2016年10月6日木曜日

そこそこ藪の中~♪

今日もバタバタあれこれいじっていたら、もうやつも過ぎ、夕暮れどきだ。

遅いお昼だったので、おやつも夕食もなしで早寝になりそうである。

借りてきた図書は、北朝鮮情勢を中心としたインテリジェンスものだが、読んでもよくわからない。
ホントウのことは、決して書籍化なんぞされない。
機密文書にさえ記載されないディープスロート情報、言語化されない深層、その他もろもろ、さかしらに本にしたものに依拠しても、見えない真相は山ほどあるだろう。

政治や諜報の話だけではない。
今日の伊集院光の「らじおと」のゲストは福岡伸一氏で、ノーベル賞をもらったオートファジーの解説をしていたが、同じような生物学的機構の説明だってさまざまだ。
福岡氏のように文学的香りの高い解説に傾く作風もあれば、理屈っぽい説明に終始するものもある。
定性的な表現もあれば、そうでなくふくらみや確率的な表現に富んだ説明もある。
パテントの書類を読んでみると、オートファジーがらみでも、iPSがらみでも、収率向上手段だとか、ごくごく実務的で、定性的な話でなく、統計力学的発想に近いような発想で動いているようなありさまも見えてくる。
「ほんとうのところ」は、どこにあるのか?、実はかなり藪の中で、わかっているのはここまでということだらけである。

まあ、まちがいのないところは、まちがいなく起こるところという、どっかの哲学者が一生考えて言い続けたトートロジーのようなものだろうが、それだけでは神経症の犬のようになってしまう。
加えて、下手な信念も危ない。
所詮一般的な知見に過ぎない医学的言説を、EBМ的意匠で飾って、わかった風な物差しで差配しても、個々の事例はそう簡単なものではない。
実際のところは、「にもかかわらず」といった感じで、サバイブ出来るものがサバイブして、下手な当たり方をすると、崖から突き落とされたような結果になるのだろう。

もはや、そういうデリケートな場面に関与することもほとんどない年回りになったので、自分のことは、自分についてはこうだろうと思うところを、自分に当てはめることで済ませられるようになっている。
若干の事故ニアミスや少々精神病的なクライアントに振り回される程度に留まって、よくもまあ大きなこともなくここまで来れたものだとほっとしている。

藪の中を突きすぎて蛇を怒らせないことも重要なポイントだと思っている。

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