2015年9月5日土曜日

アフォーダンス

エレベーターに乗っていると、ハエが飛んでいるのに気がついた。
高層ビルに入ってくること自体がなかなか大変だろうに、その奥のエレベーターに闖入できるのはまあ容易でなかろう。

様子をみていると、特にパニクるわけでもなく淡々と旋空している。
小生以外ひと気のないところに入り込んで来たのだろうが、残されたらどうするのだろう。
まあ半日もすれば誰かの後ろを飛んで外に戻れるだろう。

ところでアフォーダンスという言葉がある。
環境が動物に与える「意味」のことである。
affordとは、与える、供与する、ゆるされる等々の意味を持つ言葉であり、われわれ生物は音、光その他環境から与えられる情報に感応して生きている。

小さなハエにとっては、人間が数人乗る小さなエレベーター空間でも、膨大な空間だろう。
それでも飛べば一瞬で天井にも張り付くことができる。
飛べもしない閉所恐怖症の自分にとっては気持ちのよくない狭隘な空間が、ハエにとっては結構と縦横無尽のゆるされるテリトリーにはなっているだろう。

ところで、同じ類いのハエ、アブなど、開けた窓から訪問してくることがよくあるが、エレベーターのハエのように元気でなく、窓ガラスやその近くでビバークしているかの個体をみつけることが多い。
同じ種、似た種でも、個体か、TPOか、バラエティーはある。

これらを、我らが人間の話に持ち込むと、同じ人間といえどいろいろ。
同じホモサピエンスでも、人種民族でそんなに違うのだというのは当然にせよ、隣近所でもずいぶん違う。
変人の自分はひとまず置いても、風景一見モノトナスな町内会でも、定点観察してれば同じなどでは決してない。
一言居士や一見偏屈でなくとも、あり様の癖というのは長期観察すればするほど出てくる。

ネットなどでも、同じ反対派でも本音がチラッとみえると内ゲバがすごい。
敵とよりも、さも似たりの方が差違が際立つ。
認知症の時代に入っているからか、反帝反スタなんぞ吠えて一昔前にはガンガンとテロった相手と仲良くデモなんぞしている、まさに時代は変わったの風景もみられるが、これは保守派も同じ。
政権党に不満分子がわんさといるのは公知の事実だが、超保守を唱えるグループも内ゲバはまぬがれない。
昨日まで選挙で担いだご仁が、気に入らぬとなって、その後選挙資金の横領だなんだと悪罵合戦。
割に正論と聞いていたチャネルの御大も、これだけでなく自分と意見が合わず袂をわかった若い連中には、悪罵の内容証明を送りつけたり、ネットで見せている姿とはずいぶんと違うよう。

そういう現象をあれこれ勘案しつつ、自分のアフォーダンスにたち戻れば、まあ与えられたこれが総体だ、相対だという以上にあらず。
腐れ親に祖父母殺を教唆された青年の地獄のような背景事情を読んでも、祖父母の因果が孫に報いなどといった床屋談義風の心証を排すれば、小説にもならぬあり得たプロットを想像するだけで、黙するほかなし。
おっせかいオバさんで衒うことなくイケイケドンドンできる向きを羨ましくも皮肉に思い出したりするばかり。


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