2017年2月3日金曜日

過ぎてしまえば、、、青春時代~♪

朝方のラジオ放送で、森田公一とトップギャランの「過ぎてしまえば」が聴こえてきた。

「青春時代」は自分でも唄ったこともあるが、「過ぎてしまえば」も聞き覚えのある曲だ。
琴線に触れたので、Youtubeで繰り返して聴く。
ぼくらより一回り上のノンポリ青年の青春が歌われている。

作詞は阿久悠さんだが、作曲の森田公一とほぼ同じ世代の彼らの心情がうまく描かれている。
美しくもなく豊かでもない凡庸な青年が、楽天家にもなれず、かといってグレもせず、これでいいとも思えず硬いリンゴを噛じる姿は、いまの若者の多数派でも同じであろう。
実は、「青春時代」も、作詞阿久悠、曲森田公一コンビのベストセラーで、「過ぎてしまえば」と少し描かれる時相は違うが、主人公はほぼ同じ世代の同じ感じの青年である。

このようなレトロな世界を味わって思うのは、今との違いだ。
今の青年青女には、これらの歌のようなモラトリアムがない。
時代の変化は、急峻だ。
加えて、ゆっくりと自分で悩む余裕もない。
周囲の大人は、介入できず、自分のところでの滞留時間を恙無くが至上命題だ。
周囲の同輩は、ネットだ、ラインだと、集団バッシングやリンチで待ちうけている。
これは緩くない。
米国でも、トランプ派と自称「liberal」の内戦状態だが、十分に気をつけていないとテロられる。
カリフォルニアの大学では、「liberal」派の苛烈な卑劣なテロが炸裂し、トランプ氏は厳しく言論の不自由を指弾した。

身辺から世界までかくの如くでありながら、道に迷い、さまよって、答の欠片を見つけることのできた人間には、この世界は必ずしも地獄ではない。
これらの曲を聴きながら、昨日観た死刑囚のドラマを思い出した。
「死刑囚からの恋歌」
https://youtu.be/my5wfMtUSGk

生きていくのは、死ぬまで「道に迷っているばかり~♪」ではある。

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