2016年12月6日火曜日

どんな風にどんな風に~♪

槙原敬之さんのどんな時も~♪は、自分らしさを確保するために自分の感性に素直にを謳歌する。
しかし、自分らしくに溺れたりすると危ない。
所詮、自分は何十億分の一の類型にすぎない。
ご本尊のように所詮に溺れてしまったりしかねない。

問題点を過ぎて、事態がわかり、新たな覚悟も生まれる。
歴代過ごしてこられた先達に比べれば、自分のハムレットなんて知れたものだ。
起死回生なる言葉があるが、生きている限り、その繰り返しだ。
その意味を、繰り返し繰り返し反芻するのが人生であるように見える。

日々の推移のなかで、時が自分を追い越していく。
どうでもよいと見定めれば、let it be.
勝手にご随意の方向にお進みあれ。
当方に知ったことでない。

これらが過ぎれば、情性欠如、不足が過ぎれば、敏感関係妄想、要らぬ思い入れ、お節介だ。
その適宜なるを思い、どんな風にどんな風に~♪とあり方を探り探り過ごす。
どうであってもいいが、薬物フラッシュバックの芸能人だけでなく、被害妄想横溢の時代に溜め息をつく。
まあ、各位ご対処あれ。

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