2016年11月18日金曜日

ノスタルジア

近所に駄菓子屋があった。

戦後はもうずいぶんと昔といわれた時代に生まれたが、幼少期は戦後を引きずり高度成長はこれからの時代だった。
お好み焼きというには貧相だった。
粉にキャベツと紅生姜が少量の焼き物をよく買った。
新聞紙に包まれ、表面には薄くソースが塗られていたと覚えている。

飴湯も美味しく飲んだ。
飴を融かした糖水に生姜を少し加えただけのシンプルな飲み物だ。
一杯いくらだったかは覚えていない。

先行世代に、すいとんでも旨かったという経験譚はよく聞いた。
しかし、芋やカボチャばかりは辟易したという話もずいぶんと聞いた。

こういう因果話は、格別戦争がらみにかぎらない。
わが近親者は、飼っている鶏を食卓に供するために料理したが、鶏だけは喰いたくないと言っていた。
元嫁の親もそのような述懐をしていたと聞いた。

食い物の恨みはなんとやらというが、人に皿をさらわれなくとも、ノスタルジーと生理的嫌悪や拒否は、紙一重である。

このところ、ノスタルジーの再現企画を考えている。
うまく再現できるかどうかも疑問だが、仮に出来てもどう己が反応するかはわからない。

また、バック・ツー・ザ・フューチャーかも?とも思っている。

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