ある意味では当然のことが要求される時代に、「商品には手をつけるな」という格言をしっかり認識しなければならないといった話がある。
患者さんと特別の関係になる医者や医療者がいる。
精神科医が人格障害の患者さんと恋仲になり、翻弄され、殺し自分も死にかけた。
ミイラ取りがミイラになる。

別に医療に限らない。
先生が生徒に、コンビニの店員が商品にホントに手をつける。
司法試験の先生が、受験生に手をつけて、立件されるところにいるとニュースになった。
手をつけそうなところほど自制が要るのだが、人は弱い、つい手をつけてしまう。

この辺りのリテラシー向上が必須なのだが、なかなか上手く学ぶのは困難である。
何故なら、人はどうしても自分を埒外に措くからである。

爆睡

自分の中で、懸案と感じて、頭のなかにsuspendしていたことごとが、だいたいかたついたのか、よくねる。

しっかり休むのは、気持ちがいい。

今日も、課題はしっかり休むこと。

もし、積雪がすごかったら、雪かきで身体をほぐさなきゃいけないが。

2015年12月5日土曜日

便りのないのはよい知らせ

緊急伝達はありうべし。
身内から、クライアントから、スタッフから、見も知らぬ虚名感応人士から。

戦乱災害など特異状況以外では、ホンに便りのないのはよい知らせ。

いつも、不用なスパム擬態など外して、真正emergency callのないことを確認するとはっぴー。

今の世の、何とか電話じゃないが、いらはいいらはいかけてこいのポータルも、ホントのクライシスcallを不明にさせるデメリットも考慮すべきと思う。
勘違いな依存心醸成だけでなく、これを装った詐欺サイトのバッコを助長する。
その辺りのリテラシー、目配りを望む。

カプリシャスおそろしや

近所の某有名宅配の配送店が便利と感じていたので、頻用していた。
しかし、8:00~21:00の営業で、配送センターの電話も自家都合でシャッタアウト。
配送店に直撃するも、店員も配送スタッフも頼りないは、ウソっぱち平気で言う。
何故そんな事業所にマンセーせにゃならぬ。

よって、われのみならず、コンビニにshift。
24時間営業。
そこへのdeliveryするJPも、一応24時間オープンの確認はしている。
そうなると、黒いネコでも、白い飛脚でも、コスパ、利便の悪いと思う奴はomit。
今日の宅配のおっちゃんへの閻魔帳の点数は、彼の真摯さの欠如ゆえでなく、クライアントとしての不自由感から、betterに速攻shift。

厳しい時代だ。
自爆テロも怖いが、こういう短時間空洞化は最強の怖さだ。
国民各位、変にがんばっても消耗するばかりだけど、上手におそろしやに対応しようね。

授業料

dvdとdisplayの協働を期待して通販購入したリモコンも、役に立たぬと判明。
dvd playerは単体として動いてもらうことに、、、、

師匠は、インターネット草創期より開発に尽力してきたご仁だが、40台の端末でいろいろとトラブル処理に邁進されている。
netにも、端末にも通暁していない我ながら、数えてみると10台のマシンで、ああでもないこうでもないの日々。

一気通貫ストレートの処理などありうべくもなく、今回のように授業料を払いながら、何とか時代の流れに追いつこうとするスタンスを維持するのがやっとこ。

まあ、既に人生を一回りして、年金等で細々と生きている身ながら、この苦労のもとITの技術革新その他の省力化デフレ化で、cost的にはお安い生活を享受してしまう流れだ。
それで社会梗塞も不本意と、ささやかな授業料を拠出するものの、大したことはない。

あとは師匠のごとく、さはさりながら、この世をインスパイアし続けるのが肝要と思っている。

些事そうそう

通販で購入したdisplayのリモコンがきた。

勉強すること多々。
運送業のdelivery systemの光と陰。
ちっちゃなbutton電池の挿入がいかに難儀か。

なんとかクリアして、2~3センチ賢くなった。
もう1センチおバカの方向に退行していたら、新調した道具即パー。

人の命もそう。
あと2~3センチ横を切れば、生きた死んだ。
あと2~3分遅かったらはやかったら、死んだ生きた。
実際の現場風景。

そういうこと思いつつ、土曜の午後を味わう。

なんとかギリギリ処理できて、まいうー。

雪の庭で

舞い落ちる粉雪を味わっていると。
もう雪続きでもいいな、、、、なんて思ったり。

ホワイトクリスマスの歌がたくさんできるほど、雪降りはromantic。

もちろん滑ったり転んだりのリスクもあれば、どか雪に身動きとれないつらさもある。

しかし、その所与で長年きた。
今さらそれが消えたら便利もあれば、寂しくもある。

この国に生まれたという所与もまた同じ。

2015年12月4日金曜日

また雪ちらつく

ちょいと師匠の打ったeventを聴講に。

人脈の広さや、若々しい、よい意味での思い込みを再確認。

弟子になって師匠をサポートしようと思った以上、暖かく見守りつつsupportしたい。

リアリズムの端くれ実務家として生きてきたからには、いろいろとcriticalにおもうところもあれど、言えない、言わないで行こうと思っている。
聞かれりゃ、正直に諫言的コメントをすることに吝かでないが、まあそのときそのときにライヴに動くつもり。

これは学生さんに対しても同じ。

よい塩梅を探しつつ進む。

雪ほぼ消える

乾燥路面ならスイスイのはずが。

さにあらず。

重い荷物にブラウン運動。

重力に抗して動く体力をカンヨウする必要大。

よく冷えている朝

無事ゴミ捨てtourを終えたが、実に冷え冷え。
所詮まだクリスマス前、寒いといったってしれたものとはいえど。

わんこらも、おしっこして一駈けしたら、早々に撤退。

こういった気候を味わいつつ、徐々に厳冬の生活に順化していく北国の生活。

気に入っている今。

バカの壁自分の壁

養老翁の説かれるとおり、どうしようもないを痛感。

ある精神科医が、厚労省の医師免許サーチで出てこない等々を理由にネトウヨ人士が無免許に違いないと騒いでいる。
左翼リベラルが気に入らぬゆえ、あり得ないデマを振り撒いて暴走する。
自分も保守派ながら、こういう頭の弛い連中の軽挙妄動バカの壁は情けなく切ないものがある。
SNS等でfollowして、ちっとは見識もあると見ていた相手がこのようだとゲッソリ。

事例が異なるが、共産党とつるんでまで利権に執着して完敗した髭のバカ教授の動画みても、何の説得性も感じない。
公務公費いただき公開討論にも応じられぬチキンが、shoutする姿は実にugly。
母校の恥だ。

しかし、これらも各自の自分の壁だ。
他山の石としなくてはならない。

師匠のもとで、教材を揃え、心身のコンディションを整えながら、調息に励んでいるところだが、一番は壁の認識、それにblockされない融通無碍なありようだ。

今日も一日修業に励む。

2015年12月3日木曜日

雨でもおんもが好き

雨でかなりの雪が消え。

ふたたび根雪なしの風景に戻りつつあるが。

雨が降っても、わんこは疾走が好き。
長時間居れば身体が冷えるのはよくわかっているようだが、短時間でも外で遊びたい、走りたい。

こちらも彼らのstress抜き、排尿排便に共同利益があるので、様子をみながら声をかける。

人間もときどきfreshな空気に触れる必要あり。
「春との旅」で、オバちゃんが、ときに空気を入れなきゃと戸を開けるシーンを思い出す。

大変な時代

近所の女性の会話を盗聴したものを、拡声器で大音響で流し続けた男が逮捕された。

人格障害者の確信犯的行為のよう。

以前にも「出てけ」shoutおばさんの事件が立件された例があり、これからもありえるだろう。

ゴミ屋敷も、そろそろ本格的に対処しないと危ないところにきている。

ネット知己のN doctorとも、discussionしたが、対テロ資金体制は構築できても、はねあがりの半グレや、上記の人格障害者、追い詰められた旧体制活動家、自傷他害の危険の高いいわゆるメンヘル子、その他の制度など作れば作るほど暴発圧の高まるクラスターの自爆テロ的リスクは、結構高くなるだろう。

風景や状況をプロファイリングして、「バガボンド」の武蔵の如く、とるべき対応、戦略は練ってはいるが、各位とも実に大変な時代だ。

あまり大変だ大変だと騒いでいてもつまらないので、楽しく人とcommunicationにつとめよう。
コンビニのお姉さんも、気心が知れてくると、仲良しの会話も可能だ。
荒天に好天を見出だすのも、大切なskill。

変人と風土

自分が自分を変人と思うのは、いまのところ自明に思うので措く。

この地の人々はよく口にする。
何がよくって、こんな暮らしにくい土地に住んでんだべ?
そういった近所のばっちゃまも、彼も彼女も、東京から帰ってきた。
雪や凍れは大変だが、ないと淋しくて暮らせない。

そういう人々の集積で、この地はある。
そうでない人々は行きっきりになる。
渡辺淳一しかり、西部ススムしかり。

わが師匠もそのよう。
猫の子か犬の子のように大阪から貰われてきて、この地がよくなって根をはっている。
その弟子になって、こういう知識社会学的風土論にひたっている自分がいる。

ご縁というのは、実にいなものだ。

2015年12月2日水曜日

生き物はそれが我慢できない

ネット知己と、対テロマネロン国際体制について議論した。
古い日本的環境をデフォにされてきた方なので、それなりにぶっちゃけ説明を試みたが通じたかどうか?

このようなことは今回に限らない。
先日、リアルでも、団塊の世代のdoctorに超限戦的状況を説明したが、感度は鈍かった。
団塊のおっさんに共通の態度と読めた。

これは学生にもよくある。
医学生に限らず、存在被拘束性というか、こんな世の中で、そんなに育てられたら、やっぱりそうなるだろうなあって態の子は多い。
これは当然で、日本で育てば、こういう社会だからこう、帰国子女ならそこでそう育てばそうなるよなあやっぱりという風に育つ。

うちのわんこらもそうだ。
うちの子らしく育っている。
しかし、教えれば、がまんも少しはついてくる。
タガが外れれば、がまんも吹っ飛ぶ。

話は冒頭に戻るが、日本の社会もこういう風だから、国内でもdesperateになった人々、旧化石人間、旧反体制に限らず、認知症気味の老人、人格障害性の強い若者、いじめや抑圧に耐えられない子供、あげだしたら一億総活躍じゃあないが、一億総暴発の危険はある。

いきるというのは、reverseすれば暗転の板子一枚くるりんしょの生をアプリシエートしながら、自己表現させていくことに他ならないからだ。

楽チン

雪のアイスバーンを理由に、外回りもバス電車。
実に楽だ。

それでいいと思っている。
他人様の運転もわかり。
英気も養える。

TPOに合わせればいい。
師匠のインストも身に合わなきゃ意味がない。

ここいら辺りは、そのときそのときうまく選んでいく。

とくに楽チンを選ぶということはなく、ベストに腑に落ちるかどうか吟味しつつ。

Christmas songをBGMに

同世代のdoctorのいえり。

瞬く間に翔んでいくアラカンの一年。

確かにはやい。

若い学生さんを眺めていても、同じよう。

現代人は忙しい。
情報が溢れ、それらの情報に追われ。
追い付くいとまがない。

ノンビリと時空に遊ぶ暇も余裕もない。

そんな時代だからこそ、自分でカスタマイズして、味わっていくしかないのだろう。
アプリシエイトしていく知恵と能力が問われる。

2015年12月1日火曜日

師走の摘便

犬娘の長女は、石女だ。
犬息子の先代との挙児を避けるべく、手術を選んだ。

特に手術が失敗し瘻孔が出来たわけではない。
ただ、直腸や膀胱周辺の括約筋などにdamageが生じるのだろう。
便秘、排尿困難がみてとれる。

そのたび飼い主のオヤジは、心の中で詫びる。
獣医はいいことは言うが、伴うデメリットはあまり言わない。
責任追求の予防のため、言うがいいわけじみた予防線だ。

今日も雪の庭で摘便した。
人間の医療者としては、やることのまれな自分が、過酷な運命を強いた犬娘の摘便を日常的に行う。
上手に施行すると、本人もスッキリするのか拒まない。
段々とうまくなるので、だいぶ罪滅ぼしも積めてきている。

人の医療の研究者の師匠の一番下について、日々discussionに加わりながら、dog therapistとして愛犬の下の世話に精進する師走である。

男も愛嬌女も愛嬌

dマガジンで読んだ雑誌の有森架純があまり可愛いので、外回りのスーパーの書店で紙雑誌も購入。
質感よく保存版に。

わんこ息子もわんこ娘も、愛嬌が最大のcharm point。
人間も同じ。
擬態媚態でなく、そこはかとなく滲み出る男前女前としての愛嬌。

つまりは生き物としての面白さ。