2017年1月8日日曜日

いきものがかり

人気のグループのグループ名の来歴が、小一のときの「いきものがかり」から来ているという。
金魚にエサをあげる生き物係ゆえ「いきものがかり」だというが、彼らの歌とは特に関係なさそうだ。

わが子供時代は、生き物係と縁はなかった。
生き物のありさまは、ほとんど意識せず、ただただ食用の命をいただいてきただけだ。

そろそろ自分の命脈がつきる頃になって、命の不思議を感じるようになってきた。
家族と別れひとりになって、ペットを家族とするようになって、はじめて生命の不思議を感じるようになった。

例えば、ブリーディングされ、小さい頃に親から切り離された子でも、掘る動作は皆ながみんな、教えられもせず身に付けている。
寝るときに布団を蹴り、庭で排泄する際にも土を蹴りするなどの彼らのキック行為は、長年の生命の繋がりがこういう行為のパターンを植え付けていることを教えてくれる。

人は、遺伝子がどうこうで、それがこうなってと、賢しらな意見を口にするが、生命は多様だ。
オスメスさえもphase、phaseで動揺したり、個体も社会も多様である。

人間もある意味で同じだ。
論理を使って、賢しらに世界を解釈し、己の世界観を正しいとする。

しかし、論理の阿弥陀を繰っていくと、左右が円環構造をとったり、ネジけてトポロジカルに変な始末になったりする。
このところ、自他のありように、このような視点で見ていくようにしているが、実に面白い。

まあ、わかっていること、わかりそうなことには限りがある。
残り少ない余生なので、いきものがかりは自分とペットが精一杯で、自分なりに自分を総括するのがmissionとなるだろう。
ちょうどよい頃合いだ。

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