2015年9月22日火曜日

miscellany

まあ休みったって、特に何の計画があるわけでもなく、驟雨がときどき襲ってくる空模様ゆえ、晴れ間に庭遊びで運動不足の解消を図る程度。

こういう日が続くと、冷蔵庫の、食品棚の棚卸しには最適。
あえて頑張って在庫一掃を目指す。
調味料その他そう簡単に使いきるわけのないものは、期限切れを捨てる。
しかし、貧乏性でどうしても果敢にはできない。

リアルワールドでは、モンロー主義ではないが、あまり濃いコミットメントはこちらからは企図しない。
進むところ、熟成するところを無理せず流れに任せる主義にしているので、ちょうどよい。

ネットでは 、スカイプのスタンバイを日々check。
LINEは、systemに危惧感持つのでオフリミット。
テイスティングしたことはあるが、勝手に他人様が一丁噛みしてきたり、ノイジーでリスキー。
スマホやタブレットの本来的機能とスカイプのビデオチャット程度で十分。

ネットは、いろいろと思うところはあれど、ハンドリングは容易ではない。
一番は自家中毒。
狭い発信に溺れたり、漫然とした情報検索は、ケトン体を増やしてしまう。
アタッチメント、ディタッチメント宜しきを図るバランス感覚が必須。
このところ目配りよくいけていない不全感強し。

二番目は、他人様に教えられるところ。
まあ、老若男女、上下左右、豪柔長短その他属性は置いて、これはダメだなというモードは自分には禁忌にして、せいぜいwatchingする程度にする。
特に気を付けるべきは、自意識過剰を越えて被害妄想っぽいありようには気を付けた方がいい。

rssrリーダーでfollowしている某doctor。
出身校でスタッフにいじめられたとスピンアウトした方で、その辺りの怨嗟の念も少々度を越したレベルなんだが、その他の言動も尋常でなく、自分の方を見た子供がどういった、若いおねえちゃんがこういったと、精神科医でなくとも妄想噴出のわかるレベル。
シゾフレニーはまずまちがいないが、この程度で治まればいいが、、、、。
長崎の初代教授もミイラ取りがミイラになって、米留学時に被害妄想から人を殺めてしまった。
生物学的な理解ならピントはずれと云われようが、少しでも分析的な目で見れば、人間の自我肥大、それに伴う被害意識の肥大は誤想防衛を生むからむつかしい。
今回の政局も、理性的にマヌーバーしている意識のある連中はわかってやっているわけだが、その操作によって舞い上がって頭のつむじをグルグル回しすぎの連中の言辞には危険なものを感じる。

先日のことだが、素朴につきあえると思っていた知己が、来いというので行ったら、かえれという。
こちらは、血中酸素飽和度を下げるほどに駆けつけたので椅子で小休止しているのを追いたてる。
一生友達でと握手を求めてきたご仁なれど、彼の限界はよくわかった。
以前からA型のいいふりこきは気が付いていたが、ちょいと正直な所見をいい募られると ビビるようで、実にけつの穴が小さい。
自分の他人への体面を危うくされると感知すると、斯くのごとく酷薄。
その上で、自分の頼みたいことは維持的に変えない。
あっ、これは俺の友の概念には入らないと、黙ってomitすることに。
全て慇懃無礼かつ欺瞞的威圧的に解決しようとする団塊っぽい要素も入っているかもしれない。

三番目は、質の向上。
ちょいと上質とみてfollowしてみると、冗長なだけだったり。
他人様はかたくなだと批判して、そのうちご本尊がそうだとわかったり。
これは他人事ではない。
己が最も注意すべき点。
マルクスが経済哲学手稿で、愛は愛としか交換できないと喝破したとおり、真善美はそれ相応の真善美としか交われない。
水魚の交わりを欲するなら、畳の上の水練からでも学ぶことは必須。

ワンコらは、安易な安心を許さず。
気を抜くと、エントロピーは大きく広がり。
うまくない叱責は、見えぬところにゲリラ的犯跡を残す。
当面ここがわが主戦場である。

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