2015年9月16日水曜日

時の悪戯だよね~♪

言動という言葉がある。
これが、言論のみを指すのか、言論と行動の両方を含む言葉なのか、しっかりとわからず、わかろうともせず来た。
辞書でみると、言論と行動の両者を含むらしい。

わが疑問のようなはっきりしない感も少なくないようで、そんなQ&Aも見かける。
まあ、単に並列で二者を含むというだけでなく、言動不一致、言行不一致のようにコントラストを示唆するようにも使うというところで疑問も出てくるのかもしれない。

言動不一致で、言うこととやることが違うというだけでなく、どうも言動そのものにそういう怪しさがあるように思う。

というのは、言うなり行うのは、その時のものである。
しかし、時は流れ過ぎていく。
主体の肉体も日々代謝によりホメオスタシスは維持しつつも異なった構成体と変じ、それにつれ心、精神も変わる。
結婚、就業離職も、3日、3ヶ月、3年が一里塚、二里塚、三里塚になっている。

もちろん、戦略的に、あるいは擬態としてやることもある。
シールズ某君は、真っ黒頭にして、おせらしく公聴会供述を行っていたが、川藤氏のいてまえ路線的発言はおくびにも出さず、これだけの人がダメだと言っているんで何とぞと擬態を演じた。
民主党のイオン氏らは、髭隊長に従前の集団的自衛権容認発言を指摘され、ブーメラン怒髪天を演じた。

しかし、そういう戦略的意図的な話でなく、人は生きていて徐々に、あるいはドラスティックにだろうが、転向といおうが、成長と評そうが、堕落と唾棄しようが変わる。
ここが時の残酷さと言おうか、優しさと言おうか、とにかく悪戯だよね~♪なわけである。

だから、冒頭の言動の語義に戻って、言動はアドホックで、遷移しやすく、一定のタイムスパンで見れば、言動不一致、言言不一致、動動不一致なんでもあれとなる。
もちろん、変わってもアイツらしい変わり方ってのも他人様もよくわかって、棺桶に片足突っ込む頃には自分でも少しは勘づいてくる。
まあ、変化含めてのプロファイリング。
微分的プロファイリングと積分的プロファイリングの総合統合化とでも言おうか。

かくて、言動を長編動画でなく、ワンショットでとらえようとすると、手練れのカメラマンのように相当のスキルが要る。
それが我には欠ける。

また、コラム集に着手できない言い訳を並べてしまった。
残念~♪

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