2015年9月20日日曜日

さようなら

どっかへ行く、だからさようならfarewellって話ではない。

左様なら。
このようそのようならば、こうねってのが、左様なら、さようなら。

これはまず現在使われている挨拶などがあてはまる。

道で顔を合わす。
知己で会釈する。
ちょいと立ち話してみるが、時間がないのでいきますね。
知らない人だが、会釈してくれるから、こちらも会釈しておこう。
向こうから不穏な感じの人が歩いてくるから、さりげなく道を渡り、歩く。

これらは、みんな「左様なら」で「さようなら」ということである。

これは、かなり汎用性がある。
たとえば、ネットでフレイミングになりそうになる。
危なそうな奴だから、そ知らぬ顔で通りすぎよう。
言えばわかる相手そうだから、それなら少し心を怒りから放して説明してみよう。
くやしいから、そんな奴には捨てぜりふ浴びせて、ヒットエンドラン。
形は違えど、さようなら。

これはmachine相手などでもあり。
愛機のPCが、フリーズする、過熱する、その他もろもろ。
この子はよくこうなる。
しばらく放置すると、クーリングすると、戻ったりする。
だからしばらく置いておく。
これも左様なら。

ここいら辺りまでは、生活の智恵、有象無象の蘊蓄もどき。
困るのサヨナラできないケース。
これが今回の法案審議のドタバタ。
中国がうちのドアまで、いや領土の内まで足を突っ込んできていて、軍事パレードで核もぶちこめるぞとミサイルまで誇示し威迫している。
アメリカは、どこまで噛めるか、ムニャムニャが大きくなって頼りない。
左様なら、逃げるだけではいいようにされるだけだ。
しっかり、自分で、また同盟国と紐帯と強めて、対抗したい。

これに対して反対派も「左様なら」と、さようならと距離を取るどころか、タックルするごとく肉弾戦を選んだ。
そして、国際紛争の前哨選のごとき左様ならマッチが展開された。
少なくない人々が間接侵略ではないかと認知認識する政治闘争は、法改正後も続くだろう。

基本できれば、さようならとディタッチし、そうも言ってられない看過できない左様ならならタックルも辞さない。

これは特別にわが国にあてはまるというより、かなり普遍的な作法と言っていいだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿