2015年9月15日火曜日

めぐるめぐる季節の中で~♪

秋雨の合間なので、庭遊びもあきらめた。
ワンコらは、今日調達してきた豚足をしがんでいる。

ということで、日が落ちたらさっさと寝落ちした。
秋雨の肌寒さのせいか、早寝のせいか夜中に目覚める。

季節の移ろいの中で、少しずつライフスタイルもシフトしていく。
今日はカイマキ風を調達予定。
これはワンコらの敷毛布の洗濯中のリリーフともなる予定。

このようなささやかな一人称のわが歴史と、世の中とふれる二人称の中歴史、及びもつかない地球、宇宙、逆に小さすぎて複雑すぎて見えない素粒子レベルの三人称の大歴史。

まあ一人称も認知症に至らずとも、とぼけて生きて、いまも進行中。
心理学的、医学的、文学的その他、錯覚も誤解も独りよがりも、遺伝や経験で、てんこ盛り。
大したこともなさず、ゆえに大したリサーチ、プロファイリングもなされぬゆえ、自他共にやみなべ。

二人称も、こちら側からは一人称の敷衍型だが、相手様側からは、渡って来た狭い世間も、われはせいぜい変わり者の小者で、量質ともネグリジブル。
重厚長大、エッジのキレすぎダルすぎが嫌いな己にはちょうどよい。

三人称も、膨大狭隘浅深すぎておぼろ。
まあ、無知の知、知るをもって云々知らざる云々これ知るなりからすれば、いまのおぼろげを続けていくほかなし。
日々そこそこ学んでいくと、そう変にダイバージョンしないかなんて、自惚れもちょい残ってはいる。

自分でも、人様でも、こういう構図にはなっていると思えど、人様参照も大事。
いつも話題にする江藤淳氏や吉村昭氏の生きざま往きようは、一人称と三人称のコントラストの強さで、人生の不思議を教えてくれる。
別に骨太の文人でなくとも、たかじん氏なども形は違えど、そういうディスクレパンシーを如実に示された。

ご存命の西部邁氏なども一人称と三人称を老いの一徹で取り纏めようとされているかに見えるが、世代の違う人間からみるとかなり痛々しい。
彼がよく登場する桜チャネルでは、社長のお気に入りゆえすっかりヒールになり、MXTVの西部セミナーでは幅広い受容力を示し最近の鳩山由紀夫氏までゲストに登場させている。
すでに終ったがBSでの佐高信氏との対談は、噂で聞いたことのある京大人文研での会田雄次氏と井上清氏の茶飲み話風景が本当にあったのならばこんな風だったのだろうか、と思わせるような奇妙なハーモニーを奏でていた。
奥様様が亡くなられてお辛そうなのがヒシヒシと伝わってくるが、男はそういう生き物だ。

さて、人様の人間動物園を続けていてもキリがない。
もう肝心とは思わぬが、まあドッペルゲンガーがまとわってるお前さん自身がテーマだろ。
往くまで二心同体だし。

この頃は、養老師の教養とは他人のことがわかることという教え、自称インテリジェンス専門家が国策捜査にかかること等々を踏まえ、その他二人称をネットでも最小限に抑えて、三人称的世界を読み込んでいくことにつとめている。

めぐるめぐる季節の中で、千春も変わる、宗男も変わる、優も変わる。
師の虫好きは変わらないよう。
さて、オイラは。
カウントダウンの中で~♪

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