2015年9月21日月曜日

わかるということ

連休ということで、いろいろザッピング三昧。

新聞テレビは信憑性に疑いを持った時点で辞めた。

週刊紙もガセ、キャンペーン、その他もろもろ、せいぜいdマガジンで流す程度。

youtubeその他のネットは、玉石混淆で裏を取れない情報は、陰謀論等でなくとも危ない。
結局は、ただで流布してるものは所詮その程度。

それでは有料なら如何といっても、特に出版社が自称クオリティ誌と自画自賛しているのにろくなものはない。
何誌か購読したことがあるが、ただの通販を越えない。

素人でも定点観察したり、検索能力に長ければ、結構間違いのない判断をできるところはある。
クレムリノロジストは、プラウダ等のアクセス可能紙を定点観察して、写真の変動で権力変動などを見てとった。
北朝鮮、中国なども現在もほとんど同じ。

あとは料理人の藤本某氏のような近しい人間の経験譚を腑分けしていけば、ある程度間違いのない推測はできる。

まあ、そんな仕事をしているわけではないので、別にどうでもいいのだが、生活万般を床屋論議から少しレベルをあげるには、このような「わかるということ」のソフィストケーションは必須。

そのためには実践も不可欠。
やってみて、口先だけの自分ならやらせてみて、やっと少しましにわかる。

しかし、人生は一度。一日は24時間。

猫のように何千回も生まれ変われると思うならよし、思えない我ゆえに、そこは己の甲斐性もみて、ぼちぼち、おそるおそる、必要なら果敢にやっていかねばならぬという話。

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