2016年11月12日土曜日

言葉のサラダ

昔の精神科の教科書には、「言葉のサラダ」なる述語が出ていた。

シッチャカメッチャカな患者の叙述を指して、言葉のサラダと呼ぶ。
いまは言葉のサラダが常態で、死語と承知している。
以下に、そのわけを述べる。

マニュアル、取説がわからない。
こちらのリテラシーの低い場合、ジャーゴンの噴出の場合、その他もろもろ理由は問わない。
そんな能書き集は、まさに言葉のサラダだ。

マスゴミもさも似たり。
今回の選挙じゃないが、底流、実質が見えていない、見たくないから、記事が言葉のサラダだ。
変な野党や与党の一部の言葉も同様で、支離滅裂を自覚なく無知無恥の露呈とたれながし。
ということで、これを前提とする。

しかし、これは己の言動含めやむを得ないのだ。
学問で云えば、量子力学、相対性理論的状況だ。
真善美すべからく状況の関数、確率の問題、その他理解のためには、これら学問を参照されたし。

ところで、兼好法師の喝破するとおり、だからとcrazyに振る舞えば、さもcrazyらし、果てはcrazyそのものとなるぞかし。
したがって、鴎外云うところの世は「かのごとく」いくほかなし。
この世界は、decentのごとく、場合によってはcrazyの如く、立ち居振る舞う舞台となる。

さて、以上の言葉のサラダの意はお分かりか?
ネット時代の与太噺とご容赦あれ。

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