2017年5月16日火曜日

minor change

決まり切った生活のrefrainに見えて微妙にかわっていく。
同一の行動を取るにもそれなりに理由がある。
その陋習性に気付けば君子豹変も可能かもしれない。

わが知己は、わがadviceに従い、いっとき端正に机上を片したが、ひと月もせぬうちに元の木阿弥。
やはり内発的な気付きでなければ根付かない。
自分の中の想いの、行動のdynamismも腑に落ちてのことでなければ自家薬籠中のものとはならない。

このところ、わが関与する多くはlet it beである。
ざこばさんが入門すぐの頃、枝雀さんが朝の作務を怠って米朝夫人に叱られ「兄ちゃん起こしてくれたらいいやん。」と文句をいうざこばさんに、「寝たかったら寝てたらエエやん。」と応えたという。
そんな達人の枝雀さんも、最後は自ら往かれた。
それぞれ、持つもの、持ってしまうものは多様だ。

刈り上げ帝国も、プーチンさんまで制裁側にまわり、そろそろ先の戦争の原爆投下前の様相を呈してきた。
minor changeで済むか否か?
誰にも見えない不確定性理論の時代ではある。

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