2015年12月6日日曜日

生きられる刻

あれからさほど降らなかった。
ちょうどよいくらいの風景にとどまっている。

北国に限らず、生きるためには、立って半畳寝て一畳の生存可能空間と、サムマネーの確保が必須だ。
こちらの雪がなければ、台風がある。
都心には、暴漢や匿名性の罠も濃密だ。

どこも住めば都。
工夫や精進で進む他ない。

生かされているという宗教的感性は悪くないが、某芸能人の国際関係の能天気なコメントを耳にして、あの程度のリテラシーで奥さん子供大変でないの?と思えど、他人様ゆえ、そういうご仁なんだと思う他なし。

生かされているというべき部分と、能動的に生物的potentialをアヒルの水掻きの如く続けている中間に、いまここで生きられつつある刻がある。

安易な刹那主義とは違った、いまここの貴重さがある。

しばらく師匠の遠征が続くので、こちらもスタンバイが続く。
熟成させるべき刻のseriesに胸ワクの休日の宵闇。

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