2016年11月29日火曜日

愛しき君の~♪

月曜のテレフォン人生相談は、pet losがらみである。

十数年飼っていた愛犬が昇天した。
次男が、通学不能の四時間がかりの大学に在学し下宿しているが、pet losを契機にhomesickのようとの母親の相談だ。

personalityの加藤諦三、回答者のテラピィスト、ともにpet losの心理をあげつらい、お前さんの家はインテグレーションを欠き、petのお陰でなんとかdysfunctionをしのいできた家庭だみたいなラベリングに猛進する。

加藤氏は固有の意味での心理療法家でなく、回答者は心理療法士のようだが、自分からみれば、少々無理矢理の自己流への引き込みが顕著と映る。

相談者の母上は、感応して嗚咽するが、愛する家族相当のpetが亡くなって切ないは当然のこと。
それを過重な意味論的付与で、欠損家庭のごとき口吻は失礼極まりないと感じた。

わが先日の看取りも、いまなお辛い。
ドッグイヤーと言って、人間7年ほどを一年で生きる彼らは儚い。
覚悟はしつつ共生してきたが、言葉もないのは相談者の母親と同じだ。

自分もフレイミングや論争に至るので、今はしないが、相談するということ自体が、失当と思われる反応も甘受せざるを得ないということだ。
教えて!gooやヤフー!の相談に、傷に塩を塗り込むような輩が登場もする。

かの家族もしっかり儚さ辛さを吟味するのがrecoverの肝というのは、結論的にはMCや回答者と同じであるが、やり取りを聴きながら、先日の仔だけでなく、いままでに別れた仔たちを追想する。

人間はすぐにやれPTSDだ、何だとノイジーだ。

それに比べて、物言わず従容と逝った彼らは、存在そのものでわが存在に楔とタイトロープを遺してくれている。

0 件のコメント:

コメントを投稿