2016年10月14日金曜日

風に吹かれて~♪

ボブディランの熱狂的なファンでもないが、穏当な受賞だとご同慶の至り。
日本的無常観を聴き取るわがセンサーは、この時代も変わらず。

春樹のファン風景は、ご本尊がお気の毒と思うばかり。
サリンジャーやフィッツジェラルドのテイストを引いて今なら、首肯もできるが、かのファンタジーには共感できず。
前記ファン騒動やサリン事件はじめのノンフィクション的言説、イスラエル等他国でのご高説、すでに万延元年の喜劇役者の二番煎じと見れば、なんなのそれの一言で終わる。

世界は、ノーベル賞も、オリンピックも、単なる消費される風景化が顕著である。
すでに、至高のものたる幻想は、オワコンではある。
ただ、たとえばスポーツでの、愛ちゃんの、イチローの、家庭愛憎劇含めてみれば、見どころばかりの人間ドラマとはいえる。
ただ、それは学問だとか、スポーツだとかに限らず、多分今後は世の話題の素材のひとつに溶けていくだけだろう。

現実は、気象もなにもかも、激変の時代の真っただ中ゆえ、風に吹かれるのも容易でない。
風は、吹かれて時代を吟味するどころでなく、タイフーン、ハリケーン、即竜巻に変じる。
風船おじさんの如く、命がけで跳びたい人にとって、飛翔び易い好適環境かもしれないが、そういう御仁は多くはない。

いつの時代であれ、風をみて、風見鶏に徹して、飛ぶほかない。
好きの嫌いのに関係なく、そういう時代である。
いずれにせよ、今回の受賞はともに寿ぎたい。

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