2016年10月18日火曜日

星はなんでも知っている~♪

明けの明星か否かは知らず。
天文学のリテラシーは、ないに等しい。
それにしても、夜明け前の空に輝く星はきれいだ。

先般読んだ宇宙論の泰斗佐藤教授の最終講義本にも、何億光年向こうの星の実在については語られていない。
もともと、すでにあるかないか不明の像をみながら、いまを論ずる学問ゆえ、それを云っちゃおしまいよって話だ。
愛を語る恋人たちの言葉の時差や実在も疑わしければ、光年の実在を語る必要もないかもしれぬ。

三日前に発した台風が、ここにきている。
もうかの地には台風はない。
こちらにはある。
台風の目のなかでは、五感では知らず。
恋人たちだけでなく、地上の実在論もそこここに素材あり。

月をみるために買ったオペラグラスもほとんど使っていない。
目で見る月が好きだ。
星もなんとか天文台で研究するも尊いが、ただ上記のような妄想に身をゆだね、ただ光のスコラ論議もクラシックで楽し。
NASAなどのサイトも、rssしているが、宇宙に行きたいとも思わず。
地上でうまく生きかねているのに、宇宙にとんぼがえりする自信はない。

ところで、昨日受領した密林のミニチャーCCDカメラ。
防犯その他記録によいという惹句に、インタフォンの画像&録音のために購入したが、充電とソフトのインストールが不明だ。
そんな作業中に気がつく。
なんだインタフォンの備忘程度は、スマホ、タブレットで十分じゃんか。
ほんにそんなことにも気の付かぬあほんたれ。
さっそくお蔵入りになったが、2000円足らずのもの。
またなにかのおもちゃ程度にはなろう。

かくのごとく、イリュージョンも必要のない程度の地頭。
それでも、人間のネイティブなんぞそんなもの。
「高等教育」で、教条的に立派になり、さかしらに、何とかはね、かんとかはね、と能書きを垂れても、すでにお釈迦様の時代に、ソクラテスの時代に、見抜く泰斗は見抜いている。
あとは、ノイズといえばノイズの集積かもしれない。

そんな俗塵に、ふたたび空に戻れば、満天のプラネタリウム。
ホント、いいときに生きているもんだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿