2017年2月7日火曜日

青春時代が夢なんて~♪

特別に森田公一とトップギャランにノスタルジーを感じて渉猟したわけでもない。
ただ、歌には歴史あり。
たどれば己の人生が見える。
Youtubeの連件で、己の人生をたどる。

一代だけでない。
宇多田ヒカルをみれば、藤圭子がみえる。
歌に限らず、吉本ばななをみれば、おやじの吉本隆明がかいまみれる。
人は、それぞれの歴史をメタモルフォーゼこみで生き続ける。

青春時代が、夢なんて、ほのぼの後から思うもの。
青春時代のまん中は、道に迷っているばかり。
さて、青春時代はいつの謂か?
いつも思っては、時は過ぎる。

このところ、己の青春時代から先日の日々まで、よく見えてきた。
しかし、気がついたところから、人生はまた始まる。
いつ終わるとも知れぬ。
死ぬまでrefrainは覚悟だ。

こうなれば、それを踏まえて、永劫回帰を繰り返さなければならない。
過ぎ去った人々は、もういいかと自制もできる。
新たな人々は、かつての青春時代を踏まえて接することもできる。
しかし、それでもなおここが肝の一瞬は続く。
青春時代は、夢とみて、ノスタルジーに浸ったり、過去のファンタジー手法をrefrainできぬ厳しさを持つ。

つまりは、死ぬまで、青春時代のまん中は、道に迷い続けなければならない。
面倒ではあるが、しようのない税金のようなものではある。

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