2017年5月31日水曜日

fake newsとpost-truth politics

難しい話ではない。
政治的biasが露骨な時代だ。
別に今に始まった話でない。
政治的含意で好き放題云っていたのが、ネットやマスコミで増幅される。
素面でいれば、見ちゃいれない姿だ。

それが政府機関や国際組織にまで及んで魑魅魍魎ゆえ、大変だ。
まあ、いちいち腑分けして、自分なりの見識で考えるしかないが、trickyな情報は勝手に押し寄せるから、なかなか自由自在とはいかない。
変な情報は、しっかりtraceすると変さが浮上するので、隠忍自重かつ精力的に考え続ける他ない。

ハニトラ情報も宙を翔ぶ。
「内部告発」元官僚の買春も当時からホウバイの忠告の対象だったというが、店の立件近しの噂にどうなるか?と思うが、支持勢力はいじめるなの合唱である。
認知bias甚大と思えど、そう見えればそうなんだろう。

journalistの下ネタというと、某有名新聞社記者のバナナ事件を思い出すが、最近週刊誌ネタとなったcaseもescalate中である。
記事を読む限り、痴情のもつれに見えるが、準強姦事件としての評価は魑魅魍魎である。
記事に登場するtaxi driverの言でも、女性は男性と会話しており、意識が急峻に消えたという供述との整合性はどうかとも思える。
検審への申し立ては誰もの権利なので、男性もお付き合いする他ない身から出た錆であろうが、女性ご本人やケツもちしている人々の姿を見ると、実にpoliticalではある。

いずれにせよ、庶民に出来ることは、諸般の事情を勘案し、清き一票を投じるのみ。
今日もひとり哲学を続けるべくブラウン運動に励む。

0 件のコメント:

コメントを投稿