2016年10月13日木曜日

若き旅人よ~♪

図書室で予約本を収受して、帰る。
行きも、帰りも、バスに恵まれ、ラッキーな外回り。

帰還して、ルチーンにしている伊集院光氏の「らじおと」の放送直後のアーカイブを聴く。
今日のゲストは、数学のインディペンダント研究家・森田真生氏だ。

氏のプロフィールは、氏のブログや著作に譲る。
最近上梓された「数学する身体」は、小林秀雄賞を受賞した。
伊集院氏とのかけあいを聴いても、それに値する力作であろうことはすぐにわかる。

別に、数学に限らない。
東大闘争の闘士山本義隆氏は、いずれはノーベル賞候補になるのではないかと噂された俊英だが、闘争後代ゼミの講師を勤めながら、重力と磁力の歴史的認識について力作をものし、東大闘争であいまみえた養老翁の選抜で、著名な出版賞を受賞した。

こういう流れをみながら、オートファジーのノーベル賞受賞を思う。
受賞者の大先生をディするつもりは毛頭ない。
しかし、腹蔵ない所見を開陳したい。

基礎研究、長い目を大事にしてほしいという大先生のアピールはわかる。
しかし、ノーベル賞は、決して故事来歴に与えられるわけでなく、いまに与えられる。

何をいいたいかというと、すでにオートファジーがらみのパテントは腐るほど出来。
健康食品にも、オートファジー促進などという惹句が踊る。

つまり、古い時代の牧歌的サーカムスタンスなど蹴散らすように、現在が疾走する。
これはご本尊がどうこうということでなく、その時代の力学、相がなせる業である。
ヘタにノンビリ科研費をいただくと、何か不正やネポティズムを疑われる「今」ではある。

そこで、若き旅人たちへのアジテーションである。

数学のインディペンダント研究者や物理研究者だけでない。
生物学だって、なんだって、センチメンタルジャーニーはできる。
ドライ系なら、数学や理論物理同様、十分インディペンダントにモノが言える、勝負ができる。
実際の実験系を必要とする研究だって、大所高所から俯瞰することも可能である。

自分が実験もしないで、タカビーを勧めるわけではない。
ただ、ノーベル賞受賞者が、望まぬという、ニンジンと鞭、近視眼的叱咤を免れる直言は、淡々と語ることはできる。

若きインディペンダント数学研究者のアンソロジー風のメジャーデビュー作のアマゾン書評を垣間見ながら、そう思う。
素人書評で、バカな御仁が、レトリカルすぎて俺にはわからぬ、もっと噛んで含んでとスプーンフィーディングを求める者もいたが、この時代に甘ちゃんに右顧左眄せず自由に走ればいい。
わかる人にはわかり、わからぬ者にはわからぬ。

さきほど、わが庭の隅に、蒲公英の咲くを発見す。
野草まで、みな自由に咲き乱れる。
みんな、ひとりひとり、世界にひとつの花を咲かせるのである。

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