朝一の庭で、昨秋たった六つで旅立った仔を思い出す風景に遭遇する。
花を手向ける。
うまく生かしてやれなかった自責の念が辛いが、失敗してみないと味はわからない。
そんな思いは彼女の前の数代をめぐり、ひとにも、己にも及ぶ。
年老いるというのは、そういった哀惜の念慚愧の念の集積である。
tasteとしては、嫌いというわけでもない。
さて、庭の蕗の薹もずいぶんと大きくなった。
動物にかける愛情が、いまだ植物には及ばない。
周回遅れで、結局寸足らずで終わるか?
このところ、追い詰まった気分含めて、己の心象風景tastingを楽しんでいる。
気分というのは変化し、一瞬と定位を許さない。
それが生きとしいける者の宿命だ。
ということで、いざ生きめやもとなる。
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