昨日のテレフォン人生相談は、 70歳前後だったか老母と40過ぎの娘の相克である。
育てられ方に不満をもったアラフォーの娘から、
MCの加藤諦三氏と回答者の女性弁護士は、 養育時の母親の愛情欠如が原因だから、 いまその補填をすべきとの強い勧めであった。
相談者は説得され、そうしてみると終わった。
相談者は説得され、そうしてみると終わった。
このような答えもひとつの見識だが、微妙だ。
わが見解は、 このような答は十分に吟味しないと危ういと考えている。
わが見解は、
子育ては、絶対に毒親をまぬがれさせない。
やらなければネグレクト、やりすぎると過干渉。
失敗をしないと必ず後に失敗が生まれる。
そうなると、苦労をさせたと言っては不満が生まれ、 失敗させなかったと言って不満が生まれる。
人間の子育ての特性、悲しい性である。
やらなければネグレクト、やりすぎると過干渉。
失敗をしないと必ず後に失敗が生まれる。
そうなると、苦労をさせたと言っては不満が生まれ、
人間の子育ての特性、悲しい性である。
この娘も、人の親である。
アラフォーで母親に子供の頃の不満をぶつけのうのう暮らしている 姿は、再び孫の養育不全を生む。
このような機能不全の再生産が、 問題解決と考えるような助言には強い疑問を禁じ得ない。
アラフォーで母親に子供の頃の不満をぶつけのうのう暮らしている
このような機能不全の再生産が、
自分自身 、子に責められるべき諸点のあったという自覚はあり、 実際に強く責められもした。
わが身近にも、 この人生相談のような怨嗟電話を受け続けた係累や知己もすくなか らず居る。
わが身近にも、
そのときにすべきことは、さはさりながらいま可能なのは、
それで負の連鎖が切ることができるかどうか不明であるが、
責める責められるは、親子夫婦知人等の個人だけでなく、 組織や国家に至るまで普遍的である。
この時代、なんとかかんとか日本死ねではないが、 指弾の口調を安易に繰り返し、 それをもてはやす人々も少なくない。
しかし、 それゆえそういった指弾が己にブーメランで帰ることを意識しない 放埒なさが目立つ。
死すべきと称する集団を自らも一部として構成し、 それを改善するbest effortからはほど遠い汚言症で下品と無能を全開させる親は 、 子からバカ親サッサとくたばれの罵声をまぬがれることができるだ ろうか?
この時代、なんとかかんとか日本死ねではないが、
しかし、
死すべきと称する集団を自らも一部として構成し、
守るも責めるも、そう容易でない時代ではある。
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