2015年9月7日月曜日

見れども見えず

せまい庭でワンコとくつろぐと、せまくても生態系がみえる。
日陰には羊歯類が繁り、日当たりがよくて踏まれない場所は伸び伸びと背高雑草が突出する。
歩いてみると、blindで蒔いてみたハーブの匂いが漂ってくる。
殆どが野草で、野草の知識の乏しい人間にも、五感でいろいろと住み分けている様子がわかる。
こういうこともやっと最近になってわかるようになった。

話は変わるが、故郷の同級生が高校の同窓会誌をlinkさせていたので覗いてみた。
校長氏の話を読むと、なるほどという現実が明かされていた。
学区規制が変わり、県庁所在地にまで受験可能になった。
いままで母校に入学していた層の4割が流出するようになったという。
受験ランキングだけがすべてではないが、基礎学力等のいわばインフラがゆらぐときつい。
地域創成にはマンパワーは必須、悩ましい。
こういう論旨には、なんのなんの、昔から大学受験となれば多くは遠く離れた地に散っていったではないかという反論もできるが、それでもいまの母校の生態系がそうなんだと知るのは、自宅の庭の如く定点観察していないだけに、俺らの頃はなんぞと簡単には云えないなと自覚。

自分の尺度でしか見えないというのは、わがことのみにあらず。
strong ネットワーカーの田中秀臣氏が、Twitterでreplyが脊髄反射的でかなわんとぼやいておられた。
いくら説明しようが、simpleに頭にはまりこんだ常同的反応が延々と続くのみ。
池田信夫氏は、自分に気に入らないreplyは、このゴキブリめ!と呟きながらブロックして、極々穏当な批評やadviceをしてblockされたよというわがネット知己に悪評サクサクだが、田中氏のぼやきつつも応答している姿の方が数段上品にみえる。

同じTwitterで、反安保活動をしている青年が、中国から攻められたら無抵抗で対するとして、保守派だけでなく、方々から嘲弄されている。
南シナ海や尖閣その他への帝国主義的膨張活動だけでなく、チベットウイグルでのジェノサイド的蛮行、天安門どころか文化大革命でも膨大な殺戮の犠牲者を出してきた支配集団である。
やむなく非暴力的抵抗で虐殺されたり、自殺を余儀なくされている図が転がっていて、これなども見れども見えずならぬ、見ざる聞かざる言うだけの体たらく。
大人で反体制利権やしがらみで、わかってやっているのも困ったもんだが、昔なら元服をとおにすぎ、大学にいってもこれなども、文科系だけでなく、肩書だけの大学なんぞ潰してもいいような気もする。

なんて、言ってはならぬことの重畳の気配。
黙して、今日も定点観察に入る。

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