2016年12月5日月曜日

失われた時を求めて

クルマのキーの使い方を、十数年乗ってやっと知る。
ドアの開け閉め、キー不使用、キーを挿して、電子キーと三方法あり。
中途半端な時期にreleaseされたクルマゆえ、これらのないまぜが使える。

どれかが不調だと、別の方法でtryすると、合わせ技で一本となりsmoothにいく。
これを久しく自覚していなかった。
灯台もと暗しである。

電子キーのボタン電池を確認して、既に買い込んで備蓄中のボタン電池購入の故事来歴を追想する。
よくわからない。
失われた時が戻るかどうか?戻るとしていつ戻るか不明である。

失われていない懐かしの風景を求めて久しぶりにミニトリップに向かうと発心するも。
失った仔との想い出の反芻を思うと進まず。
喪の作業はわが心に続いているのだろう。

プルーストの如くマドレーヌのおかげで甦るようなドラスティックな想い出はなくとも、凡人もそれなりに過去を背負って生きている。
そのウオッシュアップを繰り返しながら、次に思いを馳せて、今を生きる。
日々これの繰り返しではある。

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