2017年2月12日日曜日

double thinking

ジョージ・オーウェルの「1984年」の中で、「二重思考」を「建前」と「本音」、「党是国是」と「所詮プロパガンダ」の病理的相克と描いている。
double thinkingを全体主義や少数者支配といった病理現象のベースと見れば、切ないだけの話かもしれないが、人間が言語を持つ生物である以上、シニフェとシニフィアンの矛盾相克乖離は必定で、特に喧々諤々騒ぐ必要があるように見えない。

そこでニュートラルに身近なdouble thinkingを考えてみる。
例えば、デフレとインフレだ。
リフレ派は、金融緩和財政出動規制緩和で、インフレを目指さないとダメだと語る。
わが見解も同じである。
高橋洋一氏をはじめとするリフレ派の唱導するとおり、デフレは失業率を上げて社会問題を噴出させる。
だからインフレターゲットでガンガンやらねばならぬ。
社会がシュリンクしたら、縮小均衡どころか社会解体に向かう。

その通りである。
しかし、ミクロの自分の気持ちは少し違う。
デフレで少額で暮らせればありがたい。
チビでショボい生活をしているほど、そう切望する。
これが典型的なdouble thinkingである。
マクロとミクロの矛盾でこの世は成り立っている。

これは、わが心象風景だけでなく、多くの人々の胸中にある。
右翼がわが国の国粋主義のネックを無視して大声でがなったり、左翼が中国や朝鮮の蛮行を無視して第五列言辞や工作に挺身している姿を目の当たりすれば、その矛盾は顕著だが、そのような極端でなくとも、小市民にデフレとインフレの如き矛盾は去来する。
わがネット知己諸氏も、そのような風景を生きているのが手に取るように見える。
矛盾ながらそれなりに楽しんで生きることができるのが、小市民的幸せであろう。

そんなこんなを思いつつ、己を斯くのごとく知識社会学的にいじりながら進んでいく。

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