2015年9月25日金曜日

let it be~♪

ネットへのスタンスを変えたお陰で、ずいぶんと動きがスムースになった。

ここに列挙してみると次のようなこと。
第1に、trafficを良質なものにsaveすることで、読みやすくわかりやすくなった。
かかる時間というか、アプリシエイトする時間は変わらないが、焦点をしぼると不本意な関与、無駄なstressが減る。

第2に、間口を狭くして、かつ深くあるいは広く浅く渉猟してみると有り体のところにバチっとはまる。
今回の新機軸に至ったepisodeも、そこそこの伏線があって、従前からどうも違うというテイストが続き、閾値に達して一気に排膿というパターンで成る程に至ったのだが、反省点は少なくない。
セクトカルトごろつきはどこにでもいて、その違和感を解消するためにぶつかり稽古するのも悪くないが、リスク、時間、手間、無駄を考えれば、さっさと情報収集してしまえばまあ間違いのないだろうの俯瞰図虫瞰図を得ることができる。
今回も某板でどういうわきかたをしている人間関係かと見れば、ずばりこりゃおぞましいと一目瞭然だが、自分の五感第六感で当ててみたいという志向がチョイと災いしたかも。
勿論、こうは思えど、二次情報よりも、自らの生の体験が貴重で全てに省力発想するのは、実に危険とも思っている。

第3に、ネットだけでなく、何についても、じっくり考え、あるいは手足を動かして一時はすっかり忘れないと、アディクション的に振り回されるは、表層的なあるいは教条的な思い込みに苛まれる危険が大。
昨日縁切れしたご仁にも、そういう違和感を深めたが、他人様のことに違和感を抱いたり心配するより、自分の似た頭の上の蝿を追わなくてはならない。

斯くして、われは随分と自由になったが、もうひとつポイントがある。
読み込みを絞った上に、書き込みも最小限に絞った。
どうしても言っておきたいことは書き込むが、他人様の目もあれば、先様の自由度の問題もある。
従って、このように自分のblogで言及しておけば、ご縁があればつながる、なければ繋がらない。
それがいい、それでいいのではないか?

医療者のネット知己が、友人の治療費問題で、今後の財政問題をからめて、制限的方向な流れを已む無しのニュアンスで応えていたが、こうでない頭が化石化したご仁は唯我独尊でこちらもつまらぬアジや嘆息に付き合わされる。
そういう意味で、交流ゲートを絞り往来を良質にすることは、環境整備に重要。
介護の離職率問題もシェアされていたが、単に経済的問題だけでなく、虐待などにみられる仕事そのもののやるせなさ、難しさがあるだろうと、ここにコメントする次第。

浮いた時間をネット環境の整備や手足を使った掃除その他の家事作業療法に使い、肝のお付きあいには真剣勝負に臨む。
ホマチ金あさりを2ちゃんねるにキモいと嘲弄されるなど、われには想像外だが、現実にはあるのだから他山の石にせねばならぬ。

狭いfollow範囲だが、たとえばFacebookとTwitterでfollowし比べると、同じ人でも微妙に発受信が違う。
followするに足る人をfollowする、これ原則。

まあlet it beが好きなので、当面この方向で進む。
happy & exciting~♪

0 件のコメント:

コメントを投稿