2015年7月18日土曜日

ボクは呼びかけはしない~♪

小椋佳さんは、恬淡とをポリシーにしているかに口ずさむが、実際はその事自体を強くappealしている。

呼び掛けるかのごとく、かつ呼び掛けもしないで伴奏、伴走するのは至難の業だ。
くだんの師匠の下に馳せ参じた自覚はあるが、プロファイリングはいまだしである。
養老さんのご一統のように見えれども、ずいぶんと違う。
なぜこうあられるのだろうと、それほどいぶかしくは思うところはないが、どうしたいのだろう?などと思ったりもしている。

話を敢えてずらせば、純粋理性批判や道徳感情論よりも、実践理性肯定、陽明学的選択を課題としているので、岡目八目を感じたら、敢えてインパーシャルなスタンスを選ぶようになってきている。

まあ、異質なものの相互浸透は重要。
漱石鴎外の周辺には多くの人々が蝟集したが、これは必然。
また啄木にも、無視できぬ金田一が居た。

堕落論の安吾は、小林秀雄の直言の友であった。
電車を降り間違える、のり間違える親友を、直催に笑った。
そんな体たらくで、何が高等高踏な批評だと。

さて、日々是好日、口実。
ポライトな距離を保ちつつ、直言も辞さない。
今回のケースに限らない話ではある。

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