2017年5月31日水曜日

一区切りついて

街場をうろちょろして、帰ってちょいと横になって、眠るほどになってないのに気付きいまだ。
結構暑いのが影響しているのかも。
エアコンつけたらずいぶんとスッキリした。

暑いとコストをこぎらずに、熱中症予防に励むのがいい。
この前に往った仔は、昔暑いときにバケツの水を飲む前に浴びていたが、順序はそれが正しい。
coolingしとかないと、熱中症で逝っちゃう。

さて、ちょいと熱心そうな学生さんに、勉強会の声かけをしてみた。
効果やいかに?
一度でいいから覗いてくれると嬉しい。

こういうあまり速効性のない営為で、少しでも知恵の輪が解ければいい。
下手をすると、よけい輪がもつれるかもしれないが、まずはやる。
やってこそ面白味が広がる。

明日は新しい月に移る。
いいことばかりではないだろうが、格闘してみる。
それしかない。

朝ぼらけ

寝て起きて、二度寝してまた起きる。
朝の外気は快く、わんこらとご近所ワンround。

日は弱くもなく強くもなく、マラソン人が行き交う。
五輪真弓の唄みたい。

風呂場にかけておいた洗濯物がほぼ乾いている。
独身生活も板についたものだが、失敗した結婚生活があったゆえでもある。

研修所の教官の教え通り、そこそこ長生きしないと人生の味はわからずもったいないことになる。
老醜は望まぬが、行けるところまで淡々と行くが正解だろう。

今日は学生さんに勉強会の粉でもかけてみようか?
機は熟しているような気もしている。

一期一会を楽しんで、、、、。
さよならだけが、再見だけが、人生さ。

fake newsとpost-truth politics

難しい話ではない。
政治的biasが露骨な時代だ。
別に今に始まった話でない。
政治的含意で好き放題云っていたのが、ネットやマスコミで増幅される。
素面でいれば、見ちゃいれない姿だ。

それが政府機関や国際組織にまで及んで魑魅魍魎ゆえ、大変だ。
まあ、いちいち腑分けして、自分なりの見識で考えるしかないが、trickyな情報は勝手に押し寄せるから、なかなか自由自在とはいかない。
変な情報は、しっかりtraceすると変さが浮上するので、隠忍自重かつ精力的に考え続ける他ない。

ハニトラ情報も宙を翔ぶ。
「内部告発」元官僚の買春も当時からホウバイの忠告の対象だったというが、店の立件近しの噂にどうなるか?と思うが、支持勢力はいじめるなの合唱である。
認知bias甚大と思えど、そう見えればそうなんだろう。

journalistの下ネタというと、某有名新聞社記者のバナナ事件を思い出すが、最近週刊誌ネタとなったcaseもescalate中である。
記事を読む限り、痴情のもつれに見えるが、準強姦事件としての評価は魑魅魍魎である。
記事に登場するtaxi driverの言でも、女性は男性と会話しており、意識が急峻に消えたという供述との整合性はどうかとも思える。
検審への申し立ては誰もの権利なので、男性もお付き合いする他ない身から出た錆であろうが、女性ご本人やケツもちしている人々の姿を見ると、実にpoliticalではある。

いずれにせよ、庶民に出来ることは、諸般の事情を勘案し、清き一票を投じるのみ。
今日もひとり哲学を続けるべくブラウン運動に励む。

2017年5月30日火曜日

拾い回り

図書室で予約本を借り受け。
買い物面倒で、コンビニで済ます。

懇ろのお姉さんおばさんの店員さんと、久しぶりにやり取りする。
都合よくいければ全てよし。

telephone人生相談のお姉さん奥さんも少し専断的だ。
回答者弁護士先生の言うとおり、ちょっときついかな?
結婚って結構大変だ。
その点petは楽だ。

明日のscheduleを考慮しつつ、様々を回す。
すべてうまく収斂しつつあり。
嬉しいことではある。

拾えないものまでは拾わない。
full、過不足なしが丁度よい。

101匹ワンちゃん大行進

朝早くのwalkingでは、ワンちゃんとの遭遇が多い。

老夫婦が仲良くわんこと回っている。
平均余命を考えれば、色んな組合わせあり。
みんな精一杯生きるのがいい。

ひとりで1~2匹連れる人。
一家で、子供さん参加で散歩の風景もある。
大体が幸せそうな有り様である。

人間関係が難しい時代になって、petに愛情を傾注して幸せを感じる人がずいぶんと増えた。
外飼いのriskが増えて、大型犬も座敷犬になっている。
そんな時代だから、朝のこんな風景がある。

もちろん人間の勝手で可哀想な仔もいる。
自分自身、petを飼うこと自体のよし悪しまで詮議すれば、可哀想なことをしているという自覚もある。
だから、もう最後にしようと思いながら、飼い続けている。

生きている矛盾は、人もわんこもついて回る。

夢のまた夢

このところ夢を見ない。
スパッと寝て、十分眠って起きる。
早寝早起きの健康児だ。

健康といえば健康だが、面白味に欠ける。
理由はよく歩いて、乳酸をしっかりためているので、ストンスパッとというpatternにはまっているのだろう。

気温はずいぶん高く、夜遅くもストーブ利用はまぬがれている。
庭も緑の繁茂が目立ち、ジャングルのようで、今年は面白い。

近隣も眠りにつき、しっかりと静寂に浸っている。
こちらも静かな夜だが、ワンコも飼い主も起きて夜を楽しんでいる。
いろいろと作業して、時を満たす。

今日も多分朝の街を冒険して楽しむのだろう。
このところのライフスタイルだ。

いつも起きているような、あるいはまどろんでいるような生活。
何ともいえないほどに、はまっている。

2017年5月29日月曜日

夕暮れ時は~♪

夕刻図書室に向かうが休館日だった。
知ってるはずなのに、到着mailのpick off playに引っ掛かった。

ザボイスの「そこまで言うか」でぶっちゃけ議論を傾聴する。
共感半分、ちょっと違うのんとちゃうん?が半分だ。

わんこらは満腹の呈でグースカピーだ。
野性の残存も感じるpetだが、幸せそうに見える。

飼い主は、ああでもないこうでもないでブラウン運動、random walkに終止する。
下手な考えは休むに似たりだが、休まずあちこちwonderingするのが大事、犬も歩けば棒に当たるぞいな。

さて、特にどうぶち壊さぬといかんというdriveもなく。
必要とあって招命されれば、おっとり刀で駆けつける底意地はあるつもりなれど、matchingはわれをcallせず。

北のcount downは決してマチス氏の警告をbluffにとどめないescalationを感じさせる。
大きな賭けゆえ、のんびりはない可能性も大である。

歴史の黄昏ならそれもありか?

週はじめの発見

相変わらず輪読会に学生さんが来ない。
師匠も忙しそうだが、そういやあ学生さんだって忙しい。
講義聴講中にscoutしたい秀才君もいるが、声かけに躊躇がなくもない。
師匠の正面幹竹割がちょいと気になる。
まあ、しばらく様子みて、粉かけられれば、かけてみるか?

師匠も忙しい。
雑事も多い。
天下国家、専門蘊蓄を開陳しながら、雑文arrange、資料整理に追われている。
彼だけでなく、世のスウセイではある。
悪弊とも言えず、どう折り合いをつけるか、各位の甲斐性が問われる。

さて、わんこらと庭遊びで、久しぶりに隣家のご夫婦と対話する。
隣国関係は必ずしも容易ではないが、必須ではある。
わんこらも平和に庭遊びし、部屋に戻れば、豚足をしがむ。
これを平和という。

日々をハンドリングしつつ、至福を味わう。
週はじめ、終わりを問わず。
楽しからずや。

walking&walking

仁鶴さんが体調不良で初めて欠場とか。
ざこばさんが脳梗塞で倒れられた。
普通に歩くことのできる貴重なことよ。

今日もwalkingを重ねた。
倒れずに次の一歩を継ぐことが出来たが、いつかは叶わぬ日も来る。
このところ、そういう意識が強くなっていることをメタ意識する。

街場も、ceremony hallとリハビリ屋がずいぶんと目立つ。
わが感慨は個人の生活史生活問題だが、世の中は需要と供給の話になる。
利は大きくなくとも、世は時代の大数法則を追う。

さて、歩いて見ると丁度よい。
いつくたばってもいいかと思えど、丁度よくにもなっている。
くたばりゃそれで終わりだが、さらばえる方にもhedgeして倹約も考える。

人生二刀流、真実は合間にあり。

癲狂院cool

結界されているから名がつくが、シャバの方がなまじ「normal」のscrambleとされるゆえ凄い。
SNSなんぞその典型だ。

これもこのところだいぶ腑に落ちるようになってきた。
患者の多くは私事に悩む。
「正常者」はこれをideologyで粉飾するので、認知bias等の馬脚が見えにくい。
また、院外では正業持ちなので、遠慮会釈でcoatingできるゆえ、見えにくい。
それをSNSなんぞではモロ出しになるから、質が悪い。

さて、こういうことは身近でも同じ。
日々discussionする相手も、第三者へのlectureなんぞをobserveしていると、ホーあれはそう聴いているんだと思うことまま。
しかし、それは気にしない。
異論を抱えてcomunicateできるところが面白い。
もちろん、院内での「俺は王だ」「誰が言った?」「神だ」「俺はお前を任じていない」風のそんな会話もあって、crazyさは単なる院外版にすぎない。

まあ、元高官が官僚主導の正統性を国民に選ばれた政治家にぶつけて恥じずの政治利用のムチャクチャだ。
違法な乱行で今や手入れ前らしいが、笑止千万。
またcrazyなケツ持ち野党のお囃子も高鳴るのだろうが、最後っぺにもなるまい。

今朝もcrazyなscramble交差点を淡々とventureする。
また楽しからずや。

2017年5月28日日曜日

日曜快晴

雨もあがり、暑くも寒くもない。
わんこの庭遊びにも、ミニ近所周遊のおまけをつけてやれる。

知人とのdiscussion用にAmazonで追加注文に及ぶ
vプリカのchargeもしておかなければ、、、、。

歴史のお勉強をざっとしてみて、自由連想just in timeその他こまめに頭使い路線にshiftする。
学校の定期試験なんぞもカンニングペーパーを作ったり、四苦八苦して方法論に気がついたところでトリッキーな手法が要らないほどに解るようになったりするように、模索色々が成長因子となる。

こんなことを書いているうちに、またポツポツときた。
快晴でも、狐の嫁入りでもドンと来い。

この季節、おしめりでも快晴でも、庭の緑の伸びること伸びること。
一年で最高のseasonかもしれない。

減退と格闘す

歯目なんとやらというが、自覚すれば、それなりの対策はとる。
身体も神経も、経年変化で陳旧化はまぬがれない。
しかし、最後は塩梅のつけかたにdependするので、一生懸命中枢つまりはbrainと相談だ。

もちろん、中枢系も劣化はするから、mildなharmonizationを志向する他ない。
見えにくければ、目を酷使しないように、意味とりの最適化を図る。
歯が弱れば、喰うもの、喰らいかたに工夫して、無理のない摂食を図る。

そして各器官個別でないことを悟る。
最後はtotalだ。
伏兵に突然damageを与えられにように、緩急動静に腐心する。

要は人生の基本、basic thinkingに徹するだけのことだ。
TPOをわきまえれば、若い頃からでも同じである。
ヘレン・ケラーしかり、座頭の市さんの云う通り、目開きは不自由だねもあり。

さて、言うは易く行うは難し。
試行錯誤random walk、ブラウン運動に徹する。
また、いきめやも、常に再出発である。

2017年5月27日土曜日

土曜の午睡

雨と昼食後ということで爆睡する。
犬っぽい暮らし向きで花丸だ。

Amazonでやって来たブルーバックスをゆるりと熟読の予定である。
図書館本も、精読用に少数精鋭を予約する。

ネットは、有象無象玉石混淆をスキャン的にcheckする。
下らぬものに腹を立てたりしているうちは苦痛だったが、いまや路傍の石廃屋を眺めるが如く通り過ぎる。
ささやかに光るモノを見つけると逆にluckyを喜ぶことができるようになった。

ささやかなhappinessを寿ぎつつ、週末月末を楽しむ。
最高の凡庸である。

朝二お買い物

今日は朝一朝市でなく、ordinaryの開店時間でのお買い物だ。
品揃えも整い、いい面もある。

買い物のうちに、構想が踊る。
コンビニにもなく、このスーパーにもないランチョンmatは、DIYでテーブルcrossを買うか、いま載せているcrossをずらそうか?

世の諸々はこうして推移していく。
我のみの塩梅調整なので自由自在だ。

わんこらを庭に出してやろうとするが、雨も降り止みがうまく回らない。
何だかんだと腐心出来ることはありがたいことである。

買い揃えた食材のターンオーバーは順調だ。
河岸は適宜に変え回していく。

いま聴いているtelephone人生相談も、詐欺を理由に詐欺されているかのよう。
よく分からぬが、まあ錯雑とした時代ではある。
聴き終えると、自称弁護士の架電が怪しい。
この点MCの女医さんの方が慧眼、本物の弁護士回答者少々おっとりか?

いいことに気がついたねえ再

山川の日本史世界史、やはり壁を越えられない。
叙述をfollowしても、受験時代を越えない。

しかし、還暦の実あり。
ピッカリとidea lampが閃いた。

胆は資料。
地の文では気付かない、いつも見飛ばす図や表や写真。
これらを読むだけでなく、考える感じる。

これだけで、グッと繋がる。
こんな単純なことがわからないと読めども読めず。
これを生物学書で師匠に教わった。

やはり考えないとダメ。
E・H・カーの言うとおり、歴史学とは歴史をとらまえて今を考究することである。
これはジャンルに違いがない。
知致はおのが無知の知悉である。
無知の知、知るをもって知るとなし、知らざるをもって知らざるとなす、是知る也。

さて、雨の中の外まわり。
街という教科書を読みに参るか。

雨々降れふれ~♪

朝からポトポト来ている。
わんこを庭に出すのもやっとこさだ。

図書室の本も到着、コンビニ月末決済も準備万端である。
あとは時間に出向くのみ。

情報提供先には、適時に送信する。
興味を引けば、次に会ったときの話題にもなる。

こういう小まめなやり取りが大事である。
またノータッチにすべき先をインタクトにするのも重要だ。

こんな大事なことに気付かず、ここまでよくこれたものだ。
学習の時間のかかることよ。

このような作業に時間を使っていると、雨も晴れもない。
晴耕雨読を上手に回すだけのことである。

ということで空き時間に風呂タイムに突入する。

2017年5月26日金曜日

夜の作業

月末の払いにコンビニに出向こうかとも一瞬思ったが、夜の往来riskを考慮してやめ。
何もあわてて夜中にウロウロする必要はない。
明日の図書室まわりとシンクロでいいだろう。

腹は空いたが満腹にする動機はない。
ちょっと軽くいただくノウハウを身につけたい。
要は作って小分け等でいい。
弁当作りのおかあさんなら日常茶飯事の作業に過ぎない。

newsはジャンクばかり。
ジャンクな情報源にdependして共倒れに邁進する政党報道機関。
散り時だ、見事に散りたまえ。

師匠にちょいと情報提供。
別の恩師の栄達祝がもうすぐとの知らせ、電報でも送るか?
適宜な一丁噛みに腐心するのも夜の作業だ。

ゆっくりと形を整え明日に向かう。

ナラティブ

何がなにしてなんとやら。
感動もあったり、だから平仄合わないよねもあったり。
しかし、わが注力した言葉の無力やささやかな影響をみてとるのも悪くはない。

自分の場合も逆に同じである。
他人様から見たら、似た事の繰り返し。
呆け老人の世迷い事のrefrainではある。

面白いのは、それでも微妙に状況は動く。
世のdynamismはそうして動く。
いずれにせよ、効利主義や狭い目的合理主義で動いてないから、特に結果効果に拘泥なし。

さて、また週末月末が来て、時の早さを実感のseasonが再来。
全体の早いような遅いような。
わが日々のナラティブのかよわさを思う。

道草大好き

昔もよく歩いた。
ただ脇目もふらず夢中だった。
いまは脇目が大好きである。

道草と云っても、ひとり路上学会と云ってもいい、要は道草自体が楽しいのだ。
無理はしない。
今日も工事を避けたり、興味に任せたりで、random walkだ。

わんこらも同じ。
興味本位道草大好きのようだ。
だが、急変もする。
遊んでいたかと思うと、餌の気配を感じると一瞬前がチャラになる。

それがいいというか、それでいいというか、生き物はそういうものだ。
わが道草行も、急転直下様相は変わる。
ユーレカ‼のこともあれば、生理的要求でnature calls meのこともある。

よって今日もこのブラウン運動をこよなく愛してさ迷い続ける。

夜のあれこれ

考え込んだらリズムが乱れた。
俊才連が考案するところをtraceするわけだから、そう安直にわかったなどとするのはおかしな話ではある。
ノーベル賞ニアミスには、安直にしないのがオマージュである。

もちろん、俊才も臆見あり。
池田信夫氏が、山本義隆氏の力作にオマージュを書きながら、反原発思い込みを軽くいじっていたが、人間の総体は玉石のcomplexではある。
拝跪はしない。
それが原則だ。

ずれた時間に寝起きしても、ちゃんとmanagementすれば、特に支障はない。
HUBがちゃんと出来ているので、上手にshiftさせればいいだけだ。
時間のshiftも芸のうちである。

自分の日常性とわんこらのライフスタイルが整合すれば、それ以上の欲はなく、このところ実に恬淡としたものだ。
ネットの情報系も、こちらに肚ができれば、ジャンクと至宝に区分けするだけだ。
アホにアホ云うのはアホやで通す。

夜明け前に、調理や身繕いやキーボード叩きをしていると、急に食欲が出てきたりするが、自然に素直に合わせていると、ちゃんと夜明け前に相応しいmenuが浮上する。
自由にすることの自由さの堪能だ。
こういったメタ認識が気持ちよい。

こういった日夜をいただけることの至福この上なし。

2017年5月25日木曜日

思えば遠くに来たもんだ~♪

どえらい先生方の著作をかじる。
実にうまい。
責任も何もないおっさんゆえ、解釈も自由だ。

学者ならpublish or perishで業績を出さねば生きられないから、お気楽極楽には行かない。
学者でも、芸術家でもなく、セミリタイアのヘッポコ実務家ゆえの物見遊山だ。
よって?の類いも、非常に偏跛なれど、どこからも文句は来ない。

今や師匠とのやり取りも、それなりに自由だ。
このところは、上記のノーベル賞級に浮気して、不肖の弟子である。
上級の弟子は、他所からの空気をもたらして良しということで、デカイ顔を続けている。

何はともあれ、知的遍歴の自由が最高のtasteだ。
残り少ない人生ゆえ、これを味わうに如かず。
思えばずいぶんと遠くに来たが、日暮れて道遠し。

そんな調子のいいこと思っていると、明日ポックリかも?
ままよ、それがいいのよ、面白いのよ~♪

シンギュラーポイント

行きつけのスーパーで新機軸を体験する。
これもすぐに広まるだろう。

レジのお姉さんの横にCD機風の器械が鎮座ます。
「よく分からんから」と腰を引くが、聞けば簡単な話だ。

カウント済みの顛末がすべて画面に出る。
これをキャッシャーの表示と見比べて、間違いなければOKを押す。

あとは現金を入れるのは自販機等々と全く同じ。
すぐに釣りとreceiptが出る。

またシンギュラーポイントに一歩近付いた。
二人いたお姉さんも、どこも1人化するだろう。

技術革新、省力化が日進月歩だ。
いいのか悪いのか?

なんにせよ、この流れを踏まえたビジネスモデルでないと持たない。
逆に手厚いハイタッチに労働市場もニーズもシフトするかも?

微妙で難しい時代ではある。

朝の喪

朝一の庭で、昨秋たった六つで旅立った仔を思い出す風景に遭遇する。
花を手向ける。
うまく生かしてやれなかった自責の念が辛いが、失敗してみないと味はわからない。

そんな思いは彼女の前の数代をめぐり、ひとにも、己にも及ぶ。
年老いるというのは、そういった哀惜の念慚愧の念の集積である。
tasteとしては、嫌いというわけでもない。

さて、庭の蕗の薹もずいぶんと大きくなった。
動物にかける愛情が、いまだ植物には及ばない。
周回遅れで、結局寸足らずで終わるか?

このところ、追い詰まった気分含めて、己の心象風景tastingを楽しんでいる。
気分というのは変化し、一瞬と定位を許さない。
それが生きとしいける者の宿命だ。

ということで、いざ生きめやもとなる。

ひと息ついて

痛みがかなり落ち着いた。
それなりのことはした。

風呂に入る。
温熱療法はいい。
高温で仮に腫瘍細胞の隆盛があれば、counterになりうる。

循環が改善し、免疫系も賦活される。
全身がdynamicにmodifiedされた状態に至る。

入浴中にしたのは読書だ。
単に仮想病巣対策に腐心するだけでなく、前に進む。
新たに到着した細胞生物学を読了し、新たなLifestyleに進む。

ガンも血管障害も、今ここの手当てが大事だ。
わが方針とすれば、不安を内心詮議しつつ、果敢に対策する。

量子力学的無明の世界で因果は知らねど、まずは奏効して小康を得る。
また嬉しからずや。

このプロセスがまたいい。

2017年5月24日水曜日

不安を読む

症候に気付く。
何でもないか?大ありか?

過大評価すれば、不安は極大化する。
何でもなければ、結果杞憂となる。

正直なところ渦中では見えない。
急峻なものはコロリといくから、怖いは怖い。

物故した知人もいる。
若くして逝った者、ほんのこの間の者、様々だ。

いずれみんな居なくなるので、思い入れ過ぎなくていいとはとらえている。
借りて来た図書をはや読みした。
死を意識すると、関心の転変は素早くなる。

わんこらにも少し邪険になるが已む無い。
君たちを末永くサポートするためだ。

迷路銘々

朝晩あまりけじめのない生活が淡々と過ぎる。
幸か不幸か?と自問すれば、幸せに決まっている。
無事是名馬である。

少し雨っぽい天気だが、路面は濡れるほどでない。
桜も咲き残っているのに、そろそろ蝦夷梅雨か?
ロンドのように日々が回っていくので見当識も定かでない。

街角の向こうから来た自転車にすんでのところでぶつかるところだった。
SNSなんぞの愚見に遭遇しても、「そういうならこうか?愚か者め!」で済むが、real worldの闖入者は実際に危険である。
まあ、対テロのひとり演習のようなものだ。

しかし、災難をまぬがれれば、面白いgameともいえる。
起伏の、riskのない人生ほど詰まらぬものはない。
そうなれば、迷路も楽しいwonder landである。

銘々膳でいただくに如かず。

2017年5月23日火曜日

目を閉じて~♪

自己陶酔の詩が好きだ嫌いだはmodeの話。
おっぱずかしいと思えばガナれない。
しかし、大好きなお方も少なくない。

このところカラオケは疎遠だ。
うたそのものに陶酔しない。
そうなると目を閉じようと、開こうとめくるめかない。

やはり志向嗜好というものはある。
このところ学問、叙事的世界の付き合いが深い。
向き不向きはあるので、それぞれでよし。

人生いろいろとphaseがあって、いっときはひとりカラオケに参って毎日うたっていた。
また夢中になることもありうべし。
これも人生のリズムではある。

目を閉じれば、目を開けば、さまざまな風景だ。
ダンシングオールナイトでも、ひとり沈潜の哲学でもいい。
いまこのときに貴重さが何ともいえない。

回るまわるよ~♪


時代が回れば、こちらも回る。
慣性の法則その他で合わさないとすぐに吹っ飛ぶ。

しかし、慌ただしい時代ゆえ、合わせたって忙しないだけ。
ゆえに、必死で拮抗もする。

朝も庭の壁には蟻はいない。
緑は急伸して、段々とあおみが増してきている。

にわか生態学者風で、犀利な子供らならとうにお気付きのことばかりだが、面白い。
こちらが関与しないところがほとんどなので、法則性のようなところが大きい。

日照、近隣種との関係、昨年のlocation等々が大きい。
そこに土や微生物が噛んでいる。

蕗や野草はいただかないが、結構ベジタリアンであったり、ヨーグルト好きである。
身体は植物や菌とやり取りしている。

いつまで続くかわからない。
refreshを感じることもあれば、老いの進行を痛感することもある。

適当に回るしかない。
まさに回ってまわる~♪である。

2017年5月22日月曜日

farewell to 有象無象


ウィルスのショウケツ既に述べたとおり。
擬態の様も、国家機関も餌食必定の巧妙さだ。
mailといった手段の多くが簒奪される酷さではある。

ただ、原点に戻るとそうでもない気もする。
「友達」&その枝の酷さもさも似たり。
糞みたいなsourceにヘンパなダブスタ妄言。
これこそスパムと云えばぴったり。
医者や判事もこの態なら、non inteliの慧眼を参照する他ないか?

まあ、己を含めて、わけワカメの時代だ。
フェイクはまず切ればいいだけの話だ。
ただ、それが現実であれば、ここがロードスだここで跳べで、その渦中で生きるほかない。

それでも冷徹な目とcool mindの確保は必須だ。
切って切られて、細い真実の糸を手繰る。
実際は、縺れ縺れて容易に姿は見えない。

それでもまずはとフェイクは外す。
初歩の初、基本の基ではある。

ちょっと振り向いて見ただけの異邦人

犬の暮らしとずらしながら、すり寄せながら、暮らしているので、半人半犬のLife styleだ。
上手にしないと、人間の部分は壊れるは、犬にはなれないはで、実に困ったchimeraになってしまう。

だから、衣食住には、それなりに気を使う。
ただ、破格志向ゆえ、formatがなく、deviationの計測もできない。

もちろん、人間ひとりで暮らしても、歳を取ると、予備力は減じ、生活習慣の滓が生活習慣病を生み、緩くはない。
したがって、特に半人半犬を特異には感じていない。

朝の路上で、わがわんこらと同類の朝の挨拶に出会う。
犬種が同じでも、飼い主、その仔その仔で、ずいぶんと違う。

朝の路上の人の群も同じ。
ゴミを出してご出勤のお方。
散歩帰りのようで、これからひとshowerか?のお方。

交錯は人それぞれで袖すり合うも多生の縁。
ただ、切れキャラ親和、テロ近隣の時代ゆえ怖い。
昨日のnewsでも千葉の草野球に包丁振り回した三十代の男がいる。
人間の精神状態が、琴線と逆鱗紙一重の時代ゆえ、イデオロギーなしのテロ行為が勃発しやすい。

ちょっと振り向いて~♪程度があらまほし。

2017年5月21日日曜日

誰がアホやねん?

飛び込んで来るnews、それ自体もすぐにfakeだ。
なぜか?
事実よりもbackgroundが重要なnewsをしつこく垂れ流すと、即fakeと化す。
ネット時代に、マスコミがマスゴミに化すゆえんだ。

ネット言説もさも同じ。
すぐに、また言うてはるわとなる。
聴かぬに等し言説の急峻陳腐化だ。

まあ、アホなありようも重要な情報のひとつである。
しかし、それは所詮そこまで。
実に情の薄い時代ではある。

確かにこの転変の激しい時代、eternalな言説を求めること自体が無理筋だろう。
状況の魑魅魍魎と、不確定性理論を踏まえて、chaosをappriciateする。
アホはアホでも、そのなりようの真贋は問われる。

塀の上の蟻

庭遊びで、塀の上を往来する蟻に気付く。
たかが20~30メートルの距離に数匹一生懸命走っている。
土の上を右往左往するのは、よく見かけるが、わざわざ塀の上に登って往来するのがいるのだ。

複数居ても仲間でないらしく、素知らぬ顔で行き交う。
垂直に壁を降りる者もいて、墜落の恐怖心はないようだ。
一部の蟻にとって、面白いfieldになっている。

わんこや草、その他の季節の移り変わりに加えて、塀の上の蟻の生態観察が関心に加わった。
人も蟻も不可思議な生態だ。
決して単純に説明可能なありようでない。

ファーブルや養老先生は、若くからこうして観察して暮らしてこられたのだろう。
もちろん、ダーウィンや福岡先生のように、理屈も加えてきらびやかな方々もいる。
こちらは、何に出来るわけでもないが、遅まきながら、やっとこ気づいた。

塀の上を駆け回る元気はないが、じっくり見てみよう。

朝市いちいち~♪

休日の朝一は朝市だ。
楽しい。
楽しくバザール出来るところが、世も我も至福である。
こういうところをテロる奴は、やはり外道だ。

さて、食い物がわが身となり、わがLifeと化す。
わんこフリークの身とあれば、多くは彼らの領分である。
この時代、生保に満たない年金中心のセミリタイアが、独居の伴の犬畜生に自分よりも手厚く配分する転倒図譜が珍しくない。
我ながら面白い。

モノの本で、代謝だ生態系だと講釈を学び、朝一朝市で実践する。
代謝の基本は同一相同なれど、人それぞれ。
しかし、店全体で 、食える食えないを限界している。
実に面白い。

これで休日の大半の作業は終えた。
あとは継ぎ穂して、どう楽しむか?
何も決まっていないところが自由業のいいところだ。

let it be~♪

深夜放送のいつもの相方が臨時で抜けると面白くなく、途中で切る。
面白みも何とはないcouplingで生まれるよう。
次に聴いた定番の座談番組も、今回は起承転結が読めてしまい、始まる前のpresentationでやめ。

そういやSNSの「友達」の書き込みも、特に気にしなくなった。
風景のone of themに。
人工的関係性のなれの果てではある。

そもそも実際的現実的なattachmentは、そう広く深いものではありえない。
よってその風景は淡く薄く疎遠なものとなる。
しかし、だからといって綸言汗の如しの意識の必要はあり、何と変な時代か!とは思う。

ところで、こうなると、自分の発信もさも同じ。
upも一種のmarkingに過ぎず。
他人様の有象無象の推移をcheckするmarkerと成り果てている。

これら情報過剰社会の自己保全手段にlet it beが成り果てている姿、面白くもあり。
それでも一応一丁噛みゆえ、袖すり合うも多生の縁ではある。
その程度で十分、その程度が肝要といった面もあり。

2017年5月20日土曜日

暑い週末

ずいぶんと暑い。
外に連れて行ってやろうと思っても、熱射病等を懸念すれば、出れず。
我慢させて、ひたすら涼む。

色々とお勉強もしたが、暑いので一休みする。
まあリキを入れても、わからぬことはわからぬ。
下手に進もうとすると、ただ単に混乱するだけでよろしくない。

遠出しなくとも、庭だけでも結構暑い。
よって窓を開放して、扇風機を回している。
これだけで十分に涼しくなる。

ふと学習意欲の方向が変わって、別の方向の図書予約に向かう。
健啖家で消化不良も懸念するものの、承知で書き散らし型の著者に合わせて食い散らす予定だ。
そういうやり方が悪くない経験もあり。

所詮知識や智恵は生きるサプリメントだ。
基本は生きる意欲と見切り千両。
よって、この路線を進める。

勘違い

土曜の夜かと思い込み深夜放送を聞くと、違うpersonalityだ。
ここで曜日違いに気付く。
一日儲けたような変な気分だ。

このところ陽気もいいので、だいぶホロけているのかもしれない。
もともと日にちや曜日に弱いので、単にそれが出ただけかもしれない。
ものの訳など、多分推測しても無駄骨だろう。

人間の思い入れは強く、昨日聞いたdiscussion番組のデーブ・スペクターなんぞトランプ憎しのあまり、己の存在そのものがフェイクニュースになっている。
党派性が強くなれば、思考そのものが修羅になるので、勘違いが服を着て闊歩することになる。
自省の要ありだが、他山の石にするにも方法論が見えない。

今日明日で法医学書にchallengeする。
己の無知蒙昧故事来歴をしがみながらの読書は、実にマゾヒスティックで身にしみる。
いなくなる世界を想念するは元々酔狂ではある。

しかし、メメントモリは、かなり教育的であり、大いなる勘違いの予防にはなる。
ということで、精励を続ける。

2017年5月19日金曜日

この広い野原いっぱい~♪

お庭遊びだけでは物足りない様子で公園に出る。
まあ、嬉しがること。
はしゃぎ過ぎると危ないので叱りながらも、無事にラウンドする。

自分もお籠りに倦んでいるのか、春の日差しが快い。
短足で照り返しに弱い犬種ゆえ、save気味を優先する。
まだ桜も残っている。

自然の中で、自然を哲学するのは、成書の読解よりも根源的で面白い。
思った諸々を、読書等に反映させるのもまた面白い。
今日も待ち受け本がやって来る。
至福である。

狭い庭から広い野原に出てmedia mixを思う。
選べば何でもあり。
自分へのoptimalを探る。
matchよければ至福、間違えればドツボ。

第二の人生がこんなに肉厚とは気付かず来たものであることよ!

ウィルス猖厥を極める

見れば、慣れればウィルスまるわかりの来訪であるが、このところ目に余り、正直うざい。
政府も、大企業もやられているから、要はメールの機能がずいぶんと落ちたということだ。
信用の疑われるメールは、スキップされるか、気にされればちゃんと犯罪立件されるリスクがあがり、総体的にはメールsystemの信用性が地に落ちかねないということである。

それでも我がネット生活では、ホッとしなくもない。
ウィルスメールが迷惑この上ないことは事実である。
しかし、本物の悪報悲報よりはましで、便りのないのがよい知らせを痛感させてくれる。

だからメールcheckして、またウィルスばかりで終わるとホッとする面もある。
頻回にネット関与する方だから、一回checkしたメールは、再見すればまとめてomitするだけだ。
まあ、ネット時代の常識的立ち居振舞いということだ。

しかし、切なくもある。
挨拶も構うと危ないは、ネットだけでなく、幼稚園小学校のリテラシーになってきているが、哀しいデフォである。
人を見たら詐欺師誘拐犯その他有象無象と思うほかなしも潤いのない話だ。

そんな時代も、江戸時代の浪人が常に枕元に竹光を置いて寝たのに比すれば、ひどくもないと云えば云える。
「まとも」なアップだって、冗長ガセ元悪等々ならスパム相当だ。
こちらの発信だって、そう自覚しているので、どう思われようと結構毛だらけではある。

ということで、ぶらり竹光も差さず、今日もひとり行く。

2017年5月18日木曜日

日々是好日

実に暖かい。
さすがにストーブ無用。
わんこらも暖かさゆえの弛緩状態のようだ。

飼い主も右に習えだが、先の宗旨替え通りにはなっていない。
目は疲れるものの、「cell」の精読にはまっている。
はまっては消耗戦と云いながらはまるのが、当人の真骨頂といえるか?

師匠と輪読しているが、内なるdriveには勝てない。
所詮読むは個人が読むもの。
ならば適宜己が読むもあり。

ネット等々他人様の読みも一層let it be。
どうなと知ったことか。
正直みんなoutrage。

さて、休みも熟れてくると次の手があらまほし。
少し近所を歩き回るか?
その日その日の日々是好日が決まっていく。

同調同期

歯、目なんとやらというが、もう無理はきかない。
時間のあるのに任せて読書に入れ込んだら、目がショボショボする。
物量作戦を諦めた。

仮に若くても、情報過剰な時代だ。
処理法を賢明にせねば自滅する。
目や神経細胞だけでなく、時間も有限である。

腐心や入れ込みのbalanceも大事だ。
ありがたいことに、ネットやSNSも流すのが少しうまくなった。
なにかに入れ込むと、なにかがへこみ食われる。

ところで、このところスパムやウイルスがひどい。
業務を装い、こちらもそこそこ目がいくmodeで送り付けられると、悩まなくはない状況に陥る。
既に必須でないメールには反応せず、自分が送るメールもそう受け取られるのを前提に使うようになっている。

また、国際情勢の情報などもフェイクかどうか実に分かりにくくなってきている。
まさに量子力学不確定性理論の時代だ。
合わせて生きるほかあるまい。

斯くのごとく同期同調を余儀なくされつつ、それでも乗れない乗らないが肝だ。
都会の魚は釣れにくくダボでは食い付かないが、それでも譲れないところがその人らしいところである。
切ない世ではあるものの、、、、。

2017年5月17日水曜日

long vacation

少々自由な時間となった。
dramaのような艶っぽい話は皆無。
気持ちがattachしすぎのsiteから外れ自分に沈潜出来るのがありがたい。

懸案の大原理的なジャンルに挑戦して大部冊を積む。
speedも緩急自在、同時進行で快い。
要は著者のlectureを自由に受けているようで、これこそわが酒池肉林である。

犬息子娘ともpricelessな時間を共有できてごきげん。
何に拘泥すべきかが自ずから浮上する時に感謝する。
しかし、日にちなど漫然としていると直ぐ過ぎるので、日切は十分に意識する。

カウントダウンも、ダイナミズムの中。
歴史の必然そうな事態も常に偶然のサイコロの下である。
共有出来るところでshareしていくほかない。

他人様のありようも、それはそれこれはこれで片していく。
天上天下唯我独尊。
onもoffもなし。

2017年5月16日火曜日

minor change

決まり切った生活のrefrainに見えて微妙にかわっていく。
同一の行動を取るにもそれなりに理由がある。
その陋習性に気付けば君子豹変も可能かもしれない。

わが知己は、わがadviceに従い、いっとき端正に机上を片したが、ひと月もせぬうちに元の木阿弥。
やはり内発的な気付きでなければ根付かない。
自分の中の想いの、行動のdynamismも腑に落ちてのことでなければ自家薬籠中のものとはならない。

このところ、わが関与する多くはlet it beである。
ざこばさんが入門すぐの頃、枝雀さんが朝の作務を怠って米朝夫人に叱られ「兄ちゃん起こしてくれたらいいやん。」と文句をいうざこばさんに、「寝たかったら寝てたらエエやん。」と応えたという。
そんな達人の枝雀さんも、最後は自ら往かれた。
それぞれ、持つもの、持ってしまうものは多様だ。

刈り上げ帝国も、プーチンさんまで制裁側にまわり、そろそろ先の戦争の原爆投下前の様相を呈してきた。
minor changeで済むか否か?
誰にも見えない不確定性理論の時代ではある。

2017年5月15日月曜日

残影よろし

帰りのバスが五分前に出たので、少し歩く必要のある便を利用。
徒歩の街路樹には、まだ遅咲きの桜が艶やかだ。
archをなす樹々にも、適時あり。

帰還後のゆったりtimeが悠々と流れる。
ありがたい流れだ。
急きもせず、単に冗長でもなく。

考えてみれば、国際情勢もさも同じ。
きっとタイミング通りの展開になりそう。
何が適格かのほとんどはinvisibleだろう。
不確定性理論のはまる時代ではある。

ネット、SNSからの情報も肉厚の素材にはなれど、所詮補助材料。
しかし、真実は細部に宿る。
ゆえに一応聞き置く。

知己も咳き込みながら頑張っている。
岡目八目で、己の不如意は意識を強めず、他人様の心配をしたり。
まあ、悪くはないことでもある。

日々の腐心と大局感

日曜日も無難に終わる。
無事これ名馬をappriciate。

一日は一日で終われり。
追おうと追われようとまずはめでたしめでたし。

しかし、大局感もあらまほし。
ただひたすら日々を貪り、ついに老いつくせば終わりならそれも切ない。

まあ、大局感と云っても、多くは外れる。
ギリギリキリキリどんでん返しは、国家のintelligenceから我らが庶民の日常些事まで日常茶飯のお手前。

ここいら辺りに、標題の矛盾困難がある。
しかし、人生の一回性や時間の相対性理論を意識すれば、やはり踏みとどまり地点ではある。

ということで、今日も早速継ぎ穂のアヒルの水掻き。