2016年10月4日火曜日

敷居を跨がずとも七人の敵 

ニュースで、知らぬわけでもない業界の人間が、内地で逮捕されたと聞く。

夜の繁華街でのいざこざでさほど大きな事件ではないが、普通の社会人にとっては出処進退に多大な影響を与える大事ではある。
なになにともあろう者が、の事件で、結果があるまじき事となれば、少なからぬ事例で、一応辞職して責任をとらせるということになる。

今の時代、昔ならちょっとした武勇伝ですんだ行動が、まずはお目こぼしされない。
ネットで事件が一瀉千里にあからさまになるからだけではない。
街中に防犯カメラが林立し、否認事件が多いゆえ捜査機関も、防犯カメラの分析など否認デフォでの客観的証拠の解析に力を入れる。
テクノロジーの進化で、街中の証拠だけでなく、被疑者のカメラやスマホなどの画像や音声、その他の情報が即座に解析される。
被害者や目撃者も、このような記録ツールを常備しているから、被疑者が不実の否認や抗弁に固執しても、すぐに砂の器と化し粉砕される。

こういう事情で、フーリガン行為に及ぶ蛮勇を持たぬ者は、慎重にならざるを得ない。
先日も、若い俳優が、ハニトラを噂された事件で、何とか相当の金員で示談を成立させ、やっと起訴をまぬがれることとなったが、外国などでこういうことになれば、この程度で済まない。
こういう事件で、自殺した外交官や失脚した政治家が珍しくない。
ハニトラが金員喝取にとどまらず、外交機密の取得や政治操作のポータルになったりする。

ところで、男子、敷居を跨げば七人の敵がいるという言葉があるが、いまやこれも男女平等だ。
ヒラリー女史も、メールだ、金脈だと、命がけでご苦労中である。
国際的に、政治家のトップ、経済人、その他有象無象まで、このようなインテリジェンス問題、セキュリティ問題にとことん腐心する必要が出てきている。

わが下々でも、しっかり警戒的である必要がある。
いまや疑惑の人となった人々も、ネット応援団に冤罪だ等々の声で励まされる風景も生まれるが、そのような場合ばかりではない。
自分などは、「あいつならやりそうだ」、「きっといつかやると思っていた」という声があがるに間違いないと予測しているから、まずは予防的・抑制的思考をとる。
そういう事件を仕事にしてきた故事来歴もあるが、わが係累や知己の中でも、そのように呟いて、やばい事態を起こさぬようにと謙抑的に立ち居ふるまう人を、相当数知っている。

実は自分もそうだが、このところ玄関のピンポン~♪に簡単に出ない人が少なくないという。
悪徳商法、押し売り、押し込み強盗予備軍、その他もろもろをスルーするためである。
また、固定電話でも、このごろ人は誰々ですと名乗らないし、ちょいと新しい電話やファックスには、ナンバーディスプレイとともに、危なそうなアクセスには、リジェクトしたり、防衛的メッセージを流す機構が付加されている。
更に、携帯電話やスマホは、基本出ない、せいぜい留守電待ち受け、通話するにはまずはメールでアポをとってというのが一般的になりつつある。

このように、世にはびこるジャンクなリスクを忌避撃退すべしの常識は、まさに敷居を跨がずとも七人の敵という現況を踏まえたものであるが、その中でどう心の満たされる信頼や芳醇な時間を醸成していくかが課題である。
一応、ベートーベンの苦悩を通しての歓喜ではないが、猜疑を通しての信頼や愛を信じようとする積極説あるいは性善説ではあるが、心もとないは心もとない次第だ。



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