2016年10月6日木曜日

先生、センセイ、それはせんせい~♪

いま森昌子さんの対談番組をみている。
この回に限らず、阿川佐和子さんのインタビュー番組とさんまのまんまは、このところお気に入りだ。

世相として知っていて、親愛の情をある程度持っていて、ナラティブを聞いてみたいなっていう人々を知るには、こういう番組は悪くない。
徹子の部屋のように、大長寿番組だと、ゲストの経時的変化も知ることができる。

もちろん、誰に限らず、人は嘘をつく動物だが、ウソのつき方含めてプロファイリングの資料だから、貴重だ。
クレムリノロジストの仕事は、プラウダやイズべスチアのベタ記事のささやかな記載、写真から党の動向、国家の動向、その他もろもろを読みこんだ。
だから徹子の部屋に、頻回登場のゲストを連件アーカイブでみることのできる今では、ウイキぺディアよりも、作家による書き物評伝よりも、有力なプロファイル提供の手段になり得る。

先生は、年に限らず。
先に生まれたから先生でなく、先達ゆえ先生である。
いまの時代、教師に限らず、政治家、専門職ライセンス保持者、その他もろもろ、センセイと呼ばれるほどのバカじゃなしの該当者は溢れている。
反面教師というのもあって、自分も、息子らや学生からずいぶんとそういう先達と認知認識されてきた。
恥ずかしい先行者軌跡を示すのが、先生の仕事でもある。
森昌子氏のセンセイ~♪の歌に乗って沈没する先生方も少なくない。
センセイになるには、ホンとは命がけなんだが、わが恩師の中にも、教え子のうちに手をつけて結婚離婚を繰り返す猛者が複数人いた。
いまは情報伝播や破綻が急峻だから変質者異端者ペドフィリア等々のラベリングを早々に受けて速攻パージされる。

わが近隣にも先生と呼ぶべき対象は、ずいぶんといるが、いまや先生との交流はむつかしい。
ヘタに構うとディスったとお叱りを受け、持ち上げるとほめ殺しになりかねない。
だから、SNSやリアルでも、出来る限り忌憚に触れぬよう、ささやかに琴線に触れるように、反応をみながらいじってみる。
このセンセイはダメだと思えば、let it beのご縁ボックスにお入りいただく。

今の時代は、センセイになるのも、センセイを慕うのも至難である。

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